夜明け 4
本堂近くの庭にある茶室へ行くと、扉の外にフォーレ、バークビグラ、ノマードが立っている。 どうやら私で全員が揃ったらしく、護衛が茶室への扉を開けてくれた。
既にスティバル猊下とテーリオ猊下がお席に着かれていらっしゃる。 中級神官が猊下より直々お言葉を戴く事は滅多にない。 少し離れてワズムンド上級神官が控えていらしたので御用件はワズムンド上級神官が代弁なさると思っていたら、何の前触れもなくスティバル猊下がおっしゃった。
「フォーレ、バークビグラ、ノマード、ラワッシュ。 来春の昇格試験を受験せよ。 尚、四人の内二人は中央祭祀庁での昇格。 二人は昇格後、北軍祭祀庁への転属となる。 中央と北軍、どちらを選ぶかは其方らで決めて良い。 合意に達し次第、ワスムンドへ連絡する事。 一週間以内に合意に達しない場合は私が任地を決める。 いずれの勤務地を選ぶにしても早急に上司と相談の上、後任を選定し、引き継ぎを始めるように。 私からは以上だが、何か質問はあるか?」
四人の中で猊下に直答した経験があるのはフォーレだ。 私達三人から、頼む、という視線を受けた事を感じたか、私達を代表して猊下へ質問してくれた。
「恐れながらスティバル猊下にお伺い申し上げます。 なぜ昇格試験を受験する前に昇格が決まったのでしょうか?」
「青竜の騎士より推薦があった」
「御推薦の理由も御存知でいらっしゃいますか?」
「彼によれば、竜騎士がいない飛竜でも人を乗せてくれる事があるのだとか。 ただ飛竜は選り好みが激しい。 それで誰も乗れないと思われているが、其方らなら青竜の騎士が頼めば大丈夫との事。 ある意味、其方らは飛竜に選ばれたと言えよう。
何分落ち着かぬ世情。 北と中央の間で緊急の連絡が必要となる事が予想される。 その時飛竜を使える事が望ましい。 ただ何度も玉竜を使っていたのでは世間に隠しようがないだけでなく、玉竜の飛行回数が増えた事で流言飛語が広まる恐れもあるから個人所有か西軍の飛竜を使う。 竜騎士がいれば竜騎士が操縦するが、竜騎士がいない飛竜なら急な飛行任務であってもすぐに飛べるのでな」
「身命を尽くして御期待にお応えしたいとは存じますが、私は飛竜に乗った経験はおろか近寄った事さえございません。 なぜ青竜の騎士は飛竜が私を好むとお分かりになったのか、その根拠を推測しかねるのですが。 昇格試験の結果が発表された後でやはり私では騎乗させてもらえないと分かっても代わりを見つけるのに手間取るでしょう。 受験前に確認の必要があるのではございませんか?」
「案ずる気持ちは分からぬでもないが、青竜の騎士は飛竜の気持ちを読む事にかけては非常に正確。 弓より正確とさえ言える。 と飛竜に関しては門外漢の私に言われても信じ難かろう。 それに実際騎乗してみた方が其方らとしても安心なのでは? 青竜の騎士は明日も竜舎へ行くと申しておった。 聞きたい事があるなら遠慮せず、直接聞くとよい。 他に何か質問はあるか?」
猊下はそうおっしゃって私達全員に視線をお向けになる。 せっかくの機会だ。 なけなしの勇気を振り絞り、質問する事にした。
「恐れながらお伺い申し上げます。 明日、飛竜に騎乗を拒否された場合、昇格はなく、受験する必要もないと考えてよろしいのですね?」
「いや、其方らの昇格は決定事項。 受験は必要である。 担当業務は変わるが」
「その場合、何を担当する事になるのでしょう?」
「身体に障害のある神官の補佐をしてもらう。 他に質問は? なければ下がってよい」
私達はそこで退室した。
混乱しているが、取りあえず上司にこの事を報告せねばならない。 上級神官詰所へ向かおうとしたらワスムンド上級神官から呼び止められた。 慌てて上級神官に対する儀礼で応えようとする私達をお止めになる。
「同僚の間柄です。 儀礼は省略して下さい。 公式の席での儀礼は来春の発表まで必要となりますが」
そうおっしゃって茶室を囲む形で整備されている庭のベンチにお座りになり、私達にも席をお勧めになった。 遠慮がちにフォーレが言う。
