青い霞 サダの話
「ネイゲフランて、不気味な人じゃなかったの?」
と、面と向かって俺に聞く人はいない。 それはもう、絶対にいない。 たとえ俺がそう思っている事を知っている人だとしても。 だからそう聞かれた時どう返事するかを心配する必要もないんだが。 ネイゲフラン祭祀長と握手した直後、そう聞かれた。 人に、じゃない。 たぶんだけど、青竜の赤ちゃんに。
俺と青竜の赤ちゃんは気持ちが繋がっているらしく、一人で飛べるようになったとか、友達と遊んだ、おいしい魚を食べたなど、何気ないあれこれを伝えてくれる。 どうやら俺が感じた事も向こうに伝わっているみたいで。 夜中にポクソン補佐の事を思い出して涙を流していたら、青ちゃん(俺が付けた愛称で、青竜の赤ちゃんを短くした)が、ふー、ふー、と一生懸命息を吹いているのを感じた。 俺の涙を乾かそうとしているっぽい。 マリジョー山脈の果てから俺のいるところまで息が届く訳ないのに。 それは本人、と言うか本竜だって分かっていると思うけど。 なんかおかしくて、涙を零しながら笑っちゃった。
青ちゃんは慰めてくれるだけじゃない。 俺のした事が理解出来ない時、質問してくる。 因みに不気味に関する質問への答えは、はい、そうです、だ。
俺はネイゲフラン祭祀長を不気味な人だと思っている。 言っておくけど、そう思っているのは俺だけじゃない。 豪胆で知られる師範でさえそう思っている。 なら、ほとんどの人がそう思っているんじゃないの? 口に出して言わないだけで。
ともかく、久しぶりに会ったネイゲフラン祭祀長は相変わらず不気味で、おまけに以前より不気味の度合いが強くなっていた。 だから青ちゃんは俺がなぜわざわざ握手しに行ったのか不思議に思ったんだろう。
理由を話せば長くなるが、要するに握手した方がいいと思ったから握手した。 なぜ握手した方がいいと思ったかと言うと、ネイゲフラン祭祀長が青い霞に包まれていたから。
青い霞は青ちゃんが生まれるのを手伝って以来、見えるようになった。 人の気持ちを読む事にかけてはからっきしの俺だ。 余計な推測はしない方がいいに決まっているが、病院やお葬式に行くと青い霞に包まれている人をよく見かけるから何か辛い思いを抱えている人に現れるんだと思う。
ただ病院やお葬式ならともかく、ナジューラ義兄上の結婚式の時ダンホフ本邸で青い霞に包まれている奉公人を何人も見かけた。 それは俺のせいじゃないのかもしれないが、飛竜で到着した招待客は俺だけだ。 なのに本邸内は勿論、ダンホフ本邸への行き、そこからヘルセス本邸、そして北へ戻るまで至れり尽くせり。 道に迷ったり宿を探したり飛竜の餌に困るとか、普通の飛行ならよくある事が何もなかった。 全て快適順調無問題。 俺にとってはとても有り難かったが、いくら金を積もうと僅か半年やそこらで出来る準備じゃない。 予想外の事故だってあっただろうし、これを実現させた人達は疲労困憊だろう。
仕事疲れでも青い霞が現れるのかは分からないが、ボルチョック先生から俺の握手には陛下の御健康を促進する効果があると言われている。 少なくとも悪い影響はないだろ。 せめてお世話になった人達だけでも癒してあげたくて、試しに握手してみた。 そしたら青い霞が消えて相手の顔が晴れやかになったんだ。 それでついでに親戚や招待客の人にも握手をしてあげた訳。
念の為に言っておくが、俺の握手に病気を治す力はない。 サリが鼻水を垂らしていた時に握手しても全然治らなかった。 そして人から好かれる効果もない。 それは陛下と握手したその日の内に師範と握手して確認している。 握手の後、陛下から好かれるようになったが、それは握手のおかげと言うより何か他の理由があるんじゃないかな。 お立場があるから公表していないだけで。 あの青い人に関係があるのかも。 それは俺のあてずっぽうだけど。
いずれにしても青ちゃんと出会う前は青い霞なんて見えていなかったから誰彼構わず握手はしていなかった。 そもそも俺の握手の効果、て何? 俺は今でも分かっていない。 陛下とだって陛下が握手したがるから握手しているだけだ。
青い霞が見えるようになって気付いたが、どうやら俺の握手は青い霞がない人には何の効果もない。 そう言えば、タイマーザ先生が俺には破呪の力があると言っていたが、ほとんどの人は呪術師じゃない。 そんな力があったって、だから何。
それに呪術は俺が消したら消えたままらしいが、青い霞も消えたままでいてくれるのかどうかは分からない。 いつかダンホフ本邸をまた訪れる事があれば以前握手した人の青い霞が消えたままかどうか確認出来るけど。 ただ青い霞が再び現れていたとしても、それは以前とは別の悩みかもしれないよな?
