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モノクロの世界に色が差した日  作者: 長谷川るり
8/22

第8話

8.


 携帯の電波に乗せた言葉のやり取りだけで、先日のこの部屋での淡い出来事に 表面上肩を付けた私だったが、やはり未だにお隣さんを避けている事実に変わりはない。相変わらず私は、以前よりも2本早い朝の電車を利用している。そして、引っ越し先を真剣に探していた。そして今日は、図面のコピーを持って、実家を訪れていた。

 私が来るからという名目で、また兄達家族も集まって食事会だ。甥っ子や姪っ子にお土産を持って、実家には菓子折りを持って帰る。まだ幼い甥っ子達へのお土産なんて、そんな大した物ではないけれど、それを喜んでくれるから、つい私も叔母さん気取りで買ってしまう。そして時には兄嫁さんにも手土産を用意する。『いつも両親がお世話になってます。近くに居てくれるから、私も安心していられます』っていう気持ちのアピールだ。これで、両親も顔が立つ。これ位の事で皆が円満でいられるのなら、お安い御用だ。しかし今日は、心が重たい。

 食後の片付けを終えて、皆が何となく散らばり始めたところで、私は両親をテーブルに呼んだ。そして一枚のコピーを差し出した。

「私、引っ越そうと思ってるの」

黙ってコピーに手を伸ばしたのは母の方だった。そして一通り眺めたら、今度は黙ったまま父にそれを差し出した。そして父が言った。

「・・・おう。買うのか?」

私は静かに息を吸い込んで、慎重に言葉を選んだ。

「毎月家賃払い捨てって勿体ないし・・・だったら買った方が 支払いも安くなるし、残るし・・・」

「確かに、それはそうだな」

「これだと頭金とか月々の支払いとかはいくらなの?」

私は鞄からもう一枚の紙を取り出した。

「銀行のローンが通れば、こんな感じの支払いになるって」

その紙をさっと眺めて、母は眼鏡を外した。

「亜弥芽はしっかりしてるから、きっと大丈夫でしょ。ね?お父ちゃん」

「ま、お前が気に入ったんだったら・・・なぁ」


 マンションを買うという事に対して、もっと今後の人生設計について聞かれると思っていた私は、肩透かしを食らった様な思いで帰路につく。結婚というものを、私にはもう期待していないという事なんだろう。そう思うと、やはり寂しい気持ちが込み上げる。私だって本当は、お兄ちゃんの所みたいに家族を作ってワイワイ暮らしたかった。今だって、本当は心のどこかで マンションの購入を止めてくる人を待ってる自分もいる。それなのに、両親共物件のコピーにサラッと目を通しただけで、あとは私の好きにしなさい・・・みたいな扱いだった。悲しくなる気持ちを塞いで、庭で甥っ子達が始めた 夏の残りの花火を見て、自分をごまかした。


 甥っ子達が、

『これ、あ~ちゃんに今日のお礼』

と言って渡してくれた線香花火3本。

『これだけ貰ったって、あ~ちゃん困るでしょう』

と気を遣ってくれる兄嫁さんの言葉は、子供には効果がなかった。

『家に帰って、これやって思い出してね』

ちょっと笑ってしまうけど、子供なりの優しさだ。

 家に帰ってきて、もう一度物件のコピーを眺める。色んな事を諦められない自分が決断を鈍らせる。傍に置かれた3本の線香花火をつまみ上げて、私はそっとベランダの外を覗いた。誰もいないのを確認して 私はベランダに出ると、そっとしゃがんで線香花火に火をつけた。地味だけど、一生懸命燃える火の玉をじっと見つめていると、健気な姿に涙がじわっと湧いてきそうになる。線香花火を見て涙腺が緩むなんて、歳を取ったんだな・・・。そんな事を思っていると、ポトッと火が落ちて暗くなる。あんな小さな火の玉でさえ、私の周りを明るくするのだ。その何ともいじらしい姿をもう一度見たくて、2本目に火をつけた。それをじっと見つめながら、つい鼻歌まで零れてくる。この花火と同じ様に、良い時は一瞬だ。結婚を真剣に考えた彼と別れた後だって、毎日が同じ速度で過ぎて行った。だからきっと、ここを出て 新しい場所で暮らし始めたとしても、多分そこに根を下ろして、同じ様に私の前を毎日が過ぎて行くに違いない。元気でいる内は、きっとそうだ。この先歳を取って、病気になったとしても、今心配するよりも、きっとその時に一人でも超えていける知恵や力が自分に湧いてくるのかもしれない。何十年先までの覚悟を今するんじゃなくて、今一歩先に踏み出す勇気だけが必要とされているのかもしれない。

 そんな事を思っていると、再びポトッと火の玉が落ちた。その時だ。暗い夜の中から、微かに聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「亜弥さん?」

