家族旅行 4
自分を上に立つに相応しい軍人と思った事はないが、無能とか他人の足を引っ張っていると思った事もない。 補佐のおかげはあるにしても今まで大隊長としてそれなりの数の部下を指揮してきたんだから。
ただ何しろこの面子だ。 何も起こらないはずはない。 それは覚悟はしていたが、問題を起こすとしたら俺以外の誰かだと思っていた。
まず考えられるのはサダ。 サダ以外にあり得ないと言ってもいい。 だがケルパも何かやらかしそうだし、猿神という得体の知れないものだっている。 猫又は現れただけで大騒ぎを起こした。 それ以降は特に何もしていないとは言え、だからこれからも何もしないという保証なんかない。
サリだってちょろちょろ走り回る年だし、サナは寝ているだけだが熱を出すかもしれないだろ。 改めて言いたくはないが、テーリオ祭祀長とスティバル聖下はある意味、サダ以上に世間知らずと言える。 今まで下々がどう暮らしているか全く知らずに生きてきたんだから。
と思っていたら、子供と神獣を抜かせば一行の中で一番世間を知らなかったのは俺だった。
俺達は本隊よりずっと早く出発した。 サダから、もうちょっと準備してからがいいんじゃないですか、と何度も言われたが、それを無視して。 今回の旅は全て民間で調達出来る交通手段を使う。 特別扱いなど何もない上に、こっちは平民。 お偉いさんが通るとなったら道を譲るしかない。 宿を予約する事は考えたが、宿を決めてから出発するより道々適当な宿に泊まった方が待ち伏せされずに済む。 今では北にも結構な数の宿がある。 大した準備はしなくても金さえ出せば道々買えるし、泊まるところはいくらでもあると思っていた。
俺達はテルと名乗るマッシャーを雇い、犬ぞりで出発した。 昼過ぎの休憩の時、心配そうな顔でサダが聞いてくる。
「あの、師、リイ兄さん。 今晩はどうするんですか? もうお昼を過ぎていますけど」
十二月に入ったら北は冬。 極寒の季節ではないが、陽が落ちるのは早い。 四時半には暗くなる。 と言っても今はまだ二時を過ぎたばかり。 犬ぞりは四時まで走ってくれる。 到着した辺りで見つけた宿に泊まるつもりでいた。
「もうちょっと行って宿があったらそこに泊まる」
「な、何を言って。 予約している訳でもないのに?」
「宿ならいくらでもあるじゃないか。 空き間の一つや二つ、あるだろ」
「リイ兄さんてば。 俺達、ただの平民だって事、まさか忘れた訳じゃないでしょうね。 軍人用の宿には泊まれないし、貴族御用達の宿、神社は身元がばれる恐れがあるでしょ。 知り合いの家なんて論外だし。
でも普通の宿は年末のこの時期、どこも満杯です。 予約してなきゃ泊まれないと思いますよ。 皇都へ向かう人の流れを見ていないんですか? 元々新年の御挨拶に向かう北の貴族に加えて、軍葬に参列した弔問客、北以外のところから来て下さった方が相当いました。 皆さん、来る時泊まった宿に帰る時も泊まると予約しているでしょう。
俺達が泊まれるとしたら宿屋じゃないけど空き間がある家です。 七人がさっと泊まれる大きさの家なんて、たぶん見つからない。 一部屋に雑魚寝になったとしても選んでいる場合じゃありません。
一晩泊めてくれないか、て赤の他人にいきなり言われたら、リイ兄さん、泊めてあげるんですか? 俺だったら無理。 たとえ空き間があったって。 そこをうんと言ってくれるんだから奇特な人です。 いるかいないか分からない人を探すんだから絶対時間がかかります。 今晩は身分を明かして軍人用の宿か、知り合いの家に泊まるしかないかも」
そう言われてみれば、とは思ったが、サダの言う事を鵜呑みにする気にはなれず、サダより旅慣れしているであろうマッシャーに聞いてみた。
「四時頃着く場所の近辺で泊まれる宿を知っているか?」
「へ? 宿がお決まりじゃねえんで? そりゃ、うーん。 神社に頼み込むしかねえんじゃ?」