ポクソン補佐の軍葬の時ロジューラ・ダンホフの妻、ニーナさんの青い霞は消えたままだった。 でもニーナさんと握手してから三ヶ月ちょっとしか経っていないし、どれだけ効果があるのか、効果があったとしてもどれだけ続くのか、俺にだって分からない。
なのに俺の握手で病気が治るという噂が流れ始めた。 俺自身は風邪でさえ治せませんと言っているし、それは嘘じゃないのに噂が消えた様子はない。 世間の人って不思議を信じる事が好きなんだろうな。 少しは師範を見習って、ふん、そんなものが何の役に立つ、ていう態度でいてくれてもいいのに。
たぶん俺の握手には気分を上向きにする効果くらいはあるんだろう。 病は気からと言うし。 病気自体は治せなくとも自分は病気かも、と心配している人や、治らないんじゃないかと悩んでいる人の気持ちを立て直してあげたり。 何かが思い通りに行かなくてがっかりしている人や愛する人を亡くして悲しんでいる人を癒してあげる事は出来るのかも。
一時的であろうと気持ちが楽になるなら握手しないよりした方がましとは思うが、これ以上噂を煽りたくない。 青い霞を見かけても自分から握手する事はなくなった。 とは言え、何事にも例外ってあるよな?
中央祭祀長は陛下をお助けする。 そんな重職の人が、俺が見た青い霞の中で一番いやーな感じがする霞に包まれていたら見過ごせないだろ。 気持ちが暗く沈んでいる人に陛下を助けられるか? 助けるどころか足を引っ張るんじゃない? それでネイゲフラン中央祭祀長の青い霞は払った方がいいと思ったんだ。
それにネイゲフラン祭祀長の霞はほとんど黒に近くてどろっとした感じ。 包んでいると言うより絡みついている。 特に喉の辺り。 何が原因であんな霞になったのかは分からないけど、今まで見た誰の青い霞とも違う。 握手しても消えてくれるかどうか分からなかったが、ものは試しだ。 俺って細かい事に拘らない柔軟なタイプだし。
そこで笑う? もしかして、俺は頑固だの融通がきかないだの、師範が言った悪口を丸っと信じている人?
改めて言わせて下さい。 そんなの嘘だから。 それに上官の言う事さえ聞かずクポトラデルへ突っ走った師範にだけはそんな事、言われたくない。
いや、師範だけじゃない。 俺の周りは俺より頑固で融通がきかない人だらけだ。 一見、融通の塊に見えるフロロバと比べたって俺の方がよっぽど融通がきく。 その証拠にフロロバはしょっちゅう俺の命令に逆らっている。 マッギニス補佐がこう言った、ああ言ったとかで。 俺は部下の言う事であろうと素直に従っているのに。 ところが世間の噂じゃフロロバは柔軟で融通がきく人、俺は頑固で融通がきかない人なんだもんな。 まったくう。
マッギニス補佐が俺の部下だった時でさえそうなんだ。 マッギニス補佐が正式に第三大隊長へ昇進したら俺の命令なんか誰にも従ってもらえないだろう。 第三大隊長の了承がない限り。 そういう意味では、現第三大隊長である師範の了承がないのに握手したのはまずかったかも。 だけど青竜の騎士として召されている時は師範より上の立場だ。 陛下の御前で師範の了承を得るような真似は出来ない。 かと言って今を逃したらいつ次の握手の機会があるか。 会う事は何度も会う機会があるだろうが、公式の行事の最中にいきなり握手なんて出来ない。
それにネイゲフラン祭祀長は俺を皇王城へ呼びたがっていた。 それは俺が好きだからじゃなく、側にいたら俺を利用する時便利だからのような気がする。 好かれなくてもいいが、握手したら気分が上向いて、そういう身勝手を諦めてくれないかな? さすがにそこまでは期待出来ないか。 だけど神域内での儀礼の間違いを見逃してくれるだけでも嬉しい。 いや、見逃してくれなくてもいい。 間違いをネタに強請らないでくれたら。 お近づきになりたくない人リストのトップを飾る人がそこまで優しくなるほど俺の握手に効果があるとは思えないが。
その程度の効果さえないなら俺の握手って、ほんと、何の役に立つの、と言いたくなる。 世の中の人全員と仲良くなりたい訳じゃない。 俺を嫌っている人からいじめられなくなるくらいの効果はあってもいいだろ。 世間で俺は人付き合いのプロとか誰ともお友達になれるタイプと噂されているが、俺を嫌っている人は勿論いる。 はっきり言って、沢山。 俺を好いている人と嫌いな人の数を比べたら嫌いな人の方が十倍いると思う。 今まで握手した人達が俺をどう思っているか、握手の前と後で変わったのかは知らないが、元々お返しを期待して握手した訳じゃないし、二度と会いそうもない人だっていた。 幸い俺の世界は世間の皆さんが思うよりずっと狭い。 俺の周りにいる人達には嫌われていないから特に困ってはいないが。
たださ、良いのか悪いのか分かっていないのに青い霞を払ってもいいの? その点が不安で、テーリオ猊下に相談した事があった。 すると猊下はいつもの優しい微笑みを浮かべて。
「伝説によれば青竜の騎士には人の気が見えたのだとか。 どのように見えたのかについては諸説あり、確かではありません。 けれど青い霞に包まれた竜騎士を戦いに伴う事はなかった、と伝えられています。
おそらく青い霞は青竜との絆の現れ。 慣れるまで時間がかかるでしょうし、何度も握手すれば心が疲れたと感じる時があるはず。 疲れを感じたらやらない。 やってあげたいと感じたらやる。 それは心に聞くと良い」
「自分の心に聞くのですか?」
「そうです」
それを聞いて気持ちが楽になった。 だからネイゲフラン祭祀長と握手した事を後悔してはいない。 青黒い霞はきれいに消えたし、顔色は握手前よりずっとましになっている。 ところが俺の握手には思いの他、強烈な効果があったようでネイゲフラン祭祀長は崩れるようにお座りになった。 俺が御気分を訊ねても答えてくれない。
「ネイゲフラン、どうした?」
陛下のお訊ねにもお返事なさらない。 口を僅かに開け、すぐに閉じただけ。 いつもは何も聞かれなくても発言する御方なのに。 まさか俺の握手って、どろっとした霞には悪い影響がある?