「しかしながらワスムンド上級神官には長年スティバル猊下にお仕えしていた御経験がおありです。 今後側近の筆頭となられるお立場でもあり、私達は同僚と申しますより教えを乞う立場。 同席は恐れ多い」
ワスムンド上級神官が微笑みを浮かべておっしゃる。
「祭祀庁は一新されます。 例えば、あなたが今言った側近の筆頭というお役目。 過去にはありましたが、スティバル猊下とテーリオ猊下、どちらも同じ階級の神官に上下の格付けをなさる事はないでしょう。
私の知識の中には改革を実行する時に有用なものもあるとは思いますが、過去を熟知する故に拘泥し、改革の実行を妨げる原因となるかもしれません。 私は対等な立場で互いの良い点悪い点を忌憚なく指摘出来る関係が望ましいと考えています」
私の部下であった時、ワスムンド上級神官が私の誤りを指摘した事はない。 上役だけではなく、自分の同僚、自分より下の立場である下働き、誰の間違いについても何も言わなかった。 誰が何をどう間違ったのか、すぐに分かっただろうに。
普通の下級神官なら、出る杭は打たれる、と発言を躊躇する気持ちは分かる。 だが元上級神官であるワスムンド下級神官の言葉なら誰もが彼の意見や指摘に耳を傾けたはずだ。 しかし彼がそのような発言をした事は一度もない。 皮肉や嫌味と受け取られる恐れはあるが、思い切って正直に聞く事にした。
「つまり今までワスムンド上級神官がなさった事と同じ事をしてはいけない、とおっしゃる?」
私の言葉にお気を悪くされた様子はなく、静かに頷かれる。
「私が過去にした事との間に大きな乖離がある事は認めます。 言い訳になりますが、私は止め得ぬ落日を悲しんだ愚か者。 生きている内に来るべき夜明けを見る事になるとは信じておりませんでした」
止め得ぬ落日? 来るべき夜明け?
どういう意味か分からないが、ワスムンド上級神官が微笑んだところなどかつて見た事がない。 上級神官に返り咲いた事で生まれた余裕と言うにはあまりに自然。 まるで生まれたばかりの赤子が見せるふわりとした微笑みのよう。
ワスムンド上級神官がお言葉を続ける。
「過去にした間違いを忘れてくれと願うのは余りに厚顔。 ですが私のこれからを見て、いえ、私よりスティバル猊下とテーリオ猊下を拝見すれば分かるでしょう。 新しき時代が始まった、と。 昨日が始まりの日。 ならば昨日昇格した私と今日昇格したあなた達の間に先輩後輩と言えるほどの違いはありません」
新しき時代? 皇都の活況を見れば世の中が変わりつつあるとは感じている。 平民が副将軍になろうとしているのだから軍内でも相当な改革が進んでいるのだろう。 それらを指して新しき時代と呼ぶ事に抵抗はない。 けれどワスムンド上級神官は陛下ではなく猊下を拝見すればとおっしゃった。 つまり祭祀庁も新しき時代を迎える?
それを信じている神官がいる事に驚く。 少なくともワスムンド上級神官がそんな夢物語を信じているようには見えなかった。 信じていたら昇格試験を受けるだろう? スティバル猊下からは降格されようとネイゲフラン猊下はスティバル猊下とは意見を異にする御方。 中央祭祀庁内の昇格はネイゲフラン猊下の御一存で決められる。 上級神官への返り咲きは難しくとも中級神官に昇格し、上級神官の側付きという名目で猊下の側近となり、祭祀庁の改革をしようと思えば出来るのだから。
この心境の変化は何故かお訊ねしたいが。 いくら同僚扱いされようと心境の変化を語り合えるような親しい間柄ではない。 私達はそれぞれ希望する任地を伝え、後任として推薦したい神官がいるかを伺い、青竜の騎士の御予定を伺った後で辞去した。
青竜の騎士用に建てられた竜舎は他の竜舎と違い、竜舎の扉に見事な青竜が浮き彫りされてある。 翌朝十時に伺うと、御休息用のお部屋からサナ様のお元気な泣き声が聞こえた。 御家族の皆様も御一緒らしい。 竜舎の後ろには的場があり、そちらから青竜の騎士とタケオ副将軍がいらした。 私達が皇王族への儀礼で挨拶しようとすると青竜の騎士がお止めになる。
