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闘技場、マリアの戦い


「うえぇん!怖かったよマリアー!」

マリアが控え室に戻った途端、シンクはマリアに泣きついていた。犬が飼い主に再開したときのような飛びつきっぷりだった。マリアはぐらっと揺れる体をなんとか踏ん張って、シンクを睨んだ。

「もう、やめなさい!飛びつかないの!」

「うぇえ」

マリアは、己に擦り寄るシンクの額をグイグイ押さえつけた。シンクはそれ以上前進できなくなる。マリアは軽くため息をついて、涙目のシンクの額をペチペチ叩いた。

「怖かったのはわかるわ。でも抱きつかないのっ」

「あう」

「シン坊」

頭を軽く撫でつつ、マリアはシンクを引き剥がした。シンクは残念そうに肩を落とした。アイグルが近づき、その肩を叩いて励ました。シンクは、アイグルに振り向いた。

「途中立ち上がったところ、かっこよかったぜ。頑張ったな」

「そ、そう?えへ…」

アイグルのフォローに、シンクは得意そうに頬をプクプクと膨らませた。マリアは、甘やかさないの、と言いかけたが、

「マリアの応援があったから、立てたんだよ」

シンクに満面の笑顔に「うっ」と言葉を詰まらせた。

「それはまあ、頑張ったと思うけど…」

その言葉にシンクは大きな瞳を輝かせて、にっこり笑った。実に嬉しそうだった。

「えへぇ」

「デレデレしないの!」

「いたた」

マリアは人差し指を立て、シンクの前髪を突いた。シンクは両手で額をガードする。言葉では痛そうにしつつも、笑顔を浮かべていた。

「番号8番!出番だ」

控え室の扉が開き、大きな声が響く。その声にマリアはピクッと顔を引きつらせた。

「8番は、マリアだな」

「ええ。行くわ」

マリアは体を硬くして、アイグルに頷いた。ぎこちない動作だった。

「マリア様、いってらっしゃいませ。どうかお気をつけて」

「観客席で、応援するからね!」

キャナリとシンクの声を背に受けつつ、マリアは控え室の扉に手をかけた。ドアノブを捻り、廊下に出て行く。

さびれた無機質な廊下を、マリアはひたすらまっすぐ歩く。スタジアムが近づくにつれ、観客の声が大きく聞こえてくる。シンクとアイグルが戦っている最中にさんざん聞いた、怒号と期待の飛び交う声。マリアは無意識に唾を飲み込んだ。

マリアは緊張の面持ちで、スタジアムへのゲートをくぐった。

「うわ」

マリアの目の前に、広大な光景が広がった。観客席では大勢の人間がひしめき、風に流された土煙がマリアの靴に覆いかぶさる。スタジアムに立って初めて、戦う者の緊張感が実感できた。

「お、来たな!」

「やれー!」

観客の瞳がマリアに向かって注がれる。観客はマリアを見つけ大いに盛り上がる。心なしか、観客の声で大地が震えているような気さえしてくる。これは、緊張する。

マリアは圧倒されかけたが、頭を振って気を持ち直した。

「アイグルや、あのシンクだってここで戦ってたのよ…。大丈夫、このくらいなんてことないわ!」

そう呟くと、音を立てて己の頬を叩いた。

「大丈夫、戦える」

マリアは拳を握り、スタジアムの中央へ一歩踏み出した。ザッと音を立てて前進するその姿に、観客は目を見張る。

そんなマリアを、アルムの3人は観客席から見守っていた。

「やっぱ、あいつの度胸はすげえよなぁ」

アイグルは、観客席の柵に膝をついて笑っていた。隣に立つシンクも、うんと頷き同意した。

「マリア、かっこいいよね」

美しい景色を前にしたときのように、シンクは息をついた。

「ええ」

キャナリは、背伸びしながらコクリと首を縦に振る。観客席の柵の高さは、キャナリの目線とそう変わらなかった。シンクとアイグルは、キャナリの足元に視線を落とした。涼しい顔の下では、脚がプルプル震えていた。

