4、水葉と青年
額がひんやりして気持ちいい。
身体がだるく、疲れている。でも、そろそろ起きなきゃと水葉は思った。目覚ましの音がうるさい。
「学校遅れちゃう」
寝ぼけながら枕もとを手さぐりする。そこに無機質な丸いものはなく、かわりに温かくて、ふわふわしたものだった。
あれ?
水葉はゆっくり目を開けて、そのふわふわしたものを見る。黄色い、くちばしがついた、小鳥だった。
小鳥は「チチチッ」と鳴きながら、つぶらな瞳で水葉を見る。「離してくれない?」といわんばかりに、つんつんと水葉の指をついばんだ。
「あっ、ごめん」
目覚ましじゃなかったと、枕元に置き直して二度寝しようとして、「はて?」となる。
だるい身体をなんとか起こして小鳥を見る。カナリアのように見えるそれは、羽ばたいて水葉の肩にのる。
そして、ざんばらの髪を引っ張り、水葉の視線を移動させる。
「……ここ、どこだよ」
少なくとも、自分の部屋じゃない。木でできた十畳くらいの部屋に、実用的な本棚が並んでいる。ログハウスの男の隠れ家的雰囲気だ。
水葉はその部屋のベッドの上にいた。ベッドも無駄がないデザインで、広く長く作られていた。
上掛けをめくって立ち上がると、ぺらりと頭から紙切れが落ちた。水葉はそれを拾う。
これって……。
曼荼羅にも似た模様のそれは、うっすら青く光っていたが、その輝きは消えていく。それとともに、紋様の色が薄まった。
魔法陣というものだとちょっと前に習った。魔法を使う上で一番初歩的な発動方式だ。
それがさっきまで光っていたということは、魔法としてなにか発動していたということか。
それに、身体がなんだかぱさぱさしている気がした。足元に白い粉が落ちてくる。何だろうと見てみると、塩のようだ。
「なんで塩? それよりここは?」
ひとりごちていると、頭が急に重くなった。ここがどこかはともかく、なぜ水葉が神殿の外にいるのか、その理由を思い出した。
消えていく青の巫女の姿を思い出す。五百年以上も聖女を待ち続けていたテオドラ。食事を用意して、魔法やこの世界の常識を教えてくれた彼女が消えたことは信じたくない、でも、真実だった。
ずきんと胸が痛む。ぎゅっと拳を胸の前にあて、俯く水葉。彼女がなぜ、五百年も生きていたのか知らない。この世界の人間の寿命はそれほど水葉の常識と変わらないか、それより短いくらいだと教えてくれた。彼女が巫女だから特別なのか、それとも魔法か何かで彼女という存在を永らえたものなのか知らない。
一人でずっとあの神殿の中にテオドラはいたのだ。いつ来るかわからない聖女を待ち続けて。
こんなのが来てごめん。
それなのに、彼女は水葉を逃がすために懸命になって、そして消えた。
居心地の悪さに居たたまれなくなる水葉の頭に小鳥がちょんちょん髪を引っ張ってくる。
水葉は手を伸ばし、小鳥を手の甲にのせる。
黄色い羽をした、青い目をしたカナリアみたいな小鳥だった。色彩がテオドラに似ている。
「テオドラ……」
落ち込んでいても、お腹はすくから困る。
ふと、パンの匂いが漂ってきて、ぎゅるっとお腹が鳴った。
トントン、とドアを叩く音がする。
「……はい」
誰だろうと思いつつ、水葉は返事した。
かちゃりと音がしたと思うと、中に男性が入ってきた。黒髪の青年だった。まだ、二十歳くらいだろうか、水葉よりいくつか上という感じがする。顔立ちは整っているけど、その表情はどこかひねてて、従兄弟のお兄ちゃんを思い出した。
「目が覚めたか?」
ぶっきらぼうに言い放ち、「んっ!」とお盆を差し出された。その上には、温かそうなパンとコンソメスープがあった。
食欲に勝てなかった。盆を受け取り水葉はパンを頬張った。むしゃむしゃ食べて喉に詰まって、スープを飲んだ。スープは薄味で、身体にしみわたる味だった。そのまますべて飲み干した。
ふーと息を吐いて顔をあげると、怪訝な顔をした青年と目があう。
「……あ」
まずお礼をと「ありがとう」と言おうとして、水葉は止まる。水葉の会話は他人と少し違う。テレパスみたいな感じで自動翻訳されている、青年の口の動きと聞こえてくる声はずれている。
「ありがとうございます」
俯いて口の動きが見えないようにする。
「んっ」
青年はまたぶっきらぼうな返事をすると、空の盆を手に取った。なんだか態度が粗雑すぎる。
「荷はベッドの後ろにある。感謝するなら、飼い主想いのペットに感謝しろよ」
ペットと言われて、「はて?」と思っていたら、小鳥が「私を忘れないで」と言わんばかりに、髪を引っ張った。
「……」
そういえばこのカナリアみたいなの、何なのだろう?
