家族旅行 1
どの親戚へも十把一絡げの挨拶しかしなかったが、次の軍葬にも出席するレイ・ヘルセスとだけは何度か会った。 ただ他に誰も、サダさえ呼んでいない。 レイが俺に何か言いたそうにしていたからだが、余程言いづらい事のようだ。
三度目の夜、ようやく決心がついたらしい。 食後のお茶を飲みながらレイが重い口を開く。
「脅す訳ではないが」
「とわざわざ言うのは、せっかく脅すんだから素直に脅されろ、て意味じゃないのか」
俺の返しにレイがふっと笑う。
「中々の返し。 さすがは北軍副将軍」
「けっ。 サダにさえ逃げ遅れるような副将軍が、さすがかよ」
「サダ様の逃げ足は末長く語り継がれるであろう伝説。 その後塵を拝したとて恥じる事などあるまい」
「そう思ってくれるのはこの世にお前だけだとしても嬉しくて涙が出るぜ。 俺の周りは一体何を見ていやがるんだか。 マッギニス以外はあいつの事をのろまと信じて疑わない奴らばっかりで嫌になる」
「その誤解、解かぬ方がよい」
「なぜ」
「賢ければ賢い者ほど、のろまに出し抜かれるとは思わぬもの。 それが隙を作る。 デュガンしかり。 ブロッシュ。 ムーリキン。 オルゲゼ。 アユーア。 これで出揃ったと思わぬ事だ」
「……今度は、誰だ?」
「まだ確定してはおらぬが。 おそらく、ネイゲフラン中央祭祀長」
「何をした?」
「スティバル聖下のお命を狙った」
「何だと? いつ」
「最初は、」
「俺は一つも聞いていないぞ。 部下は勿論、モンドー将軍、ジンヤ副将軍からも」
「其方が持つ祭祀庁との繫がりは聖下とテーリオ猊下のみ。 祭祀庁を動かしているのはそのお二方、とは言え現在のお住居は北。 宮廷の動きなどに関心のない其方の事、中央祭祀庁に伝手などないのであろう? マッギニスの伝手は軍事関係ならかなりのものではあるが。 神官は少々毛色の違う生類。 あちらにはあちらの思惑、やり方がある」
聖下から信頼されていると思っていただけに、これほどでかい隠し事をされていたとは正直、面白くない。 それが顔に表れたか、レイが宥めるかのように言う。
「聖下が秘していらっしゃるのは軍を動かすおつもりがない故であろう。 もし其方が耳打ちされれば将軍、副将軍に報告しない訳には行くまい。 軍として動かざるを得ず、そうなっては泥沼。 クポトラデルの例を持ち出すまでもなく、祭祀に纏わる揉め事で国が滅ぶ事もある。 未だ施主の其方がこの件について知るとしたら、聖下をお止めする策が尽き、テーリオ猊下がサダ様に縋り、困り果てたサダ様が其方に駆け込んだ時、と思った方がよい」
「お止めするって。 何をなさるおつもりか、お前は知っているのか?」
「知っている、と言えなくもない。 中央祭祀庁の改革は既に始まっているのだから。 ただこれをどこまで徹底なさるおつもりなのか。 そこまでは知らないから憂慮している」
レイが説明してくれたところによれば、以前の聖下なら祭祀庁内の不一致には我関せず、とは言わないまでも隠遁の聖者の趣があり、それで中央の方でも不満はありながら静観していた。 転機の訪れは神域での襲撃。 あの時スティバル祭祀長は危険を冒してまで登城し、中央祭祀長の罷免を敢行なさった。 その前例があるからか、自分も罷免されるのではと恐れるネイゲフラン祭祀長が、その前に聖下を亡き者にしようと画策しているらしい。
「そもそもネイゲフラン祭祀長はなぜ罷免を恐れる? 探られては痛い腹?」
「痛くもない腹ではないようだが。 神官の採用に関する不満が爆発寸前でな。 せっかくの不満、これを利用せねば損という計算が働いたのではないか」
「以前は神官を採用しない事が不満の種だったらしいが、採用し始めたと聞いているぜ。 なら不満は解消されつつあるんじゃないのか?」
「採用したい者が採用されるのなら喜ばしい。 其方なら採用したくない者が次々採用されるのを見て嬉しいか? 例えば北軍が有能な平民より無能な貴族を優先して採用したら? 私の記憶に間違いがなければ私が入隊した当時、嬉しそうな顔を見せた兵士は一人もいなかったが。 其方とサダ様を含め。
これからは其方が採用したくない者が採用される事はない。 其方が継ぐ副将軍だけでなく、軍内での昇進降格転属の全てに其方の意向が反映されるであろう。 だがもしサーシキが副将軍になっていたら、貴族、又は彼の親戚、或いはお気に入りというだけで昇進した者がかなりいたと思うぞ。 そして其方の周囲はサーシキの手駒で固められたはず」
だからどうした、とは言えない。 部下の忠誠が自分以外の誰かに捧げられていたら、重臣に裏切られたクポトラデル国王と同じ憂き目にあう。 今では俺も一応皇王族の血縁。 だが、そんな理由で部下が思い通りに動くなら誰も苦労はしない。
「要するに今いる神官の気に食わない奴らばかり採用されている、て事か?」
「気に食う、食わないの問題ではない。 根本理念が違うのだ。 以前の祭祀庁なら、祭祀長は天より下されし皇王陛下を支える御方で、天の言葉を民に伝えるお役目を担い、神官はそのお役目をお助けする者と考えていた。
