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副将軍記  作者: 淳A
23/32

妹思い 2

 軍葬の後で子供達を迎えに神域へ行った時、私は何も気付かなかった。 サリとサナ、どちらも御機嫌だったし。 サリが聖下に失礼な事をしなかったか心配だったけど、聖下は名残惜しげにサリを抱きしめて下さった。 それを見てほっとしたし、我が家で旦那様の御両親とお兄様達にお待ち戴いている。 そちらに気を取られていたから。


 家に帰り旦那様がお客様とお話ししている間まずサナを寝かせ、次にサリの着替えの用意をしていると、サリがいきなり柵を掴んでよじ登り、ベッドに飛び込んだ。

「ドーン」

 そう大きく声を出しながら枕の側に置いてあったオークのぬいぐるみに覆い被さる。

 サリのベッドの高さは三十センチくらい。 転げ落ちたりしないよう周りに五十センチの高さの柵が付いていて、ふかふかの綿入りクッションで覆われ、大人が寝られるくらい広い。 勢いよく飛び込んでも転げ落ちたり怪我をする心配はない。 サリは活発で普通の二歳児より体力があるからこれくらいの柵なら大人の助けがなくてもよじ登れる事は知っていた。 でも皇王族のお子様がおやすみになる時は必ずベッドに抱き下ろされるとエナから教えられ、いつも私かエナがサリを抱き下ろしている。 今までサリが抱き下ろされるのを嫌がった事はなかったし、こんな乱暴な真似をしたのは初めてで。 びっくりしてサリを叱った。


「サリ、ベッドに飛び込んではいけません」

 いつも多少のやんちゃは見逃されるし、叱られるとしたらエナからだ。 私に叱られる事は珍しいからか、サリが目をぱちくりさせる。

「だめ?」

「だめです」

「ケルパはいいの?」

「え? ケルパがベッドに飛び込んだ?」

「ううん。 お外。 白い人に、どーん、て。 こう」

 オークのぬいぐるみのお腹の上に膝を折って座り、胸を両腕で押し潰した。

 白い人、て。 まさか神官?

 ケルパが神官を押し倒した? どの神官?

 いえ、どの神官であろうとケルパに胸を押し潰されたらまず助からない。 屈強な男三人がかりでも動かせないくらい重くなれるんだから。 重さを加減してくれたのだとしても大怪我をさせたでしょ。

 それともケルパが戯れ、神官がうっかり転んだのをサリが誤解した? だけど神官を地面に押し倒したら悪気がなかったとしても相手に何の怪我がなくても、笑って許される事とは思えない。 誰も見ていなかった所であった事ならともかく、サリが見たならエナ、ベイダー先生、バートネイア小隊長、ネシェイム小隊長も見たはず。 もしかしたら聖下とそれ以外の誰かも。 なら上を下への大騒ぎになっていなきゃおかしい。 なぜ誰も私に何も言わないの?

 ケルパを見ると部屋の隅で骨をがしがし噛んでいる。 サリの言葉が聞こえたはずなのに嘘警報のブーを鳴らしていない。 つまり嘘じゃない、て事。

 すると私が知らないだけで旦那様は御存知? でも御存知なら旦那様のお顔の色だって変わると思う。 私や周囲の人が気付けるくらい。 察しが良い旦那様の御両親ならすぐお気付きになる。 特にお母様。 ヴィジャヤン準公爵夫人はとても勘が鋭く、旦那様の隠し事は勿論の事、誰の隠し事でも通用した事なんてただの一度もないんだとか。 それを私に教えてくれたのは旦那様なんだもの。 もしこの事件を悟られたくないなら久しぶりであろうと御両親を家に呼んだりはなさらないでしょ。 すると旦那様も御存知ない?


