第七話 推理
湊がマンションの部屋に戻ると、野近はソファに座っていた。湊に気付いた野近は、お帰りなさいと声をかけた。
「このテーブルにある置き時計、動いていませんね」
野近は、目の前のテーブルの上に置かれた小さな時計を見つめながら、湊に尋ねた。
「そうなんです。電池を取り変えると、動くと思いますけど」
そうなんですね、と野近は応えながら、ソファから立ち上がった。そして、湊をソファに促した。湊は軽く会釈をして、部屋を出る前と同じように、再びソファに腰を下ろした。
「あなたがコンビニに出ている間に、牧尾さんの携帯電話を調べていました」
急に野近の口調が変わった。湊は、何も返事をせず、先ほど買ってきたホットココアのペットボトルのふたを開けた。
「牧尾さんの携帯電話には、宅配ピザへの発信履歴がありました。その時刻は、21時ちょうど。牧尾さんがマンションから飛び降りる13分前です。今から自殺をしようとする人が、宅配ピザなんか頼みません。やはり、牧尾さんは事故死ではなく、誰かに殺されたんだと思います」
湊は、ホットココアに口をつけながら、黙って野近の話を聞いていた。
「それに、台所にワイングラスが2つ置かれていました。これは、牧尾さんが自分以外の誰かと一緒に、ワインを飲もうとしていたことを表しています。ここからわかることは、そのお相手は牧尾さんととても親しい人物ということです。つまり、その人物がこの事件の犯人だと、私は思っています」
湊の鼓動は速くなり、体が熱くなっていた。口にしたホットココアの味も、全く感じなかった。野近は黙っていた。2人だけのこの部屋に、沈黙が流れた。
「湊さん。私は、この事件の犯人は、あなただと思っています」
野近は、湊の方をまっすぐ見つめて、そう言った。
「急に、何を言ってるんですか・・・・・・。私は、犯人じゃありません」
野近は、湊が返した言葉が聞こえなかったかのように、話を続けた。
「私は、牧尾さんが仰向けで倒れていたことが、どうも納得できませんでした。牧尾さんが不審者に襲われて、ベランダから突き落とされたのなら、まだ可能性があります。しかし、もし襲われたのなら、揉み合いになって服装が乱れる場合があります。しかし、それも無かった」
湊は、野近の話を黙って聞いていた。
「つまり、牧尾さんは親しい人物に、ベランダから突き落とされたということになります。あなたが証言された、牧尾さん自ら飛び降りたというのは、嘘です」
「何を根拠にそう言っているのか、私にはわかりません。とんだ言いがかりです。そこまで言うなら、私が犯人だという証拠はあるんですか」
湊は焦っていた。この野近という男は、どこまで事実を見抜いているのだろうか。
「証拠はあります」
野近は静かに、しかし力強く言った。そして、アイランドキッチンの方へ進み、ある物を手に取った。中身が空になった、インスタントココアの瓶であった。
湊は、動転した。野近を見つめていた視線を、思わず下げた。
「あなたがコンビニに行きたいと言った時、私は1つ、あなたを試しました。はい、牧尾さんの部屋のものを使ってもらって結構ですと言った時です」
湊は、下を向きながら野近の言葉に集中していた。野近は続けた。
「本当は、事件現場の物を自由に触ることはできませんが、あえて私は使っても結構ですと促しました。しかし、あなたは使わなかった。たしか、インスタントのココアが切れていると言って、コンビニに行きたいと話されましたね」
湊は、黙って野近の話を聞いていた。
「あなたは、牧尾さんのマンションに来たのは、1ヶ月ぶりだとおっしゃっていましたね。なぜ、インスタントのココアが切れていることを知っていたのですか」
何も言い返せなかった。この野近という男は、私が何気なく話した内容を少しも聞き逃さずに、記憶していたのだ。
「牧尾さんの携帯電話に残っていた宅配ピザの発信履歴の件も、おそらくですが、先ほどコンビニに出かけたときに精算を済ませたのでしょう。そうだとすると、あなたのお財布の中に、宅配ピザの配達員の指紋がついたお金が入っているはずです。もちろん、配達員のお財布にも、あなたの指紋のついたお金があるはずです。いまから確認をしてもよいのですが、ご協力していただけますか」
野近がそう言うと、湊は少しの間黙っていた。そして深呼吸を1つしてから、静かに応えた。
「ご協力は、控えさせていただきます」
野近は黙っていた。湊は続けた。
「貴之を殺したのは・・・・・・、わたしです」