ところがテーリオ猊下は、天を支えるのは地。 地を支えるのは民。 故に祭祀庁が仕えるべきは民。 民の安寧こそ天を敬う証とお考えでな。 貧民のための病院や学校を建設なさろうとしていらっしゃる。 以前なら祭祀庁職員でさえなかった医者、教師、大工、財務管理人が終身雇用の神官として採用されただけではない。 新規採用は数百人以上いるが、その中に神学生や現神官に縁故のある者が一人もいないのだ」
「しかし聖下はともかく、猊下は改革を無理押しなさるような御方には見えないんだが」
「であればこそ、裏で糸を引いているのは聖下という結論に達したのだろう」
「それで暗殺? いくらなんでも飛躍のし過ぎじゃないのか?」
「祭祀庁の停滞と言うか、神官の新規採用がなくなってから二十年以上経つ。 ようやく採用開始かと思えば採用されるのは従来の神官の範疇から外れた者ばかり。 あちらにしてみれば充分過ぎるくらい忍耐に忍耐を重ねた末の行動なのだろう。 加えて猊下は聖下が現役でいらした頃より大胆にしきたりを無視なさる。 サナ様に恩寵を与えるとか」
「それの何がまずいんだ?」
「青竜の騎士の生まれたばかりの子息に恩寵を与えるとは、青竜の騎士は陛下と同等と宣言なさったようなもの」
「陛下御自身があいつに、共に歩もう、とおっしゃったんだぜ。 それは同等、て意味じゃないのか?」
「中央祭祀庁は、そのような陛下の行き過ぎをお諌めするのが祭祀長のお役目と考えている。 それでなくとも中央は天の気をお預かりする祭祀長が北からお戻りにならない事が面白くない」
「何十年も北にお住まいなんだ。 中央にいなくても問題ない、て事だろ」
「問題は大ありなのだ。 解決されていないだけで。 このような独断専行は国の中心から離れた所にお住まいなのが原因と思われてもいる。 せめて猊下が中央祭祀長として皇王城内の神域にお住まいであれば同じ事をなさったとしても丸く収まったと思うのだが」
「お若い猊下だけなら古狸が圧を掛けるのは簡単だろ。 やりたい事の十分の一もやれなかったと思うぜ」
「ともかく、祭祀庁にはネイゲフランを熱狂的に信仰し、聖下の悪影響から逃れれば猊下も正気にお戻り下さると考え、聖下を排除せねばと思う者が少なからずいる」
「思うだけでは物足りず、て訳か」
「事ここに至っては、たとえ聖下が何もなさらなくとも無事には収まるまい。 ならば聖下は打って出る、と推察する」
「打って出る、とは?」
「ネイゲフランを罷免し、後任を御指名なさるか、聖下御自身が中央祭祀長となられるだろう」
「そんな事が出来るのか?」
「祭祀長が退任後、別の場所で祭祀長を務めた前例ならあるのだ。 滅多にない事ではあるが。 いずれにしても祭祀庁内部から激しい抗議があろう。 武力抗争に発展する事もあり得ない話ではない」
「だとしても、正式な副将軍でさえない俺に何が出来る。 正式な副将軍だったとしても北軍副将軍が中央の揉め事に口を挟めるか?」
「意外や意外。 北の猛虎の口から漏れたとは思えぬ気弱な発言」
「どこが意外だ。 俺は元々気弱だろ。 だから副将軍なんかやれない、と何度も断った」
「幸い天は気弱な施主に強気な部下を下された。 施主を歴史に残る名副将軍にする気満々の」
「あいつが又何かバカな事を言ったんだな?」
「はて。 師範は歴史に残る名副将軍になるでしょう、北軍の未来は明るいです、のどこがバカなのか。 これぞ明察、深き見識の表れ」
「ふん。 ならその明察と見識のある奴に何とかしてもらうさ」
「くくく。 サダ様にとって小事を大事に転じるなど赤子の手を捻るも同然。 気弱な施主が一転して強気な発言とは。 サダ様はこれを予見していらしたか。 なるほど、準大公に叙せられるだけの事はある先見の明」
何が先見の明だ、とは思っても口に出したりはしない。 サダじゃあるまいし。
ともかく、レイによると暗殺未遂事件があった事は確からしい。 一回目は聖下のお食事に毒入り野菜が混入していた。 以前は祭祀長にお毒味役はいなかったが、今年から神域内でもイカムを飼うようになっていたため大事に至らずに済んだ。
二回目はなんと軍葬の最中。 神域内にあるサリ様のお宅にいらした聖下が神官に襲われた。 ケルパが撃退したが。
「俺に黙っているとは。 バートネイアとネシェイムめ。 昼寝でもしていやがったか」
「聖下が口止めなさったのだ」
「じゃなんでお前が知っている」
「刺客を埋めた下働きの中にヘルセス縁の者がいてな。 偶々知り得た事。 この様子では私も知らぬ未遂事件がないとは言えず、このままでは聖下お一人で上京という無茶をなさるのでは、と気が気ではない」
「年末に俺達と一緒に上京なさればいいだろ」
「今年の上京は去年より遥かに難しい。 それを覚悟した上での発言か? 道々、テーリオ祭祀長と準大公御一家のお姿を一目だけでも拝見したいと思う者が相当数いるはず。 誘拐の目論見さえないとは言えぬ。 そこにお命を狙われている聖下では。
聖下は準大公御一家が巻き添えを喰らう事を御心配なさっていらっしゃる。 御一緒なさるとは思えん」
確かに護衛は増やせばいいというものじゃない。 減らせばいいというものでも勿論ないが。
ではどうする? 俺は少し考え、ボーザーを呼んだ。
「サダをここに呼べ」
レイが少し眉を上げる。
「苦しい時のサダ頼み?」
「気弱な施主なんでな。 強気な奴の意見を聞かないと踏ん切りがつかん」