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副将軍記  作者: 淳A
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豊穣  ヨネ(タケオ施主夫人)の話

 旦那様がこれほどすぐ施主をお務めになるとは。 たとえいつか副将軍になるとしても、それはサダ様が将軍になった時、断り切れずに副将軍を受けるのだろうと思っていた。 そしてサダ様より年上の旦那様が将軍になるとしたら、サリ様御結婚と同時にサダ様が近衛へ移籍なさるからだと。


 サダ様のお人柄は充分承知している。 おそらく御自分にはやれないとお考えになって施主を御辞退なさり、それで旦那様が引き受ける羽目になったのだ。 でも果たして世間はそう受け取るだろうか。

 いえ、私が気にしているのは世間という漠然とした誰かではない。 リネ様はそう受け取っていらっしゃるのか。 少なくともリネ様にとっては実兄の昇進。 御不満はないかもしれない。 けれど御家内にはこの頭越しの昇進を喜ばない方もいらっしゃるのでは?

 特にウィルマー執事。 サリ様の乳母マレーカ公爵令嬢エナ。 法律顧問のベイダー侯爵令嬢ソニ。 何人もの平民を雇っていようと貴族がどう考えるかに関して無知な奉公人ばかりではない。 誰かお一人でも不快に思っていらしたら、サリ様がそれをお感じになり、影響されるのでは?

 サダ様はこの昇進を素直にお喜びになっていらっしゃる。 とても分かり易い御方だから、軍葬に参列した弔問客がそれを読み取るのは難しくない。 けれど御家内の皆様の気持ちまでは読み取れないだろう。 そもそも御家内の皆様全員が軍葬に参列なさるはずはない。 軍葬が終わるまでサリ様とサナ様は神域内のサリ様の御宅でお待ちになると聞いている。


 ああではないか、こうではないかと益体もない事まで思い悩むのは、私の自信のなさの表れ。 施主の妻としてどう振る舞えば正解なのか、全く分からないからだ。

 寡婦となったポクソン夫人を慰める事を期待されている? それともそれはリネ様がなさるべき事で、私が出過ぎた真似をするなど許されない? 夫の昇進を誇りに思う妻として振る舞うべきか、それとも夫の昇進を申し訳なく思う妻の方が好ましい?

 リネ様に会いさえすれば私の不安は解消されると思う。 でもあちらは皇王族。 私は臣下となった。 たとえ義姉であろうと今までのように気軽にお会いする事など許されない。 それにリネ様にも施主の妻の御経験はないのだから仮にお目通りが叶ったとしても、施主の妻としてどう振る舞うべきかなど、お答えにはならないだろう。 御自分の知らない事は知らないと正直におっしゃる御方だから。 かと言って施主の妻を務めた経験のある女性なんて、私の知り合いには誰もいないし。


 喪服を選ぶだけで手間取っている私を見て侍女のミンが訊ねる。

「奥様、御不満な点でもございましたらお針子を呼びますが?」

「これで、いいのかしら?」

「よろしいかと存じます。 ですが、あちらの方がよろしければ、あちらでも」

「いえ、どちらも不適切のような気がして。 これは地味過ぎるし、あれは派手過ぎるでしょう?」

「もしや喪服より弔問客の思惑をお気に掛けていらっしゃるのではございませんか?」

「それは。 まあ、それも気にならないと言えば嘘になるけれど」

「お気になさいますな。 と申しましても、なさらない訳には参らないかと存じますが。 奥様が今一番お気に掛けるべきは世間体ではなく、旦那様のはず。 ポクソン補佐を失った事は旦那様にとって大変な打撃でしょう。 たとえ事件は解決しようとポクソン補佐が戻る訳ではありません。

 それを悲しむ間も与えられず、軍葬。 施主。 それに続く昇進。 どれも重責以外の何ものでもなく。 奥様の不安が旦那様に伝わり、それが更なる重荷となるようではこの先が思いやられます。 旦那様がクポトラデルへ旅立たれた日、奥様はお覚悟をお決めになられたではありませんか。 生きて二度と会えなかろうとリイ・タケオの妻として添い遂げると」

