家族旅行 6
どのような目論見があるのか聖下に聞きたいのは山々だが。 聞いたところで、そしてそれがどんな無茶であろうと勝算など欠片もなかろうと、俺には従うしかない。 もっともそれは俺の心情的に、だ。 アーリー補佐からは祭祀長でなくなった人に従う義務はないと説明されている。
「祭祀長を退いた御方がなさるのは詩歌の編纂や書画の収集で、政治や祭祀庁内は勿論、軍事のあれこれに口を挟まれる御方はいらっしゃいません」
「俺は祭祀長が退任後、別の場所で祭祀長を務めた前例があると聞いたが」
「確かに、任地が変わった祭祀長ならいらっしゃいます。 西軍祭祀長職から退き、東軍祭祀長に就任なさったとか。 しかしその場合、退任と就任は同日なのが慣例。 転任が決まったから退任なさったのです」
「マーガタン前中央祭祀長は退任後、先代陛下の御外遊に同行なさったのだろう?」
「公式発表ではそうなっておりますが、御退任の後、マーガタン前中央祭祀長のお姿を拝見した者はおりません。 おそらくマーガタン中央祭祀長がお亡くなりになったとは言いたくない事情が祭祀庁内にあったのでしょう」
「前例はなかろうと、聖下の命令に従ったから罰せられる、て訳でもないんだろう?」
アーリー補佐の顔が僅かに引き締まる。
「数え切れないほどの儀礼がある宮廷でも聖下に対する儀礼はない、という点についてよくよくお考え下さいますように。 これは退任なさった祭祀長で参内なさった御方はいらっしゃらないからです。 陛下がお目通りをお許しにならなかったのか、聖下が参内なさりたくなかったのかは分かりませんが。
いずれにしても神官なら最下級であろうと陛下へのお目通りが叶うのに、それさえ叶わないのでは、いくら前職は祭祀長であろうと最下級の神官以下。 ある意味、聖下に肩入れするのは泥舟に乗るも同然。 命に従う事は勿論、会いに行く事さえ望ましくありません」
「テーリオ祭祀長は聖下を師と仰いでいらっしゃるし、サダとは親戚付き合いとも言える交流があるじゃないか」
「そのどちらも聖下がお命じになった事ではありません。 ですからモンドー将軍は何もおっしゃらないのでしょう。 ですが次期北軍副将軍が聖下の命に従った結果、何か問題が起これば、それはタケオ施主の不始末となるだけではなく、モンドー将軍の監督不行き届き、引責問題となり得る事をお心にお留め置き下さいますよう」
だから将軍は今回の家族旅行をやりたいと言ったのはサダにした訳か。 青竜の騎士であるサダが妻子を連れた家族旅行をしたい、お忍びで、とおっしゃったのなら俺は従うしかないし、そう言い訳しても責められない。
猊下がお命じになったとしても従う事に関しては問題ないが、家族旅行という言い訳が使えなくなる。 たとえお忍びであろうと祭祀長の御旅行に相当数の警備兵が付かねば何かあった時言い訳が出来ない。
それに新年の御挨拶が目的なら、なぜお忍びにする必要があるのか。 聖下は在任中、滅多に上京なさらなかったが、東西南の祭祀長は毎年上京なさっている。 猊下が上京しても何もおかしい事はない。 わざわざお忍びになさり、しかも準大公一家に同行を命じたら、何か後ろ暗い目的があるように見えるし、世間からそう受け取られても仕方がない。 おそらくその辺りの機微に関し、聖下からの助言があったから猊下は命令と受け取られるような言葉遣いを避けていらっしゃるのだ。
結局サダのふざけた家出計画が功を奏し、ここまで来た。 中央祭祀長の首を挿げ替えるまであと一歩。 とは言え、その一歩を踏み出せば挿げ替えられるのは誰の首か。 自分の首か、それだけでは済まないかも。
だからどうした。 副将軍とか、どうでもよかったはずだろう? ましてや中央祭祀長が誰かなど、それ以上にどうでもいい。 なのになぜか全てを投げ出せずにいる。
いや、なぜかは分かっている。 猊下は軍を使おうとはなさらないが、ネイゲフランにそういう遠慮があるとは思えない。 遠慮があるなら暗殺など企てるか。 結局は武力での衝突となるだろう。
その時出てくるのが身元の知れない傭兵ならまだやりようもある。 もし近衛が出てきたら? サダなら相手が近衛将軍だろうと一喝する事が許されている身分だが。 マッギニス近衛将軍にぺこぺこ謝っているサダの姿ならいくらでも想像出来るが、一喝している姿なんてどうがんばっても想像出来ない。 じゃ、俺が一喝するのか? まだ副将軍になってもいないのに? なっていたって近衛の将軍に一喝出来る身分じゃない。
