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1、水葉と青の街

 そこは極彩色の世界だった。

 

 とても派手だけど、綺麗で目が痛くならない優しい色の世界。


 そしてとても残酷な光景が広がっていた。


 女性は笑っていた。赤い唇を歪ませて、青い爪を青年の頬に突き立てていた。


 青年は泣いていた。ただ、泣いてその青い爪が頬をえぐるのを受け止めていた。


 女性の背には、大きな槍が刺さっていた。氷の槍、硝子の彫刻のような美しい槍で背中から貫かれていた。


 たゆたう虹色の水の中、二人だけの世界を作っていた。


 なぜ、そうなったのかわからない、でもこの女性が死に、この青年が慟哭するのだけはわかった。


 まるで、物語の結末をすでに見たように、なぜか知っていた。






 どすんと衝撃を受ける。伸ばした手は目覚ましを掴んでいて、水葉ミズハの身体は床にうつ伏せになっていた。


 痛い。

 

 なんだろう、このデジャブ。

 お約束みたいな目覚め方に意識はまだはっきりしない。

 

 空いた左手で鼻を擦りながら、目覚まし時計を見る。七時十五分、あと十分は眠れるかなとベッドに戻ろうとして、思い直す。


 寝ている暇はない、と飛び起きてクローゼットを開ける。困った、服がない。穿きなれたジーンズは全部洗濯してるし、スカートに合う上着はアイロンがかかっておらずくしゃくしゃだ。


 どうしようと一瞬悩み、仕方ないと着なれたシャツとプリーツスカートに手をかける。学校でもないのに、制服を着ようなんて物好きかもしれないけど、背に腹は代えられぬ。今、クローゼットでまともなセット品になっているのは、中学時代のジャージしかないのが悲しい。


 鞄だけは通学用じゃなくて、普段使いのもの。財布と携帯電話だけ詰め込んで、部屋を出る。


 二〇二号室をあとにして階段を駆け下りると、空に飛行物体が並んでいるのが見えた。五連になった航空機が見えた。


 はじまってる!


 いや、まだ練習しているだけだ。ええっと、たしか日程では九時から本番のはず。


 たしか昨日の予行練習の時間と一緒にはずだから。


 ああ、でももういい場所はないだろうな。

 いっそ徹夜で場所取りすればよかったと思いつつ、それで迷惑かけるわけにもというジレンマの中、水葉は目覚まし五段階セットを選んだ。


 結局、起きたのは目覚ましの最期のスムース、最終防波堤だった。


 アパートを出て見えるのは、青い海と空だった。


 潮風が髪を撫でる。櫛も入れてなかったな、と今更気付いて鞄の中のシュシュで軽く束ねる。


 海岸線に沿ってできたこの街は坂と階段が多い。景観としては、地中海沿岸の港町に少し雰囲気が似ている。そこが観光名所として売りになっているけど、住んでいる側としては迷惑なことだ。


 高低差数十メートルならまだしも、それが三桁に入るとさすがにつらい。

 

 つらいけど水葉は好きで選んで、そんな高所にあるアパートに住んでいる。家賃が安いのもあるが、なにより理由は――。


 太陽に海面がきらきらしている。空も快晴で雲一つないなんて出来すぎだろうと思う。


 ここから見える景色はとてもきれいだ。これを毎日見るために、太腿が太くなるのも大目に見て階段や坂を上り下りしている。

 スーパーにつくまで、階段二百段なんて平気、平気と言い聞かせている。


 いつもならここで見るのも悪くないと思う。昨日も、ここで空に走る色とりどりの雲を見ていた。

 でも、途中から無性に近くで見たくなった。


 別に航空機なんか興味ない。

 ただ、空がキャンバスのように描かれているのが好きなだけだったのに。


 なぜかわからずそのまま空を見ながら、坂を駆け下りていた。

 結局、昨日は水葉がたどり着いた時には、終わっていた。空にはカラフルな雲の欠片が霧散していた。


 なんでだろう、あんなに心動かされたのは。


 目覚ましかけてこうして急いで走っているのはそのためだ。

 不思議と、昨日よりその気持ちが強い気がしてならない。


 なんでなのかな、と思っているうちにバスの停留所が見えてきた。


 すみませーん、と手を振りながら全力疾走する。バスに乗り込み、一番近くの席に座る。


 バスの乗客はまばらで、前におばあちゃんが一人と、後ろに男の人がいるだけだ。男の人は眠たそうに外をじっと見ている。スーツを着ているけど、サラリーマンっていう雰囲気じゃない。水葉と同じく航空ショーが目的なのだろうか。


