家族旅行 2
夜更けに俺の自宅まで呼び出されたサダはまず文句を言った。
「師範たら。 最近不機嫌に意地悪が上乗せされていますよ。 レイ義兄上と食事するなら俺も呼んでくれればいいじゃないですか。 食べ終わってから呼ぶだなんて」
「そりゃ悪かったな。 残り物でいいなら食べていけ」
「俺はこんなに遅くなってからご飯を食べたりしません。 師範だって御存知でしょ。 んもー」
「なら水でも飲んでろ。 それより聞きたい事がある。 お前がもし家出するとしたら、どういう手段を取る?」
「家出? 家出かあ。 男なら一度はしたいと思うものですよね。
えーと、まず顔が覆われるマスクを持って行きます。 今の季節なら問題ないし。
次はお金。 軍票で払ったら足が付いちゃう。 万札は少なめ、細かいやつを多めにしときます。 万札をばんばん出したら金がある奴と思われて泥棒に目を付けられるし、割引してもらえなくなるから。 現金は財布に見えない袋、いくつかに分けて持って行くとか。
で、なるべく人通りが多い道を選ぶかな。 その方が俺みたいな有名人が歩いていたって気付かれないでしょ。
念には念を入れたいなら子連れの女の人に旅費を払ってあげるから家族のふりをして、と頼むかも。 家族連れだとどこの宿屋でも怪しまれません。 六頭殺しに似ていると言われたら、よく言われるんですよ、えへへ、て感じで誤魔化せます。
行き先は、うーん。 やっぱり皇都でしょう。 人を隠すには人中、て言いますよね? 金が続く限り遊べるし。 都会って物好きが結構いるから、六頭殺しのそっくりさんとしてお金が稼げたりして」
まさかこいつがこれほど賢い奴だったとは。 レイの瞳にも隠し切れない驚きが一瞬浮かんで消えた。
サダが考えたんだぞ、と心の隅で警報が鳴ったが、誰が考えたかはこの際どうでもいい。 使える案を使わない手はない。
「実はな、スティバル聖下が家出を考えていらっしゃる」
「えっ?! ほんとですか? いつもサリと幸せそうに遊んでいらっしゃいますよ。 好々爺、て感じで。 家出をお考えのようには見えないですけど」
「理由は長くなるから端折る。 俺としてはお止めしたいが、何しろ頑固が歩いていると言ってもいい御方だ。 お前ほどじゃないがな」
「俺は師範ほど頑固じゃないですけどね」
「言ってろ。 ともかく、下手な説得を試みたところで火に油。 という訳で、お前の案を採用させてもらう」
「はあ? 俺の案、て。 つまり家族連れの振りをして家出する?」
「夫婦二人に子供二人と祖父一人。 奉公人らしき若者、用心棒らしき下男、各一名での家族旅行。 皇都で新年を迎える、て訳」
「その夫婦二人って。 まさか俺とリネ?」
「そのまさかだ」
「じゃ、子供二人って。 サリとサナ?」
「御名答」
「なら祖父は聖下で、奉公人らしき若者はテーリオ祭祀長?」
「ほう。 お前の頭も案外捨てたもんじゃないぜ」
「なら用心棒らしき下男は師範? まさか、まさか、本気じゃ、ないですよね? 俺をからかっているんでしょ?」
「レイ、俺が本気じゃないように見えるか?」
「本気である方に一億ルーク賭けましょう」
「だとさ。 お前はいくら賭ける?」
サダは首がちぎれるんじゃないかと思うくらい激しく首を横に振った。
レイは楽しげな面持ちで、本当に家族旅行の計画を立てているかのように言う。
「そういう事なら同じ頃、同じ構成の家族連れを五組、北から皇都へ向かう旅に出発させよう。 服装は平民がよいか? ヘルセスの家紋入りでは目立つだろうが、子爵か男爵辺りなら如何?」
「平民の方で頼む。 供や護衛がいないんじゃサダとリネは平民夫婦にしか見えん」
「聖下と猊下は貴族の親子という設定にしては?」
「それでもいいが、お二人は全く似ていない。 それに主が子連れなのは分かるが、奉公人が子連れで旅のお供をするのは変だろ」
「あ、あのう、師範。 祖父と奉公人が神々し過ぎて、すぐにばれるんじゃないですか?」
