ふと考える
一夜明け、起床したマリアらは宿の食堂に集合していた。みな、朝食を摂りながら談笑している。他に客はいない。
「それにしてもこの国は…」
マリアは宿の窓から、ツェレの国を眺めた。緑に囲まれた自然の多い景色。
「静かで良いわねぇ」
その言葉に、マリアの話を聞いていた3人は無言のまま頷いた。
宿から少し距離を置いた畑では、数人が畑作業を行なっていた。畑の規模はそれほど広くない。そのためなのか、皆、のんびりゆっくり作業を行っていた。それがまた見る者にまったり感を与える。
日差しさす太陽の下では、親子らしき集団が談笑がてら弁当などを貪っているし、時間を持て余した老人は日陰でのんびり体操をしている。
「のどかだなぁ」
子どもの笑い声が聞こえ、アイグルは目を細める。
マリアは、
「私も外を散歩しようかしら」
「良いな。それ」
アイグルは冷たいスープを飲み飲み、マリアに同意する。
「ご飯を食べたらみんなでひなたぼっこでもしましょうか」
「うん。そうしよう!」
シンクは咀嚼していた物を飲み込み、気持ちのいい返事をした。
朝食を食べた後、マリアは空いている客室にシンクを呼び出す。
「シンクは外に出る前にアランジしないとね」
マリアはアランジセットを用意した。シンクに椅子に座るように目で語る。
「お願いマリア」
甘えるような声を出し、シンクはマリアに背を向けて座った。いつもの光景。いつも見ている後ろ姿。
マリアはその後頭部をじっと見つめる。こうして旅に出ても尚、シンクの体の線は細い。道中、それなりの数の魔物と戦い、闘技場にも出場した。それでも彼はまだ、『無垢』な姿を保っている。そういう風に見えた。
改めてそれに気づいた時。ふと、マリアの中に実態の掴めない違和感が広がる。
「……」
マリアは黙ったまま、モザールを指に絡める。その動作に、すっかり慣れきっていた。
彼の髪を整えるモザールの量は、残り少なくなっていた。それだけ、シンクとともに過ごしたのだ。
「モザール、買わないといけないわね」
「そうだね!ツェレかフートゥで売ってるかな」
シンクはマリアの言葉に反応する。いつも通りの光景。
「どうかしら。もし売ってなかったらどうしましょうか」
「それは困るよー」
「…そうね。困るわね」
「…マリア?」
マリアの低くなった声に、シンクは違和感を覚えて振り返る。怪訝な瞳は、マリアの視線とぶつかる。
マリアは、
「ごめんなさい。なんでもないわ。すぐアランジするから、じっとしていなさい」
口端を上げて、シンクに前を向くように言った。
彼の髪に、モザールを塗り込んでいく。いつもと変わらない動作で。しかし、マリアの纏う空気は明らかにいつもと違う。シンクは唇を突き上げた。
「…?」
やや気まずい沈黙が流れたが、やがて2人の間にポツポツと会話が生まれていく。
マリアの違和感は、そこで薄れたかに見えた。
アランジを終え、マリアとシンクは宿の玄関に向かった。そこにはすでにアイグルとキャナリがいて、2人の到着を待っていた。
「さぁ、散歩行くかー」
間延びした締まらない口調で、なんとなく猫背のアイグルは3人に声をかけた。アイグルはふわぁとあくびなんかして緊張感のきの字もない。それもそのはず。ツェレの国内はあまりにのんびりしているからだ。
「はい兄さん」
キャナリは口調はしっかりしていたが、いつも締めている第二ボタンは開いてあった。
「あら、キャナリ。そのボタン…」
「…忘れていました」
マリアに指摘されて初めて気がついたようだった。キャナリはバツが悪そうな顔で、シャツの胸元を確認した。
「申し訳ありません。私としたことが」
「いいじゃない。今はリラックスすれば」
マリアにぽんと肩を叩かれ、キャナリはボタンを留める手を下ろした。
「そうだぞキャナリ。そーだ、いっそのことボタン全部外したらどうだ?」
「愚兄」
「冗談だって」
軽い口調で冗談を言うアイグルの足を、妹はグリグリ踏ん付けた。アイグルは涙目になる。
のどかな朝の日差しの下、4人はツェレをのんびり歩く。いろいろな場所に立ち寄りつつどこまでものんびり歩いていく。例えば、
「品揃え、豊富ですね」
「フートゥが近いからね。向こうから物資がよく届くんだ」
小さな市場に寄るというキャナリに付いていき、店員から茶葉を買うのに付き合ったり。
「すごく真っ赤なお花だね」
「アルムでは見ないわね」
「南の方で咲く花だな。…ちょっと貰っていくか?」
シンクが指差した花に、一斉に興味を示したり。
「お兄ちゃん!いっしょにあそぼー!」
