家族旅行 3
「過信、という言葉を知っているか?」
モンドー将軍は静かではあるが紛れもない不快を込めた口調でおっしゃった。 簡単に頷いてもらえるとは元々思っていなかったが。
意外な事にテーリオ祭祀長にはすんなり頷いて戴け、渋るスティバル聖下を説得して下さり、ジンヤ副将軍からは、モンドー将軍さえ諾とおっしゃるなら、と言質を取った。 ここが最後の難関。 将軍は難攻不落の砦の如く俺の前に立ちはだかる。
「弓と剣さえ揃っていれば最強と思っていればこその計画であろう?
よいか、起こり得るのは襲撃などの人災だけではない。 事故や天災をどう防ぐ? 防げなかった場合は?
又は不慮の病に罹ったら? サリ様、サナ様が御病気の場合、二人のどちらかが看病してくれる訳か? 其方らに医学の心得もあるとは知らなかったが。 それとも神獣なら病も治せるのか? サリ様は今まで三度お風邪を召した事、転んでお怪我なさった事もおありだが。 それはいずれ治るものだから無視されたとか?
それに大人だから病にかからぬとは限らんぞ。 或いは医者と薬師も連れて行く? しかしその二人では手に負えない病状、又は医者と薬師が病に倒れた場合、旅程を変更せざるを得まい? いや、旅程などどうでもよい。 青竜の騎士御一家、猊下と聖下さえ御無事ならな。 もし何かあったら死んで詫びるとか言うなよ。 そんな詫び、してもらったところで死者が生き返る訳でもなく、こちらの得になる訳でもない。
しかも旅の間はまだましと言える。 問題は皇王城に着いてから、だ。 聖下は長年神官を削りに削った張本人なのだぞ。 其方は勿論、聖下にも勝算がおありではなかろう。 祭祀庁は弓と剣で勝ち進める世界ではない。 なぜ止めぬ。 止めるどころか、弓と剣わずか二人、正確に言えば剣士は其方一人という警備で家族旅行だと? 死地に赴くようなものではないか」
そこで将軍は深いため息を漏らした。
「と死地に赴き、生還した男に説教したところで今更か」
将軍の説教が間違っているとは思わない。 正直なところ、指摘された事に関して俺は何も考えていなかった。 どれも起こり得る事ではあるが。 その準備も、これの用意も、とやっていたら当初の予定通り本隊で出発するのと何も変わらない。 それでは聖下からの同意はもらえないだろう。 たとえ聖下だけの上京のために隊を組んだとしても暗殺の確率を増やすだけでなく、もしそれが成功したら警備隊兵士全員が殉死させられるか、少なくとも護衛隊長の首が飛ぶ事は確実だ。
かと言って、聖下お一人での旅を許可したらモンドー将軍の責任問題となる。 もっともそうこうしている内に暗殺が遂行され、今度は成功するかもしれない。 そうなったら俺は副将軍になるかならないかで将軍職を拝命する事になると思うが。
仮に御無事で登城なさろうと、聖下が単独で中央祭祀庁の改革を成功させる事は難しい。 警備は他の者でも何とかなるが、登城してからは猊下が御一緒でないと。 サダも一緒なら尚いい。 あいつの影響力を過信する訳じゃないが、青竜の騎士の称号は伊達じゃない。 中央祭祀庁だって無視は出来ないはず。 しかし聖下の事。 俺とサダはサリの警備に専念せよ、お命じになるだろう。
そもそも俺は聖下から、皇都へ行く、供をせよとか、家族旅行のふりをしろと命じられてはいないんだ。 危険を承知で俺が好き勝手をしているとモンドー将軍から責められても仕方がない。
なら聖下が暗殺されるまで傍観を決め込むのか? 聖下が暗殺されたら猊下は孤立無援となる。 たとえ天の気をお預かりしている祭祀長であろうと、かなり厳しいお立場になる事は祭祀庁の内情なんか何も知らない俺にだって分かる。
聖下と猊下の後ろ盾を失ったらサダだけじゃなく、俺も苦労するはずだ。 助けてくれる人がいなくなったからと言うより、何もせずに見守ってくれる祭祀長は猊下と聖下のお二人だけだから。
