乳母が帰って来たので言い淀んだ
マリアとアイグルが会話し暫くしてキャナリが帰ってきた。
「お待たせしましたマリア様」
「…キャナリ、なのね?」
大量の荷物の裏側から、キャナリの声が聞こえた。キャナリは両手いっぱいに荷物を抱えていた。山積みになった荷物はキャナリの上半身を完全に隠していた。彼女の顔すら見えない。前も見えない状態で、宿まで重たい荷物を運べるのが、キャナリなのだ。
「よいしょ…」
「キャナリ、手伝うわ」
「いえ。貴女様の手を煩わせるわけにはいきません。すぐに終わりますし」
キャナリは自身にあてがわれたベッドの上に、抱えていた物を降ろす。その動作は決して雑ではなく、荷物はバランスを崩すことなくベッドに置かれる。
「…たくさん買い込んだのね」
「ええ。売り場に美味しい菓子があったので、つい買い込んでしまいました」
「…これ、全部食べ物なのかしら?」
「ほとんど、そうですね」
マリアは、ベッドを埋め尽くす紙袋やら小箱やらを見つめた。マリアはその中から小包を一つとって、中身を開ける。包を開くと焼き菓子が出てきた。
「美味しそうでしょう?マリア様に喜んでほしくて、出来立てを購入しました」
それに答えるかのように、マリアのお腹がぐぅっと鳴った。
「あはは…ありがとうキャナリ」
マリアはお腹をさすりながらキャナリに微笑む。その手は無意識にさりげなく、お腹の贅肉を摘んでいた。
「大丈夫ですよ。マリア様」
「キャナリ…」
キャナリはマリアの心配を察したのか、マリアの両手を手に取り、母のように優しい慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「マリア様は旅をして、たくさん動いています。少しぐらい食べたところでどうってことありませんよ」
「そ、そうよね。すっごい動いたものね!歩いて戦って、運動したもの」
マリアは、ハーツまでの道中で魔物とほとんど出会わなかったことを、都合良く無視した。
「ええ。ですから遠慮なく食べてください」
「そういうことなら…。せっかくだし…」
マリアは焼き菓子に手を伸ばした。口に入れる。ほくほくして程よい甘みが口内に広がり、マリアは舌鼓を打つ。
「んんー!美味しい!」
マリアは焼き菓子を夢中になって食べる。キャナリはその姿を微笑ましそうに見守っていた。
「ふふ。マリア様ったら。本当に気にする事ないのに。マリア様の栄養は全部…に持っていくのですから」
キャナリはマリアに気づかれないように呟くと、自身の胸元を見下ろす。それは、壁のように平らだ。
キャナリが気にしているところに、マリアから声がかかる。
「ねえ、キャナリ」
「はい。どうしましたかマリア様」
キャナリは何事もなかったかのように、己の主君に振り向いた。そして、その瞳が揺れていることに気づく。
「マリア様?」
マリアは菓子をテーブルに置き、逡巡している。
「あのね、キャナリ…その…」
マリアは何かを言おうとしているようだった。キャナリはマリアの続きを待った。
「私の、記憶喪失のことなんだけど」
記憶喪失。その単語に、キャナリは思わず早口になった。
「何か思い出したのですか?」
「いえ。そういうわけではない、の」
「…?」
やけに歯切れの悪いマリアに、キャナリは首を傾げた。
「さっきアイグルが部屋に来て、その、記憶喪失について話をしたの。その時に、なんていうか。私、もしかしたら」
マリアは不安げに、たどたどしく言葉を紡ぐ。キャナリは、
「マリア様」
「何…?」
「兄さんが何を聞いたか分かりませんが、貴女は私の知るマリア様です。優しくて思いやりのある、アルムの王。それに変わりありません」
キャナリはそう言い切った。そして、マリアの手にそっと手を重ねた。
「記憶を思い出すまで、貴女が確信を持てるようになるまで。見守っています」
キャナリの手から、温もりが伝わる。その体温は、マリアに安心を与えた。
「…ありがとう、キャナリ」
「礼を言われることは、していません」
キャナリは長い睫毛を瞬かせてみせた。
「マリア様、美味しい茶葉を買ったのでお茶を淹れますね」
キャナリは立ち上がると、未使用のカップを取ってマリアに微笑んだ。
キャナリの淹れた茶は、苦味のある渋い味だった。甘い菓子とよく合っていた。




