ストゥマの国へ到着、いざ闘技場へ
視界いっぱいに広がる光景は、今までに見たことのないものだった。大きなお椀型の建物の内部にあるこの場所には、日が差し込まない。壁に取り付けられたランプである程度の明るさは保たれているが、やはり全体的に薄暗い。外は明るい光が差し込む暖かな空間なのに対し、この場所は隔離されたかのような空間だった。そのほの暗さはマリアを動揺させる。
いや、それよりもだった。それよりもマリアの心を不安にさせる光景が目の前に広がる。マリアは冷や汗を垂らし、唇をブルブル震わせた。眉を顰め、声を絞り出した。
「筋肉の圧がすごい」
「しっ!」
隣にいたアイグルは、慌ててマリアの口を押さえた。
ここは、ストゥマの国の中央にある、闘技場。その、受付会場だった。
ストゥマの国に到着したマリア達は、まずは王に会いに行った。マリアは緊張の面持ちで訪ねて行った。ストゥマの王は、髪を短く切った女性で、健康的な肌と戦って鍛えたのが一目で分かる筋肉がついている。
「よくぞいらしたアルムの王。私の名はレフリ・ストゥマハーツ。ストゥマの国といえば闘技場!ぜひ会場に向かうと良い!」
王はマリアの顔を見るや否や、有無を言わせない早さで4人を闘技場へ担ぎこんだ。闘技場まで着き、挨拶もそこそこに立ち去ろうとするストゥマの王・レフリに、マリアは大声を張り上げた。
「あの、私っ」
「細かいことは聞かん。この国に来たならとにかく戦うことだ。いい練習になることを約束しよう」
レフリはそう言い、マリアの指に嵌められた指輪をチラリと見た。しかし特に何も触れないまま、今度こそその場を後にした。マリアらは仕方なく、王との話を諦めて闘技場の試合に参加することになった。
「あの王、変わった人だったわ…」
「レフリ王は、とにかく拳とその場のノリで生きる方だからな」
「そんな王だからこそ、この国をまとめることができるのかもしれませんね」
アイグルの言葉にキャナリが続き、マリアは闘技場に着いた時のことを思い出し、妙に納得した。
マリアらが闘技場に放り込まれた瞬間、会場内の視線は一気に田舎国の4人へ向けられた。その視線にはあからさまな敵意、あるいは場違いな者に向ける排他的な感情が込められていた。マリアらはそのムワムワした視線に萎縮してしまう。しかし、
「こいつらも戦いの場に出る同士だ!正々堂々と戦うがいい」
レフリがよく通る大きな声をあげるや否や、敵意の視線は消えていった。そして、まるで異物を受け入れるかのように、マリアらから視線を逸らし、各々自分の用事へ戻っていく。そのおかげで、アルムの旅人は萎縮せず会場を歩けるようになったのだった。
「すごかったわ。私にはとても無理」
「長年ここの王を務めてきた功績だろうな」
アイグルも頷き、どんどん先に進む。マリアもキャナリも付いていく。一方、シンクはキョロキョロと周りを見回し落ち着かない様子だった。
「どうしたのシンク。あんまりキョロキョロしないの」
「さっき向こうの人に睨まれたぁ…」
シンクはマリアの肩に手を乗せると、涙目で寄り添った。シンクが目線を向けた先にいた筋骨隆々の男が、ジロリとシンクを睨みつける。
「あん?」
「ひぃ」
シンクはビクビク震えてさっとマリアに寄った。シンクはまだこの場で浮いているようだった。マリアはため息をひとつ吐き、腰に手を当てた。
「しゃきっとしなさいしゃきっと。そんなだから睨まれるのよ。せっかくレフリ王が空気をほぐしてくれたのに」
「でもぉ」
「でもじゃないの。ほら背筋伸ばして。おどおどしないの!」
「うう」
マリアは、シンクの立ち振る舞いをビシバシ直していく。好奇の視線が注がれるが、マリアは全く動揺しなかった。アイグルはその様子を見て「こいつはこいつですげえな」と密かに思う。周囲の人間はマリアとシンクを指差し何かを囁いているようだった。アイグルは周囲の視線に居た堪れなくなって、マリアを止めようと一歩踏み出した。
