戦勝祝いと夜散歩
夕方。闘技場の試合が終わった頃。闘技場の上級コースで優勝を収めたキャナリの噂は、ストゥマの国に広まった。まだ試合が終わって間もないのに、キャナリの周囲にはすっかり人垣ができていた。
「キャナリ様、すごい戦いっぷりでした!」
「ありがとうございます」
「あの流れるような槍さばき、尊敬します」
「どうも」
人々は興奮抑えられない様子で、キャナリに熱心に話しかけている。キャナリは律儀に、一人一人に返事をする。その声色は、彼女のいつものそれより心なしか高かった。
マリアたちは人だかりから距離を取り、キャナリの様子を遠くから眺めていた。
「キャナリ、嬉しそう!」
シンクは、囲まれているキャナリを見て微笑んだ。マリアもまたキャナリの顔を眺め、目を細める。
「本当にね。優勝できたのがよほど嬉しかったのね」
マリアの傍らに立つアイグルも、口元を緩ませる。
「キャナリはアルムの人間としか交流がなかったからな。アルム以外の人間に認められて嬉しいんだ」
キャナリの兄として、今の状況は純粋に嬉しいのだと言う。その言葉に、マリアとシンクは顔を見合わせてにっこり微笑み合う。
見ず知らずの人々は、皆一様にキャナリを褒め称える。キャナリは冷静に、しかし嬉しさを隠しきれない様子で自分を囲う人々を見上げる。
「次々に勝ち上がる姿が華麗で…もうすっかりあなたのファンになりました!」
「嬉しいです。ありがとうございます」
「かっこよかったです。あたしも槍使おうかなぁ」
「リーチも長いですし、オススメですよ」
「実は俺…第一試合のあなたのあの言葉に、ずっと高揚が止まらないんです!」
「そうですか」
「あの、刃のごとき怜悧な瞳が忘れられないんです!!」
「へぇ」
「是非その足で私めを踏んでください!!」
「靴を舐めさせてください!!」
「…」
キャナリは一部の人間に対し、無言のまま、ゴミを見るような視線をぶつけた。そしてスーッと視線を逸らし、視界から追い払う。完全に無視をした。だが一部の人間は、
「ああっ、その冷たい態度!」
「ゾクゾクしますっ!!」
「それがいい!もっと冷たくしてください!キャナリ様!」
と顔を赤くしてさらに盛り上がる。
「「「……」」」
マリアたちはその姿にドン引いた。マリアはそっとアイグルの服の袖を引く。
「アイグル、あそこからキャナリを引き離さない?」
「…。でも他の奴らはマトモだし」
頭のおかしい奴はいるがあの中には純粋なキャナリのファンがいる。アイグルは、マトモなファンと異質なファンを天秤にかけていた。が、
「キャナリ様、あの、もしよろしければ是非僕とお付き合いを」
「あーそこまでにしろそこまでに」
何かを口にした若い男がキャナリに近づいた瞬間、アイグルは瞬時に高速移動した。アイグルは男の腕を掴んで眼を光らせ、低い声を出す。
「そういう話は、兄の俺を通してからにしろ」
「ひ…」
その迫力に、男は肩を震わせた。そのまま男の手をパッと払い、キャナリの手を引く。
「兄さん?」
「行くぞキャナリ、マリアとシンクが待ってる」
そのまま半ば強引に人垣から引き離す。あっという間にマリアたちの元まで着くと、
「宿を取ってるんだ。今日はそこで休もう」
そう言って、マリアとシンクの横を通り過ぎていった。その歩みは早く、止まらない。キャナリはアイグルの後ろ髪を見上げた。
「兄さん、急にどうしたんですか」
「どうもしねえよ」
「様子がおかしいようですが」
「おかしくないって」
アイグルは前を向いたまま素っ気なく答える。置き去りにされたマリアはアイグルを見て、口元に手を当てた。
「あらら…もう。アイグルったら、キャナリのことが大切なのね」
「アーにい、怒ってるの?」
「まさか」
シンクはアイグルの様子を見て、眉尻を下げる。マリアはシンクの肩をポンポンと撫でた。
「アイグルは不機嫌なだけ。ほら、行くわよシンク。アイグルを見失っちゃう」
「わ、待ってマリア」
マリアはシンクの肩を叩き、小走りした。シンクは慌ててそれに習う。
宿に到着したマリアたちは、まずは食事を摂ることにした。
どこで噂を聞いたのか、キャナリの優勝は宿の店員の耳にも入っていたらしい。キャナリをお祝いするために、随分豪勢な料理が出された。マリアは大喜びだった。
