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副将軍記  作者: 淳A
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豪胆  ベックランド軍曹の話

 猛虎が施主と聞いてびびらなかった北軍兵士はいない。 びびっていない北軍兵士も六人いたが。 究極の六人と言うか。 モンドー将軍、カルア将軍補佐、ジンヤ副将軍、アーリー副将軍補佐、ヴィジャヤン大隊長、マッギニス特務大隊長だ。

 ただ最初の三人は上官だし、アーリー副将軍補佐はタケオ施主の片腕、マッギニス特務大隊長はいずれ片腕となる御方だから、普通の意味での北軍兵士とは言えないだろう。 つまりびびっていない北軍兵士はヴィジャヤン大隊長だけ、という事になる。

 さすがは弓と剣、並び立つだけはある御方と言いたいところだが、ヴィジャヤン大隊長をびびっていない北軍兵士として数えるか否かに関しては「弓と剣の会」の月例会でかなり揉めた。 なぜならヴィジャヤン大隊長だってびびっていると思っている会員が結構いたから。 今だから言える事だが、実は俺もびびっていると思っている一人だった。


 当時の双方の言い分をまとめれば大体こういう感じになる。

「びびっているから軍葬準備の時、それは師範に聞くな、これも聞くな、て俺達を止めていらしたんだろ」

「それは聞きに行ったら聞いた奴が無事では済まない、というお心遣いなんじゃ?」

「だとしても、それがびびっていない証明になるか?」

「他の大隊長を見ろ。 みんな態度が今までと全然違う。 サーシキ大隊長なんか自分の方から挨拶していた。 他の大隊長もタケオ施主を上官扱いしている。 ま、実際上官な訳だが。 でもヴィジャヤン大隊長の態度は今までと全く同じじゃないか。 人には師範の邪魔はするなと言っておきながら御自分は平気でお邪魔したり。 稽古の最中であろうとお構いなし。 あれのどこがびびっているんだ?」

「同じ、て事は以前と同じくびびっている、て事さ。 新兵の頃からずっとな。 師範の前に立つとびびるよなあ、というヴィジャヤン大隊長のため息をその耳で聞いた会員だって一人や二人じゃない。 今日の例会前に聞いた奴さえいるんだぜ」

 結局それが決め手となり、びびっていない北軍兵士は五人とされた。 六人になったのは軍葬で俺が受付をした時目撃した事を報告し、それによりヴィジャヤン大隊長の胆力が再評価されたからだ。


 今回の軍葬では記帳台を置いた受付が百ヶ所用意され、どの受付にも最低三人配置されていた。 わざわざお越し戴いた事へのお礼を言い、会場が狭いため参列に関して人数制限をしている事へのお詫びを言う係。 香典や供物を受け取り、香典返しを差し上げたり、字が書けない弔問客の記帳を代筆する係。 そして弔問客を会場の指定されたお席へ案内する係が必要だから。 つまりそれだけで三百人。 それで読み書きが出来るというだけの平民の俺にも受付役が回って来たのだ。

 いくら平民軍と呼ばれる北軍であろうと貴族の子弟は三百人以上いる。 だが貴族は百剣か将校だ。 今回ヴィジャヤン大隊長は御夫妻で参列なさるため、サリ様とサナ様には神域へお越し戴き、式が終わるまでそちらでお待ち戴く。 その関係で、ほとんどの百剣は神域警備に回された。 加えて上級貴族の接客と言うか、宥め役をするには将校でないとまずい。


 何しろ上級貴族ともなればいつも沢山のお付きに囲まれている。 しかし今回の軍葬では規模を抑えるため、一家からの参列はお二人までとした。 お付きの皆さんには警備兵であろうと参列を御遠慮戴くしかない。

 主の側から離れないようにと訓練されている警備兵が、主の姿が見えない場所で待機しろと言われて素直に引き下がってくれるか? くれなかったら? 主諸共帰れ、と言うのか?

