軍服 マッギニス侯爵家次代オミ(オキの実兄)の話
北を訪れると私はよく道行く人に目を見開かれたり、通りすがりの誰彼に振り向かれる。 軍服を着ている北軍兵士に直立不動の姿勢で敬礼される事も珍しくない。 準大公の補佐官として有名なオキ・マッギニスと双子と言っても通るくらいそっくりだから。
オキは実弟だが私とは一歳半離れている。 マッギニス侯爵家次代が着る服には次代だけに許されたサイズの家紋の刺繍が入っているので、それを知っている人なら間違えない。 だがもし私達が服を交換し、同じ髪型で現れたら私とオキを正確に見分けられる人はそういないだろう。 次代は私と決まる前は刺繍に違いはなかったから長年奉公している侍従でさえ呼び間違えた事があるくらいだ。
ただ外見は似ていても私達の頭の中身は全く違う。 自分の事を馬鹿とは思わないが、私にはオキが持っているような先見の明や戦略的な洞察力はない。 彼の記憶力は幼い頃から並外れており、字を習い覚える速度や読解力も年上の私より早かった。 同じ教師から同じ事を同時に教えられても。
例えば過去の戦略を学び、軍師がそうした理由を推測せよと教師から質問された時、私は返答する事が出来なかったが、オキは的確に推測した。 それだけではない。 その戦略の長所と短所、自分ならどう改善するか、敵ならどう対処すべきかについても答えられた。 それはオキが図書館の蔵書を読み漁っていたおかげもあるだろうが、同じ本を読んでも私には理解出来なかったから読書量の差が原因なのではない。
興味深い事にオキ自身は自分の賢さに満足していたようには見えなかった。 教師を論破するほどの知識を自慢した事はなく、両親や親戚からの賞賛にも嬉しそうではない。 ただひたすら勉学に励む。 まるで誰かに追われているかのように。
これは私の推測に過ぎないが、彼は自分自身と競争していたのではないか。 今日の自分が昨日の自分と比べてどれだけ進歩しているかを測っていたような気がする。 彼の場合、昨日の自分も非常に賢いのだ。 更に賢くなるのは簡単ではないだろう。 又は過去の著名な軍師の誰かと競っていたか。 或いは学ぶ事、与えられる問題全てが簡単過ぎ、達成感が味わえなかったのかもしれない。
ともかく、弟が賢いのは長年の努力の賜物で、生まれつきの才能だけではない。 それを知っていたから羨んだりはしなかった。 因みにこれは私に嫉妬心がないという意味ではない。 私とて僅差で負けていたら弟に負けた事に悔しがり、嫉妬し、発奮したと思う。 しかし私達の能力はあまりにも掛け離れていた。 ほとんどの人は北の猛虎の剣や六頭殺しの若の弓を見ても感心するだけで嫉妬はしないだろう。 たとえ彼らと顔が似ており、年が同じだったとしても。
それに私達が似ているのは顔と声だけで、性格や趣味嗜好は全く似ていない。 将来への希望も。 私は爵位を継ぐ事を望んでいたが、オキはそんなものを望んではいなかった。 内心は違っていたのかもしれないが、少なくとも領地や家業の経営を学ぶ時に熱心な態度を見せた事はない。 爵位や家業を継承すればそれに付随した雑事に追われるからだろう。 無限の才能がある者にとっても時間は有限だ。
武器の開発には興味を示したが、儲かる武器の大量生産や販売価格などには無関心だった。 オキが設計した武器はどれも斬新ではあったが、いかに斬新であろうと売れなければ商売としては失敗作。 市場価値のない商品を作るための出費は趣味であって投資ではない。 オキならそのような事は私に言われるまでもなく理解している。
それを知ってか、父は私には領地や家業の詳細を教えたが、オキに倉庫の検分や陳情に来た民と面談させたり、領地で行われる祭事に参加させた事はない。 爵位は私が継ぎ、オキは近衛軍に入隊し、いずれは将軍に昇進する。 それが父の希望であり、オキと私の希望でもあった。
そういう意味では私達の利害関係は一致していた。 とは言え、仲の良い兄弟だったとは言えない。 それはオキが原因と言うより私が話し掛けに行かなかったからだ。 私の考えている事など一言も話さなくとも彼には分かっていただろう。 しかし彼が何を考えているか私には全く分からなかった。 なのに分かろうとした事はない。 今でも。
