3
その日もいつもと同じ日だった。死臭漂う部屋の中で一心不乱に癒し続ける。怪我人を連れてきては戻っていく兵士に目もくれることなく。外の状況も分からぬまま。
仲間の医師や看護師達も必死に治療にあたっている。見送らなくてはならなくなった人はひっそりと外に運び出す。どんなに、必死に癒しても翌日には冷たい躯になっていることはざらだ。頑張っても、どうにもならないこともある。無力感に打ちひしがれる暇があれば、一人でも多くの人を癒すしかない。
ただ、癒し手も人だ。少しずつ、少しずつ仕方ないという諦めにも似た感情を隠すことが出来なくなってきている。そして、終わらない戦に苛立ちを見せ始めている。
時折、怒鳴るような、喚くような声が上がることが増えてきている。多分もう皆、限界なのだろう。死臭しかしない、治してもまた戦場に行くしかない怪我人達。いっそのこと、このまま安らかにしてやったほうがいいのではないかと思っている者もいるはずだ。あと2、3日すれば、それを口に出す者も出てくるだろうと、あたしは嫌な思いを抱いていた。
「大丈夫ですか」
そっと、隣に居る医師に声をかける。彼はこの戦が始まってからしばらくしてから派遣されてきた医師だ。若く、経験が浅いように見えた彼は日を追う毎に情緒不安定になっている。不眠不休の為、目の下には隈が色濃くでているし、どこか濁った眼は死んでしまった兵士に似ていて、ぞっとする時がある。
「大丈夫だよ」
「そうね、でもそろそろ休んだ方がいいわ。」
最近殆ど寝ていないでしょ、と言うと。弱く頭を振って応えてくる。「寝れる方がどうかしてるよ」とぽつり呟くその声は、いっそ哀れなほど悲壮感が漂っていた。
「耳から、離れないんだよ」
じっと見つめる先は、元は茶色だった地面。いつしか、黒く染まってしまったが。
部屋で唯一の明かりとりから指す光はこの部屋の惨状などお構いなしに優しさに溢れている。最後を迎える人はあの光りに希望を見出すのだろう。
「助けてくれ、て。死にたくない、て声がさ」
「うん」
「寝ようとするのに、瞼の裏に彼らの顔が張り付いてて……」
そこで、詰まるように言葉が途切れた。けれど、彼女は知っていた。それが涙が流れて止まったのではないと。青年医師の顔を恐怖に彩られ、これでもかというほど、目が見開かれていることを。そのまま震える手で顔を覆うようにして、彼は小さく、叫ぶ。
「こわい」
「うん」
彼はもう駄目だ。これ以上ここには置いておけない。最悪、彼は目の前の負傷者を殺してしまうだろう。
人が壊れていく瞬間は何度、経験しても慣れない。戦は肉体的にも精神的にも人をおかしくさせていくことを身をもって痛感するのはこういう時だ。もう、何人もの仲間がこうなった。その度に引き戻していく。それは、とても悲しい。
そっと息を吐き出し、青年の背へと手を伸ばす。そのまま、あやすように、場にそぐわないほど優しく、ぽん、ぽん、と背を叩いてやる。
そんなことをしていると、突然外が騒がしくなった。わっと大きな歓声のようなものも聞こえる。明らかに普段とは違う熱気に緊張する。こういう時は、だいたい大量の怪我人が運び込まれてくるのが常だから。ぱっと周囲の医師を見渡すと皆、自分と同様の思いを抱いているのか、一様に険しい顔をしている。
どたどたと、激しい足音が近付いてくる。
「勝ったぞ!!」
身構えていた分、その言葉の意味が一瞬分からなかった。勝ったとは何を意味しているのか、茫然として立ちつくす、あたしの耳に再度、言葉が通り過ぎていく。
「我が国の勝利だ!!」
その言葉の意味を捉えた時、怪我人と癒し手しかいない室内も熱気に包まれた。外と同様、喜びの声をあげ、近くに居る仲間と戦の終わりに歓喜する。一変して明るい雰囲気となった室内に医師長が声を張る。
「国に帰るぞ!お前ら全員元気になってもらうからな!!」
俄然やる気になって声を上げる仲間をぼぅっと見つめる。先程まで立ち込めていた諦観にも似た空気は既になく、あるのは希望と熱気だけ。
室内の明るさも増したようにさえ感じるのだから不思議である。
その後のことは、良く覚えていない。いつも以上に目まぐるしく怪我人を癒し続けた。全ての重傷者を引き戻し、後をその他の癒し手に引き継ぎ終わったのは深夜近くなってからだ。
ほっと一息をついて周囲を見渡すと、いきいきと声を掛け合い、治療を施す彼らに少しの疲労も見えない。昨日と今日の違いに驚きながらも、悪い気はしない。
「よく、やってくれた。後は任せて休みなさい」
まぁ、ここまでやれば、自分に出来ることは殆どないのは確かだが、だからと言って、はいそうですかと言って去る気にもなれない。最後の一人が出ていくのを見送るのが、この戦が始まってから、ここに唯一居続けた者の責任だと思うから。だから医師長の言葉に感謝の言葉を返しつつも、もう少しだけ、ここに居させてくださいと言えば。医師長も分かっていたのか、苦笑して許してくれた。
手近にいる怪我人から一人ずつ、新しい包帯に替えていく。少しの油断が命取りになることを知っているから、手を抜くことはしない。寝ているようであれば起こさぬようにそっと様子を確認する。皆疲れ切ってはいるが、安堵の表情で眠っているから、そんなに問題はないだろう。
他の医師達も、もう殆ど仕事は終わったのか。様子を見る者が増えてきている。そろそろ、交代の医師が来る時間なので、後は彼らに任せれば良い。