10 ロイス聖誕祭と、奇跡の丘
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「―――ミスズ、早く。早く」
「……は、はいっ、ますたー!」
それから、寮に帰ってすぐ。
僕は、ミスズをつかまえて街に飛び出していた。
僕らは今、《剣島都市》の街中を走っていた。珍しく興奮気味の僕に、坂を慌てて駆け上がって追いかけてくる精霊。大きな瞳を見開き、それから雪の白を可愛らしいブーツでかき分けていく。
―――《英雄・聖誕祭》が、始まろうとしていた。
《剣島都市》は夜のとばりに包まれていた。
島の中心の母なる大樹―――《熾火の生命樹》が光の実を結ぶとき、その《英雄の日》が始まるとされている。その合図とともに一日が、祭りが、開始されるのである。
…………見逃すわけにはいかなかった。
僕は、ギリギリまで《加工》を頼んでいた原石―――(……あれから、島へと帰ってから街中の装飾師の店を訪ねて、ペンダントに変えてもらった)――を握りしめ、それからミスズと街中の坂を駆け上がっていく。
―――頂上に、出た。
「わあああっ」
「…………す、すごいです……!」
視界が広がる。
そこには―――青く暮れゆく夜空を包む、《熾火の生命樹》の巨大な姿があった。
それは僕らにとって目を奪われるような色鮮やかな景色であり、《熾火の生命樹》は〝赤〟〝黄色〟〝緑〟〝青〟〝灰〟など―――色鮮やかな《魔力》の光を木々の枝に繁らせている。そして、雪と同じように今にも光源を降らせようとしていた。
「始まるよ、ミスズ」
「は、はいっ! 待ってください。……ミスズも、渡したいものが……」
ミスズは見回す。
だが人並みが多い。どんっと背中からぶつかられ、慌てたミスズを僕はつかまえる。『場所を移動しようか』と提案する。
……はぐれないよう手を繋ぐべきか。僕は一瞬迷い、それから躊躇を飛び越えて、精霊の手袋ごしの手を握りしめることにした。
『わひゃう!?』と精霊は可愛らしい声を上げ、それから熱いものに触れたように動揺していた。顔が真っ赤になる。
『……放そうか?』と素朴に問いかける僕に、『…………。い、いえ。このままで』と。なぜか強くなった力で、両手で握りしめてきた。
そのぎこちなさ。寒空の下の会話に、周囲の冒険者たちが微笑ましそうに笑い、『――まぁ、可愛らしいカップルですこと』とクスクス。話していた。僕らは、ちょっと気まずくなりながらも、別の場所を移動して確保する。
「……ミスズ。そういえば、今日はちょっとお洒落だね??」
「…………はい。『ますたー』は、今夜もボロボロですっ」
それを、なぜか嬉しそうに。精霊は呟く。
『いつもと変わらない』ことが、こんなにも嬉しそうにミスズは微笑んでいた。
「……それで、さっき言いかけたのは?」
「う。も、もうちょっと待ちますー。《熾火の生命樹》も、まだ準備をしていますし……」
機を逸したように、少女はうつむく。
…………今夜の彼女の姿は、洒落ている。
赤く。フードを被り。ガフや僕が用意していた『聖誕祭用の仮装』―――〝英雄の仮面〟や、〝精霊王・賢者たち〟の仮面。または、〝獣人の王〟の着ぐるみ――を身につけずに、精霊がよく似合いそうなスカート。フリルのついた上衣を着ている。…………それでも、わずかに使用人仕様、といった感じに白いエプロンをつけているのが、いかにもミスズらしかったが。
「……そういや、まだ《聖誕祭》の本番じゃないから、《仮装》はしないんだよな。うっかりしてた」
「は、はい。周囲の《冒険者様》たちも、まだ普段の服装ですし。…………あ、でも、ミスズはあのマスターが買ってくださった〝魔獣の王〟さんの着ぐるを気に入っています。もふもふしていて、茶色くて可愛くて、着るのが楽しみです」
「う、うーん。だけど、《魔獣の王》ってそういうキャラだったっけなぁ……?」
精霊耳を隠した、赤ずきんの精霊に、僕は首を傾げる。
…………確か、この祭りの仮装は『英雄ロイスの冒険譚の物語に出てくる、登場人物たち』がモチーフである。『英雄』の仮面は選ばれた人間のみ、『精霊王』の仮面は