オキが入隊する前は私の方が年上で下手に出る必要はないと言えばなかったが、オキなら将来近衛将軍になる事は難しくない。 近衛軍は我が家にとって上客中の上客。 仮に副将軍で終わったとしても準侯爵で同位。 将軍なら準公爵。 私より上の身分となる。 機嫌を損ねていい相手ではない。 ただどうすれば気難しい弟の機嫌を取れるのか、私には分からなかった。 下手に無駄話を始めて時間を奪ったら機嫌を損ねる。
元々上級貴族の家庭では利害関係が完全に一致する事はまずないから、実の兄弟であろうと仲が良い方が珍しい。 家を盛り立てるためには兄弟の協力が必要だし、非協力的な態度を見せれば正嫡子であろうと容赦なく切り捨てられる。 それ故あからさまな敵対関係である事も少ないだろうが、貴族であれば中級、いや、下級であろうと兄弟関係は疎遠な方が普通だ。
とは言え、オキは賢い。 敵を作らないための根回しなら完璧に出来るし、無駄に敵を作ったりもしない。 ところが北軍入隊という周囲の大反対が予想される選択に関しては独断即決。 根回しらしい根回しなど何もしなかった。 私は勿論、父にとっても寝耳に水。
建国以来北が軍事的に重要な拠点であった事はない。 それに近衛ならともかく、北軍では実戦の指揮をする機会など金輪際ないだろう。 彼の軍師としての才能が無用の長物。 北軍に入隊したら中央の政治の動きなど知りようもない。 たとえ北軍で将軍に昇進したとしても近衛将軍の重要性とは雲泥の差。 軍事費も桁が違う。 家業への影響も少なからず出るだろう。
当然両親を始めとする周囲は猛反対し、その結果オキは婚約を破棄され、父から絶縁されている。 全てをものともせず、我が幸せは北軍にあり、と言い残し、入隊した。
私は入隊理由を聞いていない。 だがもし本人から直接説明されていたとしても、なぜ近衛将軍より北軍将軍になりたいのか、当時の私には理解出来なかったと思う。 説明など時間の無駄と思われても仕方がない。
今ならいずれ北軍将軍の優先順位は近衛将軍より上になると分かる。 軍事拠点としての重要性が増したからと言うより、弓と剣、そして瑞兆がお住まいである故に。
北の目覚ましい発展は観光関連事業のおかげだが、それに限定されているのではない。 その証拠に我が家の武器の売上額も急激に伸びている。 購入しているのは北以外の貴族が多いが、商品の納入先はほとんどが北だ。 別邸を建てたり支店を出せば警備兵と武器が必要となるが、手持ちの鉄製武器を運んだとしても北では使い物にならないから。
父は現在耐寒性の武器の開発研究所と軍事工場及び倉庫を建設している。 土地はオキの妻の実家、ジンドラ子爵家と借地契約を締結した。 北の貴族は爵位こそ低いが土地に関しては排他的で、何の役にも立っていない捨て地であろうと余所者へ売ったり貸したりはしない。 金さえ出せば手に入るものではないのだ。 ダンホフのように借金の抵当として手に入れた場合、金を出して買った事になるのだろうが。 言い換えればそこまで困窮しなければ土地を手放したりはしないという事でもある。
だからだろう。 北には貴族の正嫡子で未婚や婚約者が未定の者はもう一人もいない。 男爵家でさえ公侯爵家からの求婚が舞い込み、結婚相手の奪い合いの状態だ。 しかもこの争奪戦は国内貴族の間だけで起こっているのではない。
以前なら北を訪れる外国人などいないも同然で、結果的に外国人との婚姻など起こりようがなかった。 けれど今では北に領事館を置いていない外国を探す方が難しい。 フェラレーゼ、ヤジュハージュ、アイデリエデン、ブルセル、サジアーナ、バトッチエ、クポトラデル。 どこの領事館も皇都の総領事館と同じか、それ以上の規模だ。 ヤジュハージュとは一時開戦を危惧されたほど拗れていたし、クポトラデルではあわや血の雨だったらしいが。 結局どちらとも友好関係が深まっている。
オキが結婚する直前、父は絶縁を解き、それ以来何かと援助もしている。 しかしオキが北軍に入隊した時、数年辛抱しさえすれば青竜の騎士、北の猛虎と肩を並べる日が来ると知っていたはずはない。 なぜいつかこうなると予測出来たのか。 本人に確認した訳ではないが、聞いたところで、私に予知能力などありません、としか答えてくれないだろうが。
