不思議 カリゴウス近衛副将軍の話
北軍将軍暗殺事件が起こった時驚愕を禁じ得なかったが、そのような事件が起こった事に驚愕したのではない。 事件が発表された事に驚いたのだ。
暗殺事件など日常茶飯事とまでは言わないが、どの軍でも未遂なら似たような事件が起こっている。 近衛将軍ともなれば毎年一回はあると言ってもよいくらいだ。 しかし世間に発表した事はない。 これからも発表される事はないと予想される。 たとえ暗殺が成功しようと近衛将軍の死は病死か事故死として発表されるだろう。 大事にしたいという目的があるのでもない限り。
つまり北軍将軍暗殺事件が発表されたのは大事にしたかったから、という事になる。 他国が絡んでいた事はこの場合理由にならない。 モンドー将軍がクポトラデルに対して開戦したいのなら別だが。 野心のない人柄で知られる御方が、ある日突然理由もなく開戦を望むとは思えない。 確かに将軍なら誰でも自軍の兵に出征を命じられるが、北からだと東を通らずに出国は不可能。 つまりオスタドカ東軍副将軍の協力が必須となる。
クポトラデルは皇国と地続きではなく、貧しい国だ。 占領したところで大した旨味は期待出来ず、多少の戦利品があったとしてもそれを北軍と折半する事になる。 それでは東軍の持ち出しになる可能性の方が高い。 それでも開戦したい理由などオスタドカ副将軍でなくともないだろうし、現在ヤジュハージュとの外交交渉でお忙しいセジャーナ皇太子殿下には更にない。
そもそも暗殺事件が勃発から一ヶ月足らずで解決とは前代未聞。 最初からお膳立てされた事件ではないのかと疑われても仕方がない。 ただクポトラデルが賠償金の支払いに合意したとなると、これを解決した者の手腕は中々のもの。 それ故事件が発表されたのだろう。 如何に素晴らしい軍功であるかを世間に周知させるために。
そういう意味では、事件の立役者である大隊長が施主を務めるのは頷ける。 犠牲になったポクソン補佐が皇王族のお血筋ではあったが、五親等という離れた血縁であった事も、言葉は不適切だが、幸いした。 我が国に有利な早期決着となったのだ。 陛下がクポトラデルへ出兵なさる事はあるまい。
八方丸く収まったのはいい。 だがなぜこの軍功がタケオ大隊長のものになっているのか? 実際の解決はマッギニスのおかげなのだろうが、それなら尚の事、彼の上官であるヴィジャヤン大隊長の軍功とすべきだ。 軍葬の施主の名前を間違えて発表するとは信じられないが、一瞬何かの間違いでは、と考えたほど。
けれど間違いなら修正されるはず。 修正されないままなのだから間違いではない。 間違いではないなら何なのか? 今、タケオ大隊長を施主に指名せねばならない理由とは?
タケオ大隊長の場合、副将軍に昇進しても恥ずかしくないだけの軍功はある。 たとえ北軍将軍暗殺事件を解決していなくとも。
軍対抗戦で北軍に勝利を齎した。 皇太子殿下暗殺未遂事件を乗り切った。 皇太子妃殿下お出迎え任務を完遂した。 瑞鳥探索に成功した。 神域内でのヴィジャヤン大隊長誘拐未遂事件を未然に防ぎ、賊を成敗した。 先代陛下のお見送りの際、瑞兆の護衛を無事に果たした。 竜鈴鳴動の際、青竜の騎士の護衛を務めた。 いずれも北軍だけでなく皇国史に特記すべき軍功だ。
ただ北軍には他軍にはない慣例がある。 次期将軍の指名は現将軍に一任されているのだ。 おそらく歴代陛下にとって北軍の重要度は低かったから次の将軍が誰であろうと問題にされなかったのだろう。
この慣例があるせいか、どの指名にも裏があった。 金では返せない恩がある部下を副将軍に指名するという。 だから将軍は次期将軍である副将軍の指名が世間から見て無理もないと思わせるよう、功をお膳立てしてあげていた。 ブロッシュが第一大隊長へ昇進したのもそういう理由で、功があったから第一大隊長へ昇進したのではないのだ。
しかし私が知る限り、モンドー将軍はタケオ大隊長から金では返せない恩など受けてはいない。
因みに将軍に返さねばならない恩がない場合、皇王族のお血筋が優先される。 タケオ施主は未来の皇王妃陛下の血縁の伯父。 だが北軍にはヴィジャヤン大隊長という、青竜の騎士にして皇王妃陛下の実父であり、陛下より皇王族筆頭と呼ばれる御方がいらっしゃる。 準皇王族の三親等より優先されるべきであるのは言わずもがな。 お血筋で選ばれたのなら優先順位を間違えるはずはない。
ヴィジャヤン大隊長に副将軍を受ける気が全くない事は聞いているが、それを言うならタケオ施主にもやる気など欠片もなかった。 少なくとも世間に対してずっとそういう態度でいたのに、あれは世間体を気にしたただのポーズと言う気でもあるまい?
