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副将軍記  作者: 淳A
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妹思い 3

 あっと言う間に出発日。 もう、何がなんだか。 ともかく出発した。

 出発してから改めて思ったんだけど、ほんと、旦那様って旅慣れしていらっしゃる。 私が知っている誰よりも。 世間知らずという評判が嘘みたいに。 貴族のしきたりや礼儀作法は生まれが平民の私と同じくらい御存知ないし、世間知らずな一面もおありになるけど、誰も行った事のない場所や誰もやった事がない設定での旅となると世間知らずという評判が理不尽と思えるくらい柔軟に対応なさる。

 先代陛下のお見送りの時だってケルパが踏ん張った時、慌てず騒がずさっと船を乗り換え、昔助けた動物が魂消る大きさの怪物になっていても顔色ひとつ変えなかった。 まあ、動じなくても世間の皆さんには大変な御迷惑をおかけしたんだけど。

 家に帰った後で私達が向かったベルドケンプ島周辺は昔はすごく危険で、行ったら最後、生きては帰れない島であった事を教えられた。 旦那様が正しい海路を御存知で、しかもそれを南軍の皆さんにも教えたから行けるようになったんだとか。 それってつまり私達が全員無事に帰れたのは旦那様のおかげという事でしょ。


 今回だってお側役神官が一人もいない猊下と聖下との旅。 しかも平民として。 これってたぶん前代未聞の旅のはず。 なのに旦那様は全然平気。 ま、しょうがないよね、て感じ? 周囲の皆さんへの根回しにはお忙しいようだけど、旅自体については特に心配していらっしゃらない。 でも私も同じでいいの?

 従者は平民出身だし、猊下と聖下の日常なんてたぶん私以上に知らない。 荷物持ちや雑用で手一杯だと思うから、旅の間お二人のお世話をするのは私だよね?

 聖下は私の父という役柄だからあんまり恭しくてはおかしい。 かと言って本当の父さんみたいに接したら失礼になる。 それに猊下は夫の従兄弟という役柄で、子供達を抜かせば一行の中で一番の年下。 あんまり恭しくしたら辺りの人に変に思われる。 何をどこまでやれば失礼にならないの?

 誰かに聞きたいけど、お忍びの旅だから口の堅い人にじゃないと聞けない。 我が家の奉公人は口は堅いけど祭祀長のお世話をした事がある人はいないし、お側役の神官なら何か知っていると思うけど神官には何も言っちゃだめなんだって。 もっともお側役をつれずに旅をする祭祀長なんて普通ならあり得ない。 あり得たとしてもその神官は旅にお供した人じゃない訳で、聞くだけ無駄のような気はする。

 こうなったらもう御本人様に伺うしかないよね。 それには神域にある御宅へお邪魔しないと。 いくら神域への出入りが許される身分になったっていきなりこんにちは、て訳にはいかないし、行ったところで御宅にいらっしゃるとは限らない。 だけど事前に御都合を伺えば、必ずお取次の神官に訪問の理由を聞かれる。 聖下のお取次ならサリが遊びたがっていると言っても簡単にはばれないと思うけど、猊下のお取次にサリが猊下と遊びたがっていると言ったら嘘とすぐにばれる。 今までサリが猊下と遊んだ事なんてないんだから。


 私じゃ適当な言い訳が思いつけなくて、旦那様に伺った。

「あの、旅行中猊下と聖下のお世話はどのようにすれば失礼にならないのか、予め聞いておきたいのですが。 私、何も知らなくて。 どういう理由で神域へお邪魔したらいいかいいのでしょう? 何か良い言い訳はございませんか?」

「あー、そんなの気にしないで。 リネは子供の世話だけしていればいいよ。 二人もいる上にサナは乳離れしていないんだもん。 夜中に起こされるだろうし、風邪をひくかも。 そうなったら看病するだけで一仕事だろ。 旅の間少々の不便は仕方ないって事、分かって下さるさ。 こうせよああせよとごねるお人柄でもないし」

