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3-03 ルゼの喝采、あるいはファランディールの偽典

天才儀劇作家・ファランディールは、未完の聖劇を遺して殺された。

義父であり師であった彼の跡目を継ぐべく研鑽してきた儀劇作家の弟子・セロは、修道院から帰還したファランディールの一人娘・エメリと待ち望んだ再会を果たす。

けれど彼女に恋してひさしいセロへ、少女は微笑んで告げるのだ。


「父の跡目はわたしが継ぐから、あなたは聖劇になんて関わらなくていいの」

「あの劇に幕さえ下ろせばわたしたち、きっと離婚だってなんだってできる」


――かつて稀代の儀劇作家は天啓を求めた。劇中の物語を現実に再現したがった。狂気に従い、奴隷の少年と幼い我が子を結婚させた。


あらゆる芸術が花ひらく喝采の街を巻き込んで、セロとエメリはなけなしの恋さえ放り捨てられやしないまま、亡き師の後継争いをはじめる。

壊れかけた関係を丁寧につくろい、誰も知らない聖劇の結末を織りあげ……ファランディールの物語に、今度こそ幕を引くために。

「――いざやさちあらん! 喝采あらん!」


 花曇りのあわい天のたもと、鐘楼が鈍い楽の音を響かせる。

 ヴィオ・カルストン、セロ・ファランディール、マリーセラ・イゼラ……在学中、もっとも名誉を浴した若者たちを筆頭にして、正門を目指し思い思いに歩みゆく卒業生たちを、誰も彼もが言祝ぎ見送る。

 この正午の刻限をもって、彼らは学び舎を去ってゆく。五十年も前の世ならば、祝砲すらお出ましなさったことだろう。


「みちゆきに幸あらん! 先達がた!」

「幸あらん! 幸あらん!」

「幸あらん――喝采をこそ賜る、幸あらん!」


 儀劇院ぎげきいんの歳降りて褪せた窓辺からは、年の頃もさまざまな下級生達から慣例どおりに手向けられる、賞賛と、祝福と、嫉妬と羨望が入り交じった声が絶えない。

 いかにしても技倆ぎりょうだけがものを言うここからみごと世へと羽ばたくのに、年齢も経歴も関係ない。こうして正装を纏い、喝采を背に、颯爽と学院の門へと闊歩する彼らは、その才にふさわしい栄誉を浴すべきだ。

――なにせここは儀劇院。喝采の街サンシェルディエが世に誇る、芸術家たちの中枢なりし学び舎。


「やっぱり最高ね! 気分がいい!」


 三人の中では最も年長であるヴィオのかたわらで、マリーセラが小さく歓声をあげた。しなやかな茶髪を今日はきっちりと結い上げて、彼女が祖母から譲り受けた髪飾りをきらめかせている。


「ほどほどにしておこう。俺たちはまだまだ、正しく都市女神(ルゼ)の喝采を賜ってもいない」

「そうね。いまは、まだ。でもこれからは違う!」


 気難しくもたしなめたヴィオの左から、マリーセラはほがらかに返した。首席の彼のため息まじりの苦笑を同意と受け取り、彼女はヴィオの右隣をゆく黒髪の青年へ機嫌良く声をかける。


「ねえ、儀劇ぎげき作家さん。卒業後の初幕デビュタントの演目は決まったの? 演目を彩る歌姫には、ぜひともわたしを招いていただきたいわ」

「それは俺も同意見だな。一昨日までは最終試験で無我夢中だったけれど……次の舞台を考えるなら、また俺の演奏も取り入れてほしいね」


 ヴィオがあざやかな碧