第一、そこへ行き着く前に躓くはずだ。 例えば神域の門番。 猊下と聖下のお顔を知っていたとしても、すんなり通してくれるか? 知っているからこそ通してくれないような気がする。 門番にとっての上司は中央祭祀長。 聖下が現れたら即座に捕らえよ、とネイゲフランが命じていたら門番はその命に従うしかない。 従わなかったら祭祀長命令の不履行で死罪となるんだから。 だが祭祀長の命令を覆せるのは陛下だけ。 他の祭祀長では覆せない。 つまりそこで俺達は一巻の終わり。
翌朝、戻って来たレイと一緒に朝食をとった。 レイなら聖下を止めてくれるのでは、と一縷の望みに縋って聖下の御希望を話したら、レイは一言の文句も言わず登城の身支度を整える。 名ばかりの次期副将軍の俺とは違い、公爵家次代の予定は相当詰まっているだろうに。
俺達はヘルセス公爵家の十人乗りの馬車で出発し、問題なく城内へ入った。 聖下は駐竜場へ向かうようお命じになる。 駐竜場への入り口にも門番はいるが、サダの出入りは自由。 そしてサダの連れなら誰でも入れる。 ただ駐竜場から神域を囲んでいる森は全く見えない。 何がどこにあるか詳しく知っている訳でもないが、神域まで徒歩で辿り着けるような距離ではない事は確かだ。
まさか神域へ飛竜で乗り込むおつもり? しかし神域は森だらけで、飛竜が着地出来るような空き地はなかったような。
聖下がサダにおっしゃる。
「玉竜の調子が思わしくないと聞いているのだ。 様子を診ておくれ」
サダが明るく頷く。
「承知しました」
一体、何をしにここまで来たのか俺にはさっぱり分からなかった。 サダの握手には不思議な力があるらしいが、飛竜の病気まで治せると聞いた事はない。 そもそも鋭い爪がある飛竜と握手なんか出来ないだろ。
ともかく最初の竜舎に着き、馬車から下りると竜騎士らしき人が俺達を出迎えてくれた。
「青竜の騎士の御来臨を戴けた事、大変名誉に存じます。 私は玉竜カザンを操縦する竜騎士、ノカ・ダイメッツと申す者。 本日はどの玉竜を御所望でしょう? 単独飛行でしたらすぐに準備出来ます。 繋留飛行をお望みでしたら少々お時間を戴きたいのですが。 お急ぎでしょうか?」
「準備はしなくてもいいよ。 今日は飛ばないから。 ちょっとカザンの様子を見せてくれる?」
「どうぞこちらへ」
ダイメッツは驚いたとしてもそのような様子は少しも見せず、竜舎の中へと案内してくれた。 俺達が中へ入ると、カザンがサダに気付いたらしく、ヒュウヒュウ甘えた声で鳴き始める。
「よっ。 元気にしてた?」
サダの問いかけにカザンは元気よく首を振ったが、サダはちょっと首を傾げる。
「ほんとかなあ?」
そう言ってカザンの前足を伝い、背中へと駆け上った。 操縦席が装備されていない飛竜の背に登るだなんて正気じゃない。 そりゃ今は寝そべっているから登ろうと思えば登れない事もない高さだが。 青竜なら背中に毛が生えているが、それ以外の飛竜の背中に掴まれるものなんて何もない。 もしカザンがいきなり立ち上がったら高さ五メートルはあるところから転げ落ちる。
サダはカザンの背中をぐるっと一回りしながらそちこち触り始めた。 カザンは大人しく触られるまま。 時々キュウだの、ヒョンヒョンだの、音を出している。 どうやらサダにはその意味が分かるようで。
「ふうん。 喉が痛いんだ? かわいい子を見つけてがんばっちゃった? 違うの? 隠さなくたっていいんだよ、恥ずかしい事じゃないんだから。 俺もさ、いや、まあ、俺の事はどうでもいいんだけど」
そしてカザンの首の周りを左手で擦り始める。
「あ、ここ、気持ちいい?」
するとヒュウとしか聞こえなかった小さい鳴き声が、ヒョオオ、ヒョオオ、と大きくはっきりした飛竜らしい鳴き声に変わっていく。 こっちはサダが滑り落ちるんじゃないかと気が気じゃない。 はらはらして見ていたが、ようやくカザンから下りてきた。
「ダイメッツ、カザンはもう大丈夫。 だけど春になるまではお見合いみたいな大声を出す事はさせないであげて」
「承知致しました。 お礼の申し上げようもございません。 なぜ突然カザンの声が出なくなったのか、情けない事に私では原因が分からず、何も出来ずにおりました」
「なんか、ある日餌を食べたら喉が焼けるように痛くなったんだって。 三ヶ月くらい前、いつもと違うものを食べさせたりした?」
