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副将軍記  作者: 淳A
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椅子

 陛下にいきなりと言うか、予定にないお目通りをする事はこれが初めてじゃない。 陛下がサダと握手なさった時も突然のお召しだった。 あの時は皇王城内とは思えないようなこじんまりした離れの一室で、護衛や侍従だけでなく必ずいるはずの書記もいなかった。 城内はどこも美しくきちんとしているが、どこか冷たい。 きちんとし過ぎていると言うか。 その部屋も美しくきちんとしていたが、不思議と冷たさや威圧感がなく、人が寛げる雰囲気があった。 室内に段差がなく、玉座にしか見えない豪華な椅子もなかったからか。 或いはお座り下さい、と誘うかのようなクッションが床や椅子の上にいくつも置いてあったからかもしれない。


 しょっちゅう予定にないお目通りをしている訳でもないのに、予定にないお目通りの時は小部屋という先入観が出来上がっていたらしい。 絢爛豪華な大広間に通されて驚いた。

 部屋の最奥の壇上には玉座が置かれ、その一段下に宝玉がいくつも嵌め込まれた椅子が玉座に向き合う形で祭祀長の椅子が五脚置かれている。 五名揃って登城していようといまいと必ず五脚置かれるのだとか。

 古くからのしきたりに従えば、陛下の右手下、最初の椅子は中央祭祀長。 その左隣に東、西、南、北と続く。 だから陛下から一番離れているのは北だ。 しかし今年の新年式で陛下はサダの椅子を玉座の隣に置き、一段下には六脚置くようお命じになった。 陛下の右手下、最初の椅子は北軍祭祀長。 その左隣に中央、東、西、南と続き、陛下の左手下には聖下の椅子が置かれた。

 レイによれば、椅子の配置を変えられるのは陛下、皇王庁長官、中央祭祀長の御三方のみ。 変更自体、大変珍しく、一度変更されたら新たな変更命令がない限りその配置が踏襲される。 言われてみれば、春に竜鈴鳴動の件で登城した時、祝賀の席での椅子の配置は新年式と同じだった。


 ところが今日は玉座の隣に椅子がない。 祭祀長の段に置かれているのは五脚のみ。 祭祀長の段からもう一段下がった臣下が立つ場所に美しい椅子が七脚置いてあった。 どの椅子も皇王族用として通じるくらい豪華だが、椅子の位置がお前は臣下と告げている。

 ネイゲフランは玉座の右手下、最初の椅子に座っていた。 椅子の肘掛けから零れ落ちる見事な刺繍の神服。 露払いが青竜の騎士とテーリオ猊下の到着を告げたにも拘らず、立ち上がるどころか振り向きもしない。 陛下はサダを皇王族筆頭とおっしゃった。 ならばサダはネイゲフランより上の立場だ。 そして新年での席順から推測すればテーリオ祭祀長は陛下の半身。 いくら年下で後輩だろうとネイゲフランより上席のはず。 なのに我こそは中央祭祀長、下がれおろう、と言わんばかり。

 なるほどね、と腑に落ちた。 これが言いたくてこの部屋にした訳だ。


 カイザー侍従長は俺達一行の顔ぶれを見たと同時に先触れを出している。 陛下が全員と会う事をお望みいだからここに通されているはず。 この格下げは陛下のお指図なのか? もっとも壁際に起立している上級神官五名の能面を見れば、誰の差金か予想はつく。 玉竜の咆哮は城内のどこにいようと聞こえただろうに少しも嬉しそうではない。

 そりゃサダはいとも簡単に治した。 だが三ヶ月もの間、原因不明で誰にも治せなかったんだろ。 名医に対する感謝の気持ちが少しはあっても良さそうなもんだ。 簡単に治せたから大した医者ではないとでも言う気か。 と神官に説教したところで、この不敬を詫びるどころか、椅子が気に入らないとはなんたる傲岸不遜、そちらが謝れ、と言われそうだ。

