弔問 バーセミュレン東軍准将の話
六頭殺しの若の勇名が東軍にも届いた時、てっきりオスタドカ副将軍が東軍へ勧誘なさるとばかり思っていた。 副将軍夫人は六頭殺しの血縁の叔母。 疎遠な親戚ではない。 それどころか、オスタドカ副将軍夫人とヴィジャヤン伯爵夫人は大変仲の良い姉妹で、よく一緒に旅行したり買い物をしたりしていた。 オスタドカ副将軍とヴィジャヤン伯爵はどちらも大変お忙しいから夫人達ほどまめに親戚付き合いをしてはいなかったようだが、会えば友達付き合い、いや、親友と言っても良いほど親密な間柄に見えた。 両家の間で揉め事や喧嘩らしき争いがあったと聞いた事はない。 なのに六頭殺しは北軍へ入隊した。
元々北軍に入隊する事が本人の希望だったとは聞いている。 それにヴィジャヤン伯には他軍の将軍達への気遣いもあっただろう。 ヴィジャヤン伯はサハラン近衛将軍と親友だし、南軍将軍への昇進が決まっているバーグルンド南軍副将軍とは幼馴染で、現在も近しい間柄。 ヴィジャヤン伯とラガクイスト西軍将軍は従兄弟だ。 親族としては義弟であるオスタドカ副将軍の方が近いが、ラガクイストは侯爵だから機嫌を損ねていい親戚ではない。
あちらを立てればこちらが立たずとなる。 それでいっそ北軍へとなったのかもしれないが。 取りあえずそちらとなったとしてもいずれはこちら、と移籍の道を探るべきではないのか?
それらしき動きが全くない事を不思議に思い、オスタドカ副将軍へ訊ねた事があった。
「甥御を東軍へお呼びにならないのですか?」
「そのつもりはない」
「理由をお伺いしても?」
「本人にその気がないから」
「その気になるよう仕向ける事は可能では?」
「ないな。 一見何も考えていないかに見える子だが、結構頑固な一面があって。 一旦こうと決めたら梃子でも動かん」
「昇進を約束しても?」
「金や昇進では釣れん魚だ」
「絡め手を用意しては如何? 結婚相手とか」
「生涯独身を貫くつもりらしい」
昨日や今日成人した若者の頑固など知れたもの、と当時でさえ思ったし、その証拠に彼は北軍入隊後一年数ヶ月で結婚している。 それ見た事か、と思わない訳でもなかったが。 その結婚相手がなんと猛虎の妹。 つまり平民。
なぜ親が反対しなかったのか? 彼女が産んだ子が瑞兆と認定され、第一皇王子殿下の婚約者となった今では実母の彼女と離縁する事は考えられないが、結婚当時いずれこうなると分かっていたはずはない。 或いはそれほど猛虎の将来性を買っていたのか?
いずれにしても深謀遠慮で知られている親だ。 何か考えがあって反対しなかったのだろう。 しかし本人には会えば会うほど何を考えているのか分からなくなる。
例えば皇太子殿下の舞踏会に出席した時。 なぜ犬を連れて来た? 普通ではない犬のようだが、それより飼い主が普通ではない事の方が問題だろう? 案の定、誰もが長居したい舞踏会から逃げるように帰った。 お強請りには絶好の機会にさえ何も強請らず。
ただ外見は深謀遠慮とは無縁な性格に見えるし、実際後先を考えない行動をとってもいるのに、なぜか誰もが彼を追い掛ける。 どれほど逃げ足が早かろうと。
セジャーナ皇太子殿下の御執着は最初は準大公夫人の美声であったと思うが、今では夫人より準大公をお気に掛けていらっしゃる。 だから彼の移籍に関して未練たらたらでいらっしゃるのだ。 それも無理はない。 今移籍すればオスティガード皇王子殿下が皇太子になられるまで十数年間は御一緒に過ごせるのだから。
それに準大公にとってもこれは悪い話ではない。 彼は猛虎より五歳年下だからタケオ将軍退官まで待ったとしても将軍としての在任期間は五年ある。 とは言え、三十年近く北軍副将軍として燻る事になる訳だ。 その点東軍へ移籍すれば私が退官する二年後に准将。 その三年後には副将軍へ昇進する。 東軍の副将軍位は名称に副は付いていても他軍の将軍と同等の扱いだし、オスティガード皇太子殿下が戴冠すれば近衛将軍として移籍する事もスムーズとなる。 そうなれば退官まで皇王妃陛下となった娘の側で暮らせるのだから。
準大公に叙された以上、本人の希望以外での移籍はあり得ないが、準大公は弱冠二十三歳。 それを考えれば彼の移籍を諦めるのは時期尚早。 次の北軍副将軍は猛虎と準大公のどちらになるかをオスタドカ副将軍と話した時、今こそ移籍の話を持ちかけるべきでは、と進言した事もあった。
