闘技場、シンクの戦い
シンクはスタジアムに足を踏み入れた。
「おう!やれ小僧!!」
「しっかり戦えーーー!!」
「ひょえっ」
観客の大きな声に、シンクはポニーテールを跳ねて耳を塞いだ。観客はその姿を見て拳を固めた。眉を釣り上げて、闘技場初挑戦者に向かって叫ぶ。
「どうした坊主!しっかりしろや!」
「ビビってんじゃねーよ!!」
「ひゃあっ!」
シンクはそのカン高い怒号にさらに縮み上がる。体を丸めてプルプル震えていた。
「こ、怖いよぉ…なんでぇ?」
対戦相手が出る前から、シンクはビビっていた。というか、場の雰囲気に圧倒されていた。アイグルの試合を見ているときは、観客への恐怖は感じなかったのがシンクには不思議だった。多分、シンクの隣にはマリアがいたからだ。
「うぇえ…マリアぁ」
シンクは涙目でガクガク震えることしかできなかった。
その姿を、マリアとキャナリとアイグルは観客席から見下ろしていた。
「案の定震えていますね」
「俺の試合のときで、場に慣れていると思ったんだが…」
キャナリは、丸まるシンクの後頭部を見下ろして淡々と呟いた。アイグルは額に片手を当ててため息を吐いていた。マリアは、
「自分が戦うとなったら、話が別なんでしょうね…」
そう言うことしかできなかった。いざ、自分がシンクの居場所に立つとプレッシャーがかかって緊張すると思う。マリアは、シンクからアイグルへと視線を逸らし、その広い肩に手を乗せた。迷いながらも、言葉を紡ぐ。
「ねえアイグル。今更言うのもなんだけど、シンクを出場させる必要があったのかしら?あんな様子だし、このままっていうのも、」
「あるさ」
アイグルは即答した。その低い声に、マリアは思わず黙り込んだ。アイグルは観客席を眺め、スタジアム一帯を見渡した。それは、この場所にしかない光景で、平等の世界だった。アイグルは息を吸った。
「シン坊も、少しずつ慣れておくべきなんだ…。アルムでの平和な生活だけじゃ『よくない』んだ。あいつももっと、色々な経験をするべきなんだ」
その世界の中心にうずくまる少年へ、アイグルの視線が下がる。彼は見守るように、まつげを伏せた。
「アイグル…」
マリアはアイグルの瞳を覗いた。その色は真剣そのものだった。シンクのことを本気で考えていることが、伝わった。
「…そうね、シンクにはこういうことが必要なのかもしれないわね」
マリアはふうと息を漏らした。スタジアムで震えるシンクに、観客の野次が止まらない。
「おいおいしっかりしろー!立てよ小僧!!」
「腑抜け野郎が!!」
「うえええん!」
シンクは目を潤ませて頭を抱えていた。マリアはしばらく黙り、やがて、うんと頷いた。
「でも、いきなりハードルが高かったんじゃないかしら」
「俺もそう思った」
アイグルは顔を引きつらせた。そんなアイグルに、マリアは笑顔のままジリジリと迫る。
「アイグル…シンクにたくさんの経験をさせたいという気持ちはわかるわ。でも、いきなりここに放り込まれたらトラウマものよ。シンクが昔のあなたのようになったらどうするのよ」
「待ってくださいマリア様」
助け舟を出したのはキャナリだった。キャナリは顔をキリッとさせ、兄を庇う。
「もしかしたら兄さんはシンクの膀胱を鍛えたかったのではないでしょうか」
「キャナリ、何言ってるんだ」
「あ、なるほど…。自分の失敗をシンクにさせないように、あえて過去の自分と同じ環境に放り込んだのね」
「そんなわけあるか」
アイグルは静かにマリアとキャナリに突っ込んだ。マリアはごめんごめんと言いながら手を振った。
「シンクにとっては、これは大きな試練なのね…」
マリアは腕を組んで、スタジアムに視線を落とす。キャナリとアイグルもそれに倣った。マリアは、
「応援なら、してもいいかしら?」
アイグルに確認した。アイグルはニコリと笑い、
「当然だ。声出していこう!」
アイグルの笑顔に頷いたマリアは、息を吸った。そして、
「シンクー!私たちがついてるわ!だから頑張りなさーい!!」
野次に負けないほどの大声を張り上げた。
「マリア…」
シンクの耳に、マリアの応援がしっかり届いた。マリアの言葉は、シンクに冷えた心に暖かな勇気をくれた。
「僕、頑張る…。頑張ってみるよ!」
シンクは震える足を押さえて、よろよろと立ち上がった。恐怖で体は震えているが、マリアが見守っているとわかっただけで立てるようになった。シンクは、己の武器の剣を、両手でしっかり握りしめた。歯噛みして、前を見据えた。
「誰でもかかってこい!」
「シンク…!」
シンクは対戦相手が出てくるゲートに向かって、よく通る声を張り上げた。そのキリッとした瞳に、マリアはじめ観客はおっと反応する。シンクは胸を張って、相手の登場を待つ。
ややあって、相手が姿を現した。
「ぬん」
その相手は、大きな体躯の女性だった。一瞬男性に見えるが女性である。
そいつは、頭に巻いていたバンダナをぎりっと締め、もりもりに盛り上がった胸筋を締め、山のようなふくらはぎを締めた。鼻息を漏らし、自信に満ちた顔でシンクを見下ろした。山に顔があるのなら、こんな顔なのだろう。身長は、190はゆうに超えていた。観客は息を飲んだ。
シンクは相手の姿を見てふっと微笑むと、相手選手に声をかけた。
「チェンジで」
「無効です」
相手選手はバキバキと拳を鳴らした。シンクはガクガクと膝を揺らした。
数秒後。
『試合終了!』
審判の声が響き、シンクは控え室まで運ばれていった。
「仕方ない」
「ええ。仕方ないわ」
マリアとアイグルは虹彩の消えた瞳で頷いた。キャナリは、瞳を瞑り首を横に振っていた。