 施主が施主だ。 本当にそう言いそうなのが怖い。 そこまで言わなくともそう言わんばかりの態度を見せたら相手が上級貴族でなくとも気分が悪いだろう。 いくらこちらから来てくれと頼んだ訳ではなかろうと。 宥め方を間違え拗らせては後々何かと面倒。 と言う訳で、警備担当と軍葬での役目がある以外の将校は全て接客担当に回され、正門の中央に置いた十台を除き、受付には座らない事になったのだ。


 今までの軍葬では上級貴族への対応を心配をする必要なんか全くなかった。 軍葬へ参列しに来る上級貴族なんて一人もいなかったから。 地元の貴族でさえ香典を送って寄越すのがせいぜい。 名代を参列させるとしたら施主(将軍か副将軍)の実家と親戚の貴族くらい。 つまり子爵か男爵だ。

 しかし今では北にも侯爵領と伯爵領があるし、上級貴族の別邸が次々建っている。 それにタケオ施主はヘルセス公爵家、ダンホフ公爵家、リューネハラ公爵家と姻戚関係で、奥様の御実家はグゲン侯爵家だ。 マッギニス補佐の御実家も御名代が参列なさるんだとか。 北へ北へと運び込まれる上級貴族の家紋入り荷馬車の数を見れば、他にも参列する上級貴族が何人もいるだろう。

 ただ俺が高貴な御方の受付をする羽目になる確率はないに等しいと考えていた。 上級貴族の皆さんは正門前からお入りになるはず。 そこには六十台設置されている。 十台では間に合わないくらいの貴族が現れたとしても六十台でも間に合わないとは考えられない。 東西に各二十台置いてあるのは正門前に群がる貴族に気押された、と言うか弾き出された平民用で、俺が座るのは東の二十番だ。


 ところが当日蓋を開けて見れば、俺の受付の前に貴族にしか見えない弔問客がずらっと並んでいる。 百人以上。 そりゃ弔問客は万を越えるという予想は聞いていた。 だがそれはヴィジャヤン大隊長夫人の弔歌を聞きたい野次馬根性の平民が、会場に潜り込めるかもという一縷の希望に縋って集まって来るからだと思っていた。 ヴィジャヤン大隊長夫人の人気って貴族の間でもすごいのか?

 見渡す限り、どこも似たような貴族の行列で押すな押すな。 たぶん正門の人だかりがすごいからこっちまで流れて来たんだろう。 まさかこんなに沢山の貴族が現れるとは。 少なくとも俺は予想していなかった。 おまけに平民がいない訳じゃない。 貴族に遠慮して先を譲っているのだ。 だからか、俺の受付からだと列の終わりが見えない。


 ただよく見ると、長蛇の列になっているのは主らしき人のお付きが何人も一緒に並んでいるせいだ。 会場へ案内しなければならない人が沢山いる訳じゃない。 お付きがこれだけいると準備していた待機場所だけじゃ足りないと思うが。

 しかし今は他の問題を心配している場合じゃない。 目の前に立っている弔問客をなんとかしないと。 相手が平民なら名前を記帳して戴き、香典や供物があるならそれを受け取り、香典返しを差し上げ、お引き取り戴く、で終わりだが、相手が貴族だとそうはいかない。 しかも先頭の弔問客はヴィジャヤン準公爵御夫妻だ。

 改めて言うまでもない事かと思うが、俺の親戚に貴族は一人もいない。 生まれてこの方、公爵やその親戚と言葉を交わした事は一度もない生粋の平民。 公爵家継嗣が北軍兵士として入隊した時にも話す機会はなかったし、上級貴族との接点なんてタケオ施主の結婚式の時に来た上級貴族のお姿を遠くから拝見したのが最初で、今日が二度目だ。 ヴィジャヤン大隊長からお声を掛けて戴いた事ならあるし、聞くところによればヴィジャヤン大隊長は公爵より偉いらしいが。 あの御方を他の上級貴族と同じ括りで考えるのは無理があると言うか。


 ヴィジャヤン準公爵御夫妻はヴィジャヤン大隊長の実父母でいらっしゃるが、いかにも上級貴族らしい高貴な雰囲気がおありだ。 なぜ息子はああなのか。

 それはともかく、何の因果でこんな大物が俺の受付に。 すぐに貴族の接待用将校と代わってもらいたかったが、この混み具合では呼びに走った所で捕まらないだろう。 仕方なくマニュアル通りに弔問へのお礼を申し上げ、一家につきお二人までしか参列出来ない事を説明した。 準公爵は軽く頷き、無言で会場へ向かって下さり、お付きの皆さんも特に何もおっしゃらず、案内係の誘導に従って下さった。 それでもどっと疲れたが、次はもっと疲れる弔問客だった。

 記帳されたお名前によれば、リューネハラ公爵名代、ミタ・リューネハラとその妻、マオ・リューネハラ。 リューネハラ公爵別家当主トイード・リューネハラとその妻、ナハ・リューネハラとなっているので質問した。