「サリ。 それはいつあった事なの?」

「今日」

 驚いてエナに目を向けると彼女の顔から表情が消えている。 初対面の時に見た能面のよう。 取りあえずサリには無難な注意を言うに留めた。

「あのね、ケルパはあなたの、えーと、守り神、て分かるかな。 ケルパは特別で。 他の人がやったらだめな事でもする時があるけど、サリが同じ事をしたら危ないの。 だからケルパの真似はしないで。 したい時は、する前に必ず私かエナに聞いて頂戴。 真似をしてもいいのか」

 サリはちょっと首を傾げ、素直に頷く。 実際真似する前に聞いてくれるのかどうかは分からないにしても。

 サリを寝かしつけて部屋の外に出てから小声でエナに聞いた。

「知っていた?」

「いいえ、存じません。 聖下は一人も神官をお連れになりませんでしたし。 ただ軍葬の最中どなたかいらしたようで。 聖下とサリ様が少しの間正面玄関へ向かわれ、ベイダー先生とバートネイア小隊長が従いました。 ネシェイム小隊長と私はサナ様のお側で室内におり、玄関は見えないので神官の訪れがあったとすればその時でしょう。

 皆様すぐ裏の遊び場へお戻りになられ、サリ様の御様子に変わったところはございませんでしたが。 旦那様奥様がお迎えにいらっしゃる直前までバートネイア小隊長の姿が見当たらず、おかしいと思いながら理由を把握せずにいたのは私の不手際。 深くお詫び申し上げます」

「謝る必要はないわ。 バートネイア小隊長とベイダー先生が何も言わなかったのは理由があっての事だと思うから。 聖下から口止めされたのかも。 詳しい事情が分かるまでこの事、誰にも、旦那様やトビにも言わないで」

「畏まりました」


 ベイダー先生を呼び出して聞き出すべき? それともバートネイア小隊長?

 どちらにしてもお客様がいらっしゃる今、呼び出すのはまずいよね。 私だって隠し事が上手い訳じゃない。 にぶにぶの旦那様にだって悟られるくらいなんだもの。 御客様に何かあったと気付かれちゃう。 それで私はサリを寝かしつけている間に寝落ちした事にした。

 旦那様に言うべきか一晩中迷ったけど、旦那様に言ったら旦那様はリイ兄さんに報告しない訳にはいかない。 上官なんだから。 嘘じゃない事はリイ兄さんには分かってもらえるとしても他の人にも分かってもらえるかしら? ケルパを庇って嘘をついていると思われたら、すごく面倒な事になるでしょ。 いくらテーリオ猊下がお優しい御方だって庇える事と庇えない事があるだろうし。

 それにもし聖下から口止めされているとしたら、バートネイア小隊長とベイダー先生は誰に何を聞かれても知らぬ存ぜぬを通すような気がする。 神官への暴行を見ていながら黙っていた事が祭祀庁に知られたら死罪は免れないと知っていても。


 翌朝、旦那様がお出掛けになった後でこっそりベイダー先生に聞いてみたら案の定、詳しい事は何も言わない。 聖下から口止めされたとしか思えないから私も何も言わない事にした。 旦那様は勿論、リイ兄さんや他の誰にも。 聖下のお気持ちに背く訳にはいかないし、それでなくとも今、第一駐屯地は上級貴族が押し寄せてピリピリしているんだから。

 旦那様はお仕事関係の事を詳しくおっしゃらないけど、毎晩遅くのお帰りで。 夕ご飯を召し上がった後は倒れるようにおやすみになる。 お顔の色も優れない。 色々あるらしい事はフロロバが教えてくれたけど、秋の恒例軍葬が終われば弔問客も帰るし、一段落すると思っていた。 ところが終わっても旦那様のお顔の色は冴えないまま。 何がどうなっているのか気になってトビに聞いた。


「旦那様の事なんだけど。 何か難しい事になっているのかしら?」

「尊き御方の複雑な事情を推察申し上げる御無礼をお許し下さい。 簡単に申せば、難しい事になっていらっしゃるのは旦那様ではなく聖下です。 奥様はお気付きでしょうか。 軍葬に参列なさった御親戚や弔問客のどなたも聖下についてお訊ねにならなかった事を」

 そう言われて初めて、どことなく変な感じがした事を思い出した。 聖下がサリと遊んで下さってと言うと、一瞬相手の表情がなくなるの。 すぐ喜ばしげな表情に戻る事は戻るんだけど、話題がさりげなく他に移る。 私の歌が素晴らしかったとかサナの成長についてとか。


「退任なさって聖下が重要な人ではなくなったから聖下がなさる事に関心はなくなった、て事?」

「と申しますより、祭祀庁内の対立が激化し、更に難しいお立場になられたのです。 奥様から聖下の御健勝、サリ様との御交流を聞いて喜んだ場合、世間から聖下の側に立つ事を選んだと思われる。 かと言って喜ばねば聖下と敵対する中央祭祀長側に立ったと思われ、それはもっと困る。 返答に困るような事は聞きたくない、という事ではないかと。

