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少年と吸血鬼

 唐突に、俺は目を覚ました。

 寝た、というよりは目を閉じてまた開けたという感覚に近い。目覚めた直後の微睡みなんてものはない。

 まぁ、いつものことなので慣れてしまったが。

 窓の外はまだ暗く、眠って一時間経ったかどうかといったところだろう。もう一度寝る気にもならず、俺は起き上がった。

 一応服は着替えて、窓から夜の散歩へと繰り出す。

 真夜中の街にも、ちらほらと人間の姿はある。とは言え、俺みたいな子供があるいているのは珍しいのだろうが。

 いく宛もなくふらふらと歩いていると、不意に曲がり角から誰かが出て来た。

 珍しく気配が全く察することが出来なかった俺は、その人物と軽くぶつかる。

「っと、すまない」

「いえ、こちらこそー」

 適当に言葉を返して歩き出そうとした俺は、唐突に湧き上がる激しい衝動に思わず足を止めた。

 それは、強烈な飢えと乾き。常に俺を苛むものだが、普段のそれらとは比べものにならないほど強い。

 燃え上がる炎が胸の奥を焼いているように、全身が熱くなる。久しく感じていなかった高揚感に、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 俺がそんな衝動を感じる理由は、この世でただ一つ。

 純血だ。

 何の確証もなく、だが強い確信を持ってそう思った。

 見つけた、漸く。この飢えと乾きを満たす存在を。

 今すぐにでも襲いかかってしまいそうな体を必死に抑えながら、俺は遠ざかって行く人物の後ろ姿を見据える。

 ここで騒ぎを起こすのは、よろしくない。どうやら、自制するだけの理性は残っているようだった。

「……はっ」

 押し殺せなかった乾いた笑いが、口から零れる。

 俺は近くの路地に駆け込んだ。そして、軽く反動をつけただけで壁を蹴って建物の上へと上がる。

 屋根に下りたって、目を閉じた。

 優れた嗅覚が、飢えと乾きが、そして本能が。先ほど出会った純血の存在を追う。

 どうも、街の外へ向かっているらしい。

「ちょうどいいなぁ」

 呟く俺は、笑みが浮かぶのを抑えられない。

 きっと、今の俺は獲物を狙う獣のような獰猛な笑みを浮かべていることだろう。

 あぁ、そうか。だから、俺はーー。

「…まぁ、いいや。とりあえず、追わないとなぁ」

 独り言を呟いて、俺は獲物を追って屋根を蹴った。



 何というか、吸血鬼とは廃墟を好むものなんだろうか。

 つい数時間前に来たばかりの教会の廃墟に辿り着き、俺はそんなことを考える。だがそんなくだらないことはすぐに頭から振り払い、廃墟へと足を踏み入れる。

 歩みを進めれば、夜空の月を見上げている男が一人立っていた。

 恐ろしいほどに整った顔立ちをしている男だった。

 夜色の艶やかな髪、切れ長の瞳は菫色。白い肌は、きっと触れれば陶器のように滑らかなのだろう。

 それは、まさに魔性の美しさ。今まで会った吸血鬼も美しい容姿をしていたが、その男はまた格別だった。

 だからこその純血。

 男が、不意に俺の方を見た。

「ずっと俺をつけていたな。お前は、何者だ?」

「なんだぁ、気付いてたのか」

 気付かれていたことが何だか楽しくて、俺は笑みを抑えられない。

「何がおかしい」

「いや、別にー?あ、そうそう、一応確認するんだけど。あんた、純血だよな?」

 俺の言葉に男の表情が強張る。

 間違ってはいないようだ。尤も、間違えてるとも思ってないが。

 そんなことよりも、未だに体の奥で燻るこの衝動を何とかしたい。殺しては何も聞けないが、少しくらいならいいだろう。

「純血ってことは、半端な混血よりも強いんだよな?」

 まぁ、答えを聞く気はないけど。

 問いかけると同時に、俺は地面を蹴った。

 人間ではあり得ない速度で距離を詰める俺に、男の表情な驚愕に染まる。だが、首を狙って振られた刃を紙一重で避けた反射神経は素晴らしい。

 更にもう一方の手に逆手に持った剣を振り上げれば、大きく距離を取りながら避けられてしまった。

 この間、僅か数秒程度。今までの吸血鬼なら、これで終わっていた。

「ははっ、やっぱり純血は違うなー」

「…何なんだ、お前は」

「さてね、何だと思う?」

 笑いながらそう返せば、男は不快げに眉を顰めた。そんな表情も似合うものだ。

「…答える気はないということか。なら、力づくで聞き出すまでだ!」

 男が言い、手をこちらへ向けた。

 直後、風を切る音が俺の耳に届いた。殆ど無意識に俺がその場から飛び退くと、不可視の何か俺のいた場所を抉った。

 なるほど、これが吸血鬼の力か。見えないというのは不便だが、まぁ、構わない。向こうは俺を殺す気はないようだし。