「それに変わりはないわ」

「しかし北軍副将軍夫人となる覚悟はしていらっしゃらなかった?」

「それ、は。 いつかそうなるかもとは思っていたけれど。 まさかこれほどすぐとは」


 私にしてみれば事件があった日、旦那様がお戻りにならなかった事より、それから一ヶ月も経たずにお戻りになった事に驚いた。 旦那様が急の御用事でしばらくお戻りにならなかった事は今までにもあったし、執事のボーザーが私に何も言わず、旦那様のお部屋にある金庫を開けていたから。

 その金庫に入れてあるものは二つだけ。 一つは準大公からリヨへ贈られた瑞鳥ロックの羽。 もう一つは私の実家であるグゲン侯爵家から結婚のお祝いとして旦那様へ贈られた宝玉。

 豊穣という名のその石には、旦那様が御入用とする物の代価はいくらであろうとグゲン侯爵家が払うと証する呪術が掛けられている。 でも旦那様がそれをお使いになった事は今まで一度もなかった。

 大隊長はその大隊の予算の範囲内ならいくらでも大隊長権限で使える。 年間予算以上のお金が御入用になる機会なんて、そうある事ではない。 旦那様が外国へ出張なさったのでもない限り。 その場合、皇国のお金や軍票は役に立たない事の方が多いだろう。 その点、グゲンの信用払いならたとえダンホフ銀行支店がない国であっても通用する。 グゲンが製粉した穀物はほとんどの外国に輸出されているので。

 つまり旦那様は外国へお出掛けになった。 なら簡単にお帰りになれるはずがない。 翌日、旦那様が飛竜をお使いになった事は聞いたけれど、お帰りは他の交通手段になるだろうし。


 旦那様が御出発なさった日、クポトラデル王国ヴァレーズ王太子殿下との昼食会があったはず。 そこで何か不手際があった? いずれにしても軍関係の事件か任務なら私に連絡がなくとも仕方がない。 せめてお戻りがいつ頃になるかだけでも知りたいけれど、それはボーザーも知らない可能性が高い。

 ポクソン補佐なら知っているかも? ただ上官不在の間、軍の指揮をせねばならないのだから相当お忙しいはず。 上官の妻が余計なお邪魔をすべきではない。 でもポクソン夫人なら?


 ところが彼女をお茶に招待しようとしたらボーザーに止められた。 それだけではない。 私の全ての予定は取り消すように進言された。 どうやら相当な事件が起こったよう。 旦那様が無事にお帰りになるかさえ分からないような。

 いえ、御無事、だとは思う。 どのような難局であろうと見事に切り抜ける御方だし。 けれど私の元へお帰り下さるかどうか。

 他の女性の存在を心配をしているのではない。 何と言うか、旦那様はどこにも、誰の元にも帰らないような。 根無草となる事を何とも思わない一面がおありになるのだ。

 たとえ貧しい暮らしになろうと場所がどこであろうと、付いて行くのが許されるなら付いて行くつもりではいる。 だから身辺整理を常に心掛けているのだし、リヨが足手纏いの場合誰にリヨを託すかも決めてあるけれど、旦那様は私が付いて行く事をお許しにはならないような。 勝手に付いて行こうとしたら離縁されるような気がしてならない。 ここでただ待つ事さえ許されず、離縁される事さえ考えられる。


 そんな日がいつか来る事を予想していたし、そうなったら私はどうするか。 たとえ離縁されようと私は生涯リイ・タケオの妻、と覚悟していた。

 長い長い一ヶ月。 結局旦那様はお帰り下さった。 不本意ながらも。 事件とその解決に関し、旦那様は私に何もおっしゃらなかったけれど、不本意な帰国である事は感じられた。 私をもう愛していないとか、リヨを愛していないとかという問題ではなく。 ただただ縛られて生きるのがお嫌でいらっしゃるのだ。 ならばせめて妻が夫の重荷にならぬよう心掛けねば。


