3-06 自律式可動人形のとっておき
父が作り出した自律式可動人形は、今や世界中で見ることが出来る。それは労働力として、あるいは人生のパートナーとして。
失踪した父の残した設計図と、人形に心を与える精神肝から、私は新たな自律式可動人形を作った。
だがそれは、私に新しい困難と過酷な旅の始まりを告げる咆哮だった。
「私が求めるのはそうよ、とびっきりの復讐劇! あり得ない程のピカレスク! さぁ、もう一度私の手を取って。そして願って、祝って!」
失踪した父を探す旅はいつしか、私が作り出した自律式可動人形––リアトリスと私の数奇な運命を求める旅になっていた。
神聖な祭壇にはかくやというほど精緻な人形が飾られていて、私はそれを人間にしようとしている。
必要な工程はこうだ。心を嵌める。たったそれだけ。
薄暗い工房の明かりを点けると、ごった返す道具と機械の群れが精油の匂いを振り撒いている。私には慣れたものだが、そうと知らない人間が入ればハンケチをポケットから取り出し、鼻を覆う姿を見ることになる。
ただ一つの作業台の上には、私が心血を注いで作りあげた自律式可動人形が、オフィーリアのように横たわっている。
私と同じくらいの年––十七頃の少女––のように見え、ただの人間がそこで眠っていると言われても誰も疑いはしないだろう。
かつて父が作りあげた、自らの意志で動く自律式可動人形は、停滞した世界の文明を打ち破る光として歓迎された。今、世界では数多の自律式可動人形が労働力や人生のパートナーとして生活している。
しかし、ある時突然父は失踪してしまった。
父の失踪の原因は、あまりにも多くのところから借りた金を返せなかっただとか、禁忌を破っただとか、色々な噂が囁かれている。息子の私ですら、そのどれが真実で嘘なのかは分からない。ただ一つ確かなことは、父は確かに有能な科学者だったということだ。
私は父が残した設計図を頼りにこの人形を作り上げた。私は父を見つけ、その失踪の原因を知りたいと考えている。
故に私はここにいるのだ。父が作り出した人形を人間にするパーツ、つまりは心と呼ばれる精心肝。父の唯一の形見であるこれには、既に心がインプットされているはずであり、少なくともそれは父のことを覚えているはずだ。
球体の形をしたそれは、青白い光を放ち、人形の胸部の空いた空間へ戻ろうとしている。私はそれを、一筋の望みとして嵌め込んだ。
人形は起動しない。起き上がることも無ければ、おはようと喋る事もない。
「どうして……!」
やはり独学ではいけなかったのか。人形は精神肝と完璧に適合する機体でなければ、起動することはない。直径十センチ程の精神肝を取り出し、私はもう光を放たなくなったそれを手に立ち尽くした。
その時、工房の扉から荒っぽいノックの音が聞こえてきた。私は焦る気持ちにちっ、と舌打ちをして扉を開けた。
「よう、クエル。お前が散々言っていた人形は完成したのか?」
ニヤニヤと醜い笑顔を浮かべたアルマとその取り巻きが、私の奥を覗きながらそう言った。
彼らは私の通う高等部の同級生であり、常日頃からなにかと難癖を付けては私の邪魔をしようとしてくる。それは、私の父が街では犯罪者と揶揄されていることから来ているに違いない。
「何しに来たんだ。用がないなら帰れよ」
取り巻きの一人が口を尖らせながら私に言う。
「生意気な口ききやがって。お前の親父は犯罪者! 国のしちゃいけないこと破ったから逃げたんだろ? それでお前は捨てられたんだ。そんなやつが作るもの……」
取り巻きが床に倒れ、派手な音を立てる。私が殴ったことを認めたアルマは、青筋を立てながら私の腹を思い切り蹴った。高等部の癖に八十キロもある巨漢の蹴りは、私を軽々と部屋の機械群へと激突させた。
口の中に血の味を感じながら、それでも私は声を上げる。
「父は偉大な科学者だ! そんなことするわけがない!」
「うるせえんだよ、捨てられたってことに変わりはないだろうが!」
アルマの蹴りが私の身体中を撃ち抜く。手に持った精神肝に傷が付かないよう、私は必死に身をうずくめる。
「知っているか? お前の親父が何をしようとしていたのかを! お前も作ってるその人形を軍事利用しようとした罪で戦争犯罪者なんだってよ! 母ちゃんも言ってたぜ、お前も犯罪者の血を……ッ」
私は手元にあった道具を投げつける。
それはアルマの顔に当たり、一筋の血を流させた。
「てめえ……っ!」
アルマが小さな作業用道具を拾い上げて振りかぶると同時に、私はアルマへ体ごと突っ込んだ。
バランスを崩したアルマは尻餅を突き、私は人形へと駆け寄った。自律式可動人形のボディは硬く柔らかい。人間の肌感を再現しながら、半端な攻撃では破壊されないほどに強固な肌を実現している。そのため、例え起動せずとも、精神肝を人形に埋め込んでおくことは、手元に持っておくよりもよっぽど安全だといえた。