 尚、ヴィジャヤン準公爵御夫妻はその辺りの機微を御承知です。 テーリオ猊下とスティバル聖下を深く尊崇なさり、サリ様と聖下の御交流を心からお喜びになっていらっしゃいますが。 それ以外の皆様には柵と申すものが少なからずおありなので聖下のお名前をお出しになる事はお勧め致しません」

「旦那様はどんどん遊んでもらえば、て感じでサリが聖下と遊ぶ事をお止めにならないけど。 それは、いいの? その、世間体と言うか」

「旦那様は世間の変化を御存知ないか御存知だとしても、尊い御方を尊んで何が悪い、とお考えなのでは。 準大公という世間体を無視する訳にはいかないお立場になられましたが、それはそれ。 旦那様のお気持ちに変化があれば隠し事が出来ない御方ですし、誰でも気付けるでしょう」

「旦那様はそれでいいとしても陛下はお気になさるのでは? でなければ皇王庁の皆さんや祭祀庁の神官が」

「陛下は先代陛下の半身であられた聖下を尊崇なさっていらっしゃいます。 皇王庁、祭祀庁の関係者は気にするでしょうが、元々サリ様は難しいお立場。 交流相手が誰であろうと気にするのが彼らの仕事。 聖下だから気になるのではございません。 とは申しましてもサリ様の御交流相手として相応しいかは又別問題。 御交流に関する指示や苦情の類いが何も届いていないからと言って無問題と断言は出来ませんが、何も言われていないのにこちらの日常を変える必要はないかと存じます。 あちらとしてもここで波風を立て、陛下と旦那様の友好な御関係が変化するのは好ましくないと考えているのかもしれませんし」

 波風ならもうとっくに立っているんじゃないの、と言いそうになったけど、ケルパが神官を押し倒した事は旦那様にさえ言ってないのに執事にばらしたらまずいよね。 なんでトビには言って俺には言わないの、と拗ねられちゃう。


 その日、旦那様は珍しく早めにお帰りになった。 ただお顔の色はイマイチ。 心配事がありそうな感じ。

 夕食の後、旦那様が夫婦の寝室に入ってからそれはそれはでっかいため息をおつきになる。 これって頼みづらい事とか言いづらい事をおっしゃる前の癖だから思わず身構えた。

「リネ。 あのさ、家族旅行に行く事になっちゃって」

「家族旅行、でございますか。 どちらへ?」

「皇都」

「年末に上京するのに?」

「いや、その年末の上京が家族旅行になったの」

「元々家族全員で行く予定でしたよね?」

「そうだけど。 護衛付きだろ」

「えっ。 護衛なし?」

「師範と俺はいるけどな。 それと師範の従者が一人付く」

「いいんですか? そんな事をしても」

「俺に聞かないで。 それ、師範が言い出した事だから。 しかもすごく焦っていて。 明後日には出発するって言うんだ。 年が明けるまで帰って来れないのに。 突然いなくなって二ヶ月も帰らなかったら誰だってどうして、と思うだろ」

 流石に呆れるしかない。

「まあ。 ならモンドー将軍にお止め戴く以外ないのでは? それでもうんと言わないならテーリオ猊下か、スティバル聖下に」

「実はこの旅行、猊下と聖下も御一緒なさるの」

「えええっ?!」

「しっ! 声が高いよっ。 サナが起きちゃう」

「す、すみません。 あの、でも、一体どうしてそんな事に?」

「なんか知らないけど、聖下が家出したいらしくて」

「はあ?」

「だけどお一人で家出なんて危なくてさせられないだろ。 おまけに猊下も御一緒なさるとおっしゃってさ。 すると護衛が付かないとまずい。 どうやら兵数より質が問題らしくて。 副将軍と大隊長が付いているなら後でやれ警備が不十分の不敬だのと面倒な事を言われずに済むんだと。 なら師範と俺が行くしかない。 ただその他に誰を連れて行くか選んでいる暇なんかないから、いっそ平民の家族旅行の体裁を取れば世間も誤魔化せる、となった訳」