「猊下がただの神学生だった時、神々しかったか?」
「え? それは、えーと、」
「そういや、お前、猊下と初めてお会いした時、奉公人になってくれ、と頼んだんだって? 神々しい御方だからいい奉公人になると思ったのか?」
「そ、そんな、」
「だとしたら、お前の面の皮はオーク並みだ。 神々しさとか服さえ地味なものに変えたらいくらでも誤魔化せる」
「そう、かなあ?」
「誤魔化しがきかないのはケルパだ。 猫又と猿神は隠れ上手で人目につかないからいいが」
「それは別に心配しなくても。 かわいい子でよろしく、と頼めば」
「なんだ、その、かわいい子、て」
「前髪をブラシで下ろしてギョロっとした目を隠すんです。 そしたらどこから見てもただの犬になったんですって。 本人と言うか、本犬にとっては前髪がうざいらしく、普段はやらせてもらえないけど。 初穂の儀の時、山車の上に乗るから、かわいい子にさせてとケルパに頼んだら素直に聞いてくれた、とリネが言ってました」
「ふうん。 なら目眩しの家族連れにも犬が要るな」
「用意しよう。 ところで、施主。 第一駐屯地から出発する隊にも影武者が必要かと思うが、そちらは?」
「ああ、大丈夫だ。 背格好が似ているだけだが、冬だからな。 じゃ、明日早速聖下に話してみるとするか」
「ちょっ、ちょっと、師範。 それはまずいんじゃ?」
「何が」
「だって家出したい人に、一緒に家出しましょう、て言うんですか? うざがられたりしません?」
本当にこいつは。 もしかしたらバカじゃないのかも、と思わせられる。 もっともこれに関しては、家出したいと考えるようなバカだから、家出に関するあれこれがすらすら出て来るんだろうが。
「無茶はお止め、とおっしゃる可能性はあるな。 ならお前が猊下を唆せ。 一緒に家族旅行へ行きましょう、て」
「はあ?」
「そもそもお前の妻子には一人に一匹づつ神獣が付いている。 護衛なんぞ余計なんだ。 護衛が群がっていたら却って危ないとさえ言える。 今回の旅の目的は遊び歩きじゃない。 犬ぞりと途中からは馬車を乗り継ぐ旅の警護だ。 お前と俺で充分だろ。 最近は道も整備されている。
とは言っても北で顔が売れているのはお前だけじゃない。 初穂の儀の人出、すごかったらしいし、猊下とリネもお前ほどじゃないが顔を知られているだろう。 残念ながらあの軍葬の人出では俺もだ。 身元が宿屋でばれたら口止めなんかしたって無駄。 翌朝群衆にもみくちゃにされちまう。
その点、聖下ならお顔を知っている者はほどんどいない。 神官は普通の宿屋に泊まったりしないから旅行中に出くわす心配もない。 宿での記帳と支払いは聖下にしてもらえないか、と猊下からお願いして下さるよう、お前がお願いするのさ」
「お願いするのは構いませんが。 聖下がうんとおっしゃいますかね?」
「嫌とはおっしゃらないだろう。 元々家出したくて機会を窺っていらっしゃるんだから」
「師範たら、ほんと、強気の塊。 俺ほど気弱になれとは言わないけど、もうちょっと抑えめでもいいのに」
お前が言うな、と怒鳴りそうになったが、それは止めておいた。 下男に怒鳴られる主なんていくら世間は広いと言ってもサダしかいない。 咄嗟にいつもの癖が出ないよう、今から気をつけないと。 だが我慢は体に良くない。
「よくよく考えてみたら、お前の頭じゃ奉公人やら下男やら設定なんか覚えていられないよな。 絶対ぼろが出る。 まんまで行こう。 俺はリネの兄、お前の義兄のリイ。 聖下は爺。 猊下は親戚のメリ。 妻子の名前もまんまでいい。
平民の家族旅行なら奉公人はいない方が普通だ。 ただ姓は全員タケオにしておく。 その方が普通っぽい。 お前はサダ・タケオ、て事だけ覚えておけ。 本家の長男である俺に向かってでかい態度を見せないようにしろ」
