昨日の話はなかったことにしていただきたい
ピクシブにあげたものを転載しました
「昨日の話は、無かったことにして頂きたい」
薄暗い地下室の中、仮面をつけた女性に対して白髪片眼鏡の老紳士が申し訳なさそうに片手で帽子を脱ぎながら何も置かれていないテーブルを挟んでそう謝罪する。
「どういう理由か、聞かせてもらおうか?」
仮面の奥で鋭い眼光を煌めかせながら壁を背にした女が威嚇するような低い声で問いただす。
「申し訳ありませんが、それに関してお答えすることは致しかねます。とにかく、先述した通り『サンプル』をお渡しすることは出来なくなりました。ご容赦を」
シルクハットを被り直し、地下室の出口の扉に手を掛ける。
「理由を聞かせていただけるか?」
彼女の言葉に老紳士の動きが一瞬止まる。
「....わたくしめから言える事は一つだけ、お仲間の命が惜しければ余計な事はしないことです。それでは、失礼」
ガチャと扉を開け顧みることなく老紳士は地上へと続く階段を上る。
「とんだドタキャンだねぇ、エスカノーラ君?」
不意に天井の換気口の格子が落ち、1人の青年が飛び降りてくる。
その顔には先の任務で負った痛々しい火傷の跡がついている。
「ハセッドか、死体の処理は終わったのか?」
有事の際に備えて隠し持っていた拳銃から弾倉を抜き、薬室からも一発を取り出す。
「ああ、抜かりはないさ。で、どうするんだい?「取引をキャンセルされました」なんて組織に言えないぞ」
「......」
ハセッドの言葉にエスカノーラがしばし沈黙する。
「奴の拠点に忍び込んでブツを回収する」
「随分と攻めた手だね」
「危険には慣れているさ」
そう言って地下室の扉を開けて退出するエスカノーラ。
そんな彼女にヤレヤレと言いながらハセッドもそれに続く。
前日
エドワーズの暗部、ロレスカトラ地区。
かつては都市の商業の中枢として栄えたこの地区は今や移民に紛れて入国した複数の犯罪組織の巣窟と化しており、地上は勿論、アリの巣のように複雑に張り巡らされた地下通路でさえもほとんどが掌握されている。
そんな都市の外れ。廃墟となった礼拝堂にエスカノーラはいた。
破壊された扉に砕かれた彫像。
ステンドグラスは見事にぶち壊され、壁には無数の弾痕が刻まれている。
埃を被った長椅子には変色した血痕が残っており、廃墟になった理由を匂わせる。
「待ち合わせにはちょうどいい場所だ」
そう皮肉を呟きながら、拳銃を手に周囲を警戒する。
ふと、壁に書きなぐられた血文字が目にとまる。
「『神は裏切った』か」
エスカノーラの脳裏に、礼拝堂の過去がイメージされる。
犯罪組織の迫害から救いを求めようとした人々が信仰する神に救いを求めるために礼拝堂に殺到し、無残にも殺戮される姿。
何とも皮肉なことではあるが、宗教施設が攻撃されるというのはよくある話である。
異教徒との抗争は当然のこと、侵略戦争においても神仏にすがろうと宗教施設に救いを求めて集まった敬虔な信者を包囲殲滅、もしくは捕獲する。
先の大戦では軍部は町を攻撃する際にあえて教会に一切攻撃を加えず、安全だと思い込んだ民衆が集まった所を砲撃したという噂さえある。
そんな悍ましい場所に着いて小一時間ほど経った頃。
俄に降り出した雨音に紛れて一人の男が礼拝堂の正面から近づいてきた。
やけどの跡の残る顔。
「ハゼットか、随分と素敵な場所を選んだな?」
「生きている人間はここには来たがらないからね。悪だくみにはうってつけだ」
エスカノーラの皮肉にハゼットは周囲を見渡しながら応える。
「さて、それじゃ本題に入ろう」
そういって血痕の残る講壇で一冊のファイルを開く。
そこには今回の標的となる組織の取引に関して事細かく描かれている。
「今回の標的はラグーンの取引の妨害と品物の奪取だ」
「取引の場所はロレスカトラの273号地下室。情報が細かいな?」
「決死の諜報の結果さ。さらに取引相手も特定している。エル・アルカドラ。大富豪様さ」
「性懲りも無くスリル好きな大富豪だな。
それで、作戦は?」
「取引相手に成りすます」
そう言って礼拝堂の床石を開き、そこに収納していた衣装を取り出す。
「用意がいいな」
衣装を受け取り、くまなく調べる。
目立つ飾り羽のついた白い衣服と仮面。
「情報によれば、その羽飾りと仮面が取引の目印だそうだ」
「随分目立った格好だな。それで、お前はどうするんだ?」
「僕は本物の取引相手を始末する」
サプレッサー付きの拳銃を見せながら、そう答える。
現在 深夜 エドワーズ
人の気配の消えた深夜。
エドワーズの一等地に建てられた大きな屋敷をハゼットが屋敷裏の高台からサプレッサー付きの狙撃銃に取り付けられたスコープ越しに覗く。
「風は微風、距離は…」
屋敷にいる警備員を照準に捉えながら弾道の計算を行う。
「裏門にいる警備兵は監視塔に1人、裏門前の2人で計3人、勤務表によれば交代は2時間後。緩い警備だ」
エスカノーラが双眼鏡を覗きながら侵入口となる裏門を観察する。
屋敷の主の権威を示すためか、裏庭の各所には貴重な資源である灯油を燃料とした篝火が各所に置かれており、皮肉なことに屋敷の警備体制を外部から分かりやすくしている。