「いいぜ、追いかけっこしようか!」
散歩に来ていた子どもたちに誘われたアイグルが、子どもと一緒になって戯れたりした。
「アイグルは元気ねぇ」
マリアはちょうどいいところにあった木陰に座り、ひとりごちる。子どもらと駆け回るアイグルを眺めながら、キャナリの淹れた茶を飲んだ。
「そこが兄の取り柄ですから」
子どもたちと大声を出して笑う兄を眺め、妹はどこか誇らしげだった。
「アーにい、頼もしいよね」
シンクは膝を抱えて、キャナリの茶をちびちび飲む。
「このお茶おいしいね。さすがキャナリの淹れたお茶」
シンクはコップを持ち上げ、キャナリに微笑む。キャナリはそ知らぬ顔で髪をかきあげる。シンクは目を細める。
「悪いですね。うちの子と遊んでもらって」
「あ、いえ。気にしないでください」
マリアは、己の近くに腰掛けていた男に話しかけられて、笑顔で答える。向こうでアイグルと遊んでいる子どもたちの父親なのだろう。マリアはその父親の顔をじっと見つめた。
日にあまり焼けていないのだろうか。南の国に暮らすこの男の肌は、やや白かった。茶色の長い髪は、後ろで縛られてある。
一方、男の奥には妻と思しき女性が腰掛けているが、そちらのほうは随分日に焼けているようだ。健康的な、小麦色の肌をしている。動きやすいようにしているのか、女性の割に髪は短い。
対照的な姿の2人に、マリアはひそかに首を傾げる。
「旅をしているんですか?どこから来たのですか?」
男はマリアに話しかける。マリアは答えた。
「ええ。アルムから」
「アルム…?どこにあったかな」
「ほら、北東にある国よ」
妻はすかさず、夫に助け舟を出した。
「そうだったそうだった」
後頭部に手を回してどこか幼い仕草の男は、妻にヘラヘラと笑みを浮かべる。女はやれやれと言葉を漏らす。
「仕方のない人。私がいないと何もできないんだから。ほら、また食べかすほっぺにつけて。拭いてあげるからこっち向きなさい」
「はーい」
「まったくもう」
なんてため息をつきながらしかし女性はまんざらでもなさそうだった。男の顔に目ざとく食べかすを見つけると、持って来ていたらしい濡れ布巾で顔を吹いて拭いてやっていた。
マリアはその様子をぽかんと見守っていた。
「…仲がよろしいんですね」
極めて明るく、そう言ってみた。
女は口元に手を当ててマリアに反応する。
「この人が身の回りのことができないんです」
そう言って女は「あ、手も汚して」と言いながら夫の手を濡れ布巾で拭いた。丁寧なことに、先ほど頬を拭いたのとは別の布巾のようだ。男はされるがまま、マイペースに、
「喉が渇いたよ」
「はい、水筒にお茶入れてあるわ。あんたの好きな、砂糖たっぷりのね」
「ありがとう!」
礼を言って妻から受け取った水筒の中身を飲んでいる。
「おいしいよ、ありがとう」
「どういたしまして」
夫婦のやりとりを、どこか違う世界のようにマリアは見守っていた。
いや、違う世界というのは正しくない。
違うというよりも、むしろ…
「貴女のパートナー、髪を綺麗に整えられていますね」
マリアの思考は、男の言葉でかき消された。男はシンクの髪を眺めていた。どこか羨ましそうな視線だった。
「でしょー、マリアが丁寧にアランジしてくれたんだ」
自分が注目されたことに気づいたのだろう。男の視線に気づいたシンクは、己の髪を触って自慢げに胸を張る。男はなるほどと笑みを浮かべる。
「通りで。とても綺麗だね」
「丁寧にアランジしたことが伝わりますね。さすがです」
「いえ、そんな…」
女の、皮肉の全くこもっていない素直な賛辞に、マリアは顔を下げていた。ここまで褒められるとは思っていなかったのだ。なぜここまで褒められるのか。男の髪を整えているだけで、何がそんなに偉いのだろうか。
今更ながら、マリアは考える。
そういえば、出会った当初にシンクが言っていた気がする。
『女性は、生涯を誓った者の髪をアランジする。それが2人の愛の証だから』
そうだ。それがこの国の、いや、世界の通例なのだ。
「…」
マリアは、今までの旅を思い出す。そういえば、アルムの国民の兵士のほとんどは女性で占められていたように思う。さらに。今まで出会い、話をした者のほとんどは女性だった。王だって、自分含め全て女性が務めていた。シードのアシュータが例外だったが、あれもあくまで代理の王に過ぎなかった。妹が育てば、アシュータは王の座を降りると言っていた。
これは何を示すのだろう。それとも偶然なのだろうか。
マリアは遠くにある畑を眺める。
主に働いているのは、女性だった。




