表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
副将軍記  作者: 淳A
22/32

妹思い 1  ヴィジャヤン準大公夫人、リネの話

 リイ兄さんの事は、よく分からない。 そりゃ実の妹だし、リイ兄さんが入隊するまで一緒に暮らしたけど。 兄妹と言うより偶々同じ家に住んでいた人、と言うか。 冬の間、数を数えるのと字を教えてもらいに同じ先生のところへ通ったけど、それだって被っていたのは最初の冬だけ。 次の冬リイ兄さんは通わなかった。 

 先生はリイ兄さんの事を賢いと褒めていて通わなくなった事を惜しんでいたから、なぜ通わなくなったのかリイ兄さんに聞いたけど教えてくれなかった。 今ならたぶん、先生への月謝がきつい、て事を心配したんだろうな、て思うけど。 平民の、しかも貧農だもの。 でも私はお金の事なんてまるで分かっていなかった。 リイ兄さんが棒を振り回していた意味も。 勉強だって私よりずっと進んでいたはずなのに教えてくれた事なんてなかったし。 たとえ将来の夢を説明されたとしても、剣士、て何、と言ったんじゃないかな。 村に剣士なんて人、一人もいなかったから。


 改めて考えてみると、家出も同然で入隊したリイ兄さんがなぜ実家へお金を送ってくれたのかも知らない。 親がねだった訳じゃない事だけは確か。 母さんは字が読めないし、父さんは読めるけど昔大怪我をしてそれ以来字が書けなくなった。 リノ兄さんは書けるけど、リイ兄さんが突然いなくなったせいですごく忙しくなり、手紙を書いている暇なんてない。 黙ってお金をもらいっぱなしじゃ申し訳ないから手紙は全て私が書いて出していた。 ついでに家であった事とか。 だけどもっとお金を送ってと書いた事なんか一度もない。 それどころか母さんが、金は送るなと書けって言うから毎回ちゃんとそう書いて出していた。 新兵の給金なんて知れてるし、リイ兄さんが送金するためにケチってご飯もろくに食べていない事を心配したんだと思う。 母さんだって本音はありがたかったに決まってる。 どんなにがんばったって私じゃリイ兄さんの代わりにはなれないもの。

 知ってか知らずかリイ兄さんは送金を続けてくれた。 でも私が出した手紙に返事が来た事は滅多になくて。 御前試合で勝って昇進した時は知らせてくれたけど、それはたぶん送金の額が増えたから、母さんがこんなに送って大丈夫なのかと心配をしないように教えてくれたんだと思う。 御前試合に出なくなってからは一年に一度も便りがない年もあったくらい。

 ま、便りがないのは元気な便り、て言うし。 平民で小隊長なんてすごい、て事はタジ婆さんから聞いていたけど別に感心しなかった。 なにしろリイ兄さんは自分が強いだけに他人に対して容赦ない。 特に貴族には当たりが強くて。 あの容赦のなさじゃ好かれないでしょ。 部下に貴族がいたら、平民のくせに肩で風を切りやがって、と嫌われているんじゃないの? 貴族に嫌われたら当然その取り巻きの人達にも嫌われるはずだし。 その内上官か誰かの御機嫌を損ね、軍から蹴り出されたりして。 中隊長に昇進したと聞いた時もどうせ名ばかりで部下なんて一人もいないか、いたとしても実際に命令しているのは別の人だと思っていた。


 第一駐屯地にお嫁に来て久しぶりにリイ兄さんに会ったら相変わらずの無愛想。 でも本当に中隊長に昇進していたから、すごい事はすごい。 それに軍で鍛えられたからか必要な事はちゃんと伝えるようになっていて。 私が第一駐屯地に到着したその日に釘を刺された。

「いいか、誰彼構わず気軽に何かを頼むんじゃないぞ。 相手が俺の直属の部下であろうとな。 俺は嫌われている。 お前の夫はみんなに好かれているから大丈夫だが、貴族は人に借りを作るのを嫌がる。 頼む相手を選べ。 右も左も分からない内は頼むのは自分ちの奉公人か夫の直属部下だけにしろ。 あいつの部下は数こそ少ないが全員優秀で頼りになる奴らだ」


