3-05 家出王子の世直し旅 〜幼女剣聖を添えて〜
サンドレイク王国の第三王子の俺、ニールが王宮から家出して数日。
俺は初めて見る世界を堪能しつつ、気ままな一人旅の空にあった。
のだが。
「み、みず、を所望する……」
街道の草むらの中から幼い女の子の声がして。
「ぷはぁ、生き返ったのじゃ、恩にきるぞ主どの。礼として妾が護衛を務めてやるのじゃ」
なぜか剣聖を名乗る幼女と出遭ってしまった。
「安心せい。これよりの道中の世話、剣聖たる妾がしてやろう」
「間に合ってまーす」
「ひどいのじゃ、妾はまた行き倒れるぞ? 良いのか?」
「……どんな脅し文句だよ」
こんな成り行きで、俺ことニール・フォン・ジェラート・アレクサンドル・サンドレイク──
「長いわ! 主は主でよいのじゃ!」
かくして、幼女剣聖という微妙な道連れを得てしまった俺は、気ままに旅を続けるのだっ……え、これって世直し旅なんですか?
のどかだ。
春の陽射しと風を浴びながら大きく伸びをして、目の前に広がる草原や遠くの山々を眺める。
俺一人で王宮を飛び出して、一ヶ月が経った。
「家出して、本当によかったなあ」
去り際のサンドレイク王の寂しそうな顔がチラつくけれど、どうでもいいや。
心残りは、別れの時に涙を見せた執事のセバス。
悪いな、セバスちゃん。
ずるずるずる。
俺の背後から、地面を引きずる音が近づいてくる。
まったく。
一人旅のはずだったのに、思い出にも浸れない。
「主よ……もうちょっと、ゆっくり歩いてはくれんかの……」
風に乗る声はまだ幼い。
振り向けば、五歳くらいの幼女が大剣を引きずりながら、エレファントトータスよりもゆっくりと近づいてくる。
「──やっぱりその剣、持ってやろうか?」
「剣は剣聖の魂、いらぬ世話じゃ。でも優しいのは好きじゃよ」
「はいはい」
この自称剣聖の幼女、ミラと出会ってからの歩みは遅い。
予定では次の街など、三日前に通過していたはずなのだ。
急ぐ旅ではないけれど、急ぎたい理由はある。
「いや、別に優しさじゃなくてな。追手が来るかもだし」
「……誰も追ってこぬではないか。まあ追ってきたところで妾が──」
「剣を引きずるのか?」
「う、うるさいのじゃ!」
大声を出したせいか、幼女もといミラはゼェゼェと息を鳴らして、その場にへたり込んだ。
「……のど、かわいたのじゃ」
「あいよ」
自分の腰に下げた竹筒の、小さな方をミラに手渡す。
ミラは夢中で竹筒の中の水を小さな口に流し込んだ。
「ぷはぁ、生き返るのじゃ」
足を投げ出して竹筒を呷るその姿は、半月前に彼女を助けた時と非常に似ていた。
「主よ」
「ん?」
「ねもい」
はぁ。
溜息と共に肩を落とした俺は、竹筒と大剣を抱きしめたまんまのミラを抱えて、街道脇の木陰に移った。
「ふぁぁ、いい気持ちじゃ」
木の根元に鎮座する俺に小さな身を埋めたミラは、嬉しそうに笑ったかと思えば、すぐに寝息を立て始めた。
「しかし、どうすっかなぁ」
自慢ではないが、俺は弱い。
多少は剣の心得はあるが、戦闘系のスキル持ちには到底勝てない。
ここで戦闘に特化した敵が来たら、間違いなくやられる運命だ。
俺ひとりならば、俺の天啓スキル「貸与士」の能力で何とかなるかも知れないが、残されたミラが危険に晒される。
ミラとはまったくの他人だが、成り行きとはいえ保護した責任はある。
──貸与士だと?