「どこの誰だかわかんねえけど、そこでもうちょっと寝てな。俺はまだ仕事があるし、勝手に出ていかれて、野垂れ死んだらたまんねえし」
「……」
いかにもめんどくさいと言わんばかりに青年は出ていこうとした。だが、なにか思い出したのか立ち止まり振り返った。
「そこ、後ろの扉にシャワー室つながってるから。タオルは勝手に使えばいい」
バタンと扉が閉まる。
水葉は呆気にとられて、言われた通りベッドの後ろを見た。固く結ばれた荷物の紐はそのままだ、特殊な結び目をしているので一度解いたらすぐわかる。中には、水葉の鞄と制服、それからテオドラが用意してくれた衣服やお金が入っている。お金は金貨が何十枚と入っていて、それがずっしり重い。
盗もうとすれば盗み出せたのに。
態度が悪いと思った自分を反省した。水葉は少なくともあの青年に助けられたようで、寝床と食事を提供されている。荷物も無事だし悪い人間じゃなさそうだ。
身体が塩まみれなのは、彼なりの配慮だろう。もし、気を使って服を着替えさせられてしまったら、恥ずかしさで憤死する。ベッドの上でごろごろして、死にたくなる。
青年の配慮に感謝しつつ、水葉は窓の外を見た。
白い壁が視線の下にあり、水平線が見える。地中海沿岸の街並に似ている。でも、もっと近いものを水葉は知っている。
建物の雰囲気はさすがに違うけど、ここから見える海や街の配置は、水葉のアパートから見える光景にそっくりだった。潮風の匂い、空と海の配分に既視感がある。
そして、海の向こうにはなにか大きなものが浮かんで見えた。
また呆然としていると、小鳥がまた水葉の髪を引っ張った。早くお風呂に入ろうと、くちばしをシャワー室のほうに向ける。
その仕草になんだか水葉はくすっと笑ってしまった。
「ねえ、あんたってさ、鳥なのに世話焼きだよね」
この小鳥も、テオドラが準備してくれたものなのかな、と思い袋の中から衣服を取り出した。袋は防水になっているのか、塩水は入っていない。
ただただ、テオドラに感謝する。
「お風呂入ろうか」
「チチッ」と小鳥が返事した。
水葉は、また軽く笑うとシャワー室に入った。
身体がさっぱりすると、どんどん頭がさえてきた。
これから何をするのか、それを考えなくてはいけない。頼りになるテオドラはいない。どうすればいいのかわからないけど、今、自分が持っているカードでやらなくてはいけない。
いい意味で誤算なのは、この家はテオドラに聞いていた下界に比べてかなり進歩していることだった。シャワー室には、壁に魔法陣が組み込まれてあった。蛇口をひねるかわりに、手をのせたら水が出てきた。「もっと温かいの」と思ったら、水はぬるくなった。
ほんのりと魔法陣が光っている。手で触れて魔力が流れることによって、発動する。
一瞬、手が光ったとき、水葉は暴発しないか不安になったが、それは杞憂だった。魔法陣は手間がかかるが、その発動は一番安定しているらしい。そのためか、普通に使いやすかった。
シャワーを浴びて頭を拭く。ドライヤーみたいなものはないかなと思ったけど、さすがになかった。
助けてくれた青年は悪い人ではなさそうだ。頼るべき相手がいない今、どうにかして水葉はやっていかないといけない。
水葉は服を着替えてそっと部屋の扉を開ける。口元まで布が伸びたデザインの服で、少し俯けば口の動きはわからないだろう。
扉の向こうから漂ってきたのは、インクの匂いだった。
床に紙が散らばり、無数の魔法陣が描いてある。さっきの青年は、タオルを頭に巻いて羽ペンを走らせていた。
なんだか集中していて、話しかけづらい。つい、そのままじっと見てしまう。さらさらと描いては、一枚、また一枚、床に落ちていく。
さすがに集中力が切れたのか、椅子の背もたれに寄りかかり天井を見ている。そして、ようやく青年は水葉の存在に気が付いた。
「濡れたタオルはそこの籠にでも入れといてくれ」
青年はちらりと視線をくれただけで、また魔法陣を描いている。
水葉はついそれをじっと見る。手を伸ばそうとしたときだった。
