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5、水葉と魔法陣


「おじょうちゃーん、いつもの十枚頂戴」


 店先に常連のおじさんがいる。


「はーい、すぐ用意します」


 水葉はくぐもった声で返事をする。頭からスカーフをかぶり、口元を隠している。中東の女性みたいな姿だが、この街ではそんなに珍しくない。白い壁と海からの照り返しで日差しが強い。肌を焼かないために、こんな格好をしている。


 手袋をつけて棚から『いつもの』を探す。文字は読めないけど、さすがに何度も教えられたら、水葉だってわかる。十枚ずつファイルに入ったものを取り出すと、中を簡単に確認してカウンターへと向かう。


「はい、いつもの」

「うーん、そうそうこれこれ」


 半分頭がはげかけたおじさんは、右手に手袋をしてファイルの中身を確認して頷く。二日に一度やってくるこの人は、水葉のことをしっかり覚えてくれている。


 レインの家に住みついて、十日がたった。レインは店番を水葉に任せるかわり、二階で作業に没頭している。


 インスピレーション沸きまくっている。


 十日前、彼が水葉を試したことで、彼の中のなにかがはじけたらしい。


 というわけで、十日前にさかのぼる。






「証拠を見せてくれないか?」


 その言葉とともに差し出された複雑な魔法陣。それを持ってレインは家の外に出た。二階建ての家の隣には、ガレージのような建物があって、レインはその中に入れという。

 言われるがまま中に入ると、そこには大きなテーブルが一つと小さな棚だけが置いてあった。レインは棚からランプを取り出すと、火をつけてテーブルの上に置く。


「どう見せればいいんですか?」


 質問に、レインは持ってきた紙をテーブルの上に置く。


「これを発動させてみればいい。なに、普通の魔法陣と同じようにやればいいだけだ」


 意地悪げに顔を歪めながらレインが言う。顔がきれいなぶん、どこか悪役っぽい。なんだろう、この人、顔が良い割にぜったいもてないタイプだと、水葉は思う。


 挑発するような物言いに、水葉は正直むっとした。


 これを発動させればいいわけね。


 手を伸ばしかけ、一瞬ためらった。

 また、あの緑の聖女がやってくるんじゃないかと思った。


「できねえのか?」

「二つ質問していいですか?」

「どーぞ」


 水葉はじっと魔法陣を見る。


「貴族たちも私を探しているかもしれないです。変に魔法を使ったら、ばれてしまうかもしれません」


 レインは首を傾げる。


「よほど田舎者なんだな。魔法陣の術者は、陣を描いた人間だって中等教育で習ってないのか? まさか、まだ初等学生?」

「んなわけないでしょ!」


 思わず地がでてしまった。


「はいはい」


 冗談めいてレインが言うので、さらに腹が立つ。初等学生と聞こえるからには、小学生くらいだと認識して間違いないだろう。


 ちょっといらいらしながらもう一つ、質問する。


「今日って何日?」

「水の月、三日目だ」

「三日……」


 テオドラはあと数日で緑の月が終わるって言っていた。それを信じると、少なくとも五日は経ったことになる。


「あんたを見つけたのは四日前だ。それより、早くしてくれないか?」


 レインの主張に、水葉は恐る恐る手を伸ばす。もう水の月だし、この男のいうことを信じれば、水葉が魔法を発動したとわからない。


 ゆっくり手を魔法陣に置く。青い光が魔法陣の紋様にのぼり、そしてなにかが浮かんでくる。


 女性と男性の影だった。

 青く立ち上る光が立体映像のようにその姿を映し出す。顔は見えない、でもシルエットでそれがわかる。


 何かを話しているように見えた。


 誰かになにかを伝えるように思えたが、それがなんと言っているのかわからない。


 ただ、水葉はそれがすごく懐かしいように見えた。


 何を言っているの?


 口は動くがそれを読み取るほど鮮明ではなく、音はノイズが入りかき消されている。そして、魔法陣を見ると、青い光に燃やされるようにぱらぱらと紋様が消えていった。


 魔法陣が完全に消えるとともに、その映像も消えてしまった。


 隣にはぽかんとしたレインがいる。

 

「……だめですか?」


 恐る恐る水葉がきいた。画像も音声も悪かった、モノクロの無声映画だってずっといい映像だと思う。


 さて、どうしようかと考えていると、がつっと肩を掴まれてびっくりした。


「採用!」


 目をきらきらさせてレインが言った。


 その顔にはとても『いい』笑顔が張り付いていた。






 というわけで今に至る。


 あれからレインは憑りつかれたように作業部屋に籠もっている。


 水葉に最低限の生活ルールと住むための交換条件を口にしただけで、ほとんど会話はない。店番をやること、あと魔法陣の実験にすることだけだ。ただ、水葉のことを最低限気にしているようで、顔にスカーフを巻きつけるように言ったのも彼だし、食事も用意してくれる。洗濯については石鹸を渡された。風呂場で勝手に洗えということらしい。