 最初にそう言われていたから住み込みの旦那様の部下と奉公人以外に何かを頼んだ事はない。 でも旦那様が特務大隊長に昇進し、皇都へ行った後でフロロバが教えてくれたんだよね。

「奥さん。 ヴィジャヤン大隊長の直属はたったの五人しかいません。 その一人が大隊長と御一緒したので頼みたい事があっても全員出払っている事があると思います。 そういう時はタケオ大隊長の部下に頼むといいですよ。 百人以上いるし。 それか、百剣。 タケオ大隊長の部下ではない剣士もいますが、奥さんは師範の妹さんです。 誰でも喜んで助けてくれるでしょう」

「あの、でも。 兄は部下から嫌われているんじゃ?」

「え? 一体誰が奥さんにそんなガセを?」

「兄自身がそう言ってました」

「ああ。 それは下手に頼むと、俺にやらせろ、いや俺がする、と部下同士で揉めるからでしょう。 部下の仲裁をするのが面倒だからだと思います」

「そう、なんですか? 恐れられ、部下としてはお近づきになりたくない上官だから、て訳でもない?」

「そりゃ畏敬の念には恐れも入っていると思いますが。 嫌われている、て事は絶対にありません。 嫌われているならタケオ部隊への転属希望を出す兵士がいる訳ないです。 もしタケオ部隊から他へ移りたい部下がいたらその日に叶うでしょう。 空き待ちが列をなしているんですから。 給金はいらないから猛虎の従者にしてくれと頼む人や金を払ってでも従者になりたいと言う人さえいるくらいで。

 御存知かもしれませんが、人気はヴィジャヤン大隊長も同じくらいあります。 だから部下じゃない人に頼んでもいいって言えばいいんですが。 大隊長は気軽に色紙をあげるお人柄だと知られておりまして。 人によっては見返りを欲しがる奴もいるから気を付けて下さい。 色紙一枚で引き下がってくれるならいいけど、妻がファンでとか、親にも一枚とか、ごねられたら特務大隊長、きっと嫌がると思うんです。 字を書くの、あまり得意じゃない御方なんで」

「はあ。 ただ百剣となると貴族が多いのでは? その人達から見れば平民が師範だなんて面白くないでしょう?」

「そんな事はありません。 タケオ大隊長はびしっとした御方です。 豪快な剣。 思わず平伏したくなるオーラ。 貴族好みの軍人と言うか。 両方のファンて人もいるから正確に数を数えた訳ではありませんが、猛虎ファンの貴族は若ファンの貴族より多いと思います。 又そうでなければここまで出世しませんよ」

「やっかまれたりしないんでしょうか?」

「やっかんでいる人がいたとしてもそれを表に出す人はいないでしょう。 そんな事をしたら猛虎ファンが黙っていないし。 六頭殺しファンなら遠くから暖かく見守るだけの人もいますが、猛虎ファンは熱血漢揃い。 それは北軍兵士なら誰でもよく知っている事なので」


 ほんとかしら? と疑う気持ちはあったもののリイ兄さんを見る皆さんの目を見ればすごく尊敬している事が感じられた。 それになんとなく私が丁寧に扱われているのも六頭殺しの妻だからと言うより猛虎の妹だからのような。 それは妻なら捨てられたら他人に戻るけど妹は死ぬまで妹だから、と思っていたんだけど、それだけじゃないみたい。 その証拠にいろんな人から、タケオ大隊長はとても妹思いな御方です、と言われた。

 妹思い? リイ兄さんが? 最初にそう言われた時はびっくりして、私の事ですか、と聞き返しそうになった。 リイ兄さんの妹は私しかいないのに。

 フロロバが聞いた噂によれば、妹には一生返せないくらいの借りがある、とまで言ったんだとか。 旦那様の妻になれたのはリイ兄さんのおかげなんだから私の方こそ一生返せないくらいの恩があるのに。 と言っても、なぜ私が妻に選ばれたのか、リイ兄さんが教えくれた事はない。 いくら聞いても、任務絡みだ、で終わり。 借りがあるという噂だって本当かどうか。 旦那様がお帰りになった時に聞いた事があるけど、旦那様も御存知なかった。  そもそもリイ兄さんが妹思いだからってなぜ旦那様が私と結婚しなきゃいけないの?