「一家につきお二人の参列にさせて戴いておりますが、どなたが参列なさるのでしょう?」

 すると侍従らしき人がお答えになる。

「会場が手狭である事は承知しておりますが、先程正門前でカイザー公爵名代夫妻、分家当主夫妻が連れ立って会場へ向かっておりました。 これは準大公の甥の婚約者の家であるため一家から四人参列してもよいという事でしょうか? それでしたら当家も準大公の義兄の妻の実家。 一家から四人参列しても問題ないという事になるのでは?」


 怒鳴られた訳じゃない。 今日のお天気を話すような口調ではあったが、さすがは公爵家の奉公人。 圧がすごい。 俺の背中に冷や汗が伝い始めた。 今は十一月。 雪が降りそうなくらい冷え込んでいるのに。

 例外として四人を通す? それとも規則通り二人? 二人ならどっちを通す? 本家? だと思うが、別家当主の方が遥かに年上だ。

 どうすればいいのかさっぱり分からず、必死に辺りを見回したらヴィジャヤン大隊長のお姿が見えた。 いつも東の通用門からお入りになる。 ただ俺は部下じゃないし、軍曹なんて平も同然の階級だから大隊長へ声を掛けるなんて真似は許されない。 しかし他に誰を頼ればいい?

 泣かんばかりの瞳で縋ったからか、ヴィジャヤン大隊長の方から受付にお立ち寄り下さり、別家の皆さんにお帰り戴く事が出来た。 正直疲れ切って逃げ出したい気分だったが、俺がいる東の端は準大公夫人がお歌いになる場所からそう遠くない。 もしかしたらお声が届くかも、とそれだけを今日の唯一の楽しみにしていた。 ここで逃げ出してなるものか、と踏ん張った。 その甲斐がある、とても美しいお声だった。 後であれは俺への弔歌だったのかもと思わないでもなかったが。


 軍葬の後片付けが始まり、ほっと一息ついた所で、ぱんぱんに膨れあがった背嚢を担いだミューレット軍曹が芳名帳を集めに来た。 彼は別の部隊の所属だが、俺とは同期で弓と剣の会の会員でもある。 時々一緒に飲みに行ったりする仲だ。

「ベックランド、お疲れ。 これで全部か?」

「ああ。 ミューレットこそ、お疲れ。 それ、手押し車にすりゃよかったのに」

「とは思ったが、手押し車で上級貴族を転がしたら目も当てられん」

「それもそうか。 皆さん、ヴィジャヤン大隊長並みのもこもこ厚着でいらしたもんな」

 芳名帳に受付番号と通し番号をつける時、さっと中身を確認したミューレットが不思議そうな顔をする。

「あれ? リューネハラ、別家も来ていたのか? 会場に座っていたのは二人だけだったような」

「参列は一家から二人までだろ」

「でもここに別家当主、て書いてあるじゃないか」

「別家だって同じリューネハラだろうが」

「お前、聞いてないの? 公侯爵の別家は本家が参列していても二人参列出来るんだぜ。 どこも北の貴族を全部合わせたくらいの金持ちなんだから」

「「「えっ?!」」」

 同じ受付に座っていた俺達三人の顔から一斉に血の気が引いていった。 それを見て察したミューレットの顔からも血の気が引いていく。

「香典だって本家の五十万とは別に三十万出しているだろ。 まさか、追い返した?」

 俺が無言で頷く。

「香典、返して、ないよな?」

 それにも頷く。

「どうする気だ?」

「どうするって。 すぐに報告するしかない」

「だけど報告したら無事には済まないぜ」

「そりゃ報告せずに済むものなら黙っているが。 無理だ。 追い返したの、ヴィジャヤン大隊長だから」

「げえっ! ま、まじ?」

「ああ。 ヴィジャヤン大隊長も御存知なかったんだろう。 俺達に責任を押し付けるような御方だったら俺だって黙っている。 喜んで死んでやるさ。 だけどあの御方の事だ。 まるっと正直におっしゃるよな? すぐに上官へ報告してヴィジャヤン大隊長に口止めしないと」


 俺は第三大隊所属。 つまり俺の上官の上官の上官はタケオ施主だ。 頭越しの報告をした方が知っている人の数が少なくて済むが、お忙しいタケオ施主に軍曹が耳打ちする機会なんかありっこない。 直属上官のリアッカ小隊長へ報告した。

 リアッカ小隊長は渋いお顔になったが、俺達を責めたりはせず、すぐにアテフワード中隊長へ報告なさった。 アテフワード中隊長に焦った様子はなかったが、常に沈着冷静な御方だから内心も平気だったのかは分からない。 アテフワード中隊長はアーリー補佐がお手洗いに立った隙を狙い、そっと耳打ちなさった。 アーリー補佐は慌てず騒がず。 アテフワード中隊長に短く何かを囁き返しただけでお戻りになった。

