闘技場、キャナリの戦い
キャナリは歴史の感じる廊下をまっすぐ歩く。長い睫毛が影を作る大きな瞳は、前しか向いていない。
前には、スタジアムがある。キャナリはそこに向かって、両足を前に出す作業をする。
スタジアムに到着した。
「なんだ!ちっこいやつだな!」
「まだガキじゃないか!本当に大丈夫なのか!?」
キャナリの姿を見つけた観客が次々に声を上げた。そのほとんどが、野次に等しかった。小柄で、清潔な身なりのキャナリは、この場ではかなり浮いていた。
やがて、キャナリの対戦相手が姿を現した。褐色肌に、ノースリーブの衣装が特徴的な中年の男だった。その、キャナリの倍ほどの体には鍛錬の印である筋肉が浮かび上がっている。対戦相手は、キャナリを見て鼻で笑った。
「おいおい、ここはガキの遊び場じゃないんだぞ?早く帰ってパパに慰めてもらいなぁ?」
ばかにする様な、高い声を出す男にキャナリは極めて冷静に、
「貴方こそ随分髪が散らかっているようですが。私がアランジしてあげましょうか?」
「テメェ!」
その言葉に、男は顔を赤くした。観客は男の体の一部を見て噴き出す。
「あはは!言うじゃん!」
「そう言うなよ、アランジしたくてもできないんだよー!」
キャナリと男のやりとりに会場は大いに沸いた。観客は大いに盛り上がる。
一部の席を除いて。
「おいおいキャナリ…あんまり煽るなよ」
アイグルはその筆頭だった。胃が痛いのだろう。腹をさすっていた。
「キャナリすごいなぁ。相手の人すごい体が震えてるよ」
シンクは感心したように息を漏らすが、
「怒って震えてるだけでしょうね」
マリアに言われて、興奮で乗り出していた体を引っ込めた。マリアもまた、冷や汗を垂らしながらキャナリを見守っていた。
「キャナリ、大丈夫かしら」
「あー…心配だ…」
アイグルは柵にもたれかかって唸る。マリアは密かに思っていたことを、声にする。
「アイグル、こうなることはだいたい予想ついてたんじゃないの?心配するのが遅いんじゃないかしら」
「そうなんだが…」
アイグルはキャナリを指差した。
「そんなに怒るとまるでタコのようですよ」
「あはは!いいぞ嬢ちゃんもっと言え!」
「ふざけるなよガキが…恥をかかせやがって、ただじゃすまさねぇ!」
「あんなに煽るとは思わないじゃん」
アイグルは柵に肘をつき、頭を抱えた。マリアは無言のままスタジアムのキャナリを見下ろす。アイグルの隣に立つシンクは、
「ただじゃすまさないって言ってるね。こわいね」
「俺もこわいよ」
「私もこわいわ」
シンクはキャナリの対戦相手への恐怖を、アイグルはキャナリがボコボコにされてしまわないかという恐怖を、マリアは屈強な男相手に煽れるキャナリへの恐怖を感じていた。一様にこわいと言えど、その中身まで同じとは限らない。
「許さねえ。容赦しねえからな」
「いいぞー!試合が楽しみになってきたぜー!」
「母さん、父さん、どうかキャナリに加護を」
試合前というのに、会場の熱気はピークに達している。男の怒りもピークに達している。アイグルの胃痛もピークに達している。そして、
『試合開始!!』
審判が大声を張り上げ、ついに試合が幕を開けた。
「待ってたぜ!!一気にカタをつけてやる!!」
男は、審判の声とほぼ同時に叫ぶと、キャナリ目がけて突進した。
素早く距離を詰めた男は、懐から短剣を取り出し、その切っ先をキャナリの腹に向けた。柄を力一杯握り締めた。
「じっとしてたら串刺しだぜ!!」
剣先は真っ直ぐキャナリに向けられる。小柄なキャナリに、熊のような体格の男の影が覆い被さる。
「キャナリ!」
マリアは叫んだ。男の攻撃が素早すぎる。勝負あったかと思ったが。
キン!!