 幸い軍葬で皆が目で追っているのは旦那様と準大公と準大公夫人。 その他大勢の私に注目する人など一人もいない。 軍葬ではサダ様の短いながらも真摯な弔辞に心を打たれた。


「ポクソン大隊長補佐。 あなたがここに居ないという事が信じられません。 でも信じなくてもいいのだと自分に言い聞かせています。 あなたは私の心の中に生きている。 私だけではないでしょう。 あなたに出会い、軍人としての見事な生き様を教えられたのは。 ならばあなたと出会った全ての人の心の中に、ネイ・ポクソンは永遠に生き続ける。 私はあなたの教えに従い、恥ずかしくない生を全うするつもりです。

 青竜の騎士、準大公にして北軍第十一大隊大隊長、サダ・ヴィジャヤン」


 そしてリネ様が歌われた、美しくも悲しい調べの弔歌。


 遥かに揺蕩うアブーシャ

 その流れに身を任せ、去りし人へ

 残されし者の想いを伝えてよ

 共に過ごした日々は

 夢のように

 夢のように

 幸せであったと

 

 最後に弔問客に対する旦那様の謝辞。 軍葬は大変な人出ではあったものの短時間で終わった。 御退席なさる前、テーリオ祭祀長はポクソン夫人に励ましのお言葉を下さったよう。

 旦那様はテーリオ祭祀長に従って退席し、そのまま戻らず、私はリネ様のお側で上級貴族と外国からの弔問客へ挨拶した。 卒なくこなせた自信はない。 とにかく挨拶を終わらせる事が出来た。 どうか顔に疲れが出ていませんように。 すると私の疲労を感じ取られたかのようにサダ様がおっしゃる。


「はあー。 疲れた、疲れた。 もう、どーーっと疲れちゃった。 なんで、こんなに沢山人が来るの? 施主が人気者だと部下は苦労するよ」

「サダ様。 至らぬ施主で、申し訳ございません。 御夫妻での御挨拶、誠に忝く存じます。 大変お疲れ様でございました。 どうかごゆっくりお休み下さいませ」

「まったあ。 ヨネ義姉上ったら。 そんな堅苦しい挨拶、俺達だけの時はしなくていいよ。 ヨネ義姉上こそお疲れでしょ。 ほらほら、元気出して」

 そうおっしゃりながら私の手を優しく握って下さった。 その途端、まるで春の息吹のような暖かいものが全身に流れ、全ての疲れと不安が跡形もなく消え去ったような。 これが噂の準大公の握手?

 リネ様が頷きながらおっしゃる。

「リイ兄さんの事だもん。 どうせヨネさんとボーザー執事に丸投げで、後は野となれ山となれだったんじゃないんですか?」

「そのような事は決して。 それに重責を担う夫の重荷になるようでは妻として失格です」

「重荷って。 ヨネさんほど重荷とは程遠い妻なんていないでしょ。 まさかリイ兄さんがそんな世間知らずな事、言ったの? それ、言い返しづらいなら私から一言言っておきますよ」

「い、いえ、滅相もない。 夫の言葉ではありません。 ただ私がそう思っているだけで」

「ヨネ義姉上って真面目だからなあ。 師範にヨネ義姉上の爪の垢でも飲ませたいよ。 ま、俺の爪の垢でもいいけど。 こう見えても俺って真面目だから」

「旦那様。 世間の皆さんからもそう思われたいなら、余計な一言をおっしゃらない方がいいです」

「リネったら、相変わらず手きびしー。 最近リネも真面目に磨きがかかってきたんじゃない? もしかしたらヨネ義姉上の影響だったりして?」

「そうだったら嬉しいです。 そんな事より、ヨネさん。 忙しいリイ兄さんに構ってばかりいないで、来週辺り、夕御飯にいらっしゃいません? ヨネさんも旅の土産話、聞きたいでしょ。 リイ兄さんは無口な人だから忙しくなくてもそんな話、してくれないと思うし」