陛下がテーリオ猊下に小声でお訊ねになる。
「もしや、呪術を掛けた石を身に付けていた?」
テーリオ猊下が目顔で頷かれた。
それを聞いて以前タイマーザ先生に教えられた事を思い出した。
「呪術は生きている人や動物に直接掛ける事は出来ません。 ですが呪術を掛けた石を身に付けている人がいるので、お気を付け下さい。 これは人に呪術を掛けたと同じ状態。 個人を指定していない呪術でしたら破呪を行っても大した影響はありませんが、個人を指定した方がより強力な呪術となるので。 その呪術の目的が何かにもよりますが、突然呪術が消滅したら、例えば足に関する呪術であれば歩けなくなる、喉に関する呪術であれば声が出なくなるなどの弊害があり得ます」
陛下は少し間を置いてから聖下に向かって仰った。
「新年まで間がない今、準備に支障が出るのは望ましくない。 スティバル、其方を中央祭祀長に任ずる。 急の指名ではあるが、中央祭祀長見習として長年グリマヴィーンに師事した其方なら務まろう」
「謹んでお受け致します」
「この任命がネイゲフランの声が戻るまでの臨時か、正式な中央祭祀長就任か。 正式ならば公表する日時はいつか。 それらの判断はテーリオ。 其方に一任する」
「承知致しました」
「サダ。 明日の朝食を共にしたい。 カイザーが迎えに行く」
「御意」
「タケオ。 同席せよ」
「有り難き幸せ」
「ネイゲフラン。 安んじて養生するように」
お立ちになる陛下へ向かい、ネイゲフラン聖下は無言で深く一礼した。
陛下が御退席になるとスティバル猊下がお命じになる。
「青竜の騎士、そこに立つ上級神官全員と握手せよ」
五人の上級神官の内、四人は今までよく見た青い霞だが、真ん中に立っている神官はネイゲフラン聖下のどろっとした青黒い霞とよく似ている。 て事は、霞は消えても声が潰れるんじゃない? 同じ呪術じゃなくて声は無事だとしても他のどこかがまずい事になるんだよな? それを知っていながら握手するの? 恨まれそう。
でもこれは中央祭祀長命令。 臨時だろうと正式だろうと。 従う以外の道はない。
仕方なく近い順に握手した。 三人目の時はネイゲフラン聖下の時よりもっと大きく空気が揺れたが、どうやら本人が覚悟して踏ん張っていたらしく、直立不動の姿勢を崩さなかった。
握手が終わるとスティバル猊下が二人の神官にお命じになる。
「私の祭祀長神服とネイゲフラン聖下の着替えを持って来なさい。 尚、今晩私はテーリオ猊下と共に神域内の北軍祭祀長用別宅に、青竜の騎士一家はサリの別宅に泊まる。 夕食を済ませてから向かうので食事の準備は必要ない」
これで一件落着? な訳ないよな。 それは師範の顔を見れば分かる。 全然嬉しくなさそう。 師範は大隊長に昇進してから感情を面に出さないようになったが、長年の付き合いだ。 それにこの目の色は今まで何度か見た事がある。 何を考えているんですか、と聞いた事もあって。 その時師範は、オークに襲われていたお前を助けた事をつくづく後悔している、と答えた。
先の見通しは明るくない。 くすん。 陛下からのお招きを頂戴したから生きて明日の朝食を食べる事は出来ると思うけど、その後どういう目にあうか。 辛い目にあわされる事だけは確か。 泣いちゃうかも。
悲しいし、不安だし、おまけに変な霞を払ったせいか、すごく疲れている。 なのに青ちゃんから慰めの言葉が届かない。 どうして?
「とーさまがね、それって、じごーじとく? だから慰めなくてもいいんだって言ってたー」
そ、そんなあー。 辛いかもっ。