「それにしても、あの偏屈なのに嫁さんがくるとはねえ」

「おじさん、それ違うっていってるじゃないですか」


 水葉はもう何回もやっているやりとりをしながら、常連客に手を振った。おじさんから受け取ったお金は、お札が十枚。基本、魔法陣一枚につき、お札一枚というのが基本のようだ。ただ、単純な紋様ならもう少し安いし、少しでも複雑になると急激に跳ね上がる。


 正直、テオドラが教えてくれた一般常識はあんまり役に立たないようだ。そう思っていると、あの小鳥が来て面目ないと頭を羽でおさえながら下げる。


「……ねえ、もしかしてテオドラ?」


 たまにそう思えてくる。いつまでも小鳥と呼んでいるのもなんなので、名前をつけなくてはと思っていたが、いっそ『テオドラ』と名付けてしまおうか。いや、さすがにテオドラに失礼だろうと思って、『テオ』と呼ぶことにした。


 彼女のことを思い出すとまた落ち込みそうになるが、その度にテオが頭をつついて元気をだせと言ってくれるようなので、少し気分が晴れる。


 しかし、これからどうしようか。


 緑の聖女に見つかったということは、捜索の手はどこまで回っているのか、このままここにいてばれないのか不安になるが仕方ない。だからといって焦っては元も子もないので、水葉はしばらくここで大人しくすることにした。


 どうしたら、元の世界に戻れるか、それはまだ検討もつかない。


 ただ、この男に拾われたのは幸運だったかもしれないと水葉は思った。






 食事は一日三回、レインが作ってくれる。

 

 男の一人暮らしだし、大した料理はないと思っていたけどそうでもなかった。そういえば最初に食べたコンソメスープもこの男が作ったんたんだよな、と思い返す。


 今日はテーブルにパンとマリネとローストビーフがあった。


 家からは一歩もでてないが、数日に一度、小さな子どもが食料品を届けてくれる。可愛らしい男の子だなと思ったけど、「よくあんなのの嫁になる気になったな」と言われて、憎らしさが勝ってしまった。

 殴らなかっただけ水葉は優しい。


 ぼさぼさの髪に無精ひげを生やしつつ、キッチンに立つレイン。キッチンの流し台には、お風呂みたいに魔法陣はない。だからか、外で水を汲んできて調理している。


 不便だなと思うが、紙で描かれた魔法陣がお札一枚換算だと考えると、そうたくさん魔法陣は使えないのかもしれない。生意気な小僧が持ってきた食料の代金を考えると、お札一枚で一万円分くらいの価値はあると水葉は思っている。


 料理は好きみたいで、片付けもしっかりしている。それはいいと思うが、ひとつだけ水葉は彼に言うべきことがあった。


「すみません」


 ローストビーフをさしたフォークを置いて、水葉はレインを見た。


 そして、どうしても言わなければならないことを告げた。


「いつ、お風呂に入ってるんですか?」


 と。


 水葉は気になっていた。正直、最初の数日は気のせいだと思っていた。でも、二階のシャワールームは、水葉以外の誰かが使った形跡はなかった。


 店番と実験の手伝いだけで、怪しげな小娘を匿ってくれているのは感謝している。しかし、それとこれとは別のことだ。


「全然、シャワー使ってませんよね? ねえ!」

「……ええっと、確かにそうだが、だからなんだって言うんだ?」

「汚くないですか?」

 

 それが気になって気になって仕方ない。

 正直、そのぼさぼさの頭と無精ひげも気に食わない。よくお洒落のつもりで髭を伸ばす奴いるけど最悪だ。同級生で伸ばしている奴が話しかけてきたとき、昼飯のご飯が髭にくっついていた、思わず顔をしかめて「顔を洗ってこい」とにらんだくらいだ。


 正直、家事はあまり好きじゃないけど、掃除だけはしっかりしているつもりだ。


 服も十日前から変わってない。洗濯用の石鹸はくれたのに、向こうは全く洗濯してないとはどういうことだ。


「その服も着替えてください!」

「おい、ちょっと待て」


 レインが近寄ってくる水葉を制止する。気になって気になって仕方ない。ああ、そういえば家に洗濯してないものが置いてある。帰ったらさっさと洗濯して、アイロンをかけたい。制服も一応洗ったけどクリーニングに出したい。


 ベッドも急いで出ていったから片付けてないし、何日も部屋を放置していたら埃がたまっているだろう。


 なにより家族が心配してるかなと、今更思い出した。家族仲は悪くないのに、今まで忘れていたのが不思議だと思った瞬間だった。


 あれ?


