不安な道、みんな渡れば怖くない
「ねえ」
マリアの問いかけに、アイグル、キャナリ、シンクの3人は顔を上げる。
用事があるというレビトと別れ、4人はしばらくとぼとぼと歩き続けていた。誰も何も言葉を発しないまま、ストゥマの国内を歩く。宿を出た直後の盛り上がりは完全に消え去っていた。妙に固い表情で、4人は目的の場所に向かう。
ようやくストゥマの門前まで来たところで、マリアはポツリと、しかしよく通る声で皆に尋ねた。
「旅、続けるの?」
沈黙を破ったその言葉に、一番に反応したのがアイグルだった。
「…そうだな」
唇に手を当て、何か思案する。その視線の先には、シンクがいた。シンクは黙ったままアイグルの続きを待つ。アイグルは乾いた唇を舐めて、
「結論から言うと、危険を犯してまで旅を続けることはない」
きっぱりとそう告げた。シンクの指先がピクリと揺れた。アイグルは続けて、
「マリアが会った『怪しい奴ら』のこともあるし…。何より、奴隷商人のことが気がかりだ」
「そ…」
シンクは何か言いかけるが、言葉は出てこなかった。持ち上げられた細い腕が虚しく宙を掻く。一方、そんなシンクの横にいるキャナリはアイグルの意見に賛成するように首を縦に振っていた。
「私も同じ意見です。マリア様やシンクに危険が加わる可能性があるのなら、なおのこと」
「キャナリ…」
そう言われたマリアは、視線を落とした。かつてアイグルとキャナリが話してくれた、シンクの過去を思い出す。
シンクはかつて奴隷商人に捕らえられていた。怖い目に合ったシンクは母親の助けがあって、命からがら抜け出した。という話を。
マリアは顔を上げて前を向いた。ストゥマの門を、その先に広がる土埃舞う道を見据えた。
シンクの人生をめちゃくちゃにした人たちが、この道の先にいる。進んだら、そいつらに合流する可能性が、十分ある。
「……」
マリアは迷った。
このままこの道を進むか、それとも引き返すべきか。
「…行こう」
皆、その声がした方へ視線を向けた。静まり返った空間に、少年の絞り出すような声が落とされる。
「シンク…」
声の主はシンクだった。シンクの顔は青ざめていた。
「行こう。僕なら大丈夫だよ」
引きつった自分の表情にも気付かず、シンクは拳を握ってみせるのだった。アイグルは、
「シン坊…いや、シンク。わかって言ってるのか?この先にお前を捕まえた奴らが、」
「わかってる、わかってるよ」
アイグルの言葉に被せるように、シンクは何度も頷く。アイグルは納得できず、首を横にふる。
「怖いんだろ?今だって、体震えてるじゃないか」
「でも決めたから…マリアといるって決めたから。…怖くても僕は、マリアと一緒にいたい」
「……」
シンクは震えながらも、光を伴った瞳でアイグルを見た。アイグルはシンクの覚悟を問うように、少年と見つめ合っていた。シンクは、ごくんと息を飲み、アイグルを睨み返す。
「……いい顔になったな」
ややあって、アイグルはふぅ、とため息をついた。シンクから視線を外すと、今度はマリアに向かって尋ねる。
「マリアは、どうだ?旅を続けてみるか?」
「私は…」
話を振られ、マリアは言い淀んだ。アイグルはマリアを見つめる。
「これはお前が行くと決めた旅だ。俺たちは、お前の意思に従う」
シンクとキャナリは、マリアをじっと見つめた。全員の視線を浴びたマリアは一瞬躊躇ったが、
「旅を続けてみたいわ」
一息に告げた。そして、3人の反応を待たずに続ける。
「だって私、まだわからないことだらけで…。そんな状態でアルムに戻って、王としての務めを果たす自信なんてないわ。そんなの、王失格でしょう? …記憶だって戻ってないし。それに、怪しい人たちのこと気になるもの!もしあの人たちが何か企んでいるなら、すごすごアルムには戻れないわ」
マリアは手を振って力説した。その指に飾られている翠が、太陽の光を受けて、暖かく輝く。
「そっか」
アイグルは頷くと、
「じゃ、行くか」
軽い口調であっさり言ってみせるのだった。その言葉に、マリアとシンクは、ぽけっと口を半開きにさせた。
「なんだその顔は」
アイグルは不思議そうにマリアたちの様子を窺う。マリアとシンクは互いに顔を見合わせ、
「い、いえ…。てっきり反対されるかと思ってたから」
「僕も」
「ね」
うんうんと2人して頷きあう。アイグルはというと、
「反対なんかしねーって。どうしても危険な時は違うけどさ。これはもともとマリアのための旅だ。だったら、マリアの意思が絶対。可能な限り進んでみるべきだと俺は思う。俺は、マリアの考えを聞きたかったんだ」
「アイグル…。ありがとう」
マリアは、アイグルの後ろに控える少女を覗き込んだ。マリアに見つめられた少女は、小鳥の囀りよりも小さなため息をついた。
「私は…。マリア様とシンクがそう言うのなら、何も言うことはありません。ついて行くだけです」
そう平気そうに言うキャナリの顔はしかし、憂いを帯びているように見える。その表情に、マリアは胸がチクリと痛む。
「ごめんなさい、キャナリ」
キャナリは顔を上げた。
「謝らないでください。私は貴女の乳母。どんな時も貴女のそばにいました。マリア様が旅を続けたいと言うならば、反対することはありません。貴女について行きます」
「…ありがとう。心強いわ」
マリアはその答えに嬉しくなり、口元に手を当て微笑む。キャナリは仕方ないですねと言わんばかりにゆるゆるとかぶりを振る。
一連のやりとりを眺めていたアイグルは、
「シン坊」
「何」
「後悔しないな?」
シンクはその問いに、力強く頷いた。
「…!うん」
シンクは門に駆け寄り、手を振った。
「みんな、行こう。この先に!フートゥの国に!」
大きな声を出して、優しい幼馴染と大切な唯一の人を呼んだ。