「神社以外では?」
「それ以外? さあ、ねえ。 あっしには分からねえっす」
するとサダが聞いた。
「テルはどこに泊まるの?」
「マッシャー用の宿っす。 犬をぞろぞろ連れているんで」
「そこに俺達も泊まれないかな」
「そんな無茶な。 お客さん、赤ん坊連れでしょ。 やめといた方がいいっす。 マッシャー用の宿って屋根と床があるだけの吹きっ晒し。 大人だって下手すると指が凍って落ちたりするんですぜ。 犬に囲まれてりゃ凍え死ぬ、て事はねえが。
おまけに、えれえ身軽で。 寝袋、持っているように見えねえし。 ま、寝袋があったって赤ん坊にゃきついっす。 ただ宿が決まってねえなら寝袋は買っておかねえと。 床にゴロ寝でもいい、て言や泊めてくれる宿があるかもしれねえ。 買うなら、この辺で買っといた方がいいっす。 こっから先はしばらく寝袋を売ってる店なんてねえから」
テルとは翌朝そこで落ち合う事に決め、慌ててその町にある寝袋の店に行って人数分の寝袋を買った。 念の為途中にあった宿で空きがあるか聞いてみたが、どこも満室。 ちょっと大きめの家があれば、部屋でなくてもいいから泊めてくれないか、と声をかけてみたが誰も首を縦に振らない。
内心焦り始めたところで、エイオがいきなり猊下が抱いていたサナを奪い、本道から外れた裏通りに入って行く。 サダが全速力で追いかけ、全員で後を追った。
エイオはある家の玄関脇まで行くと雪の山の上にサナをぽんと放り投げ、さっと姿を消した。 火がついたような赤ん坊の泣き声がしたからか、奥さんらしき人が出てきてサナを抱き上げる。 ようやく追いついたサダが、ぺこぺこ謝ってサナを受け取ったが、中々泣き止まない。 そこにリネが追いつき、サナをあやしたら泣き止んだ。
奥さんは孫がいるくらいの年で、不思議そうな顔でサダに聞く。
「あんた達、道に迷ったのかい? 寝袋を担いでいるところを見ると、旅の途中だろ。 この近所の誰かの家を探しているとか?」
「実は俺達、宿を予約しないで出発しちゃって。 空きがあるかと思ったら、どこも満室なもんで。 この辺りに泊めてくれそうな家がないか、探していたんです。 一晩寝かせてくれるなら廊下にゴロ寝でもいいんですが」
「ふうん。 何人いるんだい?」
「これで全員です。 大人五人。 子供二人。 この子と、そっちは二歳。 あと、犬一匹」
「ご飯は?」
「出してもらえれば嬉しいですけど。 なければどこかへ買いに行きます」
「そろそろ陽が落ちるし、うちでよければ泊めてあげるよ。 この辺りで空き間があるってうちだけだから。 肉なしの野菜シチューでもいいなら、ご飯も出してあげる」
「助かりますっ! あの、宿代、二万ルークでどうでしょう?」
「そんなにもらってもいいのかい? どこまで行くんだか知らないけど、あんた、その寝袋、買ったばかりなんだろ。 寝袋を買わなきゃまずい、て事も知らずに家を飛び出して。 目的地に着く前に財布、すっからかんになったらどうすんのさ。 この時期だとどこの宿屋もいつもの倍、ふんだくるよ。 いずれこっちに戻って来るならお金はその時払ってくれりゃいいし」
「皇都まで行って、年が明けたら北へ戻るつもりですが、お金は今払わせて下さい。 旅先で何があるか分かりません。 親切にして戴いた人に御迷惑を掛けたくないから」
「あんた、若いのに中々見上げた心掛けだね。 ま、ここじゃ立ち話もなんだ。 中へお入りよ」
家に入ると玄関の壁に貼ってあるのはお馴染みのカレンダー。 因みにサダの絵の月、一月からめくられていない。 なのにサダは平気でぐるぐる顔に巻いていたマフラーを外した。 奥さんの目が大きく見開かれる。
「あらっ。 あんた、六頭殺しに似てるねえ」
「えへへ。 割とよく言われます。 おまけに本名もサダなんで」
「んまあ。 なんて縁起のいい。 ドンピシャだね。 で、奥さん、リネって名前だったりして」