「あー、美味しかった。これもキャナリのおかげね」
マリアは満面の笑みを浮かべ、お腹をさすった。キャナリにお礼を言う。キャナリは微笑んだ。
「マリア様、もっと食べてください。このクッキー美味しいですよ」
「ありがとうキャナリ!美味しそう!」
「おい、キャナリ…」
マリアの皿に料理を乗せていくキャナリに、アイグルは苦笑する。いつもの声色でキャナリを嗜めていた。もうすっかり機嫌は直ったらしい。
「キャナリ勝ててよかったね」
「少し苦戦するときもしありましたが、無事に勝つことができました」
キャナリは試合を振り返る。シンクは両手で己の頬を挟み、テーブルの向かいに座る幼なじみに微笑む。
「キャナリ、嬉しそう」
「シンクこそ嬉しそうじゃないですか」
「だってキャナリが優勝したんだもん。嬉しいよ」
「そうですか…」
シンクの笑みに、キャナリは照れ臭そうにパッと視線をそらす。シンクはそっぽをむくキャナリに、笑顔を向ける。
「おめでとう、キャナリ」
「…ありがとう、シンク」
キャナリは髪をいじりながら礼を言った。2人のやりとりに、マリアとアイグルは顔をほころばせた。アイグルは、キャナリの頭に手を乗せてわしゃわしゃ撫でる。
「よくやった、キャナリ。さすが俺の妹だ」
「やめてください、髪が乱れ…」
「おめでとう、頑張ったね」
「それは先ほど聞きましたから」
「キャナリ、よくやったわ」
「マリア様までっ」
皆キャナリに手を伸ばし、頭を撫でたり頬に触れる。全員で、顔を赤くしたキャナリを褒め倒した。
賑やかな食事が終わり、マリアたちは部屋に行き、各々支度をしていた。
「シンクは?」
風呂から出たマリアは、寝巻きに着替えるキャナリに声をかける。
「シンクなら、先ほど寝たらしいですよ。兄が言ってました」
キャナリは、ゆっくりと寝間着の前を締めながら答える。マリアはきょとんと目を開く。
「あら、そうなの。てっきりこの部屋に潜り込んでいるのかと思ったわ」
「試合で疲れたのでしょうね。私も少々、疲れました」
キャナリは着替えもそこそこに、眠そうに目をこすっていた。船を漕ぎ始めていた。まぶたが重そうだった。マリアはキャナリに近づき、着替えを手伝う。
「今日はたくさん頑張ったものね。眠くなるのも仕方ないわ」
「ま、マリア様私のことはいいですから…!」
キャナリは、自分の前に座るマリアの手を慌てて取る。マリアは首を横に振った。
「いつもキャナリに手伝ってもらっているもの。これくらいさせて?」
「でも…マリア様に着替えさせてもらうなんて、」
「じゃあ命令。キャナリ、私に貴女の着替えを手伝わせなさい」
そう言われると、キャナリもどうしようもないらしい。キャナリはゆっくりとマリアから手を離した。
「すみませんマリア様、お見苦しい姿をお見せして」
「いいのよ。私のことは気にしなくていいから」
マリアは優しく声をかけ、キャナリを着替えさせた。そのままベッドにゆっくり体を倒し、毛布をかけた。
「おやすみ、キャナリ」
マリアは、布団の上からキャナリの体をぽんぽん叩く。
「…ありがとうございます。おやすみなさい…」
その一定のリズムに安心したのか、キャナリは瞼を閉じた。すうすうと、寝息が聞こえる。
「ふふ。可愛い寝顔」
キャナリの天使のような寝顔に、マリアは微笑む。マリアは、キャナリのおでこを撫でた。
「…さて、私は何をしようかしら」
マリアは、伸びをしながら独り言ちた。
今日は多少緊張したものの、体に疲労感はほとんど残っていなかった。試合はしたものの、すぐ棄権にされたので印象に残っていない。マリアにとって、キャナリの優勝の方がよほど印象的なハイライトだった。
「散歩でもしようかしら」
眠気が来るまで、そうしよう。今日はたくさん食べたし、ダイエットのつもりで。
そう決めて、マリアは宿から出て行った。
ストゥマの夜は、どの場所も明るかった。特に居酒屋が賑やかで、闘技場に出場するらしい選手がワイワイ盛り上がっている。店の外を歩くマリアにも、店内のどんちゃん騒ぎが聞こえる。
「ちょっと騒がしいわね…」
