ヒントは見つからなかったけれど、新たな名前を聞く
あれから数時間経った。結局、カプセル部屋への入り口は見つからなかった。マリアとシンクは探索を切り上げ、アルムの市場を見て回っていた。
「あれだけ探しても見つからなかったね」
「ええ。でも、明日には見つかるかもしれないわ。また探しに行きましょう」
「さすがマリア!」
マリアは拳を握って、力強く頷いた。シンクはマリアの笑顔を見て微笑む。
「それにしても、賑やかね」
マリアは周囲を見て言葉を漏らす。市場には、たくさんの人がいた。物の売り買いをしている姿が頻繁に見られる。
「マリアが賑やかにしたんだよ。マリアが、いろんな国に行って、アルムの国のことを教えて回ってたから」
「そうらしいわね」
最初に聞き込みしたときに、商人のお姉さんがそのようなことを言っていた。きっと、記憶を失う前の私は交易交渉に熱を入れていたのだと思う。
その活動が実を結んだからこその賑わいであると思った。
「勉強のほうもしっかりしないと…。やることは多いわね」
記憶が無くなったとはいえ、マリアは国の王だ。やれることはしなくてはならないと、マリアは考えていた。
「勉強をするの?だったら、アイグルさんが帰ってくるのを待とうよ」
「アイグルさん?」
シンクの口から聞き慣れない単語が出てきたので、マリアは聞き返す。
「アイグルさんはキャナリのお兄さんで、すっごく頭のいい人なんだ。マリア、アイグルさんから勉強教えてもらってたんだよ」
シンクはそう教えてくれた。
「アイグルさんは、今ここにいないの?」
「うん。ちょっとどこかに出かけてるみたいなんだ。キャナリに聞けばわかるかも」
「キャナリはどこにいるのかしら」
マリアは、朝からキャナリの姿を見ていなかった。キャナリはマリアの乳母と聞いていたが、だからと言ってマリアにつきっきりというわけではないらしい。
「キャナリなら訓練場にいると思うよ」
「ああ…。じゃあ、そこに行きましょう」
マリアは、昨日少しだけ話した訓練兵の女の顔を思い浮かべた。また何か引っかかるが、シンクに腕を引かれてその思いは霧散した。とにかく、キャナリに会いに行かねば。
「あら、マリア様おはようございます。シンクも」
「おはようキャナリ…ふふ…」
目的の人はあっさり見つかった。キャナリは布で汗を拭きながら2人に近づいた。キャナリは、長いエプロンドレスを膝の上までたくし上げて、訓練に励んでいたようだ。ぶわっと膨らんだスカートがカボチャパンツのように見えて、マリアは少し吹き出してしまった。小柄なキャナリによく似合っている。
「今笑いませんでした?」
「い、いや、笑ってないわ」
「笑いました。バレてるんですからね?いいんですよ不恰好でも、動きやすければ…」
そう言いつつも、キャナリはエプロンドレスを元のように戻した。
「ところで、なんのご用でしょうか」
「キャナリ、アイグルさんいつ帰ってくるか知らない?マリアがアイグルさんに会って、勉強したいんだって」
マリアの代わりにシンクが尋ねた。
「愚兄ならそろそろ帰って来ますよ」
「どのくらいで帰ってくるかしら」
マリアが問うと、キャナリは少し考え、
「そうですね。あと、3日以内には帰ってくると思います」
「お兄さん、遠くに出かけているのね」
マリアが聞くと、キャナリは特に表情を変えずに続ける。
「兄は商人ですから。色々な国に赴いて交易しています。最近は物騒なので大変だと聞きましたが」
「物騒…。昨日、ここにいる訓練兵にも聞いたわ。隣の国に賊が出た、とか」
「ええ。ですのでこうして、時間のある者はここに集って訓練をしているのです。ああやって」
キャナリは、訓練に励む兵士の群れを指差した。的に剣を突き刺したり、対人で格闘を行なっていたり。皆真剣な顔をしている。
「…キャナリも戦うの?」
「当然です。私たちはアルムの戦力ですから」
「そう…」
「どうしたのマリア」
「あ、いや、別に」
「?」
マリアは口角を上げて笑って見せた。シンクはその表情に疑問符を飛ばす。
「訓練って大変?」
マリアは、キャナリと他の兵士を見て、ポツリと尋ねる。
「そうでもありませんよ。物心ついたときから始めているので」
「そ、そう」
「よろしければマリア様も特訓に参加しませんか」
「……え?」
マリアは、キャナリの言葉の意味がすぐに理解できなかった。
「実際に訓練すれば、よくわかりますよ」
「い、いやその」
「どうされました?」
キャナリはマリアに迫る。
「私、記憶なくなってるし、こういう激しい運動はやめとこうかな」
「『動けば思い出す』のでは?」
キャナリはマリアにジリジリ迫る。キャナリの瞳を覗くと、やる気の炎が燃えているように見えた。鎮火させたいが水場は遠い。
マリアは隣にいるシンクに、助けを求めるように視線をやった。シンク、この娘をなんとかして。
「わーい!久しぶりにマリアの訓練が見れるー!」
「うん。そうよね」
結果。これから劇でも始まるかのような、無邪気なはしゃぎぶりが見れただけだった。シンクのその姿は、マリアを脱力させた。
「じゃあ…少しだけ訓練に混ぜてもらおうかしら。キャナリ」
「はい。マリア様」
マリアが苦笑いしてそう言うと、キャナリは花が咲いたように微笑んだ。キャナリはくるりと後ろを向き、大きく息を吸った。
「皆の者!!マリア様が訓練なさるぞ!!手の空いた者は協力せよ!」
「え、ちょ、キャナリ?」
「なっ、マリア様が!」
「マリア様、回避術は私めがお教えします!」
「なんの、投剣のことなら私が!」
「格闘について私の右に出る者はありません!マリア様、どうぞ私の手をお取りください!」
「ちょ、なにこれキャナリ助けむごぉ」
キャナリが大声をかけた途端、兵士が一気に群がりマリアに集まった。皆我先にマリアに突進する。突然のことに驚き助けを求めようとしたマリアだったが、彼女の声は兵士の胸に潰されてくぐもるだけだった。
「マリア様、今日はたっぷり調教いたしますね」
「!?」
不意に聞こえたキャナリの平坦な声は、マリアの背筋を冷たくさせた。言いたいことはあるが、兵士の山に揉まれ喋れない。
窒息寸前で意識が遠ざかる中、マリアはこう思った。
ぜひ、回避術から教えてほしい。
「マリア様、まずは投剣から教わりましょう。攻撃できないとやられるだけですので」
マリアはキャナリのやる気に満ちた目を見て、諦めた。それはもう、色々なものを。




