7、水葉とバザール
「切らした」
朝ご飯の準備をしていると、レインが入ってくるなり口を開いた。
寝床を水葉がとっているため、彼は隣の倉庫で眠っている。悪いと思って口にしたら、向こうの反応が悪かったので、そのまま使わせてもらっている。
「なにを?」
「インク。今日買いに行く」
そう言って、レインはどかっと椅子に座る。水葉は野菜とディップを置いて、パンを魔法陣で軽く炙る。最初はそのまま出していたけど、ある日、火の魔法陣がパンと一緒に置いてあったのでそういうことらしい。そういえば、レインが作るときは、毎回炙ってあった気がする。
面倒くさいことを。
わざわざ竈に火を入れてまでやることではないのに。
レインはキュウリスティックをぽりぽりかじりながら、水葉を見る。
「……」
「なに?」
「食事終わったらバザールに行くからついてこい」
レインはそれだけ言って、今度はニンジンスティックをかじった。
「ねえ、この服おかしくないの?」
水葉は、レインの前でくるりと回って見せた。
水葉が今着ている服は、レインがいつもの買い物ついでにランドに頼んで持ってきてもらったものだ。
一応、何着かあるが、はたしてこれが一般的な服なのだろうか。
レインやランドたちを見る限り、それほどこちらの世界の住人とデザインセンスがずれていない気もするが、それにしてもやや地味な気がする。
「誰も見ねえ」
元も子もないことを言われた。
「それとも誰かに見られたいのか?」
「……」
とりあえず、目立つ服ではないのでよしとする。
生成りのワンピースにサンダル、そして、ヴェールを被る。すると、ぽいっと、レインが布を投げてきた。
「ヴェールするような奴は、足はまずさらさねえ」
それもそうだ、とマントを羽織る。鏡はないけど、今の姿は多分中東の女性っぽいに違いない。
「行くぞ」
「はいはい」
水葉は、レインと一緒に家を出た。
テオを探したがいない。多分、外に散歩に出ているのだろう。
「おい、手だせ」
「うい」
なんだと思ったら、家のドアに魔法陣を張り付ける。
「発動してくれ」
「あい」
魔法陣は鍵の代わりなのだろう。施錠としてはずいぶん贅沢だ。
「普通の鍵はないの?」
「いや、今回はこれでいい」
どこか、冷めた顔をしてレインが言った。
水葉は、首を傾げながら、レインのあとについていった。
やっぱりよく似ている。
ここに来てから、ほとんどレインの家から出ることはなかった。見える景色も二階の窓からばかりだったけど、こうして外で見ると改めて思う。
海と空、坂の下に建物が見える。建築様式は違うけど、どこか生活感がある風景がとても郷愁にかられる。
さらりと流れる風は潮の匂いで、海に帆船が点々と見える。
そして――。
「あれ、なに?」
水葉は、そっと空に浮かぶ影をさした。航空機のように見えるけど、その形はどうも有機的なフォルムをしている。
少なくとも、金属の塊には見えなかった。
「よかったな。レアな飛行竜だ」
「竜……」
いや、聞いていた。
聞いていたはずだ、テオドラから。
たしか、神殿には月に一度、お供えを持ってくるとか言っていた。
でも、確かテオドラが結界を解かなければ中に入れないはずだ。いや、中には入れる。シスコとかいう緑の聖女が破ったので、おそらくそのままじゃないかと思う。
「なんか飛び方が変だな」
「変?」
「いつもより疲れた動きだ。それに……」
レインは空を見る。昼間でもうっすら月が見える。
「帰還がずいぶんずれているな」
「……」
それはきっと竜にのった人が、神殿の異常に気付いたからだろう。
そこで、一つ疑問ができる。
「ねえ、帰還ってことは神殿から帰ってきたんでしょ? 神殿って聖女がいなければ入れないんじゃなかったっけ?」
「……基本的にはな。ただ、飛竜に乗っているのは、守護者の承認を受けた者だ」
「守護者?」
なんか聞いたことあるような、ないような。いや、ある。言い方は違うが、テオドラは『守り人』とかいっていた気がする。
「守り人のこと?」
「そうともいう」
水葉は頭がこんがらがってきた。まだ、守り人の話は詳しく聞いていない。聖女とセットで出てくる存在だけど、それが何なのかわからない。
前の青の聖女は、赤の聖女に嫉妬されて殺された。守り人が一人だったために。
その守り人とやらがなんだか知らないけど、聖女と同じ数だけいれば問題なんてないのではと水葉は思う。
「今の守り人って何人いるの?」
「はあ?」
やばい!