 何を言われたのか俺達には聞こえなかったが、アテフワード中隊長は平静なまま。 俺達三人を叱責するでもなく。

「本日は御苦労。 今日はもう帰って休め。 明日も休みたいなら許可する。 通常業務をしていた方が気が紛れるかもしれんが。 いずれにしてもリアッカに配慮するよう、言っておく」


 今日の内に軍牢入りになると覚悟していたのに。 拍子抜けと言うか。 喜んでいいのか? 上級貴族を追い返して無事に済む人なんていないだろう? 追い返したのはヴィジャヤン大隊長で、俺はそれを見ていただけだが、あちらにしてみれば誰かの首を転がさなきゃ腹の虫がおさまらないんじゃ?

 俺達三人は全員独身で官舎住まいだ。 軍牢で殺すより官舎で殺した方が殺された理由を誤魔化しやすいかもしれない。 ただ官舎には他の兵士が沢山いる。 口止めに理想的な場所とは言い難い。 口止めされなかったからと言って何があったかペラペラ喋りまくる気は勿論ないにしても。


 居ても立ってもいられず、俺は明日の若番(*)に頼み込み、代わってもらった。 昨日の今日だ。 ヴィジャヤン大隊長は朝稽古をお休みになるかもしれないが。

 暖炉の準備をしていると、なんといつも通り。 寒い、寒いと文句をおっしゃりながら稽古を始められ、降り始めた雪をものともせず、バシバシ的に当てていらっしゃる。 それで最初の御休憩の時、昨日の不手際をお詫び申し上げた。

「大隊長、昨日は大変御迷惑をお掛け致しました。 私が至らないばかりに」

「え? あ、ベックランド軍曹だっけ? いやー、参った、参った、上級貴族なら別家も参列出来るんだってな。 ベックランド軍曹こそ大丈夫だった? 俺が間違った事言ったせいで直属上官に叱られたんじゃない?」

「いえ、それは大丈夫でしたが。 タケオ施主は、その、お怒りでは?」

「この程度で怒ったりしないよ。 ま、不機嫌ではあったけど。 最近の師範て、不機嫌がデフォルト、て言うか。 そう思わない?」

 これに何と答えれば正解なのか? 昨日は死を覚悟したが、どうやら死ななくともいいらしい。 なのにここで拾った命を捨てるような真似はしたくない。 俺はうんともすんとも言わず、ただ黙っていた。 それにお気を悪くされた様子でもなく。

「ほんと、リヨちゃんに早く大きくなって、と言いたいよ。 俺って割と子供に好かれるんだよな。 お父ちゃんよりサダちゃんが好きとか、お嫁さんになりたいと言われたりして? ぐふっぐふっぐふっ」

 お顔の半分を覆うマスクからくぐもった笑いを漏らしながらヴィジャヤン大隊長は稽古へお戻りになった。


 そりゃオークを射殺し、ロックと共に空を飛び、海坊主と海を泳いだ御方だ。 普通の胆力とは思っていなかったが、ここまで豪胆だったとは。 この話を聞いた時には「弓と剣の会」のメンバーも真っ青。 会報始まって以来初めての雪だるまマーク(**)六個はこれ、と満場一致で決まった。

 因みに五段階を越える発言は会の極秘扱いとなり、会報には掲載されない。


*若番:的場近くの小屋にある暖炉の火を絶やさない人。 「若の指を守る番人」が短縮されたもの。 (「弓と剣」春遠きの章、「若番 伝説が生まれるまで」より)

**雪だるまマーク:ヴィジャヤン大隊長にまつわる寒い言動を五段階評価したもので、五が最高。 (「弓と剣」領主の章、「秘密 デサンレの話」より)

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新ありがとうございます。 久しぶりの「弓と剣の会」 この方達のお話し大好きです。北軍兵士がどのように若を見ているのかが分かって 微笑ましく思ってしまいます。 師範に批判的だった大隊長も…
[一言] なぜ息子はああなのか 地上の身分制度を超越した人なんだ、たぶん
[一言] クイズ百剣に聞きました! 本当に怖いのは 1.師範 2.若 どっち!?  一般の答 1.師範  百剣の答 2.若  なんだろうな〜 師範は剣では厳しいとは思うけど常識人。 若は優しいけど歩…
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