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「ちょっと、来てくれ」
不意に肩を叩かれ、振り向くと医師長が外を指さしていた。何の用だか分からないが、取りあえず、ここでは話したくないらしい。まぁ、医師も十分いるし、自分一人少し抜けても問題はないだろうと思って外を出る。
実に6日ぶりの外だった。他の医師達と違い、あたしは寝食の殆どを、あの部屋で済ませていた。特段それに不自由を感じたりもしなかった。外に出ると居ない間に重傷者が運び込まれていないか逆に不安になってしまうので、あたしにとって、あの部屋は外よりずっと落ち着いて過ごせる場所だった。けれど、怪我人がもう出ないということを思うと、外も気持ち良く感じる。澱んだ空気が溜まる室内と違い、外は硝煙臭くとも澄んだ空気が満ちているから。
深夜だというのにそこかしこで、祝宴の気配がある。乾杯する赤ら顔の男達。楽しげに話を弾ませるのを見ていると、こちらも自然と笑顔になってくる。
ただ、足だけは止まらず進んでいく。外で話すのかと思っていたのに、何も説明されず、声で体を引っ張られる。
「こっちだ」
急かされるように奥へ奥へと連れて行かれ、ちょっと変だな、と思う。説明もなく、ただついて来いという。しかも、何だか焦っている。説明を求めても、いいから早くしてくれと言われる始末。何がなんだかわからないが、一応信頼している相手なので、ついてはいくが。
そうこうするうちに一つの扉の前に着いた。何だか他より豪奢なそれに不安がよぎる。
「医師長?」
どういうことですか、と問えば。難しげな顔を見せる。そこから、あまり楽しい話ではないということが分かる。
「あと、三人だけ重傷者がいる」
言われたことは、拍子抜けするような言葉だった。重傷者がいると最初に言えば良いはずのことを今ここで言うとは。意味が分からず眉間にしわが寄る。ただ、なんとなく気になるのは何故、医師長がここまでそのことを言い渋ったのかということだ。そして、何故、苦虫を噛みつぶしたような顔でそれあたしに伝えるのかということ。
答えは簡単だ。私が嫌がるような重傷者がこの中に居るということだ。つまり、医師長はあたしのことを知っていたということだ。
「ああそう」
そういうことかと、もう医師長など見ずにドアノブへと手をかける。
扉は簡単に開いた。そして中は意外なほどバタバタしていた。何人もの癒し手が一か所に集まって必死に癒しを施している。だけど、その顔に安堵の色はない。一面に焦りの色を滲ませている。
高位の癒し手が揃っているにもかかわらず、状況は芳しくはないらしい。
「で、どうしろっていうの」
言われるだろうことは、予想できるが、取りあえず聞いてみる。
「三人とも生きてもらわねばならん」
がらり、と変わった口調と放つ雰囲気。そこに居るのはもう、あたしの知っていた気の良いおじさんではないらしい。
「一つ言っとくけど、あたし、あいつらのような優秀な癒し手じゃないわよ」
「知っておる。だが、お前は、この国で一番の戻し手だ」
「……分かった」
もう、良い。断る選択肢なんて与えちゃくれないだろうと思うと隣を見る気も失せる。それにどんなに嫌がっても、あたしはしなくちゃならなくなる。だって、このおじさんは知っている。あたしが必死につなぎとめた命の居場所を。なら、無駄な体力を使うほうが馬鹿らしい。
一歩、前へと進む。そこからは立ち止まらない。
人だかりを押しやり何がいるか確認する。でも、見て後悔した。並べられたベットの上に転がっている男どもは最悪なことに全員、知り合いだったから。
「最低」
誰に言うともなく、ぽつりとこぼす。
しかも、最悪だ。三人とも重傷というよりはほぼ死んでいる。それをこの周囲の癒し手が無理やり引きとめている状態だ。もう、癒し云々の話ではない。直ぐに死なせてやるべきだ。
無理だ
彼らはもう、生きていない。それが分からない程、馬鹿ではないはずなのにどうしてこんなことをするのだろう。
「彼らが必要だからだ」
顔に疑問が出てしまっていたのだろう。近くまで来た医師長が語る。
「この戦争、勝ちはしたが、どちらも疲弊しすぎた。そして、この状況から回復への道に導ける者は、もう殆どおらん。可能性があった者も今死のうとしている」