 妹思いはともかく、リイ兄さんから聞いていた、誰からも嫌われている、て話と全然違う。 嫌われていないならそれに越した事はないけどね。 それに新兵のなけなしの給金の時でさえ親に送金したんだもの。 親孝行な息子である事は確か。

 だからって私とリイ兄さんが仲良くなった訳じゃない。 リイ兄さんの結婚が決まった時だってそれを最初に私に教えてくれたのは町の不動産屋だった。 その前日、用事でリイ兄さんに会っていたのに教えてくれなかったんだから。 無口もここに極まれり、て感じ。

 もっともリイ兄さんが何を考えているのかよく分からないのは無口のせいとは言い切れない。 リノ兄さんだって無口だ。 でも何を考えているのかなんとなく分かる。 ピピ義姉さんに一目惚れした時も肝心のピピ義姉さんには伝わっていなかったけど家族にはバレバレだったし。

 ただリイ兄さんの結婚式の時、父さん母さんリノ兄さんはリイ兄さんが照れているのを見てびっくりしていたけど私にはどこがどう照れているのかよく分からなかった。 なんとあまり鋭いとは言えない旦那様にさえそれはちゃんと分かったようで。 つまり私がにぶにぶ、て事なのかも?


 リイ兄さんが副将軍になるって聞いた時もそんな大変なお役目、なぜ引き受けたんだかさっぱり分からなくて。 旦那様に聞いたんだよね。

「副将軍なんて務まる訳がないのに。 リイ兄さんたら、なぜうんと言ったんでしょう?」

「リネってば、手っきびしー。 世間の妹、て皆そんな感じなの? 俺、妹がいなくてよかったかも。 いたら、大隊長なんてお兄様に務まる訳ないわ、恥をおかきになる前に御辞退なさって、と言われてたよな、きっと」

「そ、そんな。 だって平民がそこまで昇進するのは無理なんじゃありません? 貴族のお生まれの旦那様でさえ御辞退なさったんですよね。 それって副将軍が難しいお仕事だからじゃないんですか?」

「そりゃ俺には出来ない。 質問されたら何でも正直に答えちゃう性格だし。 言っておくけど副将軍が務まらないのは俺だけじゃないからね。 他の誰にも出来ない。 師範以外。

 モンドー将軍には人を見る目がおありになる。 だから選ばれたのさ。 師範には新兵の時から次の将軍はこの人で決まり、の風格があったしな。 楽勝、楽勝」

「あの、奥さんが侯爵令嬢だから、という訳ではない?」

「なーに言ってんの。 俺の奥さんが侯爵令嬢だったら俺に副将軍が務まるってか? 無理無理。 奥さんが軍の指揮をする訳でもあるまいし。 ついでに言うなら義弟が準大公とか姪が準皇王族って事も関係ない。 関係あると思っている人はいるみたいだけど」

「でも旦那様を推した御方だっていらしたんでしょう? 陛下だって、どちらかと言えば」

「あー。 ま、それは、な。 陛下は東軍将軍をなさったけど、それは名誉職っていうか。 それで補佐さえしっかりしてりゃ俺にだって副将軍がやれるとお考えになったのかも。 そんな甘いもんじゃないのに。

 俺を見てみろよ。 今更言いたくはないけど大隊長をやるのだって苦労しているんだぜ。 マッギニス補佐という史上最強の補佐がいたってさ。 部下に怠けていると思われないよう必死の努力と気遣いの毎日。 それでもバカにさ、いや、まあ、俺の事はどうでもいい。

 師範ならきっと平民だろうと能力さえあればどんどん昇進させる将軍になるぜ。 師範だって内心、そんな事は自分でなきゃやらないと分かっているから辞退しなかったんじゃないの? あの通り無口な人だし、本人に聞いたってそうは言わないと思うけど。 それに本気で嫌なら辞退するさ。 俺みたいに。 師範なら引き受けた仕事はきっちりやる。 たとえ嫌々だろうと。 そして北軍は強くなる。 それを信じているのは俺だけじゃない」