質問を間違えた。
いくらなんでも、これは田舎者のレベルをこえた話なのだろうか。
「だ、だって聖女さまって、今二人いるって聞いたよ! 守り人っていうくらいだから、普通それより多いでしょ!」
苦し紛れに言い訳すると、レインは頭をかきむしる。
「守り人は一人だよ。最初の聖女さまから力をいただき、今の時代まで生きている。まんま、生きた神話だな」
「……」
なんぞそれ、といいたい。
「本来、聖女と呼ぶべき人は一人なんだ。正しくは、今いる聖女たちは候補で、それが守り人に本物として認められてようやく聖女さまなんだよ。それが女神さまってやつだ」
「女神……」
千年、水葉の感覚で五百年前の聖女同士の争いは、愛憎によるものだと理解していたが、それとは少し違うようだ。
これでは、どちらが神かわからないと、水葉は思う。
坂道と階段をどんどん降りていくと、家が増えてきた。
「あれが、ランドの店だ」
坂道にそって並ぶ家の一つを指す。
雑貨屋、なんでも屋という雰囲気で、おばさんが一人せっせと荷物を作っていた。
位置は、海面からレインの家までの中間くらいの高さで、正直言って立地は悪い。そのため、配達サービスをやっているのだろう。
歩いているうちに、奇妙なものが横を通り過ぎた。
大きな荷物を運んでいる馬車だが、そこに車輪はなくソリのような形をしていた。ソリには、紋様が施されており、御者台から御者が魔力をおくっているらしい。
動かすというより、摩擦力を減らす魔法のようだ。
街のあちこちを見ると、魔法陣や紋様が各所にみられる。
雰囲気としては、近代のヨーロッパに近い風景だけど、そのところどころが異世界である証拠だった。
「けっこう都会?」
科学がないかわり、いたるところに魔法が使われているためだろうか。想像していたより、ずっと近代的に見える。
「おまえのいた田舎に比べたらな」
むっときたが、黙っておく。ここでの設定は田舎者の世間知らずだ。
「ほら、行くぞ」
迷子になるなよ、と言われると腹が立つけど、ちゃんと帰れられる自信がないので大人しくついていく。
どんな世界でも、にぎやかな場所というのは、やはり心躍るものだ。交易を中心とした国だと聞いていたが、たっている市には、色とりどりの布や装飾品が売られている。ただ、青系のものが多いのは、お国柄だろうか。
変な形の見たことがない果物もたくさん売ってある。売っているおじさんが全然よくわからない単語を連発していることから、水葉の中にそれに対応するものがなく、現地の言葉がそのまま聞こえているのだろう。
商店と商店の間には、ロープが何本も通されており、潮風と太陽を避けるために、日よけの布がはためいている。布の隙間からこぼれる太陽がまぶしい。
海鳥たちが、猫のように鳴きながら黒い影を作る。
客を呼び込む声と、値切り交渉の声。
水葉のように、頭から布を被った女性もけっこういた。露出が激しい人もいて、蜜色の肌がなまめかしく照らされている。服装のレパートリーはかなり広く、サラダボウルといったごちゃまぜ感だ。
ほへえ、と間抜けな顔をしていたらしく、そのたびに首根っこをレインにつかまれた。むっとなりながらも、視線をレインの背中に戻す。
レインは大通りを抜け、路地裏に入る。少しじめっとした薄暗い空気の中で、瓶と羽ペンが描かれた看板の店に入る。
中は、小ざっぱりした文具屋だった。
売ってあるものは、羊皮紙やインク、羽ペンといったものだが、お店のレイアウト自体は、水葉がよく行く文具屋さんによく似ている。
目玉商品らしきペンが目立つところに配置され、紙は種類ごとに平べったい棚に入っている。
レインは、インクコーナーへと向かう。
カラフルなインクが並ぶ中、瓶を一つ一つ眺める。
インクは多種多様だけど、やっぱり青系のインクが数多くしめていた。
レインが目を細めて、インクのラベルを見る。
手に持っているのは赤いインクだった。
「おっ、珍しい。今日は連れがいるなんてな。ようやく嫁でも貰ったか?」
聞き捨てならないことを言ったのは、丸眼鏡をかけたぼさぼさ頭のおじさんだった。多分、お店の主人だろう。
「ち……」
「んなわけねえだろ。助手を雇っただけだ」