おそらくこれは軍功や血筋によって実現した昇進ではないのだ。 それらがあるおかげで世間が納得する昇進になってはいても。
そもそも以前ならどれほど尊い血筋、素晴らしい軍功があろうと、二十代の若者が北軍副将軍へ昇進するなど考えられなかった。 にも拘らず、北の猛虎はいずれ将軍になると信じている者がかなりいたが。 私にしても仮にタケオ施主が皇王妃陛下の血縁の伯父でなかったとしても、副将軍、そして北軍将軍となるのは時間の問題と思っていた一人だ。
それだけにブロッシュがタケオ施主を自分の昇進を脅かす者と見做した事を全くの見当違いとは思わない。 特にブロッシュは自分の功がお膳立てされたものである事を知っていた。 だから自力で大功を立てる大隊長の出現に誰よりも深く脅威を感じたのだろう。 モンドー将軍は自分が受けた恩を忘れるような御方ではないのだが。 そうと知りつつ何かをせずにはいられないほど、スティバル祭祀長はタケオ施主に肩入れなさっていた。 タケオ施主が入隊した直後から。
この肩入れの理由はモンドー将軍も御存知ないらしい。 エクスヴェル先代陛下、ハレスタード当代陛下でさえ御存知かどうか。 単に私に伝える気がなかっただけという可能性はあるにしても、マッギニス近衛将軍によればこの御贔屓はスティバル祭祀長お一人の判断でなさった事だ。 スティバル祭祀長は定期的に陛下へ御報告なさっていたが、陛下からスティバル祭祀長へお手紙を出された事は一度もなかったから。
過去、祭祀長が個人的な嗜好で軍内人事にお指図された例ならいくらでもある。 だが祭祀長のお側に近寄れるのは単なる護衛であろうと貴族の子弟だ。 見ず知らずの平民の肩入れをなさった例など聞いた事はない。 それにスティバル祭祀長は御着任以来、軍内人事にお指図された事は一度もなかったと報告されている。
諜報員からの報告によればタケオ施主は身長が並外れて高いとか、筋力量が並外れている等の目立った体格でもなかった。 ただ新兵の頃から傲岸不遜、近づき難い気迫で知られていた。 いや、気迫と言うより剣呑。 彼に近づく者は誰であろうと無事には済まないと感じさせる殺気を撒き散らしており、敬遠されていたのだとか。 彼の身分の低さを考えれば誰かの脅威となるはずなどないにも拘らず。
それらの報告が全て正確とは言わない。 しかし、なぜそのような嫌われ者を御贔屓なさったのか? 理由は分からなかったが、スティバル祭祀長は週一回、単なる平民をお茶へ御招待なさり始めた。 将軍でさえ祭祀長の御贔屓を無碍に扱う訳にはいかない。 本音はどうあろうと。 それにタケオ施主は誰よりも早く頭角を現した。 彼の強さは御贔屓のあるなしに何の関係もない。 軍にとって強い剣士は軍の士気を高める宝だ。
歳月を経てもスティバル祭祀長のタケオ施主を推すお気持ちに変わりはなく、スティバル祭祀長をお継ぎになったテーリオ祭祀長も同じと聞いている。 ヴィジャヤン大隊長が準大公となり、青竜の騎士でもある事が明らかになった後も。
今や軍内でタケオ施主が副将軍に昇進し、そして将軍に昇進する事を疑う者は一人もいない。 それを知ってか知らずか、タケオ施主は変わった。 軍対抗戦で見た雄叫びに感じた、彼の心の奥に潜む怒りはおそらく消えていない。 しかしそれを表に出さず、人あしらいが上手くなった。 第三大隊の指揮が円滑だったのはポクソン補佐のおかげだとしても副将軍としての指揮もおそらく円滑だろう。 ジンヤ副将軍の筆頭補佐であるアーリーを続投させたから。
新副将軍にとって筆頭補佐が誰かにより仕事量が大きく変わる。 現筆頭補佐が続投するのが理想だが、それを引き受けてくれるか否かは又別の話。 特にアーリー副将軍補佐のように内心ヴィジャヤン大隊長を次期副将軍に推している場合。
だがタケオ施主は続投依頼をするのにヴィジャヤン大隊長を同行させた。 私はアーリーの本音を知っていたが、タケオ施主も知っているとは思わなかった。 最初はタケオ施主が人の気持ちを読むのに長けているからかと思ったが、どうやら人の気持ちを読むのに長けているのはヴィジャヤン大隊長の方らしい。 タケオ施主はヴィジャヤン大隊長の気持ちを読むのに長けている。 と言うか、ヴィジャヤン大隊長は誰がどう思っているか、聞けば何でも感じたままを話してくれるという事のようだ。
だから副将軍としては無能と言いたいのではないし、タケオ施主に対する当初の懸念が未だにある訳でもない。 世間では準大公人気の方が凄まじいため忘れがちだが、軍人の間では昔も今も準大公よりタケオ施主の方が比較にならない程人気が高いのだ。 近衛大将を倒した若き剣豪への畏敬を口にする近衛大隊長こそいなかったが。