 お言葉はありがたい。 でも世間の皆さんの本音はどうかしら。 そりゃ私の前でリイ兄さんの悪口を言う人はいない。 だけど妹の私でさえリイ兄さんが副将軍になったら何をやらかすか不安なんだもの。 世間の人はもっと不安でしょ。 今回の昇進が面白くない人だって絶対いるはずよ。 北軍の未来は明るいです、と本気で信じているのは旦那様だけのような気がする。

 それにリイ兄さんは本気で嫌がったらしい。 将軍様が首を縦に振らないから仕方なく引き受けたけど、無理矢理っぽい。 これも本人から聞いた訳じゃないけど世間の噂じゃそうなっている。 つまり上から無理強いされての昇進な訳。

 そう聞いても私は全然喜べなかった。 なんだかまずい事になりそうな気がして。 何がどうまずいのか、どうして喜ぶより不安を感じるのか、自分でも分からないし、欠片も心配していない旦那様に言ったって分かってもらえそうもないから黙っているけど。


 ポクソン補佐の軍葬の日、施主の妹としてきちんと振る舞えるかどうかも不安だった。 弔歌を歌うのはいいのよ。 もう何度も歌っているから。 だけど今までの軍葬は弔問客も少なくて出席していた貴族は子爵か男爵、その名代ばかり。 私は大隊長の妻として出席していただけ。 誰にどの順番で挨拶するとかあまり気を遣わずに済んだ。 でも今回はそういう訳にはいかない。 上級貴族や他軍の上級将校、他国の王侯貴族。 新年の陛下への御挨拶もかくやの顔ぶれなんだもの。

 皆さんに会釈して終わり、て訳にはいかないでしょ。 誰にどの順番でなんて言えばいいの? 未熟な兄ですが、よろしく、とか? でも私の夫はリイ兄さんの部下になる。 部下の妻が上官をよろしくと挨拶するの、変じゃない? かと言って何も言わなかったら、まるで私が兄の昇進を喜んでいないみたい。 それもまずいよね。


 ところが軍葬会場で兄をよろしくと言う場面なんて一度もなかった。 広い軍葬会場にリイ兄さんが現れた途端、水を打ったように話し声が止み、皆さん一斉にリイ兄さんを見つめている。 リイ兄さんの前にモンドー将軍とジンヤ副将軍が入場なさった時はどなたもそちらを見つめたりせず、お連れや隣の席の方と話し続け、旦那様と私が入場した時はお顔は私達の方を向けているけど話し声は続いていたのに。

 北軍大隊長の軍服は礼装でも派手じゃない。 リイ兄さんは喪章を付けているだけ。 なのに何と言ったらいいのか。 威厳?

 この時初めてリイ兄さんを兄としてじゃなく、一人の軍人として見た気がする。 人の視線を吸い寄せる力がすごい。


 旦那様はいつもリイ兄さんの事をキラッキラの瞳で見つめていらっしゃる。 でも今参列者の瞳に浮かんでいるのは憧れや期待じゃない。 旦那様と私に向けられる視線に浮かんでいるような、有名人を見れたという嬉しさでもない。

 この真剣度。 どこかで見た事がある、と考えて思い出した。 陛下にお会いする時どの貴族の瞳にも浮かんでいる緊張や恐れとそっくり。

 そこでようやく気付いた。 なぜまずいような気がするのか。 上級貴族の次代の瞳に浮かんでいる畏敬を、もし陛下がお気付きになったら。 陛下じゃなくても陛下の周辺の御方とか、平気かしら? 平気じゃなかったら? だとしても私に出来る事は何もないんだけど。


 ともかく軍葬は無事に終わった。 終わると同時にリイ兄さんはテーリオ祭祀長を警護するため退場し、そのまま戻って来ない。 旦那様は、無愛想な施主で誠に申し訳ありません、と弔問客の皆さんにペコペコ謝り始める。 私も同じようにして。 これで面倒な事は全て終わったと思っていたら、そこからが始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
更新ありがとうございます! 家族として語られる師範が好きです。
更新ありがとうございます。 リネさんの視点で初めて 軍葬の時の 師範の様子が分かりました。 例え 一人ひとりに挨拶などしなくても 出席した全ての人に 強い印象を抱かせたのですね。流石 次代様です。 …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