名前のない名簿
朝、起床ラッパの音で霧島は目を覚ました。
昨晩は違和感の正体が頭から離れず、眠りは浅かった。
隊舎の下の階からは朝点呼の声が聞こえてくる。
霧島も、完全に目が覚めていない体を無理やり起こし、勤務服に袖を通す。迷彩服という選択肢もあるが、分隊長に挨拶に行くのだから服は正した方が良いだろうという霧島なりの配慮だ。
着替え終わった霧島は端末を開き連絡の確認をする。
重要連絡がないことを確認し、端末を閉じようとした時、通信が入った。梁兵曹長からだ。
「小隊長、第二小隊総員74名健康状態異常無し。」
「ご苦労、兵曹長。それで、小隊の朝礼は何時からだ。」
「ここの部隊では朝礼は行いません。それより、今日の分隊長への挨拶回りですが私がご案内します。」
「梁兵曹長がか。それは助かる、ぜひお願いしたい。」
「では課業開始後、0930にお部屋までお迎えにあがります。」
「わかった。よろしく頼む」
そう言うと通信が切れた。
霧島は隊舎を出て、まだ薄暗い駐屯地を歩きながら士官食堂へ向かった。
士官食堂の扉を開けると、油と香辛料の混じった匂いがかすかに広がる。
食堂の中の配膳カウンターでは主計兵が手際よく食事を盛り付けていた。
霧島はトレーを受け取り、配膳カウンターの列に並んだ。
端末に表示されている今日の朝食は、
白米、具沢山味噌汁、白身魚の照り焼き、野菜の胡麻和え。
温泉卵か納豆選択式の一品。
具沢山味噌汁は湯気を立て、炊き立ての白米が食器に盛られていく。
朝食を受け取った霧島は空いている席を探して腰を下ろし、食事をとる。
近くのテーブルでは、憲兵隊士官2名が声を潜めながら何かを話している。迷彩服姿の陸軍士官はコーヒーを片手に眠気と格闘している。
食事を終えた霧島はトレーと食器を返却し、士官食堂を後にした。
隊舎に戻った霧島は梁兵曹長との約束の時間まで事務作業をして過ごそうと端末を開く。確認しなければいけない資料に目を通し、決裁が必要な書類に判を押す。
急ぎの書類を片づけた霧島は分隊長達の経歴をある程度把握するため、ARES本部サーバーにアクセスし第二小隊の人員名簿を開けた。
しかし、その名簿は霧島の予想したものとは違っていた。名簿には小隊長と小隊付兵曹長の名前だけが書かれ、それ以外は階級ごとの人数が羅列されているだけだった。
まるで数以外の情報は不要だと、暗に示しているような冷たさがあった。
「やっぱり、何かがおかしい……。」
昨夜に続き、今日も霧島の胸に小さな棘のような違和感が刺さる。
それは些細だが、無視できない種類のものだった。
考えをまとめようと端末を閉じたその時、部屋の呼び鈴が鳴った。
「小隊付兵曹長の梁です。小隊長お迎えに上がりました。」
霧島は息を一度大きく吸い、胸のざわつきを無理に押し込めて立ち上がった。
ドアを開けると梁兵曹長がいつもの無表情で立っていた。
「おはようございます小隊長。」
「おはよう。今日はよろしく頼む。」
「いえ、お気になさらず」
梁兵曹長の回答は相変わらず淡々としていた。
霧島は歩き出そうとした足をふと止め、思い出したように口を開いた。
「そうだ、梁兵曹長。この第二小隊の詳しい名簿はあるか。」
梁兵曹長は、わずかに瞬きをした。
それは普段ほとんど感情を見せない彼にしては珍しい反応だった。
「……名簿、ですか。」
「そうだ、分隊長達に合うためにあらかじめ経歴を確認しておこうと思って、名簿を見たのだが詳しい情報はかかれていなくてな。」
「申し訳ありません。この部隊に下士官兵の詳しい経歴が載った名簿は存在しません。」
「なぜだ。」
そう霧島が聞き返すと、梁兵曹長は一呼吸おいて話し始めた。
「この部隊には数以外の情報は必要ないのです。誰が死に、誰が生きたか、その背景に何があったのかの情報はここでは何の意味も持ちません。むしろ作戦の無……いえ、何でもありません。」
一瞬、梁兵曹長の声に熱がこもったように感じたが、すぐにいつもの淡々とした声に戻っていた。
そして、言いかけた言葉の先に何があるのか、霧島はあえてそれを聞き返す真似はしなかった。聞いたところではぐらかされるだけだ。
「そうか、しかしこれからともに命を懸ける仲間だ。できれば各員の経歴は把握しておきたい。」
「……そうですか。ではご自身でご確認ください。」
そう冷たく言うと梁兵曹長は歩き始めた。その態度は冷淡というより、むしろ不都合なことを隠すような、そんな雰囲気があった。
霧島は梁兵曹長に続いて歩き始める。その胸の奥にまた一つ新しい疑問が積み重なるのを感じていた。
あけましておめでとうございます。今年もARESをよろしくお願いします。




