目が覚めて旅の続きへ
「うぅん…まりあ?」
シンクは、空から降り注ぐ朝の日差しに目を細めた。日差しは暖かいが気温ははひんやりしており、シンクは少し震える。目を擦り体を起き上がらせ、自身の隣にいる婚約者を見つけた。安心したように、にっこり微笑む。
「マリアぁ」
「シンク」
とっくの昔に起きていたマリアは、櫛で髪を整えているところだった。シンクは、親しみを込めて彼女の名を呼んだ。マリアは彼の笑顔に答えるように微笑む。その瞳に宿る感情は、
「早く起きなさい。もう朝食の準備できてるのよ」
「マリア、その前に僕の髪…」
「ごはん食べたらね」
「うー」
不満そうにうなるシンクに、マリアは片手を振って、
「うーじゃない。ほら、顔洗いに行ってくる!」
「は、はぁい」
「まっすぐ歩けば川があるからね」
「はぁい…」
マリアは、ダラダラしているシンクをけしかけた。シンクは寝起きのぼやぼやした様子を引きずったまま、マリアの指差した方角へ歩を進めた。
顔を洗い終え、毛布を片付けるシンクの背を、マリアとアイグルは遠目から見守っていた。
「シンクは、旅が怖くないのかしら…ずっと、アルムの国に居たかったんじゃ…」
マリアは、シンクの細い背中を見つめた。長いまつ毛が、瞳に影を差している。アイグルは片手に皿を抱えつつ、マリアの肩を気遣うように叩いた。
「大丈夫だ。あいつはマリアに会ってかなり救われたと思うよ。旅は無事にできるはずだ」
「…旅は、ね」
マリアはポツリと反芻した。アイグルは、マリアの視線に気づき眉を潜めた。
「ああ。旅はできる。マリアがいれば」
「それって…」
アイグルは、遠くにあるシンクの横顔を見た。その横顔はアイグルから見てもまだ、あどけなかった。
マリアとアイグルが会話しているその背後では、キャナリが火を起こしスープを温めていた。キャナリは黙って、スープをかき混ぜていた。コトコト煮込む音が、静かな朝に優しく響く。
「シンクは、マリアがいれば、旅ができる。マリアがいれば、頑張れる。シンクにとって、マリアは支えなんだ」
「……」
「だからシンクに、マリアの…お前の、今の状況を話すことは避けたい」
アイグルはそう告げると、しばらく黙った。マリアも何も返さない。アイグルは再び「でも」と言葉を続ける。
「もちろんこれは俺の考えだ。お前が嫌なら、あいつに話しても…」
「わかった。約束する。しっかりしたことが分かるまでは、黙っているわ」
「えっ」
アイグルの言葉に被せるように、マリアは答えた。アイグルは驚きに目を見開いた。マリアは、アイグルのポカンとした顔を見て、苦笑いした。
「えって何よ。黙っててほしいんでしょう?」
「いや、そうだけどよ。いいのか?」
「いいわ」
アイグルはそう問うが、マリアはあっさり頷いた。何か言いたげなアイグルに軽く手を振った。そして、
「昨日の話を聞いてそう思ったの。シンクにはまだ、話さないほうがいいって」
ほつれたままのシンクの髪を眺めながらふっと息を吐いた。アイグルは、
「…サンキュ…」
そう絞り出すように言うと、顔をうつむかせてしまった。マリアはその様子に眉尻を下げた。
「優しいのね、アイグルは」
そう言われ、今度はアイグルが苦笑する番だった。アイグルは、自嘲するように笑った。
「そんなことないって。黙ってるなんて、悪いことだろ?」
「シンクのためにって考えたことでしょう?私は、悪いことじゃないと思うわ」
「…」
マリアにそう言われても尚、アイグルは納得しないようだった。マリアはかけるべき言葉が見つからず、髪で隠れたアイグルの横顔を見つめるだけだった。2人の間に沈黙が流れた。大きな体の前に小さな影がさっと現れたのは、すぐだった。
「兄さん、ごはんですよ」
「うおっ!?」
小さな影…キャナリは、アイグルの腹に中身の入ったスープ皿を押し付けた。アイグルは突然の衝撃に驚いたが、中身が溢れないように体の動きをピタリと止めた。
「なんだよ、ビックリするじゃねーか」
「いつまで皿を持ってるつもりなのですか」
アイグルは変なポーズのままキャナリに文句を言うが、キャナリは何処吹く風という具合でアイグルの持っていた皿を奪った。アイグルは、自分が朝食の準備をしていたことも忘れていたようで、
「あ、悪い…」
バツの悪そうな顔をした。キャナリは、はぁ、と小さなため息をつくと。
「グルグル悩むなんて、兄さんらしくありませんよ」
キャナリはスープ皿を引っ込めて、兄の顔を見上げた。
「兄さんはおそらく、間違っていません」
「…」
アイグルは、キャナリを見下ろした。
「シンクが心配な気持ちはよくわかります。ですからとりあえずは…今のままでいいと思います」
キャナリはそう言うと、スープに口を付けた。兄の葛藤など気にしていないと言わんばかりの澄ました顔に、アイグルは肩の力が抜けていった。
「そっか…そうだな」
「そうですよ」
キャナリはごくんとスープを飲むと、安心させるように頷いた。アイグルはふっと息を吐き、妹の頭に手を乗せた。その小さな頭を、ポンポンと優しく撫でる。
「ありがとな。助かったよ」
「背が縮むのでやめてください」
キャナリは体を揺らして訴える。両手が塞がれているので、払いのけることができないのだった。
「ちっさいままでいいだろ」
「足、踏みますよ」
「もう踏んでるだろ!」
大声を出すアイグルと、アイグルのつま先をグリグリ踏みつけるキャナリに、マリアは笑みを浮かべた。キャナリはそのまま、痛がるアイグルを朝食の準備へ駆り立てた。さっと爽やかな風が吹き、マリアはおもむろに空を見上げた。鮮やかな空色4人を見下ろしていた。その、澄み渡る青空に向かって、マリアは祈るように拳を握った。
「どうかこの旅で私の記憶が戻りますように…」
太陽の光は、誰にも平等に降り注いでいた。マリアの指輪は、太陽の光を浴びて静かに輝いていた。
朝食を終えシンクの髪をしっかりアランジし、マリアたちは次の目的地へ進んだ。




