起きたけど記憶がないし、この世界はなんかおかしい
「…」
目を開けたら、鉄で出来た天井が見えた。床を触ってみると固くて生暖かい。寝ぼけ眼を擦ってよく周囲を見てみれば、鉄の壁に鉄の床。背後には、「あやしげな巨大カプセル」がそびえ立っていた。
「なに…」
『怪しげな巨大カプセル』をよく見ようと腰を上げると、ふらりと立ちくらみを起こす。
「ぬぐ」
どうやら『私』は、ずっと眠っていたらしい。やけに体が硬い。視界はハッキリしてきたけど、眠る前の記憶がぼやけている。
『怪しげな巨大カプセル』は妙な迫力があり、『私』を見下ろしているように見えた。
「これに頭を打ったら、目を覚ましたりして」
『怪しげな巨大カプセル』は妙な迫力があり、『私』を見下しているように見えた。
「…とにかく、出口を探さないと」
私はカプセルに背を向け、歩いた。クラっと揺らめく体に負けないようにと足を踏ん張る。壁を触ってみると隠し扉が出てきた。扉を開き、カプセル部屋から出る。とりあえず手当たりしだいの方角へ、足を動かす。
やがて、光が見えた。きっと出口に違いない。『私』は無我夢中で早歩きをした。走るとまっすぐ進めないのだ。
「わあ」
不気味なトンネルを抜けて、まず目の前に飛び込んだのは、広大な花畑だ。赤青黄色に桃白紫薄緑…これでもかというほど、花は咲き乱れている。
「あは…綺麗じゃん」
私の機嫌は良くなった。私は、花が好きだった気がする。いや、花「そのものは」好き、と言うのが正しいかもしれない。だって、花は『あの言葉』を思い出すから。『私』を抑える悪魔の言葉を。ん…?
「『私』って、誰?」
「見つけたよ、マリア!我が小国の領主よ!」
「もうわかっちゃったよ!?」
少なくとも名前は判明した。
それは周りの家に比べると多少大きな、木でできた城だった。大きな絵画が飾られている。花が、描かれていた。
「…以上が貴女様の生い立ちになります」
「…つまり私は、この小国『アルム』の王で、ここ最近行方不明になっていた…。そう言うことですか?」
「いかにも」
そう頷いたのは、私ことマリアの乳母キャナリだった。薄く長い金の髪をゆったり巻いた優しげな女性。乳母という割に、マリアとそう年は変わらないように見える。
「貴女様はアルムの10代目当主、マリア様にございます。数日前より行方不明になっていましたが…よくぞご無事で。このキャナリ、大変嬉しく思います。そして、大変申し訳ございません。貴女様を早く見つけることができず…」
キャナリはゆっくりと頭を垂れた。その態度にマリアは慌てる。
「あ、頭を上げてください。勝手にいなくなった私が悪いんです。多分」
そう励まして、キャナリの小さな顔を上げさせた。小動物のように小柄な彼女が頭を下げる姿を見るのは、なんだか心が痛む。
「ですが…マリア様の記憶が」
「心配しなくてもいつか思い出します。大丈夫です」
マリアは明るく笑って見せた。キャナリが悪いわけではないのに謝らせるのは気分が良くない。そもそも、記憶がさっぱりないのだ。失った記憶に未練が無いので責める気にもならない。
「それより、色々と教えて欲しいことがあるの」
「マリア様、しかし」
「記憶が無いのはショックといえばショックだけど、無い物を捜そうとしても見つからないわよ。それより、この国のことが知りたいから教えて。動いてたら、何か思い出すかもしれないし」
マリアは、不安など無いと言うように笑う。
「かしこまりました。では…『シンク』に案内を任せましょう」
「『シンク』?」
「はい。あちらの男です」
「ああ…あの子ね」
マリアは、キャナリの背後のそのまた向こう…部屋の隅で立っている男に目を向けた。
年は、17,8頃だろうか。長い漆黒の髪をこれでもかと伸ばし、後頭部で結いている。かなり整った、精悍な顔立ちをしている。その割にどこか幼さを感じるのは、その大きな瞳がやけにキラキラ輝いているせいだろうか。
その男は、マリアを最初に発見した少年だった。マリアが少年に視線を向けると、
「…!…!」
キラキラした目を更に輝かせて、ブンブン手を振ってくる。マリアは手を横に振って答え、キャナリに一言。
「キャナリに案内してもらいたいのだけど」
「私は公務がございますのでシンクに任せますね」
ばっさり切られた。マリアが口を開こうとするが、
