鬼修行を終えた今、ヘトヘトになる
「疲れた…」
夜。食事と入浴を終えたマリアはヘロヘロとベッドに倒れる。キャナリたち兵士による訓練によって、マリアの身体は激しい筋肉痛に襲われていた。
脚にも腕にも腹にまで激痛が走り、ゆっくりとしか動けない。
「マリア頑張ったもんね、おつかれぇ」
シンクは、マリアの部屋の椅子に腰掛けていた。脚をぶらぶらして、楽しそうに笑っている。風呂上がりのシンクは、長い髪をうまいことひとつにまとめていた。
「シンク…あんた、気楽なものね。長生きするわよ」
「マリアと長くいれるなら、長生きしたいなぁ」
シンクは首を左右に揺らしてヘラヘラ笑う。本当にお気楽な男だ。
マリアはため息をついて、今日起きたことを思い返していた。
キャナリたち兵士は、マリアをこってり絞ったのだ。それはもう、濃厚に。
特訓は投剣から始まり、体術回避術またまた魔術まで教わった。息が切れた。
どうやらこの世界には、魔術というものが存在するらしい。魔法の使い方なんて知らなかったが、方法を教えてもらえばなんとなく理解できた。
『特別なことをする必要はないのです。的を見て「この的なんか燃えてしまえ」と呪うように祈るのです。そうすれば炎魔法が出ますから』
キャナリが物騒な言い方をするので苦労したが、マリアはなんとか炎魔法を使うことができた。的の丸太は無残にも丸焼け状態になった。
『その調子ですよ。さすがマリア様、記憶を失っても基礎魔力は変わってませんね』
『?』
『マリア様の魔力は相当高いものでしたから。普通は、あの丸太を丸焼けにするのに一ヶ月はかかるのですよ』
キャナリはそう付け足してくれた。
『へえ、私の魔術はすごいのね』
『はい。魔獣は大型のものも丸焼きになり、賊の火葬は一撃で、』
『その辺にしておきましょうね』
怖くてそれ以上は聞けなかった。マリアは手のひらでキャナリの口をそっと押さえた。
『でも、マリア様は不用意に殺生しませんでした。マリア様は必ず相手の言い分をよく聞き、場合によっては賊にすら援助をしていました。たいへん慈悲深くお優しい心の持ち主。私は国民として、乳母として、貴女が誇らしかったです』
キャナリの言葉はマリアの心に染みる。自分は本当に、大切な記憶を失ってしまったらしい。
『キャナリ』
『なんでしょうかマリア様』
『ごめんなさい。そんなに私を慕ってくれているというのに、私は記憶をなくしてしまって』
『謝らないでください。無くなったものは仕方がない、のでしょう?それに、貴女の優しさは無くなっていない。私にはそれで十分です』
キャナリは目を細めてマリアを見上げた。陽の光が差し込んだ彼女の瞳は、キラキラと輝いていた。キャナリの言葉に嘘はない。そう思わせてくれる、一途な瞳だった。
『キャナリ…』
『でもそれとこれとは別。元の貴女様に戻すべく、これから毎日こちらの訓練場にお越しくださいね』
『回避』
『昼過ぎまでに来なければお仕置きですからね。まだ訓練は残っていますから。たっぷりと』
キャナリは、木の背後に隠れたマリアに声をかけた。物理的な回避術では、キャナリから逃れられないようだ。
こうして私の日課の一つに、訓練が加わった。訓練というより調教に近かったが。
「明日からまた大変そうね」
「マリアならできるよ、大丈夫」
重いため息をつくマリアと反対に、シンクの口調はどこまでも軽かった。
「人ごとだと思って…」
マリアは恨めしげにシンクを睨みつけた。色々と文句はあったが、喋ると体力を失うので黙ることにした。
「私、もう寝るわ」
「でもマリアの髪まだ乾いてないよ」
「いいのよ別に…。今日はもう疲れたからこのまま寝る。シンクももう寝なさい。自分の部屋でね」
マリアはそう言って布団に潜り込む。部屋に静寂が訪れた。
「……」
「……」
「……」
「……なに」
シンクの視線を浴びたマリアは、上体を起こして声をかけた。案の定、シンクはマリアをずっと見つめていた。
「んー?なんでもないよ、ただ、思ってただけ」
「何を」
シンクはマリアに短く問われ、膝を曲げて微笑んだ。
「マリアが見つかって、魔法の練習してるんだなあって」
「……」
「マリアが見つかってよかった、本当によかった」
シンクは何度も頷いて、ふにゃふにゃ頬を緩ませた。マリアは脱力した。シンクは決して悪い子ではないのだ。
「シンク、少しだけおしゃべりする?」
もう少しだけ、本当に眠くなるまで。彼とお話ししてもいいかもしれない。マリアは優しい声色でシンクに聞いた。
シンクは身体を丸めて、とびきり甘い声を出した。
「おしゃべりよりも、マリアと一緒に寝たいな」
「ふふ。今すぐ部屋から出て行きなさい」
「少しだけ、ね?ぎゅーってして?」
シンクは上ずった声を出して、マリアのベッドに潜り込んだ。マリアはふっと微笑むと、シンクの首をぎゅーっとした。