「それでは誰がお二人のお世話を? 従者には無理ですよね? まさか、リイ兄さん?」

「何言ってんの。 辺りに目を配らなきゃいけない護衛が誰かの世話をしている暇なんてあるもんか」

「で、では、旦那様がなさる?」

「俺も一応護衛なんだけど。 それに師範から、お前は自分の事以外何もするな、て言われているんだ。 いいか、何もだぞ、の念押し付き。 そこまで言われちゃあね。 そもそも上官命令だもん。 何もしません」

「そ、そうですか。 じゃ、お世話する人はいるけど普段は隠れているとか?」

「ヘイゲルでもあるまいし。 あ、ヘイゲル、て知ってる? マッギニス特務大隊長の従者で幽霊従者、てあだ名の。 自慢じゃないけど、俺、そいつをチラッと見た事あるんだぜ。 みんなにびっくりされた。 ま、俺は目だけはいいからな。 その俺でさえ今まで片手で数えるくらいしか見た事がない隠し身のプロなんだ。 マッギニス特務大隊長が入隊した時から仕えているのに。 あそこまで行けば師範並みの異能さ。 分野は違うけど。

 ヘイゲルなら普段は隠れてが完璧にやれる。 とは言っても、あれほどの隠密、この世にもう一人いるとは思えない。 リネだって師範並みの剣豪がもう一人現れたらびっくりするだろ」

「要するに、お二人のお世話する人は誰もいない?」

「うん。 でもたぶん大丈夫」


 本当に? 勘違いや思い違いが多い旦那様のおっしゃる事だから不安はある。 だけど旅に関して旦那様の判断や予想が間違っていた事は私が知っている限りでは一度もない。 おまけに旦那様はリイ兄さんの気持ちもよく分かるみたいで。 生前ポクソン補佐が教えてくれた。

「ヴィジャヤン大隊長は人の気持ちを読む事に長けていらっしゃる訳ではないのですが、タケオ大隊長のお気持ちだけは非常によくお分かりになるようで。 グゲン令嬢への一目惚れも本人が自覚する前にお気付きでした」

 何しろリイ兄さんの結婚があっと驚く早さで纏まったのも旦那様のおかげらしい。 照れ屋の本人に任せていたらいつ纏まるか分からないよ、と周りを煽った事が大きいと聞いている。


 それに軍葬会場でモンドー将軍が私におっしゃった。

「ここだけの話、副将軍の件ではヴィジャヤンに深く感謝しておる。 北軍広しといえどもタケオにうんと言わせる事が出来るのはヴィジャヤンだけなのでな」

「まあ。 私には説得らしい事など何も言ってないと申しておりましたが」

「確かに、決断前タケオが誰とも会わなかった事は下働きから聞いている。 しかしタケオがな、ヴィジャヤンの速射の音を聞いている内に受ける気になったと言っておった」

「速射の音? どういう意味か、お分かりですか?」

「なんとなくな。 あの明瞭で迷いなき音。 名誉や爵位と金を手に入れた後でも少しの衰えもない。 それどころか鋭さが増しておる。 あれを聞いていると自分の迷いを叱咤されているようで。 世間のあれこれを思い患う己が恥ずかしくなるのだ。

 奇も衒いもなく、無言で相手にうんと言わせる。 それがヴィジャヤンの侮れぬところと言えよう」


 改めて考えてみれば、私だって旦那様にはうんと言わせられている。 速射の音は聞いていないけど。 ただそれは妻だし、夫を愛しているからだと思っていた。 旦那様の才能って弓や旅だけじゃなく説得上手でもあったのかな?

