序章
ひとつ、またひとつ落ちてゆく。
落ちたのは何―?
それは世の中にありふれたモノ。
それが何なのか分からない。
それが何なのか。
知らない方がいいのかもしれない。
今日もひとつ、またひとつ…
落ちてゆく―。
揺れる揺れる―。
水の中に―
どんどん深い場所に落ちてゆく―。
徐々に光が小さくなっていく―。
戻ることは出来るのか―?
否―
不可能であろう―
薄れゆく意識の中―
声が聞こえた気がする。
気がつくと霧の中に立っていた。
ここはどこなのだろう―
そんな疑問を抱きながら霧の中を歩き続けた。
しばらく歩いていると霧が晴れてきた。
ふと後ろに気配を感じた。
「誰―?」
「新人か―?」
気配の主は問いかけを無視して逆に問いかけてきた。
どうやら男のようだ。
声の感じからして年は自分よりは上だろう。
質問の意味が分からずに黙っていると男の方から語りかけてきた。
「すまないね。どうやら君は何も覚えていないようだ。」
男は少し考え込むとこう告げた。
「直に世話係が到着する。詳しい話はその者に聞いてくれ。」
男はそう言うと踵を返して歩き出した。
「あ、あの―。」
何を言いたいのか分かったらしく男は言った。
「ん? あぁ…私か? 私には名前が無い。皆からは『管理人』と呼ばれている。」
「管理人―。」
「そうだ―。おっと時間だ―。」
男はそう言うと再び歩き出した。
「君とはまた会えそうだ―。」
次の瞬間男の姿はもうなかった。
入れ替わりに別の気配がした。
「あなたが新しく入ってきた人ね?」
声の主は女のようだった。
年は同じくらいだろうか―?
女は話を続けた。
「はじめまして。 私はあなたの世話係の楓―。 小鳥遊楓よ―。」
「小鳥遊……楓―。」
「楓でいいわ。」
「それでー。」
「―?」
「それで君はどこまで覚えていないのかな?」
そういえば―。
そう思いながら思考を巡らせる。
だがしかし何も思い出せない。
しばらく沈黙していると楓は察したように話しかけてきた。
「そう―。何も覚えてないんだ―。」
楓はしばらく考えると言った。
「名前が無いと不便ね―。 そうだなぁ…真斗。なんてどうかな?」
「真斗…。」
「そ、いい名前でしょ?」
真斗か―。
確かに名前が無いのは不便である―。
一時的とはいえ名前があるのはいいかもしれない―。
「いい名前だね。」
気がつくとそう答えていた。
「そうでしょ? 結構気に入ってる名前なの―。」
楓は一瞬笑顔になるとまた悲しい顔をした。
何か悲しい過去でもあるのだろうか―。
「大丈夫?」
「気にしないで―。 それより街を案内するね。」
楓はそう言うと歩き出した。
俺は遅れないようにその後をついていく。