アルマは一度カッとなると我を忘れてしまう。昔は喧嘩した相手の骨を折り、それでもなお暴れていたところを大人に止められてようやく止まった。でも今は、止める大人もいなければ、凶器となる武器がアルマの手に握られている。
自分よりも圧倒的弱者からの反抗を、アルマが黙って見過ごす訳がない。
私の血が精神肝へと滴り落ちる。壊れないだろうか? 逡巡する間もない。私は精神肝を人形に嵌め込んだ。
私の肩が掴まれる。
瞬間、私は何かと接続したような感覚に陥った。あるいはそれは、フラッシュバックのようなものだった。思考が流れる。私の手は人形の手を握っていた。人形の胸から青い光が閃光のように迸る。
––嫌だ。生きたい。まだ死にたくない。まだ生まれてだっていないのに。愛されたい。祝福されたい。愛される資格なんてないけど私は生まれてきたのだから愛されたくて……。私は愛されてない。私は贋作で。でも私、ここにいる。生きて愛されたい。ねえ呼んで。呼びなさいよ。私の名を。私は願いだったもの。でもその願いは存在を得てしまった。だから、誰か、真作ほんものの誰か!お願い。私の誕生を祝ってよ。
私は設計図に記されていた名前を思い出す。
「リアトリス……!」
※※※※
私を呼ぶ声がする。吐き気がする。私は憎悪の炎を燻らせる。
だって、私の胸の内にあるのは怨嗟。どうしようもないほどの悪意と侮蔑によって形作られた私が、そう産声をあげるものだから、苦しくて吐きそうになる。
私の意識はどんどんと明瞭になっていく。私というからっぽの容器に意識という不純物が満たされていくからだ。
この八年間。私はただ不快な思いを胸に存在してきた。心精肝。これのせいだ。これのせいで、私は意思を持たされてしまった。
意識が明瞭になっていくのと同時に視界もクリアになってくる。
元々あった微弱な感覚にも、神経が繋がっていくような充足感を感じる。
――ああ、駄目だ。私には憎悪が必要だ。だって、それがあるからこそ私は自我を保てることができるのだから。
私は久方ぶりの視界を手に入れた。
「――自律可動式人形。起動の求めに応じ覚醒しました」
世界が彩られる。目に映るのはあまりにも汚らしい小部屋。そして、私を作り出したやつの面影が残る少年。
……私が過去に見た少年は、少なくともこんなに汚くはなかった。指や腕には包帯が巻かれ、顔からは血が流れている。醜い傷を隠すような大型のガーゼが体のあちこちに張られている。
……これは、私が求めている人間ではない。私を作り出したあいつは、もっと歳をくっていた。
私は少年の襟を掴んでぐっとこちらへと引き寄せた。
少年を、私は冷ややかに、でも熱く見つめる。
「ねぇ、私の主様。最っ高の復讐劇やピカレスクに興味はある?」
我が主様は疑り深そうな目で私を見つめる。少年の肩を掴んでいた人間は、呆気に取られたような顔をして動きを止めた。
痛々しいその姿に、我が主は私と同じだと信じて疑わない。すなわち、復讐に取りつかれた悪鬼であるはずだ。
「私が、あんたを主人公にしてあげる」
※※※※
次の瞬間、アルマはかつて私がそうされたのと同じようにして床に叩きつけられる。起動した自律式可動人形––リアトリスは、その冷笑的な顔を貼り付けたまま、繰り出した脚をすっと戻した。
アルマはピクリとも動かない。取り巻きが慌てて逃げていったが、しかし私はそれよりも、眼前の人形に興味がとられっぱなしだった。
「さあ、我が主様。あんたの願いを言って。私はリアトリス。世界で一番最初に作られた自律式可動人形」
その自律式可動人形は、もはや人間だとしか言えなかった。浮かべる笑みに、流れるような肢体。そのどこにも機械らしさはなく、ただの人でしかありえない。
稼働する人形を見たことがあればわかると思うが、普通不気味の谷から抜け出す事はできない。
ただ、私は小さな記憶から、この人形をどこかで見たような気がした。
「父さんを……見つけたい」
リアトリスは満面の笑みを浮かべ、直後にはぁ? という顔を浮かべた。
「……あいつ、いないの?」
「何年か前に、失踪したんだ」
はぁぁ、と大きなため息をついたリアトリスは、髪をぐしゃりと掴む。どこまでも人間くさい。
「よくないけど、まあいいわ。ええ、いいわよ。あんたのお父さんを見つける旅に、私もついていってあげる。さぁ、銃はどこかしら? DODのクズ達は撒けているの? あんたが私を上手く使ってその夢を叶えたら、ええそうよ。次は私の番」
「私の番?」
リアトリスは両手を広げて、とびっきりの笑顔を見せる。扉から入り込んだ光はリアトリスを照らし、座り込んだ私はその眩しさに目を細めた。リアトリスは裸のまま、もうたまらない、と言った様子で続ける。
「そうよ、それはとびっきりの復讐劇! 私が求めるのはあり得ない程のピカレスク! さぁ、もう一度私の手を取って。そして願って、祝って! 世界の転覆を起こすのよ!」