ハーツのお偉いさんに会いに行こう
ハーツの城の一室に日差しが差し込む。部屋の中央に、白い何かが立っていた。
「……」
その白い何かは、ゆらりと縦に動いた。頭の先から爪先まで全身白に包まれている。それは人間だった。
その人間は朝の陽光に目を細めた。陽光が、美しい顔を照らした。白銀の髪が更に強い光を放つ。
「失礼します」
部屋の扉がノックされ、簡素な衣装を纏った女性が姿を現した。使用人と思しき女性は一礼すると、
「アルムの王がお見えになりました」
「…わかりました。向かいます」
白は答えると、扉に進んだ。波が揺れるようにその動きは優雅で儚い。
「いってらっしゃいませ。カディス様」
使用人の声を背中に受け、カディスと呼ばれた白の女性は歩を進める。
「こちらでお待ちください」
そう言われ、マリアたちが通されたのは広々とした部屋だった。部屋の中心には、何十人も座れるだろう大きさのテーブルが備えられている。ふかふかした肌触りの椅子に座ったマリアは、家具ひとつひとつに圧倒されていた。
「どの家具も上物ばかりだ。さすがハーツの王」
アイグルは、マリアの胸中を代弁した。飾りのひとつひとつが普段はあまり表情を変えないキャナリも、その精緻な作りに目を見張っている。あのシンクすら、落ち着かない様子で黙って王の入室を待っていた。
「失礼します」
その透き通った声に、4人の体が強張った。扉が開かれた。
「……」
マリアはその姿を見て言葉を失った。白いドレスに、白の髪が揺らめく。長い睫毛が大きな瞳に影を落としている。憂いを帯びたような表情だが、その瞳の奥は意志の強さに満ちていた。この人間は、強く気高い美しさを持っている。マリアは一瞬で悟った。
「ハーツの王、カディス・ハーツです」
マリアはその声をぼーっと聞いていた。隣に座っていたシンクが慌ててマリアの袖を引っ張った。
「マリア」
「あ…。アルムのマリア・アルムハーツです。今日は多忙のところお会い頂きありがとうございみゃっ」
「ふふ…。いいのです。そんなにかしこまらなくても」
噛んで慌てるマリアを気にした様子もなく、カディスは微笑んでみせた。マリアはその顔にまた緊張してしまう。場になんとも言えない沈黙が漂いはじめた。
「こんにちは、カディス様。おひさしぶりです!」
シンクはその場にそぐわないような、元気な声をあげた。
「シンク…!」
マリアはシンクを咎めるように声を潜めた。マリアはシンクの口元に咄嗟に手を当てる。しかし、そんなことでシンクのした行動は消えない。マリアは恐る恐るカディスの顔色をうかがった。怒ってはいないだろうか?
「シンクは相変わらずですね」
カディスはシンクを見つめ目を細めていた。シンクの態度に気を悪くした素振りなどは見られない。カディスは、ホッとした様子のマリアに、
「気にしないで。私はなんとも思っていませんよ」
そう言うと、カディスは椅子を引いて腰掛けた。音はしない。
「感情を表情に出すと言うのが苦手らしくて…。よく勘違いされるのです」
カディスは口の端を持ち上げ微笑した。マリアは姿勢を正した。
「そうでしたか。それは失礼しましたっ」
「いえ、気にしないで。よくあることなので」
「それでも」
「気にしないで」
マリアとカディスのやりとりがしばらく続き、2人は徐々に口元を抑えた。
「気にしないでと言ってるではないですか…」
「気になるから仕方がないじゃないですか…」
2人は小刻みに肩を震わせた。場の空気が和らいでいき、緊張していたアイグルとキャナリの肩の力が抜ける。
「はは…マリア慌てすぎ」
「おかげで緊張が解けましたけどね」
キャナリは目を細めた。マリアの隣に座ってニコニコしている黒髪をチラリと見やった。
「今日は何をしにハーツに?」
カディスは、すっかり安心したアルムの客人に問うた。その声色は優しく、聞く者に子守唄のような安心感を与える。
「旅の途中に立ち寄ったのです」
マリアが答える。カディスは白銀の髪を揺らした。首を傾げたのだ。
「なぜ、旅をしているのですか?」
「それは…」
「アルムの王として、見聞を広めるためです」