「特に自分がいかにシブチンだったかなんてな」

「シブチン? でございますか? それはどういう意味でございましょう?」

「ケチとか、財布の紐が固い、て意味。 旅ではどこでもダンホフが全部出してくれてさ。 俺達の懐、全然痛まなかったんだけど、ダンホフの奉公人はクポトラデル王との面談に立ち入る事は遠慮したから。 面談の後、自分で金を払わなきゃいけない場面があったんだ。 ところが師範たら。 準大公なんだろ、お前が払っとけ、だぜ。 まったくう」

「そ、それは大変御迷惑をお掛け致しました。 私が支払いますので」

「いいの、いいの。 後で軍から払い戻してもらえたから」

「まさかグゲンの豊穣が通用しない国があったとは」

「ほうじょう? 何、それ」

「豊穣と名付けられた緑色で親指の爪ほどの大きさの宝玉です。 それを宝玉皿の上に置けば、夫が買いたい物は何であれ、グゲンが支払うと保証している事が分かります」

「いくらまで?」

「上限はございません。 億であろうとグゲンが払うと言ったら払います。 百億以上ですと一括では無理だと思うので手形を発行する事になるでしょうが」

「げえっ。 あれってそんなにすごい宝玉だったの? 道理で、クポトラデルの財務大臣が目を見開いていた訳だ」

「とおっしゃいますと、クポトラデルでも通用した?」

「たぶんね。 だけど財務大臣の目の色が変わったのを見て、師範はあれがそんじょそこらの宝玉じゃないと察したんだと思う。 さっと懐に隠して、俺に払わせた、て訳」

「きっと妻の実家に負担をかけたくなかったんだわ。 リイ兄さんらしい」

「なんだよー。 義理の弟には負担をかけてもいいってか」

「でも旦那様のお手持ちで間に合ったんですよね? なら大したお金じゃなかったのでは?」

「まあね。 二万ルークとか、その辺り。 それにあの宝玉で支払うと書面に書いていたら、後で二の後ろの万を億に書き変えられていたりして。 師範て、相手がずるしそうな人か、きちんと見分けられる人だから。 頼もしいよ。 いい副将軍になりそう」

「お褒めに与り恐縮です」

「で、普段いっぱい苦労を掛けている弟に、ちょーっと手加減してくれる副将軍なら、もっと素晴らしいんじゃないかなあ。 ヨネ義姉上も、そう思いません?」

「旦那様、厚かましいお願いはお止め下さい。 恥ずかしいです」

「えー、言うだけならいいじゃん。 どうせ師範なら、ふん、と笑ってお仕舞いさ」


 その場では、ただお二人に微笑み返しただけで何も申し上げなかった。 私の不安を消し、疲れを癒して下さった事を旦那様がお知りになれば、ちょっとどころではないお礼をなさると思うけれど、それを今ここで申し上げても信じてはもらえないだろう。

 あの豊穣の呪術は五年間しか保たない。 その五年間の内に一度でも使われたら次に呪術を掛けた時には上限が現れる。 上限はないと知りながら使わなかった持ち主には豊かな実りを齎す宝玉なのだ。 でも領地を持たず、お金を必要としていない旦那様にとっては特に何も齎さない、美しいだけの石。


 最初の五年が過ぎる頃、旦那様は私の両親へ握手の事をお話しになり、持ち主を変えられないかとお訊ねになったところ、両親は喜んで呪術師に持ち主をサダ様へ変えるようにと命じた。


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― 新着の感想 ―
[一言] タケオ家最高機密 ボーザー執事は見た! ヨネ奥様にデレデレな北のデレ虎リイの日常! 師範はデレ虎を隠してるつもりらしいです。サダ談
[良い点] 奥さんの恩をきちっと何倍にしても返すし、やっぱり副将軍になる男は違うな 師範は口では色々言っていたけど、なんだかんだでサダの事好きそうで安心しました。 多分「借りがあったままだと気持ち悪い…
[一言] 更新ありがとうございます。 若の弔辞 確かに短いなとは思いましたが、心に響く若らしい言葉でしたね。 師範のことを心から思っているからこそ置いて行かれてしまうのではないかという不安に駆られ…
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