どの軍だろうとタケオ施主を欲しくない将軍はいないだろう。 そして北軍ならタケオ施主が副将軍へ昇進する事を不思議に思う者はいないはずだ。 トーマ大隊長の懇切丁寧な引き継ぎを見れば、あの時点で既にタケオの昇進は第三大隊長では終わらないと確信していたと思われる。
しかし祭祀長の肩入れを知っている私から見れば、北軍副将軍が将軍の指名や血筋とは全く関係のない選ばれ方をした事自体に疑問を抱かずにはいられない。 モンドー将軍は引き継ぎの際、慣例をタケオ次期将軍に教えるだろうか? 教えないような気がする。 慣例など結局あってなきが如し。 代々将軍はそうしていたと前任者に聞いただけで確かめようもない事だし、タケオ将軍が従わなかったとしても誰にも咎めようがない事でもある。
仮に教えたところで、タケオ将軍が恩義を感じる人がいるとすればポクソン補佐だが、彼は死んでいる。 次はヴィジャヤン大隊長だが、彼に副将軍を受ける気は全くないのだから。
改めて考えて見れば、タケオ将軍が恩義を感じてもよい軍人が北軍にはもう一人いた。 オキ・マッギニスだ。 彼は来年第三大隊長に昇進する。 次の副将軍に指名されても不思議はない。 北軍将軍暗殺事件解決の軍功を譲ってもらった事を別にしても、ゼラーガの裏門からの生還。 あんな事が出来るのはマッギニス直系くらいだ。 タケオ施主とて大審院召喚の際にあった事を忘れてはいまい。 するとタケオ施主の次はマッギニスが北軍副将軍となる可能性が高い。
北軍将軍が北出身でなかった事はないが。 それを言うなら平民出身の北軍将軍がいた事もないのだから今更前例がどうのと文句を言う者はいないだろう。 少なくともマッギニス近衛将軍が甥の昇進に反対するはずはない。 ならば東、西、南のいずれからも反対はないか、あったとしても将軍副将軍のどちらも若過ぎる、と一応言っておかねば、程度の反対で終わるはず。
正直なところ、私は北軍の将軍や副将軍が誰であろうとどうでもよい。 ヴィジャヤン大隊長でさえなければ。 そして北軍が要らないのなら、是非こちらへ、と誘いたいのだ。 マッギニス近衛将軍も私と同じ気持ちだと思う。 だがなぜかこの件を持ち出すと非常に歯切れが悪い。 今回の軍葬への参列も、いくらでも都合をつけようと思えばつけられるのに私を参列させた。 まるで最初から移籍勧誘に失敗すると知っていたかのように。 実際失敗しているのだが。
軍葬の後、弔問客に挨拶して回るヴィジャヤン大隊長に話し掛けた。
「これで北軍の指揮継承に関する目処が立った訳だ。 其方もこの際自らの行く末を考えてみては? 新たな天地を求める者には新たな機会が与えられよう」
「新たな天地、ですか? そこに師範がいるならどこへでも参りますが」
「タケオ施主がいては新たな天地とはならないであろうに」
「なら、古い天地でいいです。 師範がいれば場所は同じだって毎日がびっくりなので。 今日だって昨日と同じとはとても思えません。 この人出。 びっくりですよね」
「其方こそ周囲に毎日驚きを齎しているではないか」
「え? 私、ですか? 私は人をびっくりさせたりしません。 毎日地道に仕事をしているだけです。 師範がやった何かを私がやったと誤解していらっしゃるのでは?」
「竜鈴を鳴らしたのは其方であろう?」
「あれは竜鈴が不思議なだけで、私が不思議なのではありません。 鈴でも古いと気まぐれになるんじゃないでしょうか。 偶には鳴りたい気分だったとか」
「では海坊主も不思議なのは海坊主で、其方ではない、と?」
「あれなんか正にそうです。 一体何を考えているんだか分かりゃしない。 たぶん何も考えていないんです。 まあ、何を考えているんだか分からないという点では師範も一致していますね。 施主なのに近衛副将軍へ御挨拶しないだなんて。 もしかしたら何も考えていないという点も一致しているのかも。 不思議な施主で、本当に申し訳ありません。 どうかマッギニス近衛将軍に呉々もよろしくお伝え下さい」
私に一礼し、ヴィジャヤン大隊長は次の弔問客へ挨拶し始める。 どう考えても其方の方が余程不思議だろう、と言う機会は最後までなく、帰任した。
改めて考えてみれば摩訶不思議な人からこれほどまでに慕われるとは。 それも又、摩訶不思議。 次の北軍副将軍は単なる剣豪ではない。
軍葬での一部始終をマッギニス将軍に報告した際、どうお考えか訊ねてみた。
「北の猛虎を近衛に移籍させる事は可能と思われますか? すぐには無理でも五年、いや、オスティガード殿下とサリ様の御成婚の機会になら?」
「何十年待とうと無駄だ。 移籍はない」
即答。 その理由を聞こうかと思ったが止めた。 私自身、そう思ったから。
不思議を移すなど、人為の及ぶところにあらず。