何もしないで下さるのは俺達にとっては有り難いが、祭祀庁の利益には少しもならない。 それを知っていながら一歩も二歩も下がって下さる。 それに聖下は難しい事でも簡単に噛み砕いて教えてくれる御方だ。 俺のためでなくともいいから生きていてほしい。
副将軍をやる気なんか元々なかった。 やれと言われたって何をしたらいいか分からないんじゃやれない。 不出来な副将軍として名を残すのは屁でもないが。 俺にも出来る事があるならやるしかないだろう。 頭を使うのは他の奴らにやってもらう。 俺が使うのは剣だ。
俺は御託を並べず、事実だけを述べる。
「猊下と聖下より既にお許しを頂戴しております」
「止めようがなくなってから私に報告するとは。 盗人猛々しいとは其方の事。 早晩こういう目にあうと覚悟はしていたが。 其方を施主に任じた時にな。
で、本隊に合流するのはいつだ?」
「聖下は本隊が皇王城正門前に到着した時がよかろう、とおっしゃいました」
沈黙が流れる。 俺にとっては永遠ではないかと思えるほど重く、長い沈黙が。
ようやく将軍がお訊ねになる。
「本隊が予定到着日に到着しなかったら? 本隊にいるのは影武者という噂が広まれば本隊への襲撃はないかもしれんが、多くの民はそれを知らない。 お顔を一目見ようと群がり、通行が妨げられて新年の登城に間に合わない事も考えられる。 今回の上京は猊下、聖下、準大公御一家が御一緒である事を知らぬ者はいないのだから。 本隊の上京が予定通りに進まなかった場合、猊下がお待ち下さるとしたらいつまで?」
「聖下はお待ちにならない事をお望みです。 私達は本隊到着予定日に徒で入城する事になりましょう。 ヴィジャヤン大隊長が竜鈴を鳴らせば本人である証明になりますので。 こちらが遅れ、その連絡が本隊に届いていない場合は捜索隊の派遣もやむなし、とおっしゃいました」
将軍はしばし瞼を閉じ、開けておっしゃる。
「この家族旅行、ヴィジャヤンが考えたな?」
「はい。 なぜお分かりになりました?」
「あまりに馬鹿馬鹿しく、あれ以外に考えそうもない事だから、という事もあるが。 それ以上に猊下と聖下、特に猊下があっさりお許しになったという点が、な。
お若いながら猊下は聖下より老成していらっしゃる。 達観なさっていると言うか。 御覧になっていらっしゃるのは目の前にある何かではなく、掴みようのないどこかのような。
以前、聖下が私におっしゃった。 猊下は遥か彼方、未来を見つめている、と。 それは喜ぶべき事。 故に案ずるな、と。
猊下がお許しになったから聖下もお許しになったのだろう。 ならば軍としては従うしかない」
将軍は、ぱん、とお手を叩き、カルア補佐へジンヤ副将軍、アーリー補佐、ヴィジャヤン大隊長とマッギニス特務大隊長を呼ぶよう命じた。 全員が集まったところで将軍は前置きなしでおっしゃる。
「知っての通り年末年始にかけ、テーリオ祭祀長、スティバル聖下、準大公御一家は皇王陛下へ新年の御挨拶にお出ましになる。 護衛約百名、神官若干名、準大公御一家の奉公人が同行の予定だが、猊下、聖下、準大公御一家、タケオ施主は全員影武者を使う。
本物は一時的にタケオ姓を名乗り、若夫婦とその子二人、母方祖父、父方遠縁、妻の兄として上京なさる。 タケオ施主の従者が一名同行するが、護衛は弓と剣のみ。 と言う訳で、諸般の辻褄を合わせよ。
現在これを知っているのはここにいる七名の他は猊下、聖下、そしてレイ・ヘルセス。 準大公御一家の奉公人には準大公が伝える。
尚、これは軍内機密とし、神官には伝えない。 猊下と聖下のお側付き神官合計四十名は五名一組で皇都へ向かい、内一組は本隊と共に行動する。 どの組にも猊下と聖下の影武者及び二十名の警護が付くが、それぞれ別旅程で、タケオ御一家の旅程とも一致しない。
