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食の一幕


「海、楽しかったー!」

水着に着替えてからは、海で散々遊んだ。時に、アイグルの顔面に狙ったかのようにビーチボールが食い込んだり、マリアにナンパしようとする輩がいたり(アイグルが眼光を利かせ追い払った)、キャナリにナンパしようとする輩がいたり(アイグルが鋭い眼光を利かせ追い払った)、シンクがあれもこれもしたいとリクエストする度にそれを実行していって、刻々と時間が過ぎていった。

やがて夕方になり、一行はある場所へと向かった。

天まで届きそうな高さの超豪華なホテル。チケットには予め泊まるホテルが決まっていたのだ。一行は、これまた豪華絢爛な部屋に荷物を置き、マリアの強い希望もあって、ホテルの一階にあるレストランで食事を摂ることにした。

そのレストランでは、各国の一級食材を取り揃えられており一流のシェフが丁寧に調理をする。礼儀正しいウエイターが、テーブルで待つ客に丁寧に食事を運んでいく。

一級なのは料理だけではない。煌びやかな内装に、埃ひとつない完璧に磨かれた各種調度品類は商人・アイグルの肝を潰す。今、シンクらが腰かけている椅子なんかどこの王座だというくらいふかふかで、座り心地が良い。

「おおお、落ち着けシン坊。もし食器を落としたらどうするんだ」

予想を遥かに上回る環境に、アイグルは動揺していた。アイグルははしゃぐシンクに注意しながら体の震えが止まらない。アイグルは己の手元にある逸品に視線を向ける。

「この皿は故天才陶芸家が晩年に作った代物だろ…こっちのカップだって同じ物は二度も無い大作…一体いくらすると思ってるんだ。これらを揃えるのにどれだけの金が…。そ、想像しただけで頭痛が」

ろくに食事も摂らずに、料理の乗った食器のほうに意識が集中するアイグル。

「旅慣れている兄さんのことですから、冷静でいると思ったのですが」

動揺する兄に、隣のキャナリはパンを飲み込んでジト目で視線を送っていた。パンはとてももちもちしていた。

「キャナリ。間違っても皿を割ったりするなよ。俺の命では賄えない」

アイグルは真剣な目つきで妹に釘を刺した。妹は心外なと言わんばかりに、呆れたため息をついた。

「割ったりなんかしませんよ。でも、たかが食器ひとつ割れたところで何になるんですか。命なんて大げさですよ」

「そう簡単に片付く問題じゃねぇんだよ!」

「ちょ、愚兄…もう…」

アイグルはキャナリの両肩を掴んで必死に訴えた。キャナリは実に迷惑そうに顔をしかめた。兄の手を振り払わないのは、砂浜で遊んだ疲労が抜けないからだろう。キャナリはおとなしく揺さぶられ続けていた。それらのやり取りを気にせずシンクはマイペースに野菜を咀嚼していた。そして、

「マリアー!早くこっちきていっしょに食べようよ」

やや遠くにいるマリアに声をかけた。しかし、

「待って!まだ肉が焼けてないの!!」

シンクに声をかけられたマリアは、シンクに背を向けたまま答えた。マリアの瞳は、レストランのコックから目を離さない。

正確には、コックが焼いているモウルの肉から、目を離せなかった。

このレストランの一部の料理は、リアルタイムに作られた物を提供している。マリアは肉が焼けるのを待っていた。

「マリア、座って待ってろよ」

あまりにマリアが肉に目を向けるので、コックは緊張していた。それを認めたアイグルは、マリアに戻るよう声をかけるが、

「この肉の焼ける匂い…たまらない…」

お腹を鳴らし、うっとりした表情で目をキラキラさせるマリアには、その声は届いていなかった。アイグルは苦笑いを浮かべる。見かねたウエイターは、マリアにそっと近づき耳打ちをする。

「お客様。料理ができたらお持ちしますので…」

「で、出来立てがほしいのです!できたてが…」

それでもマリアは食い下がる。迷惑がかかっているとはマリア本人も自覚していたが、それでも肉の焼ける匂いはマリアの胃袋を掴んで離さなかった。お盆を携え、コックのいじる肉を目で追い、口を窄ませる。アイグルは、ウエイターと会話するマリアの様子を見て苦笑いを浮かべるしかなかった。彼女の食欲を止めれないのもそうだが、普段大人びているマリアのその表情は存外幼い印象を受けるから。