水葉が言う前に、否定するレイン。不思議なもので、ここまではっきり言われると逆に腹が立つものだ。
「ふーん、お顔を拝見したいところだけど、失礼かな」
「それより、仕事しろ。いつもの赤はないのか?」
レインはけっこう失礼なおじさんに言った。
「マルーンか、悪いな、切らしてる」
おじさんはすまなそうに言った。マルーンというのは色の名前だろう。
「じゃあ、ワインレッドは?」
「ない」
「カーマインは?」
「ない」
レインの顔があからさまに歪む。
おじさんもおじさんだ。在庫も見ないでないとしか言わない。
「ジーモのとこか」
「……断言はできねえがな」
おじさんは、レインが言った色が売れた後に仕入れをしようとしたらしい。そしたら、その色はしばらく売れないと言われたそうだ。
「赤系はこっちでは需要がねえから。中継ぎでおさえられたら、手に入れるのが難しいんだよ」
「……」
レインのこめかみがぴくぴくと動いている。
「今ある赤は全部持って行くか?」
「頼む」
「あいよ」
おじさんはインクを一つ一つ籠にのせると、カウンターに持って行き、丁寧に紙で包んでいく。
「……ねえ。普通の赤じゃだめなの?」
「できないことはない。ただ、情報が異なる分、精度が落ちる。単純なものならいいが、複雑なもんだと誤作動を起こす」
まるで、精密機械の回路みたいだと水葉は思った。インクはそこに使われる半導体のようなものなのだろうか。
レインはお金を払うと、店を出る。おじさんがすまなそうに、頭を軽く下げて見送ってくれた。
それから、数軒、文具屋にはしごをかけた。
結果、似たようなものだった。
ひどいところでは、「ここは、まともな陣描士しか入れません」と門前払いをかけてくれた店もあった。
疲れた二人は公園の噴水の前で、一休みしていた。
「なんなの! あの店」
水葉は苛々して石畳を蹴ったが、うん、意味はなかった。ただ、自分の足が痛かっただけだった。
レインは買ったインクが入った紙袋をベンチに置いて座って、クレープを食べている。いつのまにか屋台で買ったのだろう。
「気にすんな。大店には逆らわねえ、それが商売人ってもんだ」
レインは怒っていたように見えたが、今は冷めた口調でもぐもぐ口を動かしている。タルタルソース入りのサラダが入っているので、それで機嫌を少しなおしたのだろうか。
「私も食べたいけど」
「その格好をしているうちはだめだ」
水葉はむくれる。
水葉のような服装の女性は、文化的に外で食べることを下品としているらしい。今の格好でやると、それはもう、非難めいた目で見られるそうだ。
「ちょっとだけ。ヴェールの中でわかんないようにさ」
「やめとけ、やめとけ。品がない」
この男、ずぼらそうに見えて意外に細かい。
「品がないって。そんなに言うなら、紳士っぽく振舞ったらどう?」
「なんだよ、紳士って」
ぷっ、と噴出された。
いやはや、大変むかつく。
こいつ、顔だけだ。顔だけで、もてない。絶対、もてないと断言する。
「具体的になにすんだよ、その紳士って奴は」
「具体的にと言われると……」
シルクハットをかぶって杖を持っているのは、なんか違う。
そうだ、あれだ。レディファーストとかだ。それを言うと。
「なんか、それ言い訳にして盾にしてるんじゃね?」
「……」
なんでこう穿った見方をするのだろう。
もっとこう、フェミニスト的なものは……。
あっ、あれだ。
「ええっと、こけそうになった女の子を支えて、その脱げた靴をちゃんと履かせてくれるような……」
その点については、レインの顔がものすごく歪んでいた。
なるほど、寒イボがたつほど、嫌なことがわかった。この話題は変えようと、水葉は思う。
「っで、どうするの?」
インクがなければ、ちゃんとした魔法陣が描けない。
「今度は遠出する。悪いが、また出かけるからついて来い」
「留守番は?」
「ジーモが来て上手く追い返せるならいいぞ」
確かに、そうだけど。
そんな妨害をするような男がいるのに、店を留守にしていていいのかなって思う。
それを口にすると……。
「そこのところは、大丈夫だ」
レインはその黒い瞳の奥に炎を灯していた。