運営側、そして『賢者たち』の七種の仮面は冒険者たちに人気で、物語に出てくる『魔物』の着ぐるみは、特に精霊たちに人気である。
その中でも。《魔獣の王》という、書物の中では『人語を理解し、英雄と、精霊王の宿敵となった。――だが、最後まで、その三者は認め合っていた』という魔物は、かなり腹黒く狡猾いキャラだったはずである。
と、そんなどうでもいいことを思っていると、
「ま、マスター! ミスズから……その、先に贈り物ですっ!」
「……え?」
決意したように。
また、兄妹のように。どんっとぶち当たりながら、精霊はその『包み』を僕に押し当ててきた。
英雄を祝福するという《熾火の生命樹》の輝く景色が――よく見える丘で、僕は突撃を受け止めた。驚き、見る。そこには、
「…………へぇ、『冒険の籠手』」
「な。悩んだのですが……。結局……これしかなくて。ミスズは、冒険でいつも足を引っ張ってしまいます……。ですから、マスターには、せめて怪我をしてほしくないんです」
そう言っていた。
僕は袋を開いて、見いた。
『冒険の籠手』だった。刺繍入りの。何度も何度も冒険して、ボロボロになって、そのつどミスズに修復してもらったり装備屋で買い直したりしていたものが……そこにはあった。
「これ……。いいの? 受取って?」
「は、はいっ。マスターに、使って欲しいんです」
……これは。
すごいモノをもらったな、と思った。道具の値段ではなく、その中身である。……冒険で軽々しく負傷するわけにはいかなくなった。それだけの、強い思いを受取っていたからだ。
だから、僕はミスズを向き直り。それから『僕の贈り物』を渡そうとしたとき、
「……!」
「わあっ」
歓声が聞こえてきた。
僕らは、それを見上げる。
《白竜の季節》―――ロイス聖誕祭の。その前夜を飾る《熾火の生命樹》が、…………神樹が年に一度の光をつけていた。
そこは美しく。
光源に飾られた町中を。さらに、光が降り注ぐように舞い落ちていた。
「…………わぁ」
「…………す、っげえ」
……見つめる。
……本当に。美しい。
それから、隣で『わ、ああ』と瞳をキラキラとさせ、丘の柵から身を乗り出そうとする精霊の横顔を見た。……柵から身を乗り出し、今にも、掴めそうな神樹の降り注ぐ光源を、手を伸ばして掴もうとしている。
そんな、『精霊』に。
「―――ミスズ」
「……? はい?」
「…………今年も。ありがとう」
それを言った。
最大限。感謝の心を込めて。
この都市は――《剣島都市》。冒険者たちの暮らす、巨大すぎるほど巨大な島の都市。
大樹が光をつけ。都市の広がる家々へと降り注いでいく。……奇跡だった。こんな都市が生まれるのも。また、精霊という存在がいることも。全て。
――《剣島都市》の冒険者が、20.000名超。
―――うち、精霊も同数、いや、それ以上。
巨大な都市には『ランク階層』の構造があった。Fランクより始まり、最底辺を乗り越えた、その先にも『ランク』がある。
―――頂点は、『Sランク』。
―――Aランクですら、雲を掴むようであり、気が遠くなる幻想。……この、光源の降り注ぐ都市の、全てを圧倒して『最強冒険者』にならねばならない。
…………そんな中で。
それを目指し。本当に、ずっと冒険したい――と思える〝精霊〟がいてくれた。これだけ多くの精霊がいる都市で、『たった一人』―――彼女という精霊を見つけることができた。
…………だから。僕は。
その星のような輝きの多さの中で。たった一人。この精霊だけを見つめて、『贈り物』を渡すのだった。
「ミスズ。―――次の年も。いいや、ずっと、すっと。先の《冒険》でも―――よろしくね。一緒に冒険できて、本当に嬉しいよ」
「……! は、はいっ。ミスズも。マスターに……一生涯、ついていきます」
頬が熱く。そして蕩けるような笑顔で、微笑んでいた。
その顔の温度が高く。笑みに溶け。頭をなでると、嬉しそうに目をつぶって委ねていた。
―――来年も、よろしくお願いします。と。
その、笑顔の中から、言葉がこぼれた。