それを、みすみす手放すことはできないという。何としてでも生きてもらわなければならないのだという。
本当、こいつらは最低で、最悪だ。心の中で悪態をつく。でも、と思う。
「ありがとうね」
「何?」
相手には意味が通じなかったのだろう。不審気な返答ににやりと不敵に笑ってやった。
「やってあげるわ、三人とも必ず戻してやる」
怒りとも高揚感とも言えないぎらぎらと燃えるこの心を何と表わせばいいのだろう。ただ、今まで、一度だって言ったことのない自分勝手な言葉を言うくらいには自分はおかしくなっているらしい。
「だから今すぐ全員出てって。それで、あたしが良いと言うまで入ってこないで」
ざわり、と騒然とする周囲を無視して、ベットに乗りあがる。手を翳し、三人全員を見渡し、視線をそらさず再度続ける。
「聞こえなかった?三人全員五体満足で生かしたかったら今すぐ部屋から出て行って」
言い淀む相手にいらついたように言い募る。
「一人ずつやってたら間に合わない。三人いっぺんに戻すしかない。気が散るような環境じゃ無理よ」
「だが、」
「うるさいわね、今のままじゃ、死ぬ以外の選択肢はないはずよ。それなら、戻る可能性に賭ける気概見せなさいよ。だから、あんた達じゃぁ無理なのよ。こいつらなら、絶対にあたしに賭ける」
迷うことなく言う。だって、あたしには分かる。こいつらなら絶対に笑ってあたしに分かった、後は任せるって言う。それで、こうも言う。無理するなよ、何かあれば俺達を頼れって。
「それが出来ないなら、今、彼らを殺してあげるべきよ」
頼れる、あんた達がいないこの状況じゃ、あたしが戦うしかない。覚えておきなさいよ。
色濃くなっていく死の気配に根を上げたのは医師長の方だった。
「分かった」
「じゃあ、すぐ出て行って、影も含めてよ。この部屋をあたしと彼らだけにして。できなきゃ、失敗するだけ」
「あぁ」
苦渋の決断だろう。けれど、やるとなったら動きは速かった。あっという間に周囲の人間を退去させ、最後に癒し手と一緒に本人も出て行った。
「頼んだぞ」
「任しといて」
扉が閉まる直前にかけられた声に不遜に応える。こんな時、自信のない声が戻ってきたら、絶対に待てずに入ってくるから。
医師長には10分したら入っていいと伝えた。本当はもっと早く分かるけど多少は不安がれば良いんだ。あたしの信頼を踏みにじった罰だ。
息を吸い込み、吐く。意識を集中させ、聞こえてもいない相手に声をかける。
「覚悟なさい」
結論から言うと、引き戻しは成功した。10分後転がり込んできた、三人の様子を確認した医師長には涙ながらに感謝される程に。
「どういたしまして」
さらっと返して、引きとめる手をばっつり叩き落として部屋を後にする。
ただ、その威勢もそんなに続かなかった。手近に開いてる部屋に転がり込んで、誰も使っていないベットに潜りこむ。
体中が悲鳴をあげているのを感じながら体を丸めてやり過ごす。冷や汗と脂汗が伝って気持ち悪くてしかたない。かなり、無茶をした自覚があるだけに体を休めなくてはならないことも分かっている。
けれど、三人は半日もしないうちに目を覚ます。その前にあたしは何としてもここを出ていかなければならない。それこそ一身上の都合で夜逃げよろしくここを出ていかなくてはならない。
彼らは絶対に忘れない。あたしが気付かれたくなかったことを。
彼らを生かすために振るった力は癒しなんて、そんな優しいものじゃない。それこそ運命まで力づくで曲げてしまう暴力的なものだ。医師長や、その場にいたもの達は癒しの力と勘違いしていたから良いけど。問題はその恩恵をうけた三人だ。彼らは絶対に分かってしまう。自分達を生かした力が癒しとは全く違うものだと。
「ごめんなさい、しすたー」
約束、守らなくて。でも、優しい貴女は、困った顔して、あたしのしたことを許してくれるんだろうね。だからこそ、申し訳ない程、不出来なあたしは欲望に負けてしまいました。
抗いがたい気絶の前兆を感じながらも、ぼんやりとそんなことを考えていた。
彼女のここでの奮闘記はこれで終了です。
ただ、これで完結したわけではないので、これからは更新ペースをがっつり落として少しずつ更新していこうと思います