 ともかく、こんな少人数での旅はとても嬉しい。 こうなったのは抜き差しならない理由があるからで、喜んでいる場合じゃなくても。

 そりゃお嫁に来てからあっちこっちに行ってるけど、いつも周りに沢山の人がいるからすごく気を遣う。 それでなくとも私って周囲の顔色を窺ってばかりいる。 世間、親戚、旦那様だけじゃなく、自分の奉公人や旦那様の部下の顔色でさえ。 世間的には偉くなったんだし、そんなにびくびくしなくてもいい事は知っていても身に付いた平民根性。 いきなり消せと言われても、て感じ。


 でも今回は平民の家族旅行。 どう準備したらいいか貴族出身の奉公人や独身の部下に質問したって知っている訳がない。 だから誰にもお伺いを立てず、旦那様と自分、そして子供達の持ち物を決めた。 自分でちゃっちゃと決められるだなんて。 それだけでもかなり新鮮。

 もっとも私だって平民だった時に家族で旅行をした事はないんだけど。 旅については全て又聞き。 村には冬に家族全員で出稼ぎに行く人が結構いて、これは持って行ったけど役に立たなかった、あれはなくて不便だったとか、帰ってから聞いていただけ。 いつか家族で旅行に行けるといいな、と夢見ていたから。 貧乏な我が家にそんな日が来る訳ないと分かってはいても。


 本当の家族旅行じゃなくても、これって限りなく本物に近いよね。 内心ワクワクが抑えられないでいる。 猊下と聖下がいらっしゃる旅で呑気は許されない。 とは言ってもお二人はお優しいし、平民のふりをしなきゃいけない以上、多少の失礼は許して下さるでしょ。 それにこんな機会、又ある事とも思えない。 だから他に人がいたら絶対聞けない事をお伺いしてみた。

「猊下から御覧になって、その、兄に副将軍のような大変なお役目が務まると思われますか?」

 猊下が柔らかに微笑まれる。

「ええ。 彼は陛下の信頼厚き副将軍となるでしょう。 心配ですか? 軍葬会場で兄へ寄せられる人望の眼差しを見た後でも」

「人望、と言えるのでしょうか。 私の夫はとても慕っておりますが。 他の、貴族の皆さんからは恐れられているような。 副将軍は義弟に慕われていれば務まるような生易しいお役目ではないのでは?」

「どれほど困難な役目であろうと民の支えがあれば務まります。 逆を言えばそれがなくては務まりませんが、タケオ副将軍にはある。 軍葬会場に入れず外に立ちんぼしていた民の数を数えたから言うのではありません。 民が北の猛虎の名を口にする時、彼らの瞳に宿る希望。 厚き信頼。 それらを見ているから言うのです」


 猊下のお言葉なら予言も同然。 嬉しいし、心強い。 とは言え、猊下はリイ兄さんと出会って一年足らずでギラギラしていた昔のリイ兄さんを御存知ない。 大隊長になってから随分落ち着いたみたいだけど、外国へ殴り込みをかけるとか血の気の多さは相変わらず。 しかもそれってつい最近の話。 新兵の頃から兄を知っている人もそう思うかしら?

 どうしても気になり、聖下の御意見もお伺いしてみた。

「兄が副将軍になったら無茶をするとお考えになりませんか?」

「無茶、とな? 今回の旅にしてもかなりの無茶ではあるが、これは私が忍びで皇都へ行くと言い出した事が原因。 つまり私が無茶をしたという事。 私より無茶をするかと聞いているのかい?」

「い、いいえ、とんでもございません」

「しかも其方には私より無茶をする夫がいる。 噂で聞くところによれば、其方の執事も相当な無茶をした過去があるのだとか。 身近に二人もリイより無茶をする人がいる以上、彼が誰よりも無茶をするとは言えまい。 傍目には無茶をする男に見える事は認めるが。 あれで中々慎重な面もある。 妹思いの兄でもあり、そう心配せずとも其方が悲しむような事はすまい」

 意外なお言葉に驚いた。

「妹思い、ですか? その噂を聞いた時、誰が言い出した事なのか不思議だったのですが。 聖下がおっしゃったのですね」

「おや、世間の噂になっているのかい? ただ私自身は其方以外にそう言った事はない。 噂になっているとすれば誰かが私と同じ事を感じて言ったのであろう」

「聖下は兄のどこを見て、そうお感じになったのでしょう?」

「普段の行動だね。 例えば副将軍を引き受けた事にしても。 世間は副将軍をやりたいリイが青竜の騎士を蹴り落としたと思っているのだろうが、其方ならリイにそのような野心はなかった事を知っておろう。 なのに引き受けた。 なぜだと思う?」