そんな訳のわからんスキル、我が王家には要らん。
早々に旅にでも出るがよい──
父上の言葉が、頭の中に浮かんで駆け巡る。
我が王家は、代々武勇で身を立てた一族だった。
王である父上や王子の兄も例に漏れず、戦闘系スキルを有する。
なのに何故、俺だけが貸与士などというスキルなのだろう。
戦闘の援護ができる付与士ならば、まだ良かった。
しかし、貸与士の出来ることは、貸し借りのみ。
利息を取り立てることも出来るが、これは商人などが持つにふさわしい。
そもそも貸与士なんてスキルは初耳だ。
「本当、王家にとってはハズレスキル……だな」
本当にそう思っていた。
その後、王の本音を聞くまでは。
本日何度目かの溜息を吐いて、すぴーと眠る幼いミラに視線を落とす。
本当に、子どもだ。
そんな子どもが、どうしてひとりで、街道で倒れていたのか。
しかも、大柄な兵士でさえも持て余しそうな大剣を抱えて。
普通にしてりゃ、かわいいのにな。
ミラの髪を撫でると、猫っ毛のような細い銀髪が指に絡む。
「こいつ、ちゃんと髪を洗ってないな」
水浴びの時にしっかり洗わなかったのだろう。
そのまま撫でる手を、小さな背中に滑らせる。
「はは、やっぱり子どもだ。体が温かい」
小さな子どもは体温が高いと、ものの本で読んだことがある。
ゆえに活発で、疲れやすいのだろう。
と、その時。
「──敵意が来るぞ」
俺の胡座の上で寝ていたミラが目覚め、呟いた。
「来るって何が──」
「たぶん追手であろう」
「え、どうして」
足を止めて辺りを見回すが、そんな気配は感じない。
「さては寝ぼけて……」
「たしか主は付与士であったな」
「前にも言ったけど、俺のは貸与士というハズレスキルで……」
「ほう、貸与士だったか。ならば尚更に好都合じゃ」
突然の意味不明なミラを不思議に思いながら、この子は謎だらけだな、と今さらながらに感じた。
だが俺の思考を他所に、ミラは話を続ける。
「妾に主の、歳を貸すのじゃ」
「はい?」
歳って、年齢だよな。
そんなもの、いや物でも無いものを貸すなんて、できるはずは──
「できる。あらゆるモノを資産として扱える。それが貸与士じゃからの」
──博識だ、なんて言葉では片付けられない。
王立図書館でも解らなかった貸与士の能力を語る小さなミラに、ある種の恐ろしさを感じてしまった。
「ふむ。この気配、この人数ならば……五歳で良いじゃろ」
「そんなの、やったこと無いよ」
「できる。それが貸与士の能力じゃ。さあ早よう念じるのじゃ」
混乱の中、言われた通りに念じてみる。
すると意外な程あっさりと、唱えるべき言葉が頭に浮かぶ。
「貸与、ミラへ【五歳】貸与する」
その瞬間、俺の体が縮み始めた。
「え、え?」
同時に俺の背中にいたはずのミラが、十歳くらいの女の子に成長した姿で立っていた。
「ふむ、これで良い」
ミラは大剣──の柄に差し込まれていたナイフを抜いて、後方を睨む。
「えっ、そんな小さなナイフじゃ……」
「これで充分じゃ。大剣の力など、使うまでもない」
程なくして、革鎧を着けた冒険者風の男たちが三人、俺とミラの眼前に現れた。
「……なんだ、ガキ二人じゃねえか」
「王子の奴め、逃げ足だけは速いな」
「……おい、この女のガキは将来ベッピンになるぞ」
三人の男は、ミラの顔を覗き込んで、いやらしく嗤う。
ミラは何も言わずに男たちを見続けていた。
「よし、駄賃代わりだ。メズンはそのメスガキ捕まえろ」
「アッシだけで!? ギュマの兄貴たちはどうするんで」
「ちょっくら用を足してくらぁ」
「お供しますぜ、ギュマの兄貴!」
走り出す革鎧の二人を尻目に、残った一人とミラは睨み合う。
「へへ、悪いなちっちゃい嬢ちゃん。ちょっとだけ味見させて──」
「なるほど、相手の力量もわからぬ上に、変態か」
「あ? なに言って……やふ!?」
ニヤニヤ顔で迫る男の目の前から、ミラが消えた。
いや、俺の視界からも消えたので、どうなっているのか判らな……え?
「ふげぇぇぇええ!?」
叫び声と同時に男は倒れ、白目を剥いていた。
「ふん、五歳もいらなかったようじゃな」
ミラはナイフを振って、ついた血を……血ぃ!?
「お、さっきの二人も戻ってきたかの」
用を足し終えたらしい皮鎧の男二人は、倒れる仲間を見て駆け寄り騒ぐ。
「おい、こりゃいったいどうなってやがる!?」
「メズン、メズン! だめだ、やられてる」
「てめぇら、ただのガキじゃねえな?」
「ようやく気づいたようじゃの。じゃが」
二人の男たちは腰のショートソードを抜いて……え。
なんで俺の方に!?
「ま、待って待って、なんで俺に向かってくるんだ」
「やかましい! オレはメズンのように油断はしねぇ!」
「おうよ! 叩き斬ってやる!」
俺に向かって振り下ろされた二本のショートソードは。
「え」
「ほ」
少女のミラが握る、ショートソードの半分ほどのナイフに止められていた。
「なにが油断しない、じゃ。わざわざ叩き斬るなどと行動を宣言しおって」
そこからは、一方的なミラのターンだった。
少女の細腕とは思えない膂力で男二人の剣を跳ね除けた。
ショートソードを構えようとする男の胴をナイフで薙ぎ、突きを放つ最後の一人をも、軽く斬り伏せた。
「すごい……速くてよく見えなかったけど」
「ふふ、そうじゃろそうじゃろ、妾はすごいのじゃ……ふわぁ!?」
少女のミラは満面の笑みを俺に向けて、はっと自分の姿を確認した。
「主人ぃ、返り血でビショビショなのじゃ、キモいのじゃぁぁぁ!」
「自分でやったんだろ……」
あんなに強かったミラの慌てる姿がおかしくて、俺は思わず噴き出す。
「笑うなぁ、笑うでない!」
血塗れの涙目で俺を睨むミラに、さっきまでの迫力はない。
「悪かった、ほら」
手ぬぐいを差し出すと、ミラはブンブンと首を横に振る。
「へ、返済じゃ。借りた五歳、今すぐに取り立てるのじゃ!」
また訳の分からないことを言い出すミラに、俺は素直に従う。
「取り立て」
みるみる小さな子どもに戻るミラだが、返り血も綺麗に消えていた。
「へ、なんで」
「当然じゃ、貸し付け以前の状態に戻ったのじゃからな」
呆気に取られる俺に、幼女のミラは冷たい視線を向けてくる。
「……主よ、自分のスキルを知らないにも程があるぞ?」
再び大剣を引きずって町へ歩くミラの後ろを、俺はとぼとぼと続いた。
町に着いた頃には、すでに夜風が吹き始めていた。