噂のあの人に会いに行こう
「ごちそうさまでした」
「おいしかったー」
マリアはいつものように、キャナリの作った朝食を摂っていた。隣にはシンクも座っている。
ちなみに朝食は、蒸したデア肉だった。柔らかかったので、朝から食べるにちょうどよかった。
「マリア、アランジして」
シンクに声をかけられて、マリアはため息を吐いて答えた。
「はいはい、わかったわよ」
「どうしたのマリア」
「…なんでもないわよ」
「?」
シンクは首をかしげる。マリアはシンクを連れ、自室に戻ろうとした。そんなマリアの目の前に、キャナリが姿を表す。
「マリア様。兵士から連絡が入りました。愚兄が帰ってきたようです」
「!」
「今、アルムの門にいるそうです。会いに行きますか」
「すぐ行くわ!」
マリアは玄関に向かって走り出した。
「マリアー!待ってよぉー!」
シンクはその後を追いかけた。少し縺れた長髪が、風のようにふわりと舞い上がった。
「はぁっ、はぁっ、どこに…」
マリアはアルムの門にたどり着いた。キョロキョロと周囲を見渡すと、昨日はなかった大きな馬車を見つけた。その付近には見慣れない大量の荷物が積まれていた。
「どこに、アイグルさんがいるのかしら」
マリアは、商人と思しき長身の男に声をかけた。
「すみません。アイグルさんはどこにいますか」
「おう、俺がアイグルだ」
あっさり見つかり、マリアはずっこけそうになった。
「どうしたマリアー?俺にさん付けなんて。明日は雹でも降るのか?」
「いだだっ」
アイグルはケラケラ笑うと、マリアの背を叩いた。バシバシ叩くので体のバランスを崩しかけるが、なんとか耐えた。
「目覚めてから、こんな対応されたのは初めてだわ…」
「ん?目覚め…? どういうことだ」
アイグルは首を傾げた。アイグルはまだ、マリアの記憶喪失のことを知らないのだ。マリアは説明するために口を開いた。
「アイグルさん、話したいことがあります。ちょっときてもらえますか?」
「記憶喪失だ!?」
マリアの部屋。椅子に座ったアイグルは、椅子が仰け反る勢いで唾を飛ばした。
マリアの側に控えているキャナリは、アイグルをひと睨みした。
「愚兄。汚いです」
「すまんすまん。はぁ…記憶喪失ねぇ。だから俺のことさん付けで呼んだりしていたのか」
アイグルは腕を組んで何度か頷く。納得したようだった。マリアはアイグルの姿をよく見た。
妹と同じ金髪。髪の癖は、キャナリより弱め。妹と違い、その背は高い。また、アイグルの髪はそこそこ長いが、シンクのように髪を括ってはいなかった。マリアより4、5歳程年上なのだろう。その顔立ちは凛々しく、大人びていた。
「私、この国のことも忘れてしまったのです。ですので、アイグルさんに教えてもらったこと、もう一度教えてもらいたいんです。お願いします」
マリアは頭を下げた。アイグルは後頭部を掻き、眉尻を下げた。
「マリア。あんたは、忘れてしまった国のことを学ぼうとしているのか」
「はい」
アイグルはマリアの頭を見下ろして、ボソリと呟いた。
「別に、いいんじゃないか?勉強しなくても。記憶がないってのに、わざわざそんなことしなくてもよ」
「いえ、そういうわけにはいきません」
「なんで」
「私は、この国の王だから」
「……」
「記憶はないけど、私はアルムの王です。国の民のためにも、できることをしなくてはいけません」
マリアは、今までに見たアルムの国民のことを思い出していた。どこか気になる点はあるものの、彼女らは皆穏やかに暮らし、毎日を楽しそうに過ごしていた。マリアを見かけると必ず声をかけ、話しかければ嫌な顔一つせずに笑う。キャナリはマリアの特訓に付き合い、見守ってくれた。記憶がないのに、シンクはマリアを慕っている。
その想いに答えたいと、マリアは思っていた。
「…そか」
アイグルはマリアの言葉を聞いて目を細めると、おもむろに立ち上がった。
「よし、そういうことなら、すぐ行くぞ!」
「…はい?」
マリアは呆然と、アイグルを見上げた。
「決まってるだろ?旅だよ」
アイグルは、人好きする笑みを浮かべた。マリアもキャナリも、その2人から少し離れたところに立っているシンクも、皆茫然と突っ立ていた。
「アイグルさん、どういうこと?」
シンクが、アイグルに尋ねた。アイグルはシンクに笑いかけた。
「今まで教えたことを全部座学で教え直すには時間が足りない。だから、実際に各国を見て回って、勉強するんだよ。それにさ、旅してるうちにひょっとしたら記憶も戻るかもしれないだろ」
「えぇー!?」
シンクは白目を剥いた。キャナリはひっそりとため息をついていた。
アイグルは、いまだぽかんとしているマリアに手を差し伸べた。
「行こう。我が親愛なる王、マリア・アルムハーツ」
マリアは少し迷った。少しだけだった。