それを聞いたダイメッツの顔がこれ以上ないくらい青くなる。 猊下と聖下が一瞬目線を交わした。
サダは無邪気にダイメッツに聞く。
「声が出なくなった飛竜、他にもいる?」
「はい。 玉竜は全て同じ症状を見せておりまして。 お忙しいところ大変恐縮なのですが、治して戴けないでしょうか?」
サダが頷く。
「いいよ。 じゃ、次は隣? リョクヤだっけ?」
そんな感じで、サダは玉竜を次々治していった。 全頭の声が戻ったところでテーリオ祭祀長がサダへお命じになる。
「青竜の騎士よ。 祝いの時が来た。 竜鈴を鳴らせ」
「御意」
サダが竜鈴を鳴らした途端、全ての飛竜舎からものすごい咆哮が湧き上がる。 それを聞きつけた城内の兵士が呼応し、遠くから剣や金物を打ち鳴らす音が聞こえてきた。 それに続く花火が打ち上がったかのような大歓声。
慶事、ではあるのだろう。 他の者にとっては。 だが俺にとってこれは平穏な家族旅行の終わり。 そして騒乱の始まりを告げるものでしかない。
祭祀庁の事など何も知らないが、飛竜の喉を治したくらいで中央祭祀長の首を挿げ替えられるものか。 たとえ陛下の後押しがあり、聖下が中央祭祀庁の完全掌握に成功なさったとしても。
それに青竜の騎士であるサダをどうこうしようとする奴はいないと思うが、だから俺も無事とは限らない。 中央祭祀庁の揉め事になぜ北軍副将軍が首を突っ込む、と責められたらどうする?
まあ、ネイゲフランだって叩けば埃の出る体。 俺が北に引っ込んでいれば追いかけてまでは来ないだろうが。 中央の政治の渦中にいるレイはそうはいくまい。 前北軍祭祀長に過ぎないスティバル聖下でさえ相当な影響力がおありになる。 中央祭祀長なら宮廷への影響力だって半端なものではないだろう。 ヘルセスと上級貴族が一丸となって対抗すれば何とかなると思うが、姻戚関係があっても一枚岩とは言えない。
聖下に肩入れする事はレイにとって家運を賭けた一大博打のはず。 それを当代公爵に一言も相談せず、やってのけたのだから、家名に傷を付けまいとする父に殺される恐れだってないとは言えないだろうに。 レイは明るく微笑んでいる。
「サダ様。 今回の御旅行、皆様にとってさぞかし思い出の多いものであったのでは? 御多忙とは重々承知しておりますが、旅の逸話を伺う機会を是非、頂戴したいものです」
「いろいろあったけどさ、すごかったー、師範の人海分け。 レイ義兄上も知っているでしょ? あれ、押すな押すなの年末の人混みでも通じるんだよ。 感心しちゃった。 師範が入店した途端、さっと左右に人が分かれるの。 顔だってマスクで隠して目しか見えないのに。
店員が飛んで来て、何をお探しでしょう、て。 師範が、寝袋、と一言言っただけで、さっと出て来てさ。 おまけに手早いのなんの。 値引きしろとか何も言ってないのに三割引きにしてくれたんだ。 あれって危ない人にさっさと店から出て行ってもらいたかったからじゃない?」
普段ならサダのばか話に一々口を挟んだりはしないが、ここで黙っていたら聖下にまで誤解される。 再びお会い出来るかどうか分からないのに。
「目はいいくせに、一体何を見ていやがる。 人が分かれたのは俺の眼光にびびったのかもしれんが、店員が飛んで来たのはお前に、と言うか、お前が背中に担いでいる北進に気付いたからだろ」
「え? 北進の偽物、そっちこっちで売られていますよ。 だから持ってくる弓はこれにしたんだし」
「弓をやる奴なら本物と模造品の違いにすぐ気付く。 本物には何百年も経っている品らしい古さがあるし、北進という銘が彫られているだけじゃない。 酒好きなら誰でも知っているミッドー伯爵家の家紋入りなんだから。 三割引きは軍が商店から物を買う時の値引き率だろ。
レイ、一事が万事、この調子だ。 こいつの言う事を一々真に受けないでくれ」
レイが俺に何かを言おうとしたが、遠くから皇王旗を旗めかせた馬と、その後ろに馬車がこちらへ向かっているのに気付き、臣下が陛下の使者を迎える礼をする。 俺もレイに倣った。
使者はカイザー侍従長だった。 サダ一家だけでなく猊下と聖下がいらっしゃる事に気付いたようだが、サダを出迎えるようにと言われて来たのだろう。
「青竜の騎士、ようこそお越し下さいました。 陛下がお召しです。 御同道の皆様もどうぞ御一緒に」
旅の終わり。 果たして吉と出るか。 凶と出るか。