 今日はお休みだし、時間帯もまだ早いからこんなものかな、と思いつつ外を見る。すでに航空機は空に見えず、かわりに人の群れがここからでも確認できた。


 このバスも飛行場直通ならもっと客は多かっただろう。残念ながら素通りして商店街へ行くのだ。

 

 途中、一番近い停留所で降りようとボタンを押そうとしたら、先にチャイムが鳴った。どうしてくれよう、この中腰で手を伸ばした間抜けな格好を。

 水葉はそれなりの恥じらいと、恥をかかせてくれた張本人へのほんの少しの恨みを感じながら椅子に座りなおす。

 

 車内アナウンスが流れ、立ったのは水葉ともう一人、後ろで外を眺めていた青年だった。なんだか恥ずかしかったのでさっさと降りてしまう。


 停留所から目的地まで近い。でも、そこまでの高低差は大きい。


 降りていく階段や坂道を使うと遠回りになるが、この街に暮らして一年以上たつ水葉はショートカットを覚えていた。


 停留所のすぐ裏に入る。


 坂道は綺麗にコンクリートで舗装されている。急こう配なので、だれもここを駆け下りようとしないが、ここを突っ切ればかなり短縮になる。

 いつものように水葉は降りていく。


 しかし、誤算は生じるものだ。


 普段なら景気よく降りていけるはずだった。

 だが、今日の足元はこげ茶のローファーだ。そうだ、制服に合わせるとなると靴は自然とそうなる。ジーンズにスニーカーじゃない。


「うわあああああ!!!」


 ローファーが下りている間にすっぽ抜けた。紺色のソックスが、斜面をずるっと滑って、体勢を持ち直そうと前かがみになったのはいけなかった。重心が前へと移り、勢いづいた足がそのまま直進する。


 まるでコメディアニメの一幕のような光景だろう。


 誰か止めてー。


 このままだと下の道路まで突っ込んでしまう。見通しの良い直進では、スピードを上げた車が通っている。自業自得とはいえ、間抜けすぎる。


 できれば、下の道路に車が通っていないことを祈りながら……。


 あっ、無理だわ。

 

 勢いよくまるでハードル越えでもするようなポーズで、水葉は浮いていた。

 

 短い人生だった。

 走馬灯のように幼い頃のことを思い出……さなかった。


 ぐえっと一瞬、首がしまったかと思うと、今度は腹が押さえつけられた。


 胃液でるわ。


 そういや、朝ご飯食べてないわ、近くにコンビニあったかなとか思っていると、青い空が見えた。


 快晴だ。これだけ澄み切った空を見ていると本当に気持ちいい。そのまま、眠ってしまいたくなる。


 そして、そのまま天国へと行くのだろうと、思っていたら。


「生きてる?」


 耳元で低い声が聞こえた。


「……」


 水葉はそっと視線を空からずらす。そこには若い男の顔があった。目の位置は均等で、鼻すじはすらりとして、ちょっと長い前髪は真っ黒でまっすぐしていた。香水かなにか知らないが、男性特有の少しむっとする匂いは全然しなかった。


 着ている服から、同じバス乗っていた青年だとわかった。


 スーツに葉っぱと埃がついている。その左手は折れた枝を掴み、右手は水葉の背中にまわっていた。


「うわあああ!!」


 思わず立ち上がったところで、そこが道路の真上と気づき慌ててしゃがみ込んだ。

 はあはあ、と息が上がっているところに、後ろから宥めるように撫でられた。


「あっ、すみません」

「うん、それより危ないから、今後、こんなことはやめようか」


 その言葉は優しいけど、オブラートに包まれた粉薬のような感じがした。甘くて苦い、あの苦手な味だ。


「は、はい」

「いつもこんなことしてるの?」

「い、いえ」


 普段はもっとまともな装備でと付け加えない知能は、水葉だってある。


 青年はちょっといぶかしんだ顔をしたけど、立ち上がるとコンクリの勾配を上がっていく。

 そして、何かを拾ってきた。


「はい」

 

 埃まみれの足を掴まれた。そして、丁寧に靴下の汚れを落として、ローファーを履かせてくれた。普通、見ず知らずの青年に足首を掴まれたら叫びたくもなるが、不思議と水葉は受け入れていた。