「…キャナリ、席に座って見ようぜ?」

アイグルは妹に声をかけた。袖を軽く引き、座席を指差す。しかし、キャナリはその提案に首を横に振った。

「いえ、結構です。マリア様の試合は最前列で見たいのです」

「最前席に座ればいいじゃないか。空いてるぞあそこ」

「立ち見がいいのです」

キャナリは、両手で柵を握って堪えていた。ググッと眉を寄せ、マリアをじっと見つめていた。アイグルは、

「シン坊、俺の試合の時、最前列にいたか?」

「ううん。真ん中あたりで座って見てたよ」

「そうか。ちなみにお前の試合の時も真ん中あたりの席に座っていたよ」

「……」

シンクとアイグルはキャナリの頭部に視線をやり、同時に顔を見合わせて、苦笑いした。

「ちょっと手を洗いに行ってくるよ」

アイグルは子供用の踏み台を探しに行った。



「あんたが私の相手かい?」

スタジアムのゲートをくぐり、マリアの対戦相手が姿を現した。相手は、長く伸ばした髪をかき上げ、マリアを睨む。マリアはゴクリと唾を飲みこみ、まっすぐ前を見据えた。

「ええ。よろしく」

「こちらこそ」

2人は視線を交わし合った。審判が2人の様子を見て、右手を天に向かって突き出した。

『試合開始!!』

その言葉とほぼ同時に、対戦相手の女はマリアめがけて突進してくる。その手には、小刀が握られていた。

「っ!」

マリアは慌てて横に体を逸らした。ヒュッと風を切る音が耳に届く。マリアは体勢を立て直そうとするが、

「甘いね!」

「うわわ!?」

女は素早く身を翻し、マリアに刃を向けた。マリアは懐に手を入れ投剣を取り出し女に向かって投げるが、相手はそれを容易にかわした。そして、

「近接戦で投げる武器なんて、舐めてるのかい?」

「きゃっ!」

剣を投げ終わった後のわずかな隙をつき、マリアの手首をがっちり掴んだ。その素早い動きに、観客が盛り上がる。マリアは女の手を振りほどこうとするが、うまくいかない。

「あっけなかったね。勝ちはもらうよ!」

勝利を確信した相手は、マリアに刀を振り下ろす。マリアは、光を反射する剣に身が固まる。

「マリア!」

その様子に、シンクは顔を青ざめて叫んだ。キャナリは柵をぎゅうっと握りしめる。

ここまでか、と誰もが思ったが。

「っ!!」

ヒュッ!

「何っ!?」

マリアは空いた手で投剣を取り出し、女の刀に剣先をぶつけた。女の手は反動で後ろに下がる。マリアはその間に、掴まれていた手を思い切り振った。手は振りほどかれた。マリアは急いで女から距離を取った。

「マリア!」

「うまいぞ!」

その咄嗟の判断力に、シンクとアイグルは柵を握って声を上げた。マリアは、女に向かって剣を数本投げ込んでいく。

「ふっ!」

「くっ!!」

女は刀でマリアの剣を弾く。剣は当たらないが、マリアに近づくことも叶わなかった。

「早い…!」

次々に飛んでくる剣に、女は汗を垂らす。

一方、マリアは必死だった。

「(ひょええ!!ひえええええ!)」

脳内で叫びまくっていた。

とにかく、キャナリに特訓してもらったこと、旅の途中で魔物と戦ったことをあれやこれやと試し、ひたすら手を動かす事しかできなかった。

「くそ!こざかしい!」

「ちょっ…!」

女のフラストレーションが溜まったらしい。女は刀を振り回し、マリアの剣を次々に跳ね飛ばして走ってくる。

マリアは剣を飛ばすが、女の進撃は止まらなかった。2人の距離はだんだん縮まっていく。

「(ど、どうしよう!)」

マリアは頭が真っ白になった。そのときだった。

「マリア様!!魔法です!魔法を使うのです!!」

「!!」

観客席から、キャナリの大声が響いた。マリアはその声を受け、手を前に出す。そして、

「クロウドナイン!!」

ドゥン!!

マリアが叫ぶと同時に、低い地鳴りがした。炎魔法が放たれたのだ。

火は、女に向かって勢いよく駆けていった。

「…は!?」

女は瞠目した。目の前の魔法の威力が、通常のそれと明らかに桁違いだったからだ。

そして、

「うぎゃああああ!?」

火は女に直撃した。その瞬間ドゥーン!と、ものすごい勢いで火柱が登った。比喩ではなく大地が揺れた。観客は目を丸くして言葉を失った。

『…はっ!術士!早く回復魔法をかけなさい!!』

先に我に戻った審判が、背後に控えた人間に叫んだ。

「…あっ、あわわわわ!!?はい、ただいま!!」

術士と呼ばれた人間は、慌てて詠唱を唱えた。

「グレイトヒール!」

術士が叫ぶと、女の体を包んでいた炎はパッと消えた。女の体に火傷痕などは残っていなかった。体についた傷は、ほぼ完全に治っている。しかし、

「あっ、うあああー…炎が…?火がぁ…」

『し、しっかりしなさい!おい、こいつを救護室に運べ!早く!』

心の傷は別だった。マリアの魔法に恐怖を感じて、女は気絶してしまったらしい。闘技場の係員は、慌てて女を担ぎ上げてスタジアムから姿を消した。

残ったのは、スタジアムに空いたクレーターに呆然とする審判、呆然とする観客。そして、己の魔法に自分で呆然とするマリアだった。

「えっと…その…」

マリアは何も言うことができなかった。

ややあって、審判がマリアに向かって歩を進めた。

審判は、マリアの肩に手を乗せると、

『相手のために棄権しなさい』

その一方的な物言いに、マリアは思わず口を開いた。

「はい、そうします」

マリアは素直に頷いた。



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