 おまけに肝心の青竜の騎士が人の後ろに隠れたがる奴で、玉座の隣に椅子がないのを見てほっとしている始末。 前回、前々回だって陛下がサダの手を握って離さなかったから隣に座るしかなかったが、もじもじもじもじ。 いかにも恥ずかしそうで見ているこっちが恥ずかしくなった。

 とは言え、この配置は恥ずかしがりのサダを気遣ってした事ではない。 それだけは確かだ。 段差がない応接間など城内にいくらでもあるんだから。 それに神官は位が上がれば上がるほど何を考えているか分からない表情を浮かべているが、今では、少なくとも北では、上級神官だろうとサダやサリの姿を見かければ瞳に喜びを浮かべる。 竜鈴鳴動の時だってサダに出会えば祝福のサインを投げて寄越したほど。

 なのに今日の無表情。 まるで、こんなはずでは、という失望の呻きが聞こえるような。


 何がこんなはずではないのか。 聖下がまだ生きていらっしゃる事?

 それともサダが一家総出で現れた事? しかも猊下まで御一緒な事?

 或いは俺もいる事? でなければサダがあっさり玉竜の病を治した事? なぜかヘルセスまで付いて来ている事?

 それら全て? その他にも何かある?

 まあ、あるんだろうな。 計算違いが。 一つや二つどころではなく。 聖下の暗殺を企てるような奴らが、ただ座って俺達の登城を待っていたはずはない。 俺達が無事でいる事自体、奴らの目論見全てが失敗したと叫んでいるようなもの。 生きてここに通されただけでも我が身の幸運を喜ぶべきなんだろうが、ここまで無事だったから生きて北へ帰れると決まっている訳でもない。


 予知能力など欠片もない俺だが、椅子や神官の仏頂面を見るまでもない。 非常にまずい事になっているのが分かる。 サダだって予知能力なんか俺以上にないし、暗雲たちこめる雰囲気が読めない訳でもないだろうに、護衛の誰彼に笑顔を振り撒いている。

「あ、又会いましたね。 その節はどうも」

 そりゃ俺だって近衛の百剣全員と顔見知りだ。 何人かはポクソン補佐の軍葬に参列してくれたカリゴウス近衛副将軍の護衛を務めていたし、以前手合わせした事がある護衛もいる。 登城の度に会うだけでなく、儀礼の間違いをさりげなく正してくれたり、うまく誤魔化してくれたり、何かと世話にもなった。 生きてこの部屋から出られたらこれからも世話になるだろう。 そう考えるなら愛想を振り撒く方が正しい。

 しかし今は一触即発。 護衛が返す挨拶がどこかぎこちないのは、心情的にはサダの味方ではあっても、この椅子を配置したのは誰か、それが何を意味するかを知っているからだろう。 先走ってサダの味方をしたら自分だけでなく、一族郎党の将来を左右する事も。

 普通なら中央祭祀長に敵対して勝てる者は陛下だけだ。 しかしテーリオ祭祀長が陛下の半身としての権威を存分に行使なさるならこちらにも勝ち目がある。 とは言え、それは陛下が中央祭祀長と北軍祭祀長、どちらに肩入れなさるか次第。 現時点でそれが分からないのに、よく笑顔でいられる。 と、サダの味方である俺が思うくらいだ。 腹に一物も二物もある奴らにとってサダの笑顔は奥の手を隠しているようにしか見えないんじゃないか。

 そういう意味では不気味と言えない事もなく、ひょっとしたら俺の睨みより神官をびびらせているかもしれない。 こんな時はサダの空気の読めなさがいっそありがたいが。 奥の手など何もない以上、これが虚仮威しとばれるのは時間の問題。


 それに椅子の配置を変えたのはネイゲフランではないかもしれない。 陛下はサダに対して共に歩もうとおっしゃった。 それからお気持ちが変わるような何かがあったとは聞いていないし、サダをいじめたくてこの配置にしたとは思えないが、陛下の寵はいつ消えるか分からないのが宮廷政治の面倒なところだ。

 テイソーザ長官にしてもレイやナジューラの結婚式でお会いした時は新年の時より上機嫌で、サダを抱きしめんばかりに見えたが、この場にいらっしゃらない。 偶々今日は登城しない日か、わざと登城していないのか。 もしかしたらサダが登城する事を昨日の内に知っており、わざと登城していないとも考えられる。