「じーつーはー、そうなんですよ」
「ええっ? ほんとに、ほんと?」
「はい。 結婚したのは六頭殺しの奥さんの名前が世間に知れ渡る前だったんで。 親戚や友人から妻を名前で選んだと言われずに済みました」
「あはは。 ならさ、この紙に今日の日付と名前を書いておくれよ。 亭主が帰って来た時いい話の種になるし、ご近所さんにも羨ましがられる。 この辺り、六頭殺しファンが沢山いるから。 宛名も書いておくれ。 あたしの名前はツキ。 ツキ・カネット」
「いいですよ。 俺、字が汚いからリネに書いてもらいます。 ところで、旦那さんはいつお帰りになるんですか?」
「たぶん年末さ。 今回は第一駐屯地だけじゃなく第二と第三にも行くって言ってたから。 うちは寝袋とかを作っている商売でね。 軍に納品しているんだよ」
「あ、じゃ、これも?」
「そう。 だからこの町で買ったばかり、て事が分かったの。 それ、この冬に出した新製品で、まだ他の店に卸していないから」
「旦那さん、軍葬にも参列したのかな?」
「うちの亭主、軍葬には毎年参列していたんだけど、今年は無理でしょ。 施主が有名人だもん。 貴族がわんさか押し寄せているらしいし。 平民は蹴り出されておしまいさ。 残念だけどね」
「毎年恒例の軍葬の方は平民でも親戚なら参列出来るんですよ」
「いや、親戚どころか友人でもないんだ。 お客さん、とさえ言えないかも。 お金を払っているのは軍で、その人が払っている訳じゃないから。 でも軍から仕事をもらうには、いろんな人と仲良くしておかないと。 で、一緒に飲みに行ったりして、結構長い付き合いの軍人さんがいたりするのさ。 人によっては二十年とか。
ま、あたしらだっていつ死んでもおかしくない年だ。 あの世で又会える事を楽しみにするしかないよね。
ところで、あんたも軍人さんかい? 立派な弓を持っていなさる」
「これを持っていなかったら六頭殺しに似ていると思ってもらえないでしょ」
「あんたのその顔さえありゃどこのそっくりさん大会だって文句なしの一等賞さ」
「一等賞はもらえなくてもいいから次の宿、なんとか見つからないかなあ」
「寝袋を買わずに旅に出るだなんて、顔は似ていても呑気だねえ。 六頭殺しはお若いのに領主で大隊の指揮もなさる、きちっとした御方なのに。 薄ぼんやり生きていたら一等賞だって顔は似てなくてもきちっとした男に攫われちまうよ。
ま、そっくりさん大会はどうでもいいけどさ、先を急いでいるのかい?」
「はい」
「そっか。 近所の奥さん達にも紹介してあげようかと思ったけど、引き留められたら面倒だ。 止めとくね。
じゃ、明日の朝ご飯も早い方がいい? 二万も貰っちゃったし、お弁当も持たせてあげる」
「ええ、日の出と共に出発します。 犬ぞりはもう雇っているので」
「あ、犬ぞり雇ったんだ。 そんなら明日の夜はあたしの妹んちに泊まりな。 犬ぞりなら夕方には着くから。 あっちはあたしんちよりでかいし、妹はあたしより気合いの入った六頭殺しファンだから絶対泊めてくれるよ。 無理だったら他の家を紹介してくれるでしょ。 手紙を書いてあげる」
カネットさんは妹だけじゃなく、ここから皇都の道々に住んでいる知り合いに、何通もの紹介状を書いてくれた。 妹の次は、従姉妹。 その次は元お隣さん。 その次は娘の習い事の先生。 その次は元奉公人、というように。 全員六頭殺しファン。 誰もがサダを六頭殺しのそっくりさんと信じ、俺達が家族である事を疑う人もいなかった。 俺とリネは全く似ていない訳でもないが、そう言われれば、という程度だし、猊下と聖下は誰とも全然似ていないのに。
寝袋屋の奥さんの妹の家が一番大きく、他はどこも普通の家で広くはない。 客用の部屋がある訳でもなかった。 普通の平民にとってさえかなり不便で、普段傅かれて生活している人にとって文句を言わずにいられないような環境だ。 平民という設定にしたはいいが、リネとサダはともかく、猊下と聖下は高貴な出自を隠すのに苦労すると思っていたのだが。 泊めてくれた人達への態度が丁寧なだけでなく、身支度や後始末はサダよりよっぽどきちんとしていて手際がいい。
