百聞
陛下は猊下、聖下、サダと会えた事を喜んでいらっしゃる。 出だしはまずまず。 だからと言って祭祀庁内の揉め事を御存知ないとは言い切れない。
この登城にしても予定外だし、陛下からのお召しに家族連れで現れ、猊下と聖下も御一緒。 おまけに護衛らしい護衛が俺だけとはあまりに不自然だ。 よほどの事情がなければこのような形でのお目通りとなるはずはない。 何かあったという事はお察しだろう。
だがなぜそうしたか、理由をお聞き下さるか? 聞かれたとして、なんと答える? 青竜の騎士が瑞兆と祭祀長をお連れしての旅なのに護衛、従者、各一名のみとは。 その理由が家族旅行をしたかったから、では叱責程度では収まるまい。
玉竜が治った事は目出度い。 それによって多少のお目溢しはあると思うが、護衛百人に守られ予定通りの登城だったとしても玉竜の治療は出来る。 危険を犯してまでよくぞ登城してくれた、と思って下さる可能性はゼロに近い。 隠密の登城のおかげで玉竜の病が世間に広まらずに済んだ事は評価して下さるかもしれないが。 たとえ陛下はそう思って下さったとしても周囲から轟々たる非難が集まれば、それなりの懲罰を下さねば、となるだろう。
そもそも玉竜全頭が同時に鳴かなくなるとは誰かが何かをしたのでなければ起こる訳がない。 玉竜の病が世間に広まってほしかった? 広まる事で誰にどんな利益があるのか俺には分からないが。
理由が何であれ、そいつらにしてみればあっさり病を治したサダはせっかくの目論見を失敗させた元凶。 犯人にしてみればサダの爵位を取り上げるくらいの仕返しはしてやりたいだろう。 隠密の家族旅行は玉竜を治療するためにした事ではなかろうと。
いっそ聖下暗殺未遂事件を奏上し、陛下の御英断にお任せする? ネイゲフランがいる前で? 向こうも言われっぱなしのはずはない。 神官の服を着た刺客が神域内に短刀を隠し持って入り込んだ。 刺客は死んでいる。 で、犯人の名前を隠し切れるか?
おそらく向こうは軍葬の日、聖下の甥であるニサ・スティバルが北軍第一駐屯地内の神域を訪問した事を掴んでいる。 北軍祭祀庁の神官は全員軍葬に参列し、神域を訪れた客はサダ夫婦とサダの奉公人以外では一人だけという事も。 それは秘密でも何でもない、神官又は神域の警備兵なら誰でも見れる記録なんだから。
そして警備兵はニサがサリの別宅に足を踏み入れる事を許されたと報告している。 ならば誰かがニサが本人である事を確認したはず。 ところがニサがそこから出て来たのを見た者がいない。 いかに神域が広かろうと既に冬。 夜は暖がなければ凍え死ぬ寒さだ。 食料がそこらに転がっている訳でもないのに、神域内のどこかに滞在している様子もない。 となると刺客はニサで、下働きの誰かが彼の死骸を神域内のどこかに埋めたとしか考えられない。
刺客とネイゲフランを関係付ける証拠がない以上、私とは無関係、とネイゲフランに言い逃れられたらそれまで。 死人に口なし。 聖下の御実家がお取り潰しになって詮議は終わるだろう。
ボーザーによればニサは皇都へ出掛けたきり行方知れず。 親兄弟には何も言わず、北へ向かったらしい。 因みにニサは生まれてから一度も聖下に会った事がない。 なぜ聖下のお命を狙ったのか? そんな事をしたらたとえ暗殺に成功したとしても実家が無事では済まない事を知っているだろうに。
親兄弟を道連れにしてでも、と考えるに至った経緯は知りようもない。 だが彼がなぜ中級神官になりすましたかについては推測可能だ。 神官なら誰でも神域に入れる。 とは言え、上級神官が側付きや護衛なしで旅をする事はない。 下級神官なら自分が所属する神域以外の神域を訪れる場合、その理由を認めた紹介状がなければおかしい。 しかし中級神官なら側付きなし、紹介状なしでも特に詮索されず、どこの神域であろうと入れる。
ただ神学生でも神官でもなく、神域を訪れた事さえなかったニサがそんな慣行を知っていたとは思えない。 誰かがそれを教え、中級神官の服と身分証を調達してあげたのだ。 ネイゲフランか、ネイゲフランに指示された誰かが。 それが一番あり得る筋書き。
だが現時点でニサと深い繋がりがあるのはネイゲフランより聖下だ。 ネイゲフランが刺客を放ったという証拠がないのに、そう奏上するのは讒言以外の何ものでもない。 それに誰に唆されたにせよ、ニサが聖下の暗殺を企てた事は事実。 聖下の御実家スティバル男爵家はお取り潰しを免れない。 聖下とすれば刺客の名は勿論、暗殺未遂事件があった事さえ奏上したくはないだろう。 向こうは暗殺が失敗しても聖下への打撃となると知っていたから聖下の血縁を刺客に選んだと思われる。