 仮に椅子の配置を変えたのはネイゲフランだとしても、だから聖下の暗殺未遂も奴の差金と断じる事は出来ない。 実際は誰にも何も命じておらず、上級神官の誰かが勝手にやった事とも考えられる。 もっとも部下の暴走を把握していないような呑気な奴には見えないが。 知っていながら止めなかったとか? うまく行けば幸い。 うまく行かなかった時はそいつの首を刎ねれば済む、と。


 そもそも祭祀長なら予知能力があるはず。 なら、いつ聖下がお亡くなりになるかも知っているんじゃないのか? ただ祭祀長がどれだけの予知能力を持っているのか俺は知らないし、上級神官でさえ知らないらしいが。 それに予言は何年も先の事を見るもので、数十年先である事もあると聞いた。 少なくとも今日や明日の事が予言された前例はないと聞いている。

 ならば椅子は遠からずこうなると予想して配置されたのかもしれない。 サダの登城や猊下と聖下も御一緒である事は最近過ぎて予想出来なかったとか。 だから椅子を前回通りの配置に戻している時間がなかったとも考えられる。

 いずれにしてもネイゲフランとしてはわざとこの部屋、そして椅子を選んだのだ。 聖下に、お前は貴族より下の身分となった、椅子に座らず立っていろ、と言いたくて。 それに俺は護衛として、レイは猊下のお側付きとして来ている。 元々椅子に座れる身分じゃないし、文句が言えるのはサダか猊下だけだ。 猊下はともかく、サダは文句なんか言いそうもないが。

 ただ陛下の正面に座れるのは臣下筆頭。 テーリオ猊下は段上にお座りになるし、サダがサリを、リネがサナを抱いている。 二人は陛下の正面に座る事を遠慮するだろう。 それなら取りあえずこの場は穏便に済むか?


 冷ややかな沈黙に包まれた広間にサリの元気な声が響く。

「おとーちゃん。 ぽんぽん、しよっ!」

 ぽんぽんとはクッションの上で飛び跳ねる遊びだ。 豪華な遊具を見慣れているからか、サリの目には貴人の椅子に置いてあるふかふかのクッションが格好の遊び道具に見えたらしい。

 ぷっと吹き出されたのはどなたか。 俺が立っている場所からは見えなかった。 段上、壁際、窓際、背後からの音ではない。 俺の隣に立っているレイでもないし、陛下にお目通りする時は常に緊張しまくっているサダやリネでもないだろう。

 まさかカイザー侍従長? 吹き出す? それは彼がヒャラを踊り出すよりありえないような。 第一、公爵家正嫡子が「おとーちゃん」や「ぽんぽん」の意味を知っているか? 今まで一度も聞いた事がない言葉だろ。

 改めて考えてみれば陛下の護衛や上級神官の中に平民なんていない。 ここにいる平民育ちは俺とリネだけだ。 今回の旅で沢山の平民と交流なさった猊下と聖下は御存知だが、お二人のどちらかが吹き出されたのなら誤魔化せる。 なのに焦ったサダが。

「だ、だめっ。 ここは飛んだり跳ねたりしていい部屋じゃないのっ! それと、父上って呼んで。 おとーちゃんは、なし」

 バカ、そう言ったらせっかく言葉の意味を知らない奴らに教えてしまうだろ。 と叱りそうになったが、時既に遅し。

「なんでー?」

 旅が始まる前、サリはサダから、今日からおとーちゃんと呼ぶように、と言われている。 サダの事だ。 今日から父上に戻すように、と言ってないんだろう。 旅の間だけの呼び名と説明されていないサリにとっては当然の疑問だが、ここでそれを説明したら後々大きな問題となる。