「わかった。わかったからせめてコックから距離を取れ。仮にもアルムの王だろ」

それでもするべき注意はしっかり行う。アイグルの声は柔らかかった。

「はぁい…」

マリアは渋々頷くと、コックから一歩離れた。しかし、

「あ、アルムの王でらっしゃるのですか?あわ…」

マリアの正体を知ったコックは、明らかに動揺したようだ。目の前にいるのが一国の王と知り、フライパンを持つ手が震える。マリアも、カタカタと踊る肉に動揺した。マリアはコックに優しく声をかける。

「ああ、私の肩書きは気にしないでどうかお肉を焼いてください」

「は、はいっ」

「は、端っこ焦げてるわ」

「ももも、申し訳ありません」

「ああっ、怒ってるわけじゃないのよ。本当に気にしないで」

「は、はい、はい!」

コックは目を回しながら調理をする。コックだけではなく、マリアの正体を知らなかったウエイターや他の客にまでざわめきが広がる。みんな一斉にマリアに注目する。

「さすがに王が来店すると緊張するのですね」

キャナリはそんなざわめきなど特に気にした様子もなく、淡々とジュースを啜る。「美味しいですね」と独り言。その傍ら、

「…余計なこと言わなければよかった」

マリアを目の前にテンパる新人コックを見つめ、アイグルは眉間を押さえ後悔した。ガラッと変わった空気を肌で感じたアイグルは、悪いことをしてしまったとひしひし思う。シンクは、そんなアイグルにオムレツの乗った皿を寄越した。

「アーにい、これ美味しいよ」

「サンキュ…」

アイグルはありがたく頂戴した。優しい弟分の気遣いに心癒される。少し余裕の出たアイグルはあのコックには後でチップを出そうと誓い、オムレツを頬張る。

一方マリアは、焦げかけた肉を皿に乗せてもらっていた。ゆっくりと席に戻ったマリアは、コックを振り返る。

「…あの子に悪いことしたわね」

涙目で己を見つめるコックと、あちこちから向けられる視線を気にしながらモウルの肉を口にした。

「あ、美味しいわこれ」

マリアはそれを皮切りに、次々にフートゥの絶品へ手を伸ばしていくのだった。

その、食に関して遠慮のない姿に、アイグルの体から徐々に緊張がほどけていった。

「お前は本当に…」

「マリア様、このパン美味しいですよ。ジャムをつけるともっと美味です」

「あら、じゃあ頂こうかしら」

「マリア、このお魚もうまいよ。採れたてなんだって」

「それも要チェックね!」

マリアの手元に続々と食事が並んでいく。アイグルはそれを微笑ましく見つめる。キャナリとシンクは、マリアに喜んでもらおうと多くの料理をマリアに勧める。マリアは2人の勧めた食事を取り、子どものようなワクワクした表情を浮かべる。その皿の数は、2つから4つへ、4つから8つへ、やがて8つから10へとじわじわと増えていき…。

「いや食い過ぎだろ!マリア!まずは食べきってから料理選べ!あとシン坊とキャナリ!勧め過ぎだ自重しろ!」

アイグルは席からガタンと立ち上がり、一人一人に声を張り上げた。マリアは「あら」と素知らぬふりで自分の並べた皿を見下ろした。キャナリはすました顔で肩を竦め、シンクは頰を膨らませてみせた。アイグルはおい、と3人を順繰りに睨みつけるが彼から目を逸らす三者三様。その態度に、

「年上のいうことはきけ!」

腰に手を当ててくわっと目を見開く。しかしそれは、普段仲間に見せるリラックスした表情でもあった。いつしかアイグルの緊張も解けていたのだ。

マリアたちは互いに笑い合いながら、美味しい食べ物を口に運んでいく。






そうして、世界は夜に近づいていく。






遠く離れた大地にて、ある考えもまた、静かに歩みはじめていた。





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