いずれにしてもこの事件とサダ一家がろくな護衛も連れず上京する事の間にどんな関係があると言うのか。 そこを突かれたら申し開きのしようがない。 下手な奏上はこちらが責められて終わる。 と俺が心配したところで質問されるのはサダ。 俺が代返する訳にはいかないし、代返が許されたとしても俺ならましな返答が出来る訳でもない。 サダに陛下への返答の練習をさせていなかった事を悔やんでも今更だ。
陛下がサダにお訊ねになる。
「玉竜の鳴き声が轟いた事、誠に喜びに耐えぬ。 これで新年を喜びと共に迎えられるが、一体何が原因で声が出せなくなったのか、其方は知っているか?」
「玉竜が鳴かなくなったのは喉が痛んだからです。 喉をさすってあげたら痛みが引き、鳴けるようになりました。 でもなぜ喉が痛くなったのかは分かりません。 玉竜にも分からないようで」
サダが言葉を続けようとしたらネイゲフランがそれを遮る。
「意外や意外。 青竜の騎士に竜医学の心得もあったとは。 さて、どちらの学舎か。 弓の稽古と軍務、領主としての責務もある多忙な大隊長に短期間で教え込むとは。 さぞかし優秀な教師が揃っているのであろう。 後学のため是非とも名を聞いておきたい」
せっかくの嫌味だが、サダには通じない。 言葉通りに受け取ったようだ。
「私に竜医学の心得はありません。 喉をさすってあげるのは私でなくてもやれます。 誰もそうしてあげなかったのは玉竜が普段と変わらない様子で餌を食べていたからでしょう。 普通は喉が痛めば餌を食べなくなりますから」
「だが其方はさすってあげた。 何か理由があっての事と思うが?」
「どの玉竜も、どうして鳴かないのと聞いたら、鳴くと痛くなるから嫌と申しまして。 どこが痛いの? ここ? それともここ、とさすってあげたら痛みが消えたようでした。 それで、いつ痛くなったのかを聞いたら三ヶ月前だと。 餌を食べたら痛くなったようです」
「ほう。 すると青竜の騎士には玉竜の言葉が分かる?」
「言葉と申しますより気持ちが伝わってくると申しますか。 言葉の通じない国に行っても、ここが痛いとか、お腹が空いたとか、なんとなく伝わりますよね?」
「人ならともかく、飛竜の気持ちが伝わる? 寡聞にして同じ事が出来る者がいると聞いた事はない。 竜騎士でさえ自分が担当する玉竜の喉の痛みに気付かずにいたのであろう? 玉竜がそう伝えたと証明出来る者がいるとも思えぬが?」
言葉に詰まって答えられないでいるサダに代わり、猊下が静かにお答えになる。
「耳の不自由な者に竜鈴の音は聞こえません。 けれどそれはその者の聴覚に問題があるだけの事。 たとえその場にいた全員の聴覚に問題があり、聞いた者が一人もいなかったとしても、飛竜という飛竜が共に行動したのなら竜鈴が鳴動した証。 更なる証明の必要はありません。
同じように、玉竜の鳴き声が戻った事は事実。 たとえ他の誰にも出来ない事であろうと、更なる証明の必要はありません。 玉竜の気持ちを理解出来る者が他にもいるかどうかは玉竜の鳴き声が戻った事とは無関係。 調査したい者がすればよい。 青竜の騎士でなければ調査出来ない事でもないのだから」
それに陛下が深く頷かれる。
「確かに。 しかしサダよ。 なぜ餌を食べただけで喉を痛めたのか原因に心当たりはないか?」
「申し訳ないのですが、心当たりはございません。 いつもとは違う餌を何か食べさせなかったか竜番に確認しましたが、何も変えていないとの事。 竜医にも聞いてみましたが、どの玉竜も三ヶ月前と比べて健康状態に変わりはなかったと申しておりました。 それに幼い頃ならともかく、成竜になってから鳴けなくなるほどの怪我や病気をしたら餌が食べられず、一週間も経たずに死にます。 だから病気や怪我ではないという事しか分からなかったようで。 それ以外で考えられるとしたら飛竜の喉を焼く呪術をかけられたとか?」
ネイゲフランがすっと席から立ち上がり、不気味なくらい冷静に言う。
「清廉は信仰の礎。 呪術はその清廉を穢すもの。 故に穢れを作り出す呪術師は城内への立ち入りを禁じている。 その禁忌が犯されぬよう必要な防御策を講じており、それは中央祭祀庁の重要な役割の一つ。 それが失敗したと申すか。 青竜の騎士の告発は中央祭祀庁の無能を糾弾したものと受け取ってよいな?」
サダが目を丸くして答えられずにいると、聖下がお席についたままお応えになる。
「青竜の騎士は考えられる原因の一つを述べたに過ぎぬ。 実際、飛竜の喉を焼く呪術が存在するのだから。 今回の件に関して呪術が原因と断定した訳でも、ましてや誰のせいとは一言も言っておらぬ。 何故告発糾弾されたと思うのか。 それらは原因が解明された後で来るべきもの。
又、原因の解明は重要なれど、再発を防ぎ、宸慮を安んじる事は更に重要。 鳴き声が出せない成竜は番いを見つけられぬ。 玉竜の鳴き声が長く途絶えれば、なぜ鳴かなくなったのか民は不審に思う。 不審は不安に通じ、陛下の治世への懐疑ともなり得る」
聖下を見下ろすネイゲフランの瞳に無表情以外の何かが現れる。 憎悪?