ひときわ大きな笑い声が響いたところで、マリアは進む方角を変えた。道から外れたところへ歩を進める。やがて、ぽっかりと円状に開いた空間に出た。先ほどの喧騒が嘘のような、静まりかえった空間だった。
「ここなら静かね」
見渡す限り、人影はない。マリアは、静まったその場所にホッと胸をなでおろす。風が音もなく吹き、マリアの髪を撫でた。その心地よさにマリアは目を細める。
「気持ちいいわ…」
髪を耳にかきあげ、ひとりごちる。その声は誰に拾われることもなく、闇に混ざって溶けていく。
「そういえば…、1人になるのは久しぶりね」
夜空を見上げて、ポツリと呟く。
目覚めてから、花畑でシンクと出会うまで、マリアは1人だった。
右も左も分からないマリアにとって、シンクやキャナリの存在は力強く、支えになっていた。アルムの王と言われ、アイグルに会い、勉強のための旅に出た。記憶を取り戻すことも、忘れていなかった。
けれど、マリアは自分の正体がなんなのか今だに分からない。記憶についての進展は何もない。ついでに魔力のコントロールもできていない。不安の影がマリアの心に差し込む。
「私、このままでいいのかしら」
ふと、そう呟いてしまう。声にすると、余計に不安の感情が襲ってくる。
「魔力のコントロールもできない、自分がなんなのかも、ちっとも分かってない」
事実の羅列が、マリアをますます不安の溝に追いやる。それでも、止められなかった。今まで抑え込んでいた不安が、溢れ出していた。
「もし、もしも記憶が戻らなかったら…私はどうすればいいのかしら」
マリアはよろよろと、地面に膝をつく。
「今のままで、いいのかしら」
マリアは不安でうずくまった。
その時だった。
「ねえ、お姉さん」
「ーー!?」
突然背後から声がかかり、マリアは声にならない声を上げた。とっさに背後を振り向く。
「くすくす。驚いた?」
声変わりのしていない高い声に、マリアは無言のまま目を瞬きした。全く気配に気づかなかった。
「あ、あなたは?」
マリアは、ばくばくする心臓を押さえながら、その人物を見上げた。
その人物は少年だった。割と小柄な体型に見えた。シンクよりも背が低いかもしれない。フードのついた大きなマントを身につけていて、体のほとんどをすっぽり覆っている。
「オレは、うーん、なんだろ?とりあえず旅人ってことで。ふふふ」
少年はふざけた口調でくすくす笑ってみせた。口は笑っているが、フードの隙間から見え隠れする瞳はどこか冷たい。
「とりあえず…?あなた一体…」
マリアは怪しみながら、少年から距離を取った。少年は相変わらず笑うばかりで、かえって感情が読めない。少年の口が開いた。マリアは無意識に身構える。
「ねぇ、お姉さん」
「…何かしら」
怪しい雰囲気の少年に、マリアは懐に忍ばせた投剣に手を伸ばす。
「オレと戦ってみない?」
「……へ?」
思いもよらなかった一言に、マリアはきょとんと目を見開く。
「だから。オレと戦おうよお姉さん」
少年はもう一度マリアに言った。マリアは眉を潜めてジト目で少年を見た。
「どうして、あなたと私が戦うのかしら?」
心から分からないと、マリアは疑問を口にする。少年は、首を振った。
「だってさっき、『魔力のコントロールもできない』って、言ってたじゃん」
少年は、踊るようにその場でくるくる回ってみせた。フードが翻り、闇色の服が見え隠れする。シードの国で見た、あの服によく似ていた。そのことに気づいたマリアはハッと息を飲む。
「あ、あなた、もしかして」
「オレ、結構強いからお姉さんの力になれると思うんだけど、どうかな」
少年は、マリアの言葉を遮って冷たい眼差しを向ける。マリアは唾を飲み込み、考えた。このまま放置しておくべきか、それとも一緒にいるべきか。少年の笑みは消えない。
「お姉さんの特訓に付き合ってあげるよ」
「いいわ」
今度は少年が驚いた。マリアは少年を見て、
「ちょうど困ってるところだったの。特訓に付き合ってちょうだい」
そう、頼んでみた。その場から去るよりも、この少年の様子を探ることを選択した。
「お願いできるかしら?」
マリアの問いかけに、少年は喧嘩を買ったかのように口角を釣り上げた。
「もちろん。ヨロシクね」
マリアはその答えに、頷いた。