「な、なんでって。 それは、その、」

 中央祭祀長がいる前でどう説明したら誤魔化せるのか、サダの頭で思いつける訳もなく。 言葉に詰まっているとテーリオ猊下が優しくおっしゃる。

「サリ、呼び名は時と場所によって変わる事があるのだよ。 椅子の配置のようにね」

 事情を察し、事態を穏便に収めようとしたか、カイザー侍従長がテーリオ猊下へ申しあげる。

「猊下、どうぞ段上のお席へ」

「いや、私は段下でよい。 聖下、どうぞ私の右隣へ。 サダとリネはこちらに」

 そうおっしゃりながら猊下は臣下筆頭の椅子におかけになった。 聖下、サダ、リネが猊下のお言葉に従う。

 猊下はネイゲフランにその席を譲れとおっしゃってはいないし、おかけになったのは臣下用の椅子だ。 遜っている、と言えない事もないが。 配置された椅子を拒否した事には変わりない。 中央祭祀長命令による配置か、しきたりに従っただけかは分からなくとも。 だからか、上級神官の瞳に不穏な色が浮かぶ。 たかが椅子。 されど椅子。


 誰かが何かを言う前に露払いの侍従が陛下の御臨席を告げた。 陛下が玉座にお座りになると同時にカイザー侍従長が紹介の口上を述べる。

「陛下、お召しにより青竜の騎士が参上なさいました。 青竜の騎士の御家族、テーリオ北軍祭祀長猊下、スティバル聖下も御同道故、御案内申し上げております。 道中は軍葬施主にして北軍第三大隊長、リイ・タケオが護衛を務め、登城の際は公爵家次代レイ・ヘルセスがテーリオ猊下の随行を申しつかったとの事」

 口上が終わり、サダが陛下へのお目通りの挨拶をするため平伏しようとしたら、陛下がお止めになる。

「よい、よい、サダ。 堅苦しい儀礼など抜きにせよ。 よう来た。 玉竜の治療、大儀。 そしてテーリオ。 スティバル。 新年の喜びを其方らと分かち合える事、嬉しく思うぞ。 

 タケオは護衛を務めてくれたか。 心強き事、この上なし。 とは言え、子連れの長旅。 さぞかし難儀したであろう。 積る話を聞きたいが、それは後ほど。

 準大公夫人。 サリとサナに食事と休息が必要なら別室に下がってよいぞ。 遊具付きの部屋を用意させた。 サリはそちらの方が退屈しないのではないか。 ヴィジャヤン御典医筆頭見習とヴィジャヤン女官がそちらに待機しておる。 入用な物があれば伝えよ」

 サダとリネが一瞬視線を交わし、リネが答える。

「陛下のお気遣い、誠に忝く存じます。 お言葉に甘え、別室へ失礼させて戴きます」


 侍従の案内でリネと子供達が下がると陛下がおもむろにおっしゃる。

「話をするのに不便な設えであるな。 段下へ移る故、椅子を円形にせよ」

 そのお言葉により猊下、聖下、サダが椅子から立ち上がる。 侍従が中央の椅子の背を玉座に向け、その左右に三脚づつ円を囲む形で置いた。

 陛下が中央の椅子にお座りになる。

「サダは私の右。 テーリオは左。 スティバルはテーリオの隣へ。 ネイゲフランはサダの隣がよかろう」

 ネイゲフランが陛下に小言を言うのではと思ったが、いずれにしても陛下に背を向けて段上に座る訳にはいかないからだろう。 無言でサダの隣に座った。

 サダとネイゲフランの近さを見た時嫌な予感がしたが、陛下がお決めになった席だ。 俺に変えられる訳がない。 それにこの席順は聖下とネイゲフランが隣同士にならないようにとのお気遣いだろう。

 ここでサダが余計な事は何もしないでいてくれたら、と願った途端、脳裏にポクソン補佐が現れ、俺を憐れみの目で見つめる。 そして、学ばない御方だ、と言うかのように俺に背を向けた。


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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 サリちゃんの無邪気な言葉や若とのやり取りは テーリオ猊下の穏やかで痛烈な皮肉を引き出すことができて ナイスアシストですよね。 カイザー侍従長が吹き出したのだとしたら 若の…
更新ありがとうございます! とてもとてもシリアスなシーンなのに、最後の二文で吹き出してしまいました。ポクソン補佐、流石です。
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