「触んな!」
青年が目を細めて水葉を見る。
「間違って発動したら困るだろうが」
「ご、ごめんなさい」
水葉は手をひっこめると、そのまま部屋の壁にもたれかかった。青年は一瞬怪訝な顔をしていたが、何も言わず作業を続けた。
小鳥は、床におりるとくちばしでばらばらの紙をまとめている。片付けているようだ。小鳥は、散らばった紙をひとまとめにし終えると、「すごいでしょ」と胸を張っている。やっぱり、この小鳥はテオドラが残した使い魔かなと水葉は思う。
青年の作業が終わるのは、それから十枚ほど紙切れが舞ったあとだった。最後に描いた魔法陣を「こんなものか」とファイルのようなものに挟み、厳重に紐を巻き付けた。それを机の引き出しにいれるとようやく水葉と向かい合う。
そして、散らかった紙をせっせと片付ける小鳥を見て首をかしげている。
「それなりに聞きたいことあるけど、とりあえず場所うつそうか」
「はい」
水葉はうつむきながら青年についていった。
階段を降りたところに居間とキッチンが見えた。寝室の家具と同じく、飾り気がないテーブルと椅子が一脚、それにソファが一つある。ソファには毛布が掛けられていて、クッションが凹んだまま置いてあった。
「一応、自己紹介しておくか。俺は、レイン。ここで陣描士をしている」
自動翻訳って便利だなって思う。頭の中に漢字のイメージが涌いてきて、それがどういう意味かなんとなくわかる。
魔法陣は描くのは面倒だけど、一度描いてしまったら何度か使えるという特色があるらしい。
「っで、あんたはなんで森に倒れていたんだ? この鳥がいなかったら、誰にも見つからず死んじまってたかもしれないぜ?」
レインの言葉に、水葉はどう答えようか考えをめぐらせる。違和感がない台詞をどうひねりだそうかとゆっくり口を開く。
「多分、転送に失敗したんだと思います」
「転送事故か?」
これは半分本当で半分嘘だ。
でも全部、嘘じゃないぶん水葉も落ち着いて言葉を選べる。
「けっこう古い転送装置だったもので、なにかしらアクシデントがあって、うまく発動しなかったんだと思います。田舎でしたから」
「なるほどねえ。魔物の影響かもしれないな」
魔物っているのか、と水葉は他人事のように思いながら言った。テオドラはそんな説明を一切しなかった。なんでだろうと思いながら、話を続ける。
「それで、水の神殿へと巡礼に行く途中だったんです」
これは、あらかじめテオドラに言われていたことだった。青と水は相性がいい。頼るなら青の国よりも、水の国のほうが、都合がいいと言っていた。
「水の国か……」
レインは半信半疑なようだ。水葉は汗をだらだらかく。信じてくれ。信じてくれよ、とレインをちらっと見る。
「ここがどこかわかってるか?」
「見当もつきません」
レインは壁にある本棚から一冊本を引き抜く。それをテーブルの上にのせて水葉に見せた。そこには、テオドラに見せてもらったよりもっと正確な地図が描かれてある。記憶が確かなら、それは青の国を示していた。転送してもらった距離はそれほど遠くないらしい。
「ここはスペクトラムの端だよ。窓の外を見ればわかる。青の神殿がある」
「ええ、見えました」
スペクトラム、つまり青の国だ。
あの海の上に浮かんだものは、青の神殿だったようだ。
「水の神殿があるワトーは隣国だが、山脈が間を挟んでいる。つっきっていこうものなら、翼竜の餌になる」
「……」
「ここから最短で行こうと思ったら、ガーデングラスを抜けて山脈を迂回するしかない。最近は聖女とやらの干渉がひどくて、半分鎖国状態だ」
ガーデングラス、緑の国がそんな名前だった気がする。
それは困る。
緑の聖女、あいつのせいでテオドラは消えて、水葉はわけがわからないまま飛ばされた。
元の世界に戻りたい、でも、その前にあの緑の聖女、シスコという奴に一泡吹かせてやりたい。そんな力は今、水葉にはなにもないので、ただ悔しく唇を噛むことしかできない。
「おい、顔色がわりーぞ」
レインの言葉に水葉は顔をあげる。
「あっ」