「あ、そういうの、いいから。 これからも。 会うとしたらすごく急いでいる時だし。 じゃ、乗り方を説明するね。 普通なら操縦する人が乗って、それから乗客が乗るんだけど、一人で乗る時はちょっと違うからさ。
まず飛竜の名前を呼ぶ。 今日使う飛竜はリョクヤ。 リョクヤ、初めまして、という感じ。 二回目からは、こんにちわとか、元気? とか、なんでもいいよ。
次に自分の姓名を名乗る。 名前だけでもいいけど、竜騎士がいる飛竜で、その人と同じ名前だったら飛竜が混乱するから最初は姓も付けて。 二回目なら、俺の事、覚えてる? と聞いて、ひゅっひゅっと返事が返ったら名前だけでいい。
そして行き先を言う。 今日初めて飛竜に乗る人もいるんだよね? なら遠くまで行かなくてもいいんじゃない? 皇王城を一周するくらいで。 二十分程度で戻れるし。
それから縄梯子を使ってリョクヤの背に上る。 席は前と後ろ、二つあるから必ず後ろの席に座る事。 前に座ったら飛竜に、操縦する気かよ、こいつ何様、と思われる。 機嫌を損ねた飛竜を宥めるのって時間がかかるんだ。 師範み、いや、その、縄梯子を手繰り上げて留め紐で縛るのを忘れないで。 飛行の邪魔になるから。 で、席に着いている安全ベルトを締める。 そこで、飛んでいいよー、と声をかけて。 着陸したら羽ばたきが収まるのを待って縄梯子を下ろす。 下りたら一言でいいから誉めてあげてね。 かっこよかったとか、さすがだとかさ。 外せないポイントはそれくらいかな。
では師範、お手本としてちょっと乗ってみて下さい」
「けっ。 機嫌を損ねた俺を宥めるのに時間をかけるより、さっさと一人づつ経験させろ。 遊んでいるように見えても俺は護衛の責任者なんだぞ。 忙しいんだ」
「猊下の護衛は俺がやるから大丈夫です。 て言うか、もうやっています」
「何が、やっています、だ。 護衛されている方のくせに。 臆面もなく、よく言う」
「そ、そんな。 近衛の皆さんは元々この辺りを警備するのが任務だって、」
「普段は十人前後ゲート付近に常駐しているだけだ。 なんで一個中隊もいる? そりゃ一個中隊寄越してくれと誰も頼んではいないし、中央祭祀長の警備は近衛の仕事だが、北軍祭祀長と青竜の騎士御一家の護衛は北軍の仕事だ。 生憎俺の剣は一本。 体も一つ。 好意で派遣してくれた護衛を追い返して何かあったら俺の首が飛ぶ。 だからってこれ以上近衛に借りを作る訳にはいかん。 北軍がすべき護衛を近衛にさせて、お疲れ、の一言で済ませられるか?」
「んもう。 なんだかんだ言って乗りたがらないんだから。 師範だって一人乗りさせてもらえるのに」
そうおっしゃりながら私達の方へお向きになる。
「ま、しょうがない。 お手本なしだけど、乗ってみて。 分からない事があればなんでも聞いていいから。 ただその外套じゃ寒いよ。 そこに掛けてある飛行用のやつに着替えて。 飛行帽と手袋も忘れずに。 で、最初は誰?」
フォーレに背を押され、仕方なく進み出る。 私達四人の中で飛竜に乗った経験があるのは私だけだ。 昨日の夕食の席で、まずお前が乗ってみてくれ、と頼まれ、嫌と言えなくて。 これほど簡単な説明だけで乗らされると知っていたら、うんとは言わなかったのだが。
竜舎の外には出発準備された玉竜がいて、竜騎士が側に立っている。 青竜の騎士は敬礼する竜騎士には返礼なさっただけで、玉竜へ向かってお声を張り上げた。
「リョクヤ、どう? 今日の調子は」
リョクヤが、ひゅーっ、ひゅっひゅっ、きゃきゃ、という音を出した。
「お、いいねー」
なぜ意味が理解出来るのか私にはさっぱり分からないが、青竜の騎士とリョクヤの会話が続く。
「でも今日は俺、乗らないの。 この人を乗せてあげて。
まあ、そこをなんとか、さ。 喉、痛いの、治してあげたでしょ。 何かお礼したい、て言ってたじゃん。 ね?