「裏庭の警備は…4人。いけそうか?」
「ああ」
余裕そうに答えるハゼット。
「よし、まずは裏門からだ、着弾の音で1人をおびき出せ」
「了解」
おもむろに狙撃銃の照準を横に逸らす。
「発射」
引き金を引き、何も無い場所に銃撃する。
チュンと言う着弾音が静寂な街に響く。
「よし、音に気づいた」
異音に気づいた警備兵の一人が音源に近づく。
その警備兵の頭にレティクルを重ねると重力と風による弾道変化を計算に入れて照準をずらすと即座に射撃。
倒れたのを確認すると同じ要領で監視塔と残った門番を射殺する。
「相変わらずのいい腕だ」
ガシャンと排莢するハゼットを見ながらそう呟く。
続いて裏庭の立ち止まっている警備兵に照準を合わせる。
「いいぞ、あと少し」
ゆっくり巡回している警備兵と頭が重なった直後に射撃。
飛来した銃弾が2人を同時に撃ち抜いたのを確認すると即座に残りの警備兵を狙撃する。
「よし、行くぞ」
警備兵が排除されたことを確認するとエスカノーラは裏門へと駆け走る。
あちこちに置かれた篝火に照らされて爛々と煌めく裏庭。
平時ならば思わず見とれてしまいそうになるそんな場所をエスカノーラは無表情で音を殺して歩く。
(屋敷の保管庫は、確か地下にあったな)
諜報員の情報を思い出しながら、地下への道を探る。
「あった、ここだ」
裏庭の右隅にわずかり盛り上げられた土。
そこを少し掘ると、この屋敷が軍事施設だった頃の名残である地下へと続く鉄のハッチが姿を現す。
染み込んだ雨で錆び付いてはいたものの、少しの力をこめてなんとか開く。
長いハシゴを降りた先。
見えない場所までは金をかけるつもりは無いのだろう、そこには地上の豪華絢爛な邸宅とは真逆の照明のない薄暗い埃まみれの無機質な通路が続いている。
暗闇に慣れた目で音を立てないように慎重に歩く。
少しばかり歩いていると、俄かに人の気配を感じ始める。
何やら慌ただしい様子でドタドタと大きな足音を立てながら一斉に地上へと向かってゆく。
「裏門の異常に気づかれたか?」
不穏な事態にわずかな焦燥を覚えつつも保管庫へと辿り着く。
ギィィィと大きな鉄扉を開くとそこには大量の銃砲が壁一面に並べられていた。
拳銃、ライフル銃、機関銃...
それも博物館に飾られているような古びたものではなく、軍部で流通している最近式のものばかり。
「軍部の武器を犯罪組織に横流しか、怖いもの知らずだな」
飾られていた武器の内、比較的丁寧に保管されていた最新式の機関銃を手に取る。
「パーツの一つ一つがカスタマイズされているな、相当な力の入れようだ。どれが取引に使おうとした『サンプル』なのかは分からないが、組織にとってはどれも垂涎の品だな」
近くにあった弾薬を装填するとそのまま元来た道を戻ろうとした時、地上からドーンと大きな衝突音が響き渡った。
「なんだ!?」
咄嗟に壁を背に機関銃を構える。
同時に上から激しい発砲の音がなり始める。
しかし不思議なことにこちらには一発も弾が飛んでこず、むしろ上ばかりが騒がしい。
同時刻 地上
「まずいことになってるね...」
高台の上、スコープ越しに裏門を覗きながらハゼットが焦燥感を交えながら呟く。
そこにあったのは裏門を突き破ったトラックと屋敷に突撃する武装勢力の姿。
挟み撃ちなのか表からも時折激しい閃光が発せられる。
「なるほど、これが取引をドタキャンした理由か」
トラックに描かれた模様に向けてスコープを拡大する。
「『解放戦線』か」
トラックの荷台に取り付けられた機関銃をぶっ放す民兵に、照準を合わせながらそう呟く。
『解放戦線』
侵略された土地を奪い返そうと結成された民兵団。
土地を奪い返し、独立するのが目的ではあるが、そのやり口は非常に過激であり、エドワーズの都督によりテロ組織として指定されている。
「エスカノーラは...あ、いたいた」
ハッチから姿を現したエスカノーラ。目の前の事態を即座に察し鹵獲した機関銃を手に突破を図る。
ズダダダダダ―――
ズダダダダダ―――
屋敷の中からひっきりなしに轟き続ける銃声。
裏門を固めている民兵に気付かれないように裏庭の茂みや彫刻などに隠れながら何とか脱出を図る。
翌日エル・アドカトラの私邸は廃墟と化していた。
美しかった庭は散々に荒らされ、屋敷は放火され焼け落ちた。
焼け残った区域には射殺された遺体が並べられている。
エル・アドカトラ自身は逃走しているものの、その財産と権力の象徴であった屋敷を失った以上、没落は明らかである。
「大騒ぎになっているね」
焼け落ちた屋敷を見渡す場所に建てられたカフェの席に座りながら、ハゼットはコーヒーをすすりながら他人事のように話す。
「欲深いものは必ず身を滅ぼすものだ」
組織から受け取った報酬金を机に置いてエスカノーラはそう口を開く。
「..これで解放戦線は莫大な資金と武器を手に入れたわけだ」
「さらに血が流れることになるな」
これからこの都市で起こるであろう更なる抗争を憂いながら、エスカノーラは紅茶を啜った。