本隊の皇王城到着予定日に変更はなく、タケオ御一家は本隊の到着予定日に合流なさる。 本隊に付く護衛は影武者と本物の区別くらい説明されなくとも出来るだろうが。 それによる懸念にどう対処するかは本隊の指揮をするジンヤ副将軍に任せる。
因みにこれは準大公閣下の発案による家族旅行で、猊下が了承なさった。 閣下の気まぐれによる私事のため、本物の旅程の詳細は現時点では閣下も御存知なく、この件に関する詳細を事前に報告なさる予定もない。 本隊の指揮に関し報告すべき事があれば全てジンヤ副将軍にする事。
マッギニス特務大隊長も本隊と一緒に行動するため、本隊が第一駐屯地へ帰任するまで第三大隊の緊急事態に関してはトーマ第一大隊長が、第十一の緊急事態に関しては私が対処する。 緊急以外の報告事項は保留とせよ。 本隊と御一家の連絡に関する詳細はタケオ施主とマッギニス特務大隊長との間で詰めておけ。
何か質問は?」
全員無言かと一瞬思ったが、そんなはずはなく。
「あの、行きがうまくいったら帰りも同じでいいですか?」
誰の発言かは言うまでもない。 会議室内の温度がまるで窓を開け放ったかのように急激に下がる。 モンドー将軍は発言したバカを怒鳴るでもなく、外套を羽織ろうとするでもなく。
「柳の下のどじょう、二匹目を狙う訳か。 青竜の騎士ともあろう御方が、なんともお粗末ななさりよう。 余りにお粗末なため、そこが世間の意表を突く可能性は否定しないが。
念の為、もう一度聞く。 何か質問は?」
全員無言。 サダの歯がカチカチ鳴る音が微かに聞こえるだけ。
「以上だ」
因みに会議に入る前サダを含めた全員が上着を着用していたが、カルア補佐がサダを引き留め、上着とズボンの下にいつも履いている股引きを脱がせていた。 暖房を強めにしておいたから、おそらく会議中に暑くなるという理由で。
会議の後、サダは震えながら股引きをはいて愚痴り始める。
「マッギニス特務大隊長たら、ほんと、容赦ないんだから。 新年が明けるまでは一応俺の方が先輩なのに。 カルア補佐だって。 股引きまで脱がすか? 俺、結構好かれてると思っていたのにな」
ああ、好かれていると思うぞ。 これは愛の鞭、てやつだ、と言おうかと思ったが言わずにおいた。 これくらいの罰は当たってもらわないと影武者を護衛しながら討ち死にするかもしれない奴らが浮かばれない。 もっとも本物を護衛している俺こそ討ち死にするかもしれず、だからって浮かばれるとは思えんが。 まあ、サダの案とは言え、それをやると決断したのは俺だ。 花火のような終わりになったとしても、いっそ清々しい。
ただサダを見ていると、そんな清々しい終わりは望めそうもない。 マッギニスと話した後、第二庁舎の廊下へ出たらサダとタマラの立ち話が聞こえた。
「皇都に行く途中の土産で、なんかいいのない? えーと、モンドー将軍、カルア補佐、ジンヤ副将軍とマッギニス特務大隊長にそれぞれ」
「ジンヤ副将軍とマッギニス特務大隊長は御一緒に上京なさるのに、お土産をお求めになるのですか?」
「え? あ、ああ、そ、そう、だったな。 みんなに喜ばれそうな物とか、ある?」
「それは少々難しいような気がします」
「おい、旅を楽しむ気満々のようだな」
俺に声を掛けられたサダがビクッとして身構える。
「生きて帰るぜ。 それが何よりの土産だ。 誰にも喜んでもらえる、な。 クポトラデルに行くより簡単、とは間違っても思わんようにしろ」
首をこくこく振るサダより直立不動の姿勢のタマラの方が余程俺の言葉に隠された意味を感じ取っている。 とは思ったが、それをサダに言ったところで空の頭に中身が詰まる訳でもない。