「下手に猛虎と北軍副将軍の座を競うより、東軍へ移籍し、准将となった方が準大公にとって後々何かとスムーズとは思われませんか? 今でしたら陛下からのお許し、他軍の同意も容易に得られるでしょう」
するとオスタドカ副将軍はふっとお笑いになった。
「そう考えるような性格であれば彼が次に何をするか、非常に読みやすいのだが」
お言葉の意味は説明なさらず、オスタドカ副将軍はセジャーナ皇太子殿下御夫妻のヤジュハージュへの御旅行の護衛の指揮を執るため御出発なさった。
今回の御外遊は表向きはファレーハ皇太子妃殿下のお里帰りに御一緒なさるという単なる観光。 だが、実はお二人は離縁の危機にある。 ファレーハ皇太子妃殿下はお戻りにならないかもしれない。 皇太子殿下はこの離縁によって両国の関係が悪化しないよう、ヤジュハージュとの二国間条約を調印したいとお考えだ。 しかしそれが穏便に実現するか否かは不明だし、道中の襲撃、不意の事故、両殿下のいずれか、或いは両方が御病気になる恐れもある。 目的地に無事到着してさえ事と次第によっては開戦となる事を考えたら、この護衛の指揮は准将である私に任せるべきなのに。
ともかく、軍葬の施主が猛虎と発表された時、オスタドカ副将軍はまだ帰国なさっておらず、不在だった。 皇太子御夫妻も不在だから私が東軍駐屯地に駐在すべき理由はないが、もしオスタドカ副将軍がいらしていたとしても弔問には行かれないような気がした。 しかし本当にそれでいいのか?
施主が猛虎なら次期副将軍は正式に猛虎に決まったと見てよい。 当然ヴィジャヤン大隊長は不満だろう。 表向きはどうあれ、内心は。 その内心の不満に付け込む者がいるはずだ。 何も皇国軍とは限らない。 ダンホフ、ヘルセスを始め、準大公を取り込みたい者はいくらでもいる。 それこそ国内に限らず。 他に先を越されたら? そう考えると居ても立ってもいられず、私は弔問に行く事にした。
久しぶりに訪れた北は驚きの連続だった。 北の開発が急激に進んでいる事は部下から報告されていたし、人と物が流れ込み、活気に溢れている事は知人の噂によっても聞いていたが、これほどとは。
フレイシュハッカ離宮近辺に負けないほど整備された道路。 駐屯地近くに立ち並ぶ旅館、店、食堂。 弔問客らしき余所者の服装がきちんとしている事には驚かないが、明らかに地元の民に見える道行く人々もしっかり防寒着を纏い、孤児や物乞い、飢えている者を見掛けない。 そしてどの店で働く店員も喪章らしきものを片腕に付けている。 よく見ると、食堂の入り口の扉には張り紙がしてあった。
「謹啓 お客様各位。 本日明日の二日間は酒類を提供致しません。 御了承下さい。 店主敬白」
東軍にも軍葬はあるし、その時は駐屯地付近の店が弔問客の訪れで潤うが、同時に飲酒による嘔吐や喧嘩、器物損壊、盗難、殺人などの問題も多発する。 しかし何人死のうと酒の提供を禁じた事はない。 禁じたとしても秘密裡に提供されるだけだから。 思わず補佐のバッシュランドに呟いた。
「あれが自粛か上からの命令なのかは分からんが。 果たして実効があると思うか?」
「明後日になるまで確言は出来ませんが。 おそらく酒を提供する店はないでしょう。 どうしても飲みたい者は自分で酒を買い、自室か自宅で飲めばよいだけの話ですし」
「だがこれが東なら禁酒令を出したところで従う店などないだろう?」
「私もそう思います」
「東と北の違いは何だ?」
「北に住む者は、特に最近移住して来た者ほど、弓と剣のどちらか、或いは両方の熱烈な信奉者であるという点でしょうか。 今回の軍葬が、そしてその成功が、施主にとって非常に重要な意味を持つと知っているような気がします。 これは単なる噂ですが。 軍葬が無事に終わるよう、準大公がケルパ神社にお参りされ、天に祈られたのだとか」
民意、という言葉がなぜか頭に思い浮かんだ。 その意味するもの。 それに逆らった場合の結果とか。 それが今自分がやろうとしている事とどう繋がるのか、その時点では明確に自覚する事は出来なかったが。
思ったより早く第一駐屯地に到着し、駐屯地内にある軍人来客用の宿舎に泊まった。 カリゴウス近衛副将軍、アッサドル南軍副将軍、グイモント西軍副将軍も宿泊していると聞き、明日の軍葬前に話す時間があるかと補佐に確認させたが、全員出掛けていた。 宿舎には私宛にロジューラ・ダンホフから会食会への招待状が届いており、そちらに出向いたのだろう。