言い淀んだマリアにすかさずアイグルが答えた。マリアはアイグルに視線を向けた。アイグルはマリアに向かって片目を瞑ってみせた。
(記憶のことは黙っておこう)
彼の瞳はそう語っていた。彼の隣にはシンクが座っている。マリアは戸惑いながらも、アイグルの考えに従うことにした。
「はい、そうなんです。勉強のために旅に出ているのです」
「今まで座学で学んできたのでは?」
「実際に見て回ってはじめて、知識が身につくのだと思っています」
マリアは口から出まかせを言った。その言葉を聞いて、カディスは口を閉じた。マリアは本心がバレていないか気になった。カディスは黙って目を閉じていた。マリアはその沈黙に冷や汗を垂らす。
「そうですか…」
カディスは目を開け、吐息を漏らした。
「それはいいことだと思います」
その瞳に敵意が向いていないことに気づき、マリアはこっそり息をついた。カディスは、
「実際に目にすることで、わかることもありますからね」
「…はい!」
マリアは胸をなでおろした。アイグルもまた、何事も起こらなかったことに安心した。マリアらは、しばらくカディスとたわいもない話で盛り上がっていた。不意に部屋の扉がノックされ、使用人がおずおずと顔を出す。
「カディス様、そろそろ…」
「すみません。つい話しすぎてしまいました」
使用人は一礼すると、部屋から出て行った。カディスはマリアに向き直ると、
「すみません。もう行かなければいけません」
「いえ、こちらこそお時間を取らせて申し訳ありません…!」
カディスはよく通る声で、客人を見つめた。
「あなた達の旅の幸運を祈っています」
「ありがとう、ございます」
マリアは言葉に詰まりながらも、なんとか答えた。アイグルは礼をし、部屋から出て行く。キャナリ、シンクもアイグルに習いハーツ王の部屋を後にする。マリアも続こうとしたが、
「マリア、少しだけ話があります」
「……え?」
席を立ち、扉に手をかけたところでカディスに呼び止められた。カディスは静かな足取りで、マリアに近づく。
「なんでしょうか…」
カディスはマリアの問いに答えなかった。無言のままマリアに近づいたカディスは、マリアの手をとった。
「カディス様…?」
「マリア、先ほど、実際に見て回ることで知識が身につくと…そう言っていましたね」
「…はい」
カディスの質問の意図がわからない。マリアは頷くことしかできなかった。
「実際に見てわかることはあるでしょう。たくさん…」
カディスは、ガラス玉のような声を床に落とす。顔を上げ、強い眼差しでマリアを見た。
「しかし、実際に見たものが本物とは限りません」
マリアは息を飲んだ。自分の喉が乾くのを、まるで人ごとのように感じた。
「……最初から…わかって…?」
「…」
マリアの絞り出した声に、カディスは反応しない。ただ、微笑んでいるだけだった。その瞳に、マリアと自称する女性を映しながら。
「私を、捕らえないのですか」
マリアは、カラカラの唇を動かした。カディスはそれを無視した。マリアは、
「…あなたにはわかるのですか?私が何者かが」
「それを確かめるのでしょう?」
その縋るような声にカディスは、マリアの手を握って答えた。マリアの冷たくなった手は、温もりに包まれる。
「あなたには、あなたにしかできないことがあるはずです。どうかそれを忘れないで。自分の感覚を、信じて」
カディスはそう言うと、自身の懐に手を伸ばした。そこから小さな輪を取り出し、それをマリアの細い指に通した。
「おまもりです。離さず付けていて?」
「は、はい」
マリアは何が起きたかわからないまま声を絞り出した。それは、所謂指輪だった。澄んだ緑の宝石が埋め込まれている、上質の一品。
マリアが頷いたのを見たカディスは、マリアの緊張を和らげるように頬を緩めてみせた。
「大丈夫。きっとうまくいきます」
カディスはそっと、マリアの手を離した。
「自分の決めた道に、迷わないで」
困惑に包まれるマリアに、その声は一粒の雫のように落ち、広がっていった。マリアは深く頭を下げ、ドアノブを握った。