「ほう。 原因が解明されておらぬのに再発防止を優先すべきとは。 再発防止策を既に知ってるかのような口ぶり」
「青竜の騎士に破呪の能力あり。 玉竜が癒やされたのはその能力のおかげである可能性が高い。 だとしたら再発防止は簡単至極。 青竜の騎士が中央祭祀庁の全員と握手すればよい。 呪術が原因ではなかったとしても青竜の騎士の握手には癒される。 一瞬で終わる事でもあり、ここにいる神官から始めては如何?」
「破呪だと? つまり呪術の能力を消す? そのような事をすれば呪術防御策の実施に支障を来たすだけではない。 今回の件の原因糾明も不可能となる。 再発さえしなければ原因を糾明する必要はないとでも言うつもりか。 そもそも呪術が原因と断定した訳ではない、と其方が只今言ったばかり。 なぜここで破呪をせねばならぬ。 そのように焦って破呪をしようとしているのは今回の件、実は其方が関与しており、その痕跡を隠蔽したいからではないのか?」
「ほう。 再発防止と原因糾明が相反するとは、実に興味深い観点。 その誤った情報を其方に伝えたのは誰だ?」
「誤った情報?」
「破呪は呪術を施す能力を消し去るが解呪能力に影響はなく、習得した呪術の知識が失われる事もない。 それ故、呪術防御策の実施に支障はないし、今回の件に呪術が絡んでいたとしても真相糾明は行える。 もっとも犯人が神官で単独犯行ではなかった場合、真相糾明は簡単ではないだろうが」
「呪術師でもない其方が、呪術知識の消失はない事をどう証明する? それも証明の必要がない事実で、私の疑問に答える必要はないと言う気か」
ただでさえ暗かった雰囲気が更に暗くなり、にぶにぶのサダも察したか、突然何の関係もなさそうな事を言い始める。
「百ぶんは一見にしかずと言います。 私はそんなに沢山の文を読んだ事はありませんが、賢い皆様なら文を沢山読んでいらっしゃいますよね。 読んで納得いかなかった事でも自分でやってみたら、そうか、と納得する事もあるのでは?」
そう言って立ち上がり、自分の左手でネイゲフランの手をぎゅっと握った。 周囲が止める暇なんかない。 ネイゲフランはサダの隣。 手を伸ばせば届く距離だ。 護衛、侍従、神官は一番近いカイザー侍従長でも五メートル下がった場所に控えている。 俺は直線距離なら二メートルだが、椅子を隔てて立っているし、陛下と猊下がお座りだ。 サダの椅子とネイゲフランの椅子の隙間を飛び越す訳にはいかない。 そんな事をしたらサダを止められたとしても後で俺の首が飛ぶ。
サダが握手した途端、ざわっと辺りの空気が揺れた。 サダが初めて陛下と握手した時の気の奔流に比べたら格段に穏やかだが単なる風ではない事は室内にいた全員が感じただろう。 窓が開いていないんだから突風などどこからも来ようがない。
にこにこしながらサダが聞く。
「どうです? 御気分がよくなったでしょう?」
ネイゲフランが無言で椅子に崩れ落ちる。
「あれ? よくなりませんでした?」
中央祭祀長に手を握ってくれと頼まれた訳でもないのに中央祭祀長の手を握るとは。 まず手を握ってもいいか、聞くべきだろう? いきなり手を握るなんて無作法、たとえ皇王族筆頭だろうとしていい訳がない。 不思議そうな顔でネイゲフランの様子を窺っている場合か?
お前は一体、何を考えているとサダに向かって叫びたくなった。 サダが無茶をやらかし、そのとばっちりで自分の首が飛ぶ覚悟ならしていたが、その場合そこで全てが終わる。 その後はない。 だからサダがやらかした後、自分の首がまだ繋がっている場合どうするかは考えていなかった。
脳裏のサダがにこにこ笑いながら言う。
「師範たら、深く考え過ぎるんだからー」
今ここでサダを思いっきり殴れない事が残念でならない。 そしてこいつが以前より少しは賢くなったと思った事を心底悔やんだ。 それとも賢くはなったが無作法が直っていなかっただけ? 俺の世間が狭いから賢くて無作法な奴に会った事がないだけで、実は賢さと無作法は無関係?
その問いの答えを知ったところで既にやらかした無作法が帳消しになる訳でもない。 おまけにこいつ、百聞を百文だと思っていやがる。 誰かから生半可に教えられ、百聞をどう書くか知らないんだろう。
教えた奴も教えた奴だ。 バカに余計な諺を教えるな。 どうせ教えるならちゃんと教えろ。
そこで思い出した。 クポトラデルに行った時、サダがいる前で俺が口にした諺を。
勿論俺は「ひゃくぶん」をどう書くかなんて教えなかった。 そんな事くらい、わざわざ教えられなくても分かっているだろと思ったから。