北軍入隊を決意したのは軍対抗戦で北の猛虎の咆哮を聞いたのが切っ掛けだ。 これは本人の口から直接聞いた事でもあり、嘘とは思わない。 私もオキと同じ場所、同じ時間にあの咆哮を聞いている。 けれど私は強い剣士が現れたと感嘆しただけだ。 あの剣士をマッギニス侯爵軍へ引き抜けたらとは考えたが、それはマッギニス侯爵である父がすべき算段。 自ら北軍へ入隊するなど考えもしなかった。
私に先見の明はない。 だが長年賢い弟と共に学んだおかげで目前の事象の先を読む習慣だけは付いている。
ポクソン補佐の軍葬に参列した弔問客が注目しているのはタケオ施主だ。 それは当然と言えよう。 三十年の長きに渡り北を支配する将軍が何を重要と考え、何を不要と見做すか。 知りたいのは軍事産業を牛耳り、宮廷内で隠然たる影響力を持つマッギニス侯爵家だけではない。 マッギニス侯爵家次代として勿論私にも関心はあるが、いずれどの弔問客も気付くだろう。 北軍を動かしているのはオキ・マッギニス、と。
準大公に副将軍をやる気は欠片もない。 トーマ第一大隊長は現在既に退官年齢を過ぎている。 サーシキ第二大隊長とタケオ施主は犬猿の仲。 ならばタケオ施主が将軍に昇進した時指名する副将軍はオキと考えて間違いない。
タケオ将軍退官後、オキが将軍に昇進するか否かは三十年先の話。 ある意味どうでもよい。 猛虎は稀代の剣士ではあっても将軍としては未知数。 北軍をどうしたいという希望などないか、あったとしてもそれが明確な指揮となって北軍を改革するまでかなりの時間がかかるだろう。
この軍葬を見ても分かる。 これは次期北軍副将軍のお披露目の機会。 猛虎の示威行動的な軍葬になると思っていた。 副将軍昇進はタケオ施主にとっては不本意らしいが、それはそれ。
葬儀費用はクポトラデルが出すのだから安く済ませる義理も必要もない。 にも拘らず、示威行動どころかどの軍の軍葬と比べても簡素簡潔。 祭壇、葬儀会場の設え、警備、弔問客の接待。 全てに金を掛けた様子がない。 式自体も長い演説や新副将軍としての抱負もなく、あっさり終わった。 私としても感銘を受けたとは言い難い。
とは言え、この軍葬は歴史に残る。 史上初の準大公弔辞。 準大公夫人の弔歌。 そして広い会場を埋め尽くした上級貴族の次代夫婦。 いずれも広い会場であろうと入れなかった万の群衆の胸に強烈な印象を残しただろう。 仮に正史として残らなくとも子々孫々まで伝えられるに違いない。
オキならこの軍葬をどう利用する? それは猛虎の胸中を測るより更に測り難い。 出来れば腹を割った話をしたいが。 現時点で軍事産業を牛耳る実家と懇意である印象を世間に与えるのは適切ではない。 弟の昇進の邪魔になる。 だから来年に予定されている私の爵位継承式にオキを招待するつもりはない。 もっとも招待したところでオキが出席するとは思えないが。
今回私はポクソン補佐の軍葬の一週間後に行われる秋の恒例軍葬にも参列し、北の貴族と面談したり工場建設の進捗状況を検分をする。 北には合計十日間滞在する予定だが、私からオキに面会を申し込む事は遠慮した。
ところが恒例軍葬の翌日、別邸の執務室に入るとそこにはオキがいた。 私の服を着て。 正確に言えばオキ自身の服だが、別邸の警備兵は今年雇ったばかり。 服の家紋が私の服のものより小さい事に気付かなかったのだろう。
「兄上、事前の許可なく訪問した無礼を何卒お許し下さい。 長の無沙汰の挙句、早速のお強請りは大変心苦しいのですが、事は急を要するのです。
実は一度ならずスティバル聖下の暗殺未遂事件がありまして。 最も新しい事件はポクソン補佐の軍葬の最中、神域内で発生致しました。 刺客は聖下の血縁の甥。 これはテーリオ猊下御不在の間に起こった事件なのですが、猊下は御存知のようで。 中央祭祀長即時解任を御決断なさった様子。 事ここに至っては穏便に収まるとは思えません。
しかも聖下は猊下に御迷惑を掛けたくない、と単身で皇王城へ向かい、中央祭祀長と対決するおつもりだったらしく。 この無茶を事前に察知したタケオ施主が平民の家族旅行という隠れ蓑を使い、護衛として共に上京なさる事を御決断。 テーリオ猊下とヴィジャヤン大隊長御一家、全員御本人が御同行なさいます。 護衛はタケオ施主と彼の従者一名、及びヴィジャヤン大隊長のみ」