 にやりと笑って、俺は男に向かって地面を蹴った。再び風切り音が聞こえたが、今度は避けることなく真っ直ぐに進む。すると、当然と言えば当然だが、俺の肩から血が散った。

 ある程度痛みが抑制されるよう調整されている俺が、特に止まることもなく動き続けると男が再び驚きをその表情に浮かべる。そして、男の動きが僅かに止まった。

 それが、一瞬の隙になる。

「もらった‼」

 振った刃は、男を捉える…はずだった。

「ロイ様‼」

 そんな声が聞こえたかと思うと、男と俺の間に何者かが割り込んで来た。そして、俺の刃とそれを受け止めた刃の間で火花が散った。

「ちっ…」

 割り込んで来たのは、男には劣るがそれでもかなり整った容姿の男だった。

 俺は一旦距離を取り、二人を眺める。

「ロイ様、あの者は一体?」

「俺にも分からない」

 そんな会話が聞こえてくるのを聞き流しながら、俺は体の中で荒れ狂うような衝動を無理やり抑え付けていた。

 まさか、純血がもう一人釣れるとは思わなかった。

 これは、会話をする余裕がなくなる前に聞きたいことを聞いておいた方がいいかもしれない。

「なぁ、あんたらさー、吸血鬼の王って何処にいるか知ってるー?」

「それを聞いてどうするつもりだ?」

 答えたのは、確かロイとか呼ばれていた男。

「探して連れて来ないと行けないんだよなぁ。何するつもりか知らないけど」

 嘘は言っていない。吸血鬼の王で何をするつもりか俺は知らないし、知っているのはただ最終的な目的だけだ。

 俺の答えに、ロイは少しの間思案げな表情をしていたが、やがて理解を後回しにしたのか別の問いを投げかけてきた。

「三度目だ。お前は、何者だ?」

「『猟犬(チェイサー)』って、あの人は名付けてたかなぁ」

「猟、犬…?」

「そうそう。まぁ、そんな可愛らしいもんでもないと思うけどなー。だって」

 にやりと笑って、俺は言葉を続ける。

「俺は、吸血鬼を餌に生きてるんだから」

「なっ…。どういう意味だ⁈」

「そのまんまさー。あんたらが人間の血を糧にするように、俺はあんたらの血と肉を糧にする」

「なら、最近吸血鬼を襲って、見せつけるように中途半端な食い散らし方をしているのは、お前か」

「はっ?」

 身に覚えのない罪に、俺は間抜けな声を漏らす。

「何のことだよ」

「とぼけるな。猟犬はお前しかいないのだろう?なら、犯人はお前だ」

「言っとくけど、俺、基本的には殺すだけで食わないし、殺した死体は土に埋めて埋葬してやってる。そんな汚い狩りの仕方するかよ」

 一応は、俺も吸血鬼も姿だけは人の姿をしている。人が人を食うなんて、ただのホラーでしかない。想像しただけで吐き気がするようなこと、誰が好き好んでするものか。

 俺の言葉に、ロイたちは訝しげな表情になる。

「なら、一体誰がやったというんだ」

「知らない。…と言いたいところだけど、心当たりはあるかなぁ」

 そう言ってから俺は、ふとあらぬ方向へ視線を向けた。

「噂をすれば何とやらってねー。ご本人の到着だ」

「何?」

 俺の視線の先、廃墟の壁の上に何かが現れた。それを見て、俺は思わず溜め息を吐き、ロイたちが驚きの表情を浮かべる。

 それは、一応人のように四肢を持っていた。

 だが、不自然に長い手に鋭く伸びた爪。角張った関節。そして、瞳孔のない鮮血の紅に染まった異様な瞳。

 人間とも吸血鬼とも違う生き物だった。

「何だ、こいつは…」

「失敗作、かなぁ?でも、あの人が失敗作の廃棄を失敗するとも思えないんだけど」

 俺が呟いたそれは、ロイの言葉に答えているようにもただの独り言のようにも聞こえた。実際、俺もどっちつかずの気持ちで呟いている。

「まぁ、でも、一応俺の劣化品みたいなものには違いないようだし」

 それが見据えるのは、ロイたち。俺など眼中にも入っていないようだ。思考能力が欠如しているんだろう。だから、ただ本能で吸血鬼を襲う。

 だが、そんなことは俺には関係ない。

 俺が呟きを続けると同時に、それがロイたちへと飛びかかった。

 凄まじい瞬発力でロイたちへと距離を詰めるそれの前に、俺が割り込んだ。振られた爪を避けて懐に入り、鳩尾へ蹴りをお見舞いする。

 吹き飛んで近くの瓦礫に衝突したそれに、俺はにやりと笑みを浮かべた。

「人様の獲物に手を出すのは、感心しないなー。お前みたいな劣化品に、こんな上質の獲物くれてやるかよ」

 立ち上がったそれは、漸く俺の存在を認知したようで(勿論、ただの障害物として)、ギラリと狂気を孕んだ瞳で俺を睨み付けて来た。

 その視線を受けた俺は、にやりと笑う。

「礼儀のなってない奴には…」

 俺の言葉の途中に、それが飛びかかって来る。