不思議に思ってテーリオ祭祀長に聞いてみた。
「お付きが一人もいなくて不便でしょう?」
猊下が微笑みながらお答えになる。
「付き人がいるようになったのはごく最近で、それまでは自分の事は全て自分でする生活でしたから」
「御実家でも?」
「ええ。 子爵家と言っても猫の額のような領地で。 先祖が有名なだけの平民も同然の暮らしです。 貧乏ではないにしても金持ちでもなく。 奉公人は通いの手伝いも含めれば十二、三人いましたが」
「では、神学校に入学してからもお付きはいなかった?」
「神学生にお付きなどいません。 私だけでなく、誰にも。 新入生の時は苦労しました。 自分の分だけでなく、先輩の分までやらなくてはならなかったから。 ただ食事は実家でも寮生活の時も三食出されたので自炊は出来ません」
それだけでも驚いたのに、なんと聖下も御自分で何でも出来る御方だったのだ。 これには自分の目で見るまでは信じられなかった。 つい最近偉くなった猊下はともかく、聖下は幼い頃に見出され、北に来る前は中央祭祀長の下で修行なさったと聞いていたから。 レイが北軍に入隊したばかりの時、侍従に靴下を履かせてもらっていたのを見てサダが驚いていたが、一行の中で一番身分が低いのはコシェバーだが、あいつには他に山ほど仕事をしてもらわなきゃならない。 聖下の身支度をするのは俺と思っていた。 ところが着替え、身支度から食事の後片付けまで全て御自分でなさる。
「爺。 お付きがいない旅に出るのは今回が初めてでは? 随分やり慣れていらっしゃいますね」
「普段から身の回りの世話は全て断っているのでな。 いざ、という時何でも自分で出来るように」
「いつかこのような旅に出ると御存知でいらした?」
「いや、私が言う、いざ、とは旅ではなく、決断。 決断する事によって陥るであろう孤立を指しておる。 決断は、せねばならぬ。 しかし衣食住の全てを周囲に頼っていたら、周囲の機嫌を損ねる決断をした途端、困窮するであろう?
重大な決断であればあるほど周囲に受け入れられるまで時間がかかるもの。 兵糧攻めにあい、決断の結果を見る前に命が尽きるのは無念。 それで普段から自立出来るように練習していたのだよ」
「孤立とは。 まさか神官全員を敵に回すおつもり? それはマッシャー用の宿に泊まる以上の無茶。 どうかお考え直し下さい」
「ふっ。 無茶に無茶を重ね続けた其方から、無茶を考え直せと説教される日が来るとは。 長生きはするものじゃ」
結局無茶はしないとはおっしゃらない。 だからと言って今更引き返せる訳もなく。 俺達は皇都への旅を続けた。
嵐の前の静けさなのか。 旅の最中、不安がったり不平不満を託つ者はおらず、皆それぞれにこのお付きがいないという非日常を楽しんでいる。 特にサダとリネ。 突然偉くなって、あれもこれも覚えなくちゃいけない。 毎日気を張っていたから子供の成長を楽しんでいる気持ちの余裕なんかなかったのだろう。 仮にあったとしても、あれはだめ、これもだめ、だ。
例えば肩車。 女性皇王族はズボンを履かない。 だからか、肩車は許されていないんだとか。 だが初穂の儀では沢山の子供達が親に肩車をしてもらっていた。 それを見たサリが自分も肩車をしてもらいたくなったらしい。 肩車をしてとサダに強請った。 いつもならほいほい何でもやってあげているサダだが、エナの目が光っている前で肩車をしてあげる勇気は出なかったようで。 買い物をしている時、初めて肩車をしながら歩いた。
本当に絵に描いたような家族旅行となった。 聖下が、そして猊下が、それに釣られたかのようにサダ一家が、無茶苦茶をやり始めるまでは。