 水葉はレインにじりじり近寄るのを止めた。

 

 水葉は一人暮らしをしている、でも天涯孤独じゃなくて家族はちゃんと別の街にいる。

 でも……。


 なんでだ、顔が思い出せない。


 両親がいて、兄弟がいるのも覚えている。けど、顔にかすみがかかって思い出せない。


 まるで、こちらの世界にやってくる際にその記憶を置いていったような感覚だった。


「おいどうした? 顔が真っ青だぞ」


 急に大人しくなった水葉にレインが首を傾げる。


「えっ、いや、なんでもない、それより服!」


 水葉は不安を無理やりかき消すように手を伸ばした。しかし、レインもそんな手に捕まるほど鈍くなく、ひょいと避ける。

 水葉は手を伸ばしたまま避けられて、そのまま棚に突っ込みそうになった。なんとかバランスを保とうとして棚の引き出しに手をかける。しかし、そのまま引き出しはずるずると飛び出て来た。


「お、おい」


 レインが手を伸ばしたがもう遅い。


 商品を入れた引き出しが落ちる。世界がゆっくりとスローに見えた。ファイルに入った魔法陣が散らばり、顔の上に引き出しが落ちてくる。


 そのときだった。


 ガンッ! と、とても痛そうな音が響いた。いや、実際痛かっただろう。水葉の代わりに後頭部に引き出しを受けた人物は震えていた。受けた部分を触るもの痛いのか、頭の上で手のひらがとまっており、全身を震わせていた。レインの頭から血が伝っている。


「あっ」

 

 大丈夫かと安否を聞こうとしたが、それより治療のほうが先だ。たしか、と水葉は散らばった魔法陣を見る。

 常連のおじさんの『いつもの』をとると、指先でつまんでレインの頭の上にのせる。


「すみません。治療用の魔法陣です」

 

 ちゃんと傷口に触れてないと発動しても効果はない。頭のどこかわからないので、レインに任せるように置いたのだが。


 レインは魔法陣に触れようとしない。


「商品の代金ははらいますから。治療してください!」


 水葉はしゃがみこんでレインに言った。レインは苦痛で顔をしかめながらも、水葉の視線を避ける。どこか気まずそうな顔をしている。


「もう少し、下に置いてくれ。……それから、……お前が発動してくれないか?」


 躊躇いがちにレインが言った。


 水葉は言われた通り魔法陣をずらすと、痛くないように優しく触れた。白い光が魔法陣から浮かび上がって、首筋に流れていた血が逆流して元に戻る。


 魔法陣が完全に消えたところでレインが「ふうっ」と息を吐きながら顔を上げた。その眼つきは剣呑で、いかに水葉が悪いかを表していた。


「ご、ごめんなさい」


 謝ったところで、痛みをなかったことにはできない。申し訳なさでいっぱいだ。


「いい、頭つっこんだのはこっちだから」

「……」


 そういえば、あのままだと水葉の顔面に当たっていた。軌道上にレインの頭が入ってなければ、水葉は鼻血まみれになっていただろう。


 謝罪ではなく、お礼を言うべきだったと今頃気づいたが、それを言わせてくれる暇をレインは与えてくれなかった。


「おまえ、なんでシャワー使わないか俺に言ったよな」

「う、うん」


 レインは床に落ちた魔法陣を拾う。そして、それをぺたりと指先で触れた。しかし、水葉が触れたときのように、魔法陣は光らず、紋様も消える様子はない。


「……失敗作ですか?」

「んなもん売ったりしねえよ」


 レインは自虐めいた笑いを浮かべていた。


「服は同じもの何枚も持ってるからかえてるぞ。失礼なこと抜かすな。洗濯屋に預けて洗ってるし、お前のも頼もうかと思ったけど、ほら、なんか嫌そうだったろう、だからやめた」


 そういえば、と水葉は思い出す。


「あと風呂は、いつも外の水汲んできてそれで洗ってる。それともなんだ? 裸で目の前うろついてもらいたかったのか?」

「んなわけない!」


 からかう口調に水葉は顔を真っ赤にして反論した。

 

 かなりぶっきらぼうに扱われていたと思っていたが、レインは水葉に対して気を使っていたのだと今更気がついた。

 二階の寝室は水葉が使っている。シャワーもだ。

 

 作業部屋は散らかっていたけど、寝る前には綺麗に片付いている。男性の一人暮らし特有の匂いもなかった。服を着替えていない容疑をかけたのは本当に申し訳なかった。


「普通、あんな魔法陣くまれた風呂場はないぞ。普通は公共用のものくらいしかない高級品なんだ」

「そ、そうなんだ」


 てっきり水葉は水道の蛇口みたいにどこにでもあるものかと思っていた。そういえば、ここのキッチンにはなかった。


「んでもって俺には宝の持ち腐れなんだ」


 レインはぺたりと魔法陣にもう一度触ってみせる。


「使おうにも使えない。魔力なしの無色だからな」


 そう言って、落ちた魔法陣を拾い始めた。



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