そ、これがお礼になるの。 うん、うん、ほんと、リョクヤはいいこだね。
あ、あんまりがんばらないで。 この人、一人で飛竜に乗るの初めてだから。 ふわっという感じで、よろしく」
確かに乗せてもらえたし、途中で振り落とされる事もなかった。 だが疑いもなく私の人生で最も長い二十分だったと言える。 生きて地面に下り立った事が信じられない。 あの高速飛行が青竜の騎士のおっしゃる、ふわっという感じ? ならば、ふわっとしていない時、私はどうなる?
はっきり言って二度と乗らずに済むなら嬉しい。 なのに中央と北の間を往復? おそらく何度も。 やれないと言うか、やりたくない。
玉竜から下りるとスティバル猊下とテーリオ猊下がお出ましになっており、スティバル猊下が私にお声をかけて下さった。
「ラワッシュ。 空から見下ろした皇王城はどうであった?」
飛行後、猊下に報告する事になるかもと思い、当たり障りのない口上を用意していたが、頭に思い浮かんだままを答えた。
「大変申し訳ないのですが、あまりに恐ろしく。 下を見る余裕はありませんでした」
すると青竜の騎士がおっしゃる。
「分かるよ、その気持ち。 俺も慣れるまで随分かかったから。 ずっと上ばっかり見ていて首が痛くなった」
「しかし私は、いくら時間をかけようと慣れるとは思えません。 向き不向きがあるかと存じます。 私には無理なお役目かと」
「いやいや、ラワッシュは向いているよ。 ばっちり!」
「私のどこを御覧になってそう思われたのでしょう?」
「下りた時にリョクヤを誉めてあげたでしょ。 すごく速いんだね、て。 どの飛竜も速いと褒められると喜ぶ。 そう教えられた訳でもないのに、そういう一言が、するっと出てくるところ」
青竜の騎士は感じたままを飾らずにお言葉になさる。 これは後で分かった事だが、だからと言って全て正しいとは限らない。 それどころか、かなりの割合で勘違いや間違った事をおっしゃる。 ただその時は、向いているというお言葉に深く感動し、ならやるしかない、と思った。
北軍祭祀庁に転属してから飛行任務をお断りした事は一度もない。 だからか、私の飛行回数は誰よりも多い。 ある日の飛行から戻った時、青竜の騎士から労いのお言葉を戴いた。
「きついのに、よくやってるね。 さすがは師範に選ばれた人なだけある」
「師範、とおっしゃいますと? 私を御指名なさったのは青竜の騎士ではなかったのですか?」
「四人の内、他の三人は俺だけど、あなたを選んだのは師範だよ」
「御指名の理由を御存知でいらっしゃいますか? タケオ副将軍が御前試合で北軍大将を努められた時の御活躍なら遠目に拝見しておりますが、この任務に就くまでお言葉を頂戴した事は一度もございません」
「えーと、なんだっけ? 麦粥の施しをした、とか?」
それは皇都で一度やっただけだ。 当時タケオ副将軍は北の片田舎にお住まいで、十歳になるやならず。 主催者の名をなぜ御存知なのか? いや、それより。
「なぜ麦粥の施しをした事が飛行任務に向いている理由になるのでしょう?」
「さあ? あ、でも、肝が据わっている、て言ってたな」
私の思慮が足りなかったばかりにやらかした失敗がまざまざと目に浮かぶ。 私にとってあれは深い失望と闇の日々の始まり。
脈絡もなく、昔ワスムンド上級神官がおっしゃった「来るべき夜明け」というお言葉を思い出す。 そして飛行任務に就き、気がついてみれば失望はあっても希望があり、闇はあっても明ける日々となっている事を。
おそらくワスムンド上級神官のお言葉には深い意味と背景があり、私が感じる夜明けと同じではないのだろうが。 私にとっての夜明けはタケオ副将軍によってもたらされたと感じている。
追記
緊急伝令の任命は北軍副将軍が行う。 この慣行はリイ・タケオが北軍副将軍を拝命してから始まり、現在も踏襲されている。 だが飛竜を使用する緊急伝令がなぜ中級神官から選ばれるのか、なぜ西軍副将軍ではなく北軍副将軍が任命するのか、理由は公表されていない。 伝記や小説では、神官なら軍や宮廷の利害関係と無縁だからとしており、巷間ではそう信じられているが、初期の緊急伝令は全員貴族の出自で無縁とは言い難く、他の理由があると考えられる。
(「北軍副将軍列伝」より抜粋)