ホテル・ダンホフの会場は暖房に気を配った上品な設えで、金に飽かして飾り立てた雰囲気はない。 やろうと思えば巨大なシャンデリアや美術品、金銀を嵌め込んだ家具を使って高級感を出す事は簡単なはずだが。 湖畔に建てられたホテルで、窓から見える冬枯れの眺望が素晴らしい。
招待されたのは上級貴族、軍人、金融関係だけではない。 外国からの賓客も多く、ダンホフの人脈の広さを感じさせた。 まずロジューラ・ダンホフに挨拶する。
「ダンホフ殿。 お招きに感謝する」
「バーセミュレン准将。 ようこそお越し下さいました。 カリゴウス近衛副将軍はあちら、アッサドル南軍副将軍とグイモント西軍副将軍はあちらで御歓談中です。 ヘルセス公爵家次代とヴィジャヤン準公爵は只今当ホテルの庭園を散策中ですが、間もなく戻られるでしょう。
お食事を先になさいますか? それともお飲み物? 酒類の提供は致しておりませんが、それ以外でしたら何なりと御希望を給仕へお伝え下さい」
「タケオ施主はどちらだ?」
「本日タケオ施主はいらっしゃいません。 準大公も明日の御準備でお忙しく」
「では軍葬後は? 精進落としか、忌中祓いの予定はないのか?」
「申し訳ありませんが、存じません。 何分当家の者で招待された者がおりませんので」
内心そんなはずがあるか、とは思った。 ダンホフの諜報網はヴィジャヤン準公爵ほどではないが、国内有数。 特に金融関係に強い。 金に関しては軍事関係が中心の東軍諜報機関を凌ぐ。 今回の軍葬に関しても相当な金が動いたはず。
しかしここで、嘘を吐くな、と言っても始まらない。 ただその時なんとなく、今回の弔問が無駄足になるような、嫌な予感がした。
会食会では多くの著名人に会えたし、翌日の軍葬も万を越える弔問客にも拘らず厳粛に滞りなく終了した。 軍葬では準大公夫人が弔歌を捧げ、多くの人の涙を誘い、式後、準大公と言葉を交わす機会もあった。
「バーセミュレン准将。 御丁寧な弔問、誠に痛み入ります。 オスタドカ副将軍はお元気でしょうか?」
「うむ。 そのはずだ。 現在皇太子殿下のお供で不在故、詳しい話は帰国後となるが」
「どうか副将軍によろしくお伝え下さい。 ここは施主がお礼の言葉を申し上げるべきところですが、何分愛想のない施主で。 本当に申し訳ないです」
「其方であれば愛想のある施主を務められたであろうに」
「いやー、それは無理です。 私では右も左も分かりません。 その点、師範なら愛想以外はびしっとしています。 部下として愛想を補うくらいはしませんと役立たず、て尻を、いえ、その、し、師範が施主だからこそ、無事に軍葬が終わったと思っております」
「其方はやった事がないからやれないと思っているだけで、やってみたら案外やれた、という事もあるのでは?」
「そう言われてみれば、結婚はそんな感じでやっちゃいましたね。 だけど結婚なら失敗したとしても迷惑を掛けるのは妻だけで済みますが、軍葬の施主となると迷惑を掛けるのは一人や二人じゃ済みません。 ほんと、やらずに済んで、ほっとしています」
準大公は心底ほっとしたかのようなため息を一つつき、次の弔問客へ挨拶し始める。 それ以上私が引き留めて話し続ける訳にもいかず、引き下がるしかなかった。
それにしてもなぜ準大公は昇進しようと思えばいくらでも昇進出来る立場にいながら上を目指さないのか? 昇進の利点に気付かない? まさか。 好き放題に振る舞っても罰せられないのは準大公に叙爵されたからである事は御存知のはず。 だが準大公に軍の指揮権はない。 軍内で昇進しないと。
面と向かって理由を訊ねるのはあまりに失礼で憚られるが、もし本当に訊ねていたら、どうお答えになっただろう? それを聞きたいような、聞きたくないような。 説明のつかない憮然たる思いを抱いたまま、私は東へと帰った。
帰ってから気付いた。 準大公と言葉を交わした弔問客の中に、準大公の移籍を実現させられるような人は一人もいなかった、という事に。 ダンホフの会食会でも出席者は煌びやかで派手だったが、近衛、東西南、どの将軍も出席していなかった。 どなたも弔問に行こうと思えば行けたはずなのに。
副将軍レベルがどれほど騒いだところで準大公の移籍は実現させられない。 それにあそこにいた上級貴族は全員タケオ施主の副将軍昇進に関してお祝いムードで、準大公の移籍や準大公が北軍副将軍になる事を望んでいた者は一人もいなかった。 そのような雰囲気が国内に自然と広まるよう、ダンホフがお膳立てしていたのでは?
そうではなかったとしても、この弔問が無駄足であった事に変わりはない。