仲間に問われて、曖昧な返答をした
マリアは、アイグルの顔をしばらく見つめていた。
「それって、どういう…」
マリアは言い淀み、目を伏せた。それでも尚、アイグルの視線を感じる。2人の間に、気まずい沈黙が流れた。
「…俺も、確信してるわけじゃないんだがな」
アイグルはポツリと声を落とした。
「記憶喪失じゃないだろと、自信を持って言えない。ただ、『何か』ひっかかったんだ。それだけだ」
「……」
マリアは黙り込んでいる。アイグルは、マリアの目の前で座っているだけだった。顔を覗くことも、問い詰めるような素振りも見せない。
マリアは、テーブルに置いていたカップを手に取り、口をつけた。舌が潤った気がした。マリアは息を吸って言葉を絞り出した。
「記憶が無いのは、確かなの」
ようやく出たのは、そんな言葉だった。アイグルは静かにマリアの話を聞く。マリアはアイグルの視線を浴び、口元に拳を当てた。
「あ、記憶が無いというのも、違くて。断片的に記憶があるの。でも、こことは別の…なんていうのか、違う空間にいた気がして。だから、その…」
どう説明すればいいのかだんだんわからなくなっていき、マリアの声は徐々に小さくなっていった。
「違う空間、…?」
アイグルもまた、顎に手を当てて、マリアの言っている意味を探ろうとしていた。
「そう。そこで私は花屋をしていた。と、思うの」
「…んん…?」
ますますわからなくなったのか、アイグルの眉に皺が寄る。マリアの突拍子もない記憶に、アイグルのほうも混乱していた。マリアはモジモジと指を絡ませ、アイグルを見つめた。
「私が思い出せるのはそれだけ…」
「そうか」
「…黙っているつもりはなかったの。ただ、記憶に自信がなくて。自分でもうまく説明できなくて」
不安がるマリアの声に、アイグルは、
「いや。いいんだ。俺のほうこそ悪かったな」
「…ごめんなさい」
「謝らないでくれ」
アイグルは頭を振った。そしてしばらく黙りこむ。
「アイグル…?」
心配になったマリアは、眉を下げた。アイグルはうつむき、何かを考えているようだったが、やがて顔を上げた。その顔には、微笑が浮かんでいた。
「マリア、話してくれてありがとな」
マリアはその表情に違和感を覚え、アイグルの顔を伺う。
「アイグル?その、良かったの?私、全然」
「…わかんないことだらけだしな。とりあえず様子を見ることにするよ」
アイグルはそう言うと、カップを手に取った。カップを傾け、茶を喉の奥に流し込んだ。
「不安にさせて悪かった。記憶、早く思い出せるといいな」
「アイグル…」
アイグルは椅子から立ち上がると、マリアにそう声をかけた。マリアはアイグルの背に手を伸ばしかけたが、
「明日はハーツの王と謁見する。よろしく頼むぜ?」
振り向いたアイグルは明るくウインクをして見せた。マリアは頬を緩ませた。
「ええ。よろしく、アイグル」
アイグルはニカッと笑うと、マリアの部屋から出て行った。マリアは身体中の力が抜けた。緊張していたようだ。
「……しっかり、しなくちゃ」
マリアの部屋から出たアイグルは、自分の部屋に向かって歩きながら思案に暮れていた。
「さっきはああ言ったけど、気になるよなぁ」
アイグルはひとりごちた。先ほどマリアと交わした会話を思い出していた。
「…『マリア』と同じ魔術を使えるし、『マリア』と同じ武器だって使いこなせている。…やっぱ気のせいだったのか?いや、でも…」
アイグルは足を止め、人差し指を折り曲げ唇に当てる。フカフカのカーペットを睨み、思考を巡らせた。目を閉じ、開き、下唇を噛み、長い時間考えていた。が、
「…やっぱ、様子見しかないな。マリアについては。うん、そうだ」
そう結論を出し納得し、顔を上げると、クリクリの瞳が間近に迫っていた。
「うおおおおおお!?」
アイグルは叫び、後ろに飛んだ。が、その人物は見知った人間だった。
「アーにい…」
「なんだシン坊か。驚かせるなよ。起きたのか?服、皺だらけじゃないか」
その人物はシンクだった。アイグルは肩の力が抜けた。シンクは半目のまま、アイグルをじっと見つめていた。
「どこ行ってたのアーにい。起きたら1人だった」
「ああ、悪いなシン坊。ちょっとマリアと話をしていたんだ」
アイグルはシンクの肩をポンポン叩いた。シンクは眉を潜めた。
「マリアと?いつの間に?ずるい」
シンクは不服そうにアイグルを睨みつけた。アイグルは手を振ってシンクを宥める。
「悪い悪い。お前気持ち良さそうに寝てたし、起こしづらかったんだよ」
「…。うー」
シンクは唸って、肩を落とした。
「今度は起こすからよ。な?」
「うん…ごめんね、アーにい」
「気にすんな」
シンクはおずおずと、アイグルに謝った。シンクは素直な性分なのだとアイグルは思う。
「アーにい、マリアと何話してたの…?」
シンクは指を絡めながら、年上の男の瞳を見上げた。その男の顔には、笑顔が浮かんでいた。
「ただの雑談だよ」
そう言うや否や、アイグルはシンクの肩を抱き部屋に誘導した。
「部屋に戻ろう。美味い茶を淹れてやる」
「そんなのあるの?」
シンクの瞳が興味で輝いた。アイグルは続けた。
「ああ。茶葉が部屋に用意されてるんだ」
「そうなんだ!甘いのだったらいいなぁ」
「シン坊は本当に甘い味が好きだな」
「うん。僕甘いの大好き!」
黒く長い髪がカーテンのように揺れる。マリアによって整えられたその髪は、昼寝なんかでは崩れなかった。
シンクは部屋の扉を開け、ポニーテールを揺らして部屋に入る。アイグルはその後に続き部屋に入って、扉のノブに手をかけた。重要なものを隠すように、その扉をそっと閉めた。