「串刺しの心配をするのは貴方の方ですよ」
大きな音をたてて、キャナリの槍先と男の短剣がぶつかる。男の進撃はそこで完全に止まった。
「…なっ」
男は驚愕で目を見開く。完全に刺したと確信していただけに、目の前の光景に動揺する。キャナリは目にも止まらない早さで槍を振り回し、男の剣戟を食い止めていた。槍先は全くブレず、短剣の先にピタリと固定されている。
「え…」
「すげ…」
観客も皆、キャナリの動きに瞠目している。
「クッ」
男は力を込めて剣を前に押し出そうとするが、
「…」
「クソ!!なんで…!」
キャナリの槍の穂先は、全くブレなかった。それどころか、
「う、おおおお!」
ズザザッ
男の足は、地面を滑り後ろに下がっていく。キャナリが男を押しているのだ。キャナリが一歩進むごとに、男はみるみるうちに後ろに下がっていく。
「な、クッ!?」
男は力を入れ直し、柄を前に出そうと奮闘するが不発に終わる。子どもほどの背丈のようなキャナリが、槍一本で大男を押し出す光景に観客は息を飲んだ。そして、
「はっ!」
「うぐっ!?」
キャナリは横に向かって槍を振った。その動作で、男の短剣はバチンと弾かれる。衝撃で、男の腕は天を向いた。その瞬間、ブンと風を切る鋭い音が聞こえた。
「な…」
その音の正体は、キャナリの槍だった。気づけば、男の喉元に槍の穂先がピタリと止まっている。
「少しでも動けば刺さりますよ」
「ひ…」
男は情けなく尻餅をついた。キャナリは男の喉を素早く追いかけ、槍を動かす。短剣は今や、男の手の届かない遠方に放られてある。目の前にキャナリの槍が構えてある。取りに行くのは不可能だった。男は砂を握る。
キャナリは口を開いた。
「降参するなら今ですよ?」
あくまで親切心から来ると言わんばかりの言葉に、男はカッとなる。
「く…このガキ…」
キャナリは無言で、穂先を男の喉元に近づけた。キャナリの大きな瞳は、無言で相手を威圧していた。冷たい輝きで、男を見下ろす。太陽を背景に背負ったキャナリは、それなりの迫力があった。男は唾を飲み込んだ。
「こ、降参だ」
男は両手を上げて、悔しそうに声を絞り出した。
「うおおおおおおおお!!」
男が負けを認めた瞬間、スタジアムは大いに湧いた。皆一斉に大声を上げ、キャナリを褒め称える。
『試合終了!第一試合の勝者は、エントリーナンバー20、キャナリ・ハミングバード!』
審判は高らかに言い放った。キャナリは槍を持ち直し、得意げに口端を釣り上げた。
「キャナリ、すご…」
マリアは口元を押さえて感嘆した。シンクは目を見開き、無言のままスタジアムに視線を落としている。先ほどまで肝を冷やしていたアイグルも、キャナリの様子に安堵したように息を漏らす。
「…はは。さすがキャナリだ」
「キャナリが強いのは知ってたけど、あんな大きな男の人と競り合えるのね…」
マリアの言葉に、アイグルは、
「あいつ、力の入れ方がうまいんだよ。センスがあるんだ」
ホッとした様子で柵を握る。肩の力が抜けたのか、よろよろと柵にもたれかかる。
「次の試合も絶対に勝てるよね!」
シンクは軽く跳ねながら、ワクワクした様子で声を上げる。マリアはそれに頷いた。
「そうかもしれないわね…。アイグル、優勝したらどうなるの?」
マリアの問いに、アイグルは「ああ」と反応し体を起こす。
「確か、優勝したら商品がもらえるはずだ」
「商品?どんな?」
マリアは首をかしげる。
「上級コースの優勝商品は、リゾート地の入場チケットだな。南にある、フートゥの国への」
「そこって、きれいな海がある国だよね!」