口を開こうとして、うつむいた。
この男もまだ信用してはいけない。そんな中で一つの策が思い浮かぶ。
「す、すみません、では、転送装置は使えないんですか?」
その言葉に、レインは「これだから素人は」という呆れた顔をした。
「この国から水の国に渡れる距離のものはいまだ開発されてねえ、魔法は万能じゃないからな」
それだけの距離を渡せる魔力がまずない、そして、より遠い場所に転送先を指定する魔法陣はいまだ難しいものらしい。
「出力が不安定だと、ちょっとしたことで転送事故が起こる。あんたがいい例だろう」
「……」
そう言われると黙るしかない。
「あんた、水の神殿に行くのか」
そして、レインは追い打ちをかけるようにいう。
「悪いが、ここは男の一人暮らしの家だ。あんまり若い女が長居をすると変な噂がたっちまう。特に、神殿に向かおうなんて相手ならな」
それがどういう意味がわからないほど水葉も子どもじゃない。
だけど、一方で水葉は都合がいいと思った。
水葉は二階へと駆け上がる。
「お、おい!」
レインの声を無視し、寝室から荷物が入った袋を持ってきた。
そして、金袋を掴むと、その中の何枚かを落としてから取り出した。
テーブルの上にきらびやかな金貨が転がる。
「私をここに置いてください!」
テーブルの上に額をこすりつけていった。恥も外聞も関係ない、今はひたすら頼み込むしかない。
袋の中にあるさっきまで来ていた服を取り出す。塩にまみれたそれは、古めかしいデザインに見える。テオドラ以外、シスコとレインの服しか見たことがないけど、それでも一般的なデザインには見えなかった。
「私は水の巫女として、神殿に行く途中でした。名前はミズハといいます」
そんな冒頭から始まり、嘘八百のお涙ちょうだい物語を口にする。実名を口にしたのは、テオドラの他に誰も知らないから問題ないと思ったからだ。
貧しい家の生まれだった少女は、その魔力の高さを見いだされ、貴族に高い金で買われる。今もっている金貨は、親が自分を売った金の一部で最後に身支度を整えなさいと言われ持たされたものだ。
変わった衣装を着ていたのも、巫女としての装束であり、古い転送装置を使ったのも自分の魔力を過信して貴族が使わせたのだと言った。魔力は高くても、貧しい辺境の地出身のため、魔法に関しての教育はほとんど受けていないと伝える。
「正直、私はこの状況に感謝してるの」
巫女候補として集められたといっても、巫女になれるわけではない。水の聖女は現在おらず、聖女不在のまま巫女を新しく入れることもできない。
このままだと、神殿の傍にある修道院にいれられて一生を過ごす羽目になる。
水葉は、泣いた。泣きまくった。それは泣き真似に違いなかったが、実に迫真の演技だったろう。そのうち、泣き癖がついてしゃっくりが止まらず、苦しむくらい泣いた。
鼻水が付きそうなくらいすがりつくと、レインは半分引きながら水葉の身体をはなした。
「わあーった、わかったから」
レインは秀麗な顔を歪めながら金貨をつまむ。顔は整っているけど、どこか三枚目っぽい雰囲気がこの男の特徴だろう。
「アンティークな金貨は、神殿関係者がよく使うもんだって聞く。これも、いつの時代かってデザインだな」
レインはドレスをつまんだ。一瞬、眉を歪めた気がしたが、なにかおかしかったろうか。
「この金貨なら、見せるところに見せたら一枚で半年は食える代物だ。それをこんなにくれるっていうのかい?」
「……ええ」
相手も乗り気なのだろうか、水葉はすこし胸をなでおろす。
しかし。
「でも、これを換金したら、まず俺が怪しまれてしまうだろ?」
顔をあげると、レインが性格の悪そうな笑みを浮かべていた。
「それに」
レインが本棚からファイルを持ってくる。その中に挟まれた一枚の紙を取り出した。
「あんた、ほんとに巫女なのか?」
そういって紙をぴらぴらと見せる。そこには複雑な紋様で描かれた魔法陣があった。
「証拠を見せてくれないか?」
水葉はごくんと唾液を呑みこむと、レインを見るのだった。