「兄さん。エントリーなのですが、こちらの『覇王級』にチャレンジということでよろしいですか?」
「『初級』4名でお願いしまーす!!」
アイグルは180度回転し、死への切符を買いかける妹を全力で阻止しに行った。
「『初級』3名に、『上級』1名ね。確かに承ったよ。番号呼ばれたら来るんだよ」
受付の人に番号札を手渡され、4人は控え室に入った。マリアは自分より背の低い小さな少女を、不安そうに見下ろす。
「キャナリ、本当に大丈夫なの?いきなり上級なんて」
「はい。強いお相手と戦ってみたくて。…本当は『覇王級』に挑戦したかったのですが」
アイグルは無言で首を左右に振った。全力で振っている。その顔は青ざめていた。
「お前をあそこに出したら、死んだ両親に顔向けできねーよ…」
「やってみなければわからないじゃないですか」
「キャナリ」
嗜めるようにアイグルは妹の名前を呼んだ。キャナリは不満そうに口を曲げるが、アイグルの表情を見てバツが悪そうに身をよじる。
「ごめんなさい、兄さん」
素直に謝る妹に、兄は笑みを取り戻した。
「いや、いいんだ。お前、戦うの好きだもんな。『中級』くらいに下げてくれると兄としては嬉しいけどね」
「それ以上は譲歩できません」
「知ってるよ」
アイグルは眉を下げて笑った。キャナリは澄ました顔でやり過ごす。マリアは唇に手を当てて唸っていた。
「『初級』とはいえ緊張するわね」
「そうだね」
「深呼吸しましょう深呼吸」
「うん」
マリアの言葉に、隣にいたシンクは頷いた。マリアと顔を見合わせ、緊張をほぐすように深呼吸をする。
闘技場の階級には5通りあり、全部で『初級』『中級』『上級』『超級』『覇王級』となっている。初級は最も難易度の低い階級で、初心者向けのコースだった。はじめて闘技場を訪れた者の大半は、初級コースからチャレンジする。
「アイグルはストゥマに来たことがあるんでしょう?闘技場には挑戦したことないの?」
マリアは、商人の旅をしてきたアイグルに尋ねた。アイグルはマリアの言葉に反応し言葉を紡ぐ。
「ああ…。俺が初めて来たのはまだろくに鍛えてもいないガキの頃だったからな…商人としての旅を始めたばかりの頃」
アイグルは昔を懐かしむように遠くを見つめた。ふふっと微笑み、回想を続ける。
「初級一回戦、ワンパンで一発KO負け。あまりの激痛に気絶し、目を覚ましたら下半身が濡れていた」
「もう話さなくていいわ」
「恐怖でビビってしまったらしい。俺は商人仲間に散々からかわれ、しばらく闘技場にトラウマを抱いた」
「アイグル、出場取りやめる?」
マリアは気遣うようにアイグルの肩を叩いた。アイグルはその誘惑に甘えそうになったが。
「俺も出る。お前たちに勧めておいて1人だけ出場しないなんてこと、しねえよ」
ぐっと堪えてその場に踏みとどまった。拳を握り決意を固めたようだった。マリアはその姿を見て、
「私、恥ずかしいわ。怖いだの緊張するだの言って」
「マリアやめろ」
「アイグルは辛い記憶があるのに、今の今まで弱音を吐かずに旅をしていたなんて…。自分が恥ずかしい」
「やめろって。そんなに言ったら逆に思い出すだろ」
「アイグルの勇気を見習わないといけないわね。ね、シンク」
「? うん!そうだね、アーにいはすごいもんねっ」
「やめてください本当に」
アイグルは顔を赤く染めながら懇願した。マリアは控え室をキョロキョロ見渡していたシンク(緊張が解けたらしい)の肩を掴み、気合いで頷いた。シンクはよく分からないなりに頷いた。
「番号2番!試合だ。来い!」
係の者が控え室に訪れ、番号を叫んだ。
「アーにい呼ばれたよ!」
「よし、行くぜ」
「兄さん、気をつけて」
「おう」
「アイグル、トラウマを乗り越えるのよ」
「それはもういい」
2番の番号札を握りしめ、アイグルは前陣を切った。