シンクが反応し、アイグルは嬉しそうに顔をほころばせた。
「おお。よく知ってるなシン坊」
「アーにいが前話していたの、覚えてるんだ。美味しいもの、たくさん持って帰ってきてたよね!」
「おお。特に刺身が美味しいんだ。シードの国で獲れる魚とはまた違った美味しさなんだよ」
アイグルは、味を思い出しているのかうっとりした顔で頷く。
「とにかく新鮮。瑞々しくてそれでいて食べ応えのある食感。あの味は最高だった」
「へぇ」
マリアは唾を飲み込んだ。目がキラキラ輝きはじめる。アイグルは話題を変える。
「…あと、海辺もすごく綺麗だったな。アトラクションが充実してて大人も子どもも楽しそうに遊んでた」
「アトラクション!!」
シンクがその言葉に反応した。目が輝きはじめる。アイグルはやばいと思ったが後の祭りだった。マリアとシンクは顔を見合わせて、
「「行きたい!連れて行って!」」
拳を握りしめて声を揃えた。2人して前のめりでアイグルに迫る。アイグルは冷や汗を垂らした。
「そ、そう言っても、あそこに行くにはチケットが必要なんだ。俺はチケットを持ってない」
「でもここで優勝すればチケットが手に入るんでしょう!?」
「そうだが…。ちょ、ち、ちけぇよマリア」
さらに前のめりになるマリアの頬を、アイグルは軽く押す。
「もう、なんでこんな大切なこと教えてくれなかったの」
マリアは不満そうに頬を膨らませた。アイグルは弁明した。
「戦いに慣れることが出場の目的だったろ。だから…」
「こういうことはちゃんと教えなさいよ!」
マリアはギッと白目を剥いた。
「ヒッ、すいません!」
「あ…。ごめんなさいアイグル」
その気迫に、アイグルは身を固くした。マリアはそのビビる様子に素直に詫びた。マリアは、ぼそりとひとりごちる。
「でも、知ってたらもっと頑張れたかもしれないのに…。はぁ…惜しいことしたなぁ」
ため息をつき、肩を落とすマリア。アイグルは密かに「知っててもどのみち棄権されてただろうな」と思うが、口にすることはなかった。
「キャナリに頑張ってもらわないとね!」
シンクはそう言うと、次の対戦相手を待つキャナリに向かって両手を振った。
「キャナリー!勝てたらフートゥの国に行けるんだってー!がんばれー!!」
キャナリはその声に反応した。
「もちろんですよ、シンク。マリア様のためにも」
スタジアムの中央に立つキャナリはシンクの大声に、槍を振って答えた。シンクはその頼もしい動作に笑顔を見せる。
「えへへ、キャナリが勝てるように応援しようね」
「当然よ」
マリアは腕まくりをして頷いた。そして、キャナリに向かって大声を上げる。
「キャナリー!優勝して、みんなでリゾート行くわよー!」
「はい!」
キャナリは元気よく答えた。アイグルは、
「キャナリ、ほどほどになー」
「頑張ります」
妹は兄の言葉を半スルーした。
やがて、キャナリの次の対戦相手が姿を現わす。審判は、手を掲げて大きな声を張り上げる。
『試合開始!!』
「いけぇ!キャナリー!!」
「がんばれー!!」
「嬢ちゃんやっちまえー!」
「いけいけー!!」
気づけば、マリアとシンクの声援は、その他大勢の観客の声と一体化していた。アイグルはその声援の圧に、体を引っ込めた。対戦相手を翻弄するキャナリに、観客は大いに盛り上がった。
そして、キャナリは順調に決勝戦まで上り詰め、優勝した。
「やったわキャナリすごいわキャナリ!!おめでとうありがとうすごく嬉しいわ!!」
チケットを手に帰ってきたキャナリを、マリアは狂喜乱舞で抱き締めた。キャナリは嬉しそうだった。