「それは。 いくら何でも無謀と言うもの」
オキが皮肉な笑いを浮かべて言う。
「私見ですが。 弓と剣が過去に行った無謀を並べた場合、これは上位五番以内に入りません」
それに対して、いや、入る、と言えない事に気付き、愕然とした。 とは言え、この旅が無謀である事、危険極まりない事に変わりはない。
私の無言を同意と受け取ったか、オキが続ける。
「旅自体は神獣の御加護もある事ですし、皆様御無事で皇都に到着なさると存じます。 問題は到着後。 聖下は御自分以外、誰の命も失いたくないと思い詰めていらっしゃる御様子。 近衛や北軍は勿論、誰の私兵であろうと動員なさらぬとおっしゃいました。 どの公侯爵家もヴィジャヤン大隊長が一言お願いすれば喜んで出兵するでしょうが、私兵が神域に乱入すれば内戦勃発の大事となりましょう。 それに暗殺未遂事件に関してはタケオ施主とレイ・ヘルセス殿も御存知ですが、現時点でヴィジャヤン大隊長は御存知ありません。
そこでマッギニス近衛将軍から内々のお力添えを戴きたい。 近衛兵はテーリオ猊下が任命なさった新中央祭祀長の御命令のみに従うよう。
兄上に無理を承知でお願い申し上げます。 使者の労を取って戴けないでしょうか。 父上には内緒で」
あの独立独歩、死ぬまで誰の手も借りそうもなかったオキが、頼り甲斐のない兄の私に頼むとは。 驚愕の一言に尽きる。 これはオキが生まれて初めて私にした頼み事。 彼の問題解決能力の高さを考えると再びある事とも思えない。 父上に内緒、という点は少々引っ掛かったが、私と叔父の関係は極めて良好で、予定にない面会をした事もある。 世間から訝しく思われる恐れはない。
「旅の土産を持参して会いに行こう」
「深く感謝致します。 ところで、謝礼に関しても明確にしておきたいのですが。 兄上は何をお望みでしょう?」
何を望む? 私に欲しいものがあるとしたらオキの才能だが、それは望んで得られるものではないし、仮に得たとしても私を幸せにするとは思えない。 小さい器に大量の水を注げば周囲を水浸しにするだけだ。
それは役目を無事終えた後で、と返答してもいいが、私の頭では下手な考え休むに似たりとなろう。 それでなくとも今後オキの直属上官は北の猛虎。 そして青竜の騎士が部下。 傍目から見れば幸運でも本人にとっては重責。 オキでなければ誰にも担えぬほどの。 兄として歴史に名を残す弟の負担にだけはなりたくない。
「其方の軍服が欲しい」
生まれて初めてオキの驚いた顔を見た。 これを見ただけでこの返礼にした甲斐があったと言える。
「理由をお伺いしても?」
「それを着てごねる客の前に出れば問題は一挙に解決すると思うが、そのような実益を伴う使用はしない。 ただ私が北を訪問した時、其方の軍服を着て散策する程度は許して欲しい。 其方に向けられる視線には深い畏敬の念が込められている。 だが私への視線に込められているのは賢い弟を持って羨ましいという羨望のみでな。 日光浴ならぬ、視線浴と言うか。 偶に畏敬の視線を浴びるのは私にとって良い気分転換となるであろう」
「視線浴の質を下げ、兄上を失望させる事がないよう精進致します」
そしてオキの瞳に微笑みが浮かんだのを見た。 これも生まれて初めて。
追記
北軍入隊以来、オキ・マッギニスが実家へ帰省したのは両親の葬儀と実兄オミの葬儀、合計三度のみで、武器商人である実家とは一線を画し、生涯深く交流する事はなかった。 ただ兄のオミが北を訪問した時、別邸近辺を散策するオキの姿を見かけるのが常であったという。
北にあるマッギニス侯爵家の別邸にはオキの軍服(夏服、冬服、外套、儀礼服、将校徽章、軍刀、靴、小物一式)が揃っており、親しい兄弟付き合いがオキの大隊長補佐時代に始まり、大隊長、副将軍、そして将軍へ昇進した後も続いた証拠となっている。
但し、どの軍服もオミへの贈り物として送られた。 又、オキが別邸に宿泊した記録は全くなく、なぜ自分の軍服を置いておく必要があったのかは分からない。 理由は家史に記載されておらず、今日に至るまで謎のままである。
(「氷の副将軍と呼ばれて オキ・マッギニスの生涯」より抜粋)