「マリア!やっとおしゃべりできるねー!」
「ふぐぅ」
少年、シンクが突進してきた。シンクは待ってましたと言わんばかりにマリアに抱きついてきた。
「マリア、やっと会えて嬉しいよぉ。僕のマリア」
「ちょ、離れ、離れなさ」
「マリアの匂いがする…スースー」
「ぎゃーーーー!!?」
どさくさに匂いを嗅ぎ始めるシンクに飛び蹴りを放った。
「いたぁ!何するのさ!」
「何すんのさじゃない!匂い嗅いでんじゃないわよ!」
マリアは、一連の動作を見守っていたキャナリの背後に隠れた。
「キャナリ、やっぱり貴女が案内してよぉ…。これと2人きりなんて危険きわまりないわ」
「不審者に迷わず飛び蹴りできる貴女なら大丈夫ですよ。とりあえずシンクに案内してもらって下さい。本当に無理なら、私めが案内しますので」
キャナリは持っていた懐中時計をエプロンに仕舞って答えた。無言の圧力を感じた。
「わかった…。シンクに案内してもらう」
「はい」
「やったー!マリア、行こう」
「ちょっと、引っ張らないで、歩きなさいって」
シンクはマリアの手を握って、走った。マリアはなんとか足を前に出して進んだ。木製の床が、ギシギシと音を立てた。
シンクは、マリアをあらゆる場所に連れて行く。
「ここは市場。近くの国や遠くの国から来たいろんなものがたくさんあるんだよ!」
「ここが広場だよ、子供がよく遊ぶところ。僕とマリアも昔よくここで遊んでたんだよ」
「ここは畑。野菜とか色々育ててるんだ」
「ここは、兵士の人が訓練する場所だよ。キャナリもたまに通ってるんだって」
シンクは楽しそうに説明してくれるが、説明に中身がない。
「マリア様。見つかって何よりです。珍しいモウルの肉が手に入りました。貴女様の交渉のおかげです。我が国は中央と疎遠ですから、近隣諸国と手を取り合っていかねばなりませんわね」
「マリアさまひさしぶり!マリアさまの作ったおもちゃ楽しい!ともだちも妹も気に入ってるんだ。マリアさま様様ってお父さんが言ってた。妹なんか、マリアさまさまさまー!なんて言ってるよ」
「ここでは野菜以外にも家畜用の食料等も蓄えております。我が国の特産品のパプリは、どこで売っても人気です。茶にすれば美味しいですし、美容効果もございますので女性に人気ですよ。私も毎日飲んでいます。マリア様もぜひ」
「お疲れ様ですマリア様!こちら、日々の訓練に取り組んでおります。最近物騒な噂をよく耳にしますので、備えるに越したことはありません。隣の国も、賊が侵入したとの知らせがございました」
仕方ないので周囲にいた人間に声をかけると、このような返事があった。なんとなくだが、アルムのことが見えてくる。そして、国を見て周る中で小さな違和感を覚えた。
「でも、うーん…そういうものなのかしら?」
「マリアどうしたの」
「うわ」
急に目の前にシンクの顔が出てきて仰け反るマリア。
「なんで顔そむけるの」
「急に顔近づくから驚いたのよ」
「えー」
シンクは頬を膨らませる。
「えー、じゃないわよ。異性にいきなり顔近づけるものじゃないわ」
「いいじゃん、僕たち婚約してるんだから」
「知らないわよ。婚約してても私にはその記憶がないんだ…か、ら」
マリアは口を閉じ、目を見開いた。
「婚約!?は!?婚約!?冗談でしょ!?婚約!?」
「うん。そうだよ!まさかそんなことも忘れてたの?」
「知らないわよ!婚約ってなんで!?いや、王だから婚約するのはわかる!でもなんであんたと!?」
「あ、ひどいなぁ」
シンクはマリアの手を取った。そして、自分の長い髪を撫でさせた。細くて長い、美しい髪だ。
「いや何してんのよ急に」
「王は、綺麗で美しく長い髪を持つ男を夫として迎える。そういう決まりになってるんだ。だから、僕は君の婚約者。貴女の未来の夫、シンク・アルムハーツ」
マリアはシンクの目を見た。彼は少しだけ、ほんの少しだけ大人びた表情をしていた。
「……」
「どう、マリア。思い出せた?僕のこと、アルムのこと」
風が吹いた。風はマリアとシンクの髪を優しく揺らす。
どこからか飛んできたピンクの花びらが、マリアの髪にひらりと止まった。
「そうね……」
マリアは、かすかに乱れた髪を抑えてそっと微笑んだ。
「とりあえず、チェンジで」
「無効です」
マリアは頭を抱えた。これから色々と大変なことになりそうだ。