「でかい態度を見せた事なんて今まで一度もないでしょ。 そっちこそ、ついこの間リイ兄さんと呼んだだけで俺の尻を蹴ろうとしたくせに。 俺の尻、無事で済むのかなあ。 シナバガーがいないのに」
「安心しろ。 楽しい家族旅行に水を差す気はない。 お前になんと呼ばれようと蹴らんと約束してやる。 旅が終わっても俺の足が約束を覚えているかどうかは分からんが」
ぷっと頬を膨らますサダは放っておいて、レイに訊ねる。
「ところで、誰にどこまで教えるつもりだ?」
「誰にも教えぬ。 父にも、本邸執事にも。 侍従長のオラヴィヴァには目眩しの旅に出る者の手配をしてもらうが、人数と背格好、出発日、平民の家族旅行という設定を伝えるのみとする。 余計な質問をする侍従長ではないのでな。 其方はそうはいくまい?」
「モンドー将軍とジンヤ副将軍に言わない訳にはいかない。 言わずに家出したら捜索隊が出される」
「あ、トビとカナとエナに言ってもいいんですよね? でなきゃ大騒ぎしそう」
思わずため息が漏れたが、頷いた。
「知っている奴の数は少なければ少ないほどいいんだが。 どうせ将軍はカルア補佐に、副将軍はアーリー補佐に言う。 他にも知らされる奴がいるだろうし」
するとレイが言う。
「ボーザーにも伝えていた方がよい。 其方には便利な従者がいる。 一行の無事を将軍へ伝えてくれるはずだ。 それさえ分かっているなら将軍は静観して下さるだろう。
問題は神官。 おそらく聖下と猊下のお側に仕える神官の中に内通者がいる。 家出なさったその日に報告されたら目眩しが何組いようと厳しい旅となろう」
「猊下と聖下、どちらにも影武者がいるじゃないか」
「お側に仕える神官なら影武者と本物の区別くらい簡単につけられる。 内通者が誰か分かっているのなら、その者の目を誤魔化す事は可能だが。 お側付き神官の全員を誤魔化す事は難しい」
すかさずサダが言う。
「なら神官の皆さんにも影武者付きで旅に出てもらったら? お側付きはそれぞれ二十人、合計四十人でしょ。 五人かそこらの組にして。 それなら自分の組にいるのは影武者だって事は分かっても、本物がどの組にいらっしゃるのかは分からない」
レイと俺は顔を見合わせた。 レイが深く頷く。
「なるほど。 タケオ施主、これは其方から聖下へ進言しては? その時本隊といつ合流なさるかも確認しておいた方がよかろう」
「ふむ。 登城をどうするか、だな」
「皇都のヘルセス別邸へお立ち寄り戴けるなら私が登城する際、内密にお連れする事も可能だが。 本隊が登城する直前に影武者と交代する道もある。 派手にしたければ徒で登城し、竜鈴で正門を開けさせては如何。 竜鈴鳴動の時のように。 ふっ」
「あれ、そんなに派手でした?」
「既に皇国正史に記録された事、サダ様は御存知ない? この一大慶事を見逃したと聞いた時は、我が生涯初めての地団駄を踏みましたぞ」
サダが嫌そうな顔をした。
「だからってもう一度あれをやらされるの? 耳が痛くなっちゃう」
「いずれにしてもそれは猊下と聖下のお気持ち次第。 取りあえず出発の日が決まったら連絡するが、今のところ一行は猊下、聖下、サダ一家、俺と俺の従者のゼン。 皇都にいつ着くかは分からんが、もし早めに着いたらお前のところに泊まる」
俺の言葉にレイが頷きながら言う。
「聖下を説得するより大変なのは同行が許されない者達への説得であろう。 健闘を祈る」
レイとサダは途中の宿はどこがいいかを話しながら帰った。 いつ誰に盗み聞きされようと気楽な会話でしかない。 実際お気楽なサダがいるおかげで面白い旅になりそうな気がする。 俺としては猊下と聖下さえ御無事なら面白くなくてもいいが、どうせなら面白い方がいい。
なんだかんだ言って、内心この家出を面白がっているんだろう。 サダは鼻歌混じりだ。 それはこの家出の理由を知らないからで、知った後でも面白がるかどうかは分からないが。
鼻歌、で嫌な予感がしたが、単なる気のせいだと自分に言い聞かせた。