「私の夫が副将軍になったら自分がやるよりもっと酷い目にあうと思ったのでは?」

「ははは。 サダは副将軍になろうとなるまいとリイを酷い目にあわせると思うぞ。 人を振り回す事にかけては天賦の才がある男だから。 相手が自分の直属上官であろうとな。 それはリイ自身も骨身に沁みて知っていよう。 違うのは其方の苦労の量だ」

「え?」

「サダが副将軍という重荷を負わせられたら其方は毎日愚痴を聞かされるだけでは済むまい。 夫の尻拭いをするためあちらこちらに駆り出され、やりたくない事でもやらされるはずだ。 リイは其方に今以上の苦労をかけたくないから副将軍を受けた、と私は見ている。 勿論それだけではないが、理由の一つではあろう」

 びっくり。 もう、そう言うしかない。 私のため? 私が信じられないという顔をしたからか、聖下がお続けになる。

「この旅とて私とリイだけで行く事も考えられた。 なのに面倒な根回しをしてまで家族旅行の体裁にしたのは想定外を絵に描いたようなサダを野放しにしたら碌な事にはならないとリイが熟知している故であろう。 一緒に行動すれば尻拭いをしやすいし、夫の暴走の後始末に奔走せねばならない其方の苦労も軽減出来る」

 この家族旅行がそんな理由? 到底信じられなくて、思わずお言葉を返した。

「もしや兄は私の夫に対し恩があると感じているのではありませんか? 妹思いと言うより弟思いなのでは?」

「恩の貸し借りはあっただろう。 しかし助け助けられ、互いに相応の返しをしている。 それにサダは兄にお返しを強請るような弟ではないし、リイには強請られてもいないお返しをしてあげる親切心はない。 違うかね?」

「それは、まあ。 でも私も兄にお返しを強請った事など。 そもそも兄に恩を売った覚えもございません」

「サダとの結婚はリイが決めたのだろう?」

「はい。 けれど兄が申し訳なく思う理由など一つもない良縁です」

「貴族嫌いの兄が妹の結婚相手に貴族を選んだと聞いて、おかしいとは思わなかったかい?」

「それは思いましたが。 理由を聞いても何も教えてくれなくて」

「フェラレーゼ王女を出迎える際、国境付近で事件があったようでな。 おそらくリイは無断で越境した。 それが問題とならぬよう、急場凌ぎでサダと義兄弟になったのだろう。 貴族なら許可がなかろうと丸く収める伝が何かしらあるもの。 三男との縁組なら離縁の際揉める事もない。 ところがサダに離縁する気など欠片もなく。 其方が平凡な農家の嫁となる道は永遠に閉ざされた」

「不幸な結婚となったのならともかく、幸せに暮らす妹に対して兄が申し訳なく思う必要などあるでしょうか」

「だが、しなくてもよい苦労をしている事は事実であろう? 周囲に気を遣い、儀礼やしきたりに雁字搦めの毎日。 命懸けで産んだ子でさえ思うままかわいがる事が許されない」

「そのような細かい事まで気にするような兄とは思えないのですが」

「リイは自分の任務を遂行するため妹のささやかな幸せを犠牲にした事を忘れるような兄ではない」

 そう、なの?

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― 新着の感想 ―
猛虎が兄って最高に羨ましい。 子供の頃には無口すぎて読めないし怖くすらあるかもだけど、強くて賢くて妹思いで、でも素直に優しい言葉をかけられないって、もう萌えの極致じゃないか!! 私の中で猛虎は兄か夫に…
更新ありがとうございます。 さすが聖下、タケオのことをよく分かっていらっしゃる。本人は絶対認めたがらないと思いますけど! そしてリネがはっきりと今を幸せと言ったことにもなんだがジンワリとしました。親族…
更新ありがとうございます。 流石 聖下ですね。ずっと師範を見守っていらした聖下の言葉だからこそ より重みがあって リネさんの心に響いたことと思います。 何故 師範が副将軍を務める決心をしたのか あ…
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