私の全身が硬直してしまって、返事する事さえままならない。

「・・・そこに居ます?」

「・・・・・・」

あの日以来、どれ程私がお隣さんを避けてきたか分からない。それなのに、ふと油断した隙に 見つかってしまうなんて。かくれんぼでとうとう見つかってしまった気分だ。この間はインターホンだったから居留守が通用したけれど、さっき鼻歌まで歌ってしまっていたし、もう今日は逃げも隠れもできなさそうだ。

「・・・はい」

「こんばんは」

「・・・こんばんは」

「久し振りですね」

「・・・そうですね」

正直ドキドキしている。この間の事を丸々引きずっていて 気まずさもあるけれど、それだけじゃない。年甲斐もなく馬鹿みたいだけど、完全にフラれた好きな人とどう話していいか分からない。

「花火ですか?」

「え・・・あ・・・いえ・・・」

ベランダで一人花火なんて、絶対に知られたくない。だけど、煙の臭いで きっとバレてるんだと思う。そんな事を思うから、私の相槌はごまかしきれない中途半端なものになってしまった。

「夏も終わりですね・・・」

「・・・ですね」

さっきから私は、相手の会話に短い相槌しか返していない。きっとこんな退屈な会話に向こうから『じゃ、おやすみなさい』とピリオドを打ってくるに違いない。しかし、お隣さんは少し間を置いてから、再び質問を投げた。

「あれ以来、大丈夫ですか?あの男、来てません?」

「あっ、はい。お陰様で」

これだけは、間髪入れずに返事が出来る。本当に助けてもらったから。

「その節は、大変お世話になりました」

ちょっとよそよそしい気もしたけれど、お礼はきちっとしないと・・・。しかしその後で暫く沈黙が続いたから、私も言い方を後悔し始めたところだった。お隣さんの声が衝立の向こうから、また聞こえた。

「こうやって話すの・・・久々ですね」

「・・・・・・」

私が避けていた事に気付いていたのだろうか。以前に、

『僕の事、避けてます?』

ってメッセージが来た位だ。思わず相槌を忘れるところだった。慌てて私は、返事を返した。

「そういえば そうですね」

今まで気づきませんでした・・・っていうフリ、お隣さんには通用したんだろうか。あの日以来、必死に会わない様にしてきたのだ。だって、どんな顔して会えっていうの?しかも、今までみたいに普通に会話が出来る自信は皆無だ。

「朝は・・・最近もずっと 二本早い電車ですか?」

私の返事が、喉で詰まる。どんな風に答えたらいいのか迷っている内に、沈黙の時間はどんどんと通り過ぎていたらしい。お隣さんは質問を変えた。

「亜弥さん・・・。引っ越し、まだ考えてますか?」

「あ、はい。近い内に契約しに行くところです」

「・・・・・・」

今度はお隣さんが黙る。何で?私の中に疑問が湧いてくる。だから、ふとよぎる嫌な予感を口に出して聞いてみる。

「あの例の・・・男の人、その後そちらも大丈夫ですか?」

“龍君”と呼ばずに“そちら”なんて言い方してしまった。だって、到底この雰囲気で“龍君”なんて親しく呼ぶのは抵抗がある。あり過ぎる。

「・・・もちろん。僕の方は大丈夫です」

あの男からの二次災害を被っていないのだとしたら、なぜ私の引っ越しをそんなに気に掛けるのだ?引っ越しを寂しいと思っているのか?それとも・・・早く引っ越して欲しいって思ってるのかもしれない。そうか!私がいるから、彼女を家に連れて来にくいのか・・・。お隣さんの気持ちになれば、そりゃあ、私がいる限り 安心して彼女を呼べない。そう思ったら、もう私の口が勝手に動き出した。

「ごめんなさい。なるべく早く、出ようとは思ってます」

この前、携帯上でのやりとりで失恋をしたけれど、また今日も『浮気女を切り捨てたい』お隣さんの気持ちを感じて、再びフラれた様な心地になる。そこへお隣さんの声が、朦朧としそうになる私の頭に入ってくる。

「亜弥さん・・・。引っ越しちゃう前に、一度、ちゃんと会えませんか?」

私の蚤の様な心臓がバクバク言い始める。何を今更会って話すというのだ?どこで彼女とバッタリ会っても、あの日の事は言わないでっていう口留めだろうか。だとしたら、そんな心配無用だ。邪魔する気なんか、更々無いのだから。

「心配しないで下さい。私・・・大丈夫ですよ。ちゃんと・・・分かってるつもりですから」

「・・・亜弥さん」

その時、部屋の中で携帯が着信音を上げている。

「ごめんなさい。電話が掛かってきちゃったみたい・・・」

助け舟の様に感じたその電話に出る為、私は部屋へと引っ込んで窓を閉めた。


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