「世間も誤魔化せる、て。 世間にいますか? 旦那様のお顔を知らない人。 顔をマスクやマフラーで覆っている内はともかく、最初の宿でマスクを取った途端バレますよね?」

「そこは六頭殺しの若のそっくりさん、て事で」

 簡単な事では驚かなくなった私でさえこれにはたまげた。 まさか。 まさか聖下の家出って、ケルパがやらかした事が原因? だからっていきなり家族旅行に行く事になっちゃって、はないでしょ。


「それはいいんだけど」

「いいんですか?」

「だって猊下のお言葉なら陛下以外誰にも止められないじゃん」

「で、でも、猊下と聖下と私達、全然似てませんよ。 家族旅行が通用しますか?」

「猊下は夫の従兄弟。 聖下は妻の父。 従兄弟なんて似てなくても当たり前だし、父に似てない娘は世間にいくらでもいるだろ。 サリは聖下に懐いているし、総勢八人ならよくある平民の家族旅行さ」

「本当に、その八人だけ?」

「うん。 ただ師範がすごく焦っちゃって。 明日にでも出発しそうな勢いなんだ。 一週間後だって無茶なのに。 だからさ、準備しなきゃいけないからそれは困る、せめて十二月に入ってからの出発にして、とリネから言ってみて。 妹の頼みなら聞いてくれるかも」

 大した事じゃないみたいな感じでそうおっしゃる。 大した事ないなら御自分で言えばいいのに。 そもそも頼むなら旦那様の方がずっと効き目があるはずでしょ。 そりゃリイ兄さんは上官だけど爵位は旦那様の方がずっと上で、おまけに準が付かない皇王族なんだもの。 私も新年に準皇王族待遇を頂戴するらしいけど実の妹である事に変わりはない。 そこから来る上下関係と言うか。 リイ兄さんには逆らいづらいんだよね。


 旦那様は私とリイ兄さんは仲が良いと思っている。 旦那様だけじゃない。 世間の皆さん、ほとどんどそう思っていらっしゃるみたい。 普通の兄と妹だって仲が良いとは限らないのに。 リイ兄さんは普通の兄じゃないし、私だって普通の妹とは言えない立場になった。 仲が悪い訳でもないけど、リイ兄さんは妹の頼みなら聞いてやるという人でもない。 だめなものはだめ。 自分がやりたくない事をやってあげる親切心なんか欠片もない人なんだよね。 昔っから。 例えば力仕事ならやってくれたけど、お金の勘定とか御近所さんへの挨拶とかは親がやれと言っても無視。 リノ、じゃなきゃ私にやらせろ、で終わり。 何事も自分のやりたい事優先で。 誰にどんな都合があろうと変えてくれなかった。


 それにリイ兄さんがすぐに出発したいと言うならちゃんと理由があるんだと思う。 それを変えてくれ、と上官でもない妹が頼んだって聞いてくれる訳がない。 無駄とは思ったけど困り果てた顔の旦那様に嫌とは言えなくて。 翌日リイ兄さんの所へ行き、出発を十二月にしてもらえないかと頼んでみた。 なんと、うんと言ってくれたからびっくり。 それはそれは渋い顔をしていたけど。

 帰って旦那様にそれを伝えたら。

「ひえー、やっぱり。 あの噂、本当だったんだ」

「噂? 何の噂ですか?」

「聞いた事ない? 師範が妹思い、て噂」

「ありますけど。 それ、誰が言い出したんだか分からない噂ですよね? 出発の延期とは何の関係もないのでは?」

「いや、大ありだね。 賭けてもいい」


 本当に妹思いなら無茶な家族旅行なんてそもそもやらないでしょ。 と思ったけどリイ兄さんがなぜうんと言ってくれたのか聞いた訳でもない。 下手に理由を聞いて、なぜ聞きたい、と聞き返されたら困るし。 旦那様には、そうかもしれませんね、と答えておいた。


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― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます。 サリさま、見てらしたんですね… 大人になってから色々と腹落ちする思い出がたくさんあるんでしょうね…
更新ありがとうございます。 家出の提案を若がした際には 鼻歌混じりで 面白がっていると 師範は羨ましがって?いましたが、若なりに憂慮していたんですね。 妹思いであることを 若が賭けてもいいと?ケチ…
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