「お仕置きしなきゃ、だよな?」

 隙だらけの大振りな一撃を避けた俺の剣が、片腕を斬り飛ばす。痛覚のないそれはがむしゃらに爪を振り回すが、大した知性もないのだから俺を捉えられる訳もない。

 易くそれの背後へ回って、今度は片脚を斬り落とした。片手片足を奪うのは、俺がよく使う常套手段だ。

 バランスを崩してうつ伏せに倒れ込んだそれの残った腕に、地面に縫い止めるようにして剣を突き立てる。ついでに腹部にも剣を突き立て、俺はその剣の柄の上に乗った。

「捕まえた」

 にっと笑ってそれに言ってから、俺は少し離れたところにいたロイたちへ目を向ける。

「多分、あんたたちが探してた犯人って、こいつだよー。まぁ、正確にはこいつの仲間って感じかなぁ。実際にやったのは、こいつじゃないかも」

「他にもそれと同じものがいるということか」

「さぁ?こいつらの管理がどうなってるか俺は知らないしな。興味もないし」

 言いながら、俺は自分の下にいるそれを見下ろす。血を流し過ぎたせいか、それは抵抗もなくぐったりしている。もしかしたら、もう死んでしまったかもしれない。

「それが何なのか、お前は知っているんだな?」

「んー、まぁ、一応?俺も、こいつらも目指したものは一緒だからさー。要は、成功作か失敗作かの違いだから」

「もう少し詳しく説明してくれないか」

 俺の説明が抽象的過ぎるのだろう。少し呆れたように、ロイが言ってくる。俺は、少し首を傾げて口を開いた。

「何て説明したらいいかなぁ。俺やこいつらは、吸血鬼の王を探すために作られた。いや、作り変えられたって言った方がいいかもなー」

「作り変えられた?ということは、お前やそれは元々人間だったと?」

「そうそう、察しが良くて助かるよー。流石にあの人がどれだけ天才でも、新しい生物を一から生み出すのは無理だからさ」

「先ほどから出て来る『あの人』とは誰なんだ」

「俺の父親」

 簡潔な答えに、ロイが言葉を失った。その隣にいる男もまた、絶句している。

 暫く沈黙が続き、やがて言葉を絞り出すようにロイが口を開いた。

「…つまり、お前は実の父親によって人ならざる者にされた、と言うのか」

「だから、そう言ってるじゃん」

「どうしてそう平然と肯定出来るんだ!」

 あっけらかんに言う俺に、ロイが急に声を上げた。それに対し、俺は首を傾げる。

「何であんたが怒ってんの?俺は別に気にしてないし、いいんじゃない?別に」

「よくないだろう!」

 険しい表情をしたロイが大股で歩み寄って来て、剣の柄の上でしゃがんでいた俺の胸倉を掴んで引き寄せた。いきなり引き摺り下ろされて驚いたが、危なげなく着地した俺は目の前の綺麗な顔を見上げた。

「何故そう平然としていられるんだ。理不尽だとは思わないのか。何が目的かは知らないが、自分の父親に人ではない体にされて。憎いとは思わないのか!」

「…そんな感情、とうに切り捨てたよ」

 美人が怒ると怖いなぁ。

 なんてことを考えながら、表情を険しくするロイとは対照的に、俺はにっこり笑って答える。

「じゃないと、やってらんないって。気が狂っちまうよ」

「だが、お前の父親がやったことは許されることじゃない。命を、そんな軽々しく扱っていいわけがないだろう」

「だよなぁ。常識的に考えて、俺もそう思うよ」

「なら…」

「でも、あんなでも父親だからさ」

 さらっと言って、俺は胸倉を掴んでいるロイの手を外した。それから、彼を見て笑う。

「言いたいことあんなら、あの人に直接言えば?」

「はっ?」

 唐突な俺の言葉に、虚を突かれたロイが間の抜けた声を漏らした。

「だから、俺の父親に会ってみるか?って言ってんの。その方が早くね?」

「良いのか?」

「別にいいんじゃね?俺的には何の問題もねぇし」

 何でもないように言う俺に、ロイは暫く思案げな表情になってから小さく頷いた。

「分かった。なら、案内してくれ」

「ロイ様⁉よろしいのですか!」

 それまで黙って話を聞いていたもう一人の男がそう声を上げながら、俺たちのもとへと駆け寄って来た。

「あぁ、彼は詳しい話は知らないようだ。まぁ、話していないだけかもしれないがな」

 男に答えたロイが軽く睨み付けて来るが、俺は緩い笑みだけを返した。それから、街の方へと足を向ける。

「んじゃ、さっさと行こうぜ」

「これは放って置いていいのか」

「あー、それ?いいよ、別に」

 問いかけられて、俺は軽く振り返った。ただの肉塊となったものを見て、緩い笑みはそのままに答える。

「どうせ、暫くすれば灰になって消えるから」

「灰に?」

 反問されたが、俺はそれ以上何も言わずに再び歩き始めた。

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