 むしろ、その行動がしっくりきて、自分からつま先を伸ばしていた。


 これがイケメン補正というものか。


 まさか自分にも適応するとは、おそるべしイケメンなどと思っていたら、青年はゆっくりと側道へと降りた。そして、水葉に手を伸ばす。


 イケメンの上に紳士とは、やりおるわ。


 などと思う間に、水葉は壊れ物をあつかうように丁寧に下ろされた。


 おかげで目的地は目の前だ。


 早く向かわねばという気持ちで、道路を左右確認して飛び出そうとしたら手首を掴まれた。


「横断歩道使う」

「あっ、はい」


 危ないことをするなと言いたいらしい。


 そういえば、お礼も言ってなかったことを思い出した。そのまま無視して目的地に向かおうとするなんて無礼もいいところだ。

 そんな身分の人間だったか、水葉よ、と自分に言い聞かせる。


 そして、少しはにかみながら青年の方へと向く。


「あっ、ありが……」


 あれ?


 そこには誰もおらず、かわりに足元に白いチョークのあとが見えた。それはそのまま、信号がある横断歩道へと矢印がひかれていた。


 




 あれはなんだったんだろう。不思議な人だった。


 そう思いつつ、水葉は横断歩道を渡る。

 

 人垣がすでにできていて、警備の人が見える。その奥に航空機がある。


 別に、水葉は軍事マニアじゃない。航空機とかそういうもの自体に興味があるわけじゃない。でも、それが空を飛び虹色の雲をつくるとき、どうしても胸がうずくのだった。


 青いキャンバスに極彩色の絵具をちりばめたような。それと空を縦横無尽に駆け回る航空機。

 

 不思議とそれに執着するのはなんだろうか。


 ふと懐かしく思えるのはなんだろうか。


 もっと近くに寄って見ることはできたけど、水葉が見たいのは飛んでいる機体だ。それならここからでもいいか、と近くのベンチに座り込む。飛行場と併設した広場で、そこから海がよく見える。


 海、空、航空機。


 高校生で一人暮らしする理由がそれといったら両親は怒っただろう。しかし、水葉の知能で行ける一番レベルの高い高校がこの街にあったこと、生活の利便性を無視した高台にあるアパートの家賃がとても安かったこと。その二つのおかげで今、この街に住んでいる。


 小さいころから妙に頑固なところがあって、それでたびたび家族を困らせていた。不思議と、その理由は水葉にもわからない。


 この街を気に入った理由はわかるけど、そこまで執着するものなのかと言われたら、首を傾げるしかない。


 どうして私は、こんなにここが気になるのだろう。


 郷愁といったら変だ。それならわざわざ実家を離れる理由はない。母の故郷に似ているのかといわれるともっと違う。


 でも、水葉がこの街に対して感じているのは郷愁に一番よく似ている気がする。本当はもっと別の何かかもしれないけど、今、水葉の知能で言えるのはそれくらいだった。


 太陽に照らされ、ゆらゆら揺れる海面が見える。


 そういえば。


 朝、変な夢見たなと思い出した。


 水の中に二人誰かいる。一人は息も絶え絶えで、もう一人はそれを悲しんでいる。


 あの二人は恋人だったのかなあ、と思いながら空を見た。


 どくん!


 その瞬間、心臓が大きくはねた。


 空に黒い影が見えた。


 なんだ、航空機か。


 そう思っていたけど、まだ機体は滑走路を走っていない。


 黒い影はどんどん大きくなる。


 どくんどくんと心臓が大きくなる。


 身体が動かない。動けない。

 

 恐怖のためだろうか。いや、少し違う。

 

 なんで私はどきどきしているんだろう。


 周りは特に変わった反応はない、近づいてくる黒い影などまったく気づいていない。ただ、水葉の耳にはその雑踏は聞こえず、世界がゆっくりとモノトーンに変わっていくことに気が付いた。


 代わりに近づいてくる黒い物体が色づいてくる。色が段々薄くなり、そこに薄い金色が纏っていく。金属を思わせるそれは、外国の蝶みたいに虹色に輝いていく。


 極彩色のそれは、航空機なんかじゃなくて、もっと有機的なものだった。鳥のような羽が一つずつ違う色を、光を放っている。でも、それは鳥ではない。まず大きさが違い過ぎる。


 あれは鳥というよりも……。


 竜だった。


 そして、水葉は。


 ただ動けずその場に立っていた。


 極彩色の光にのまれ、灰色の世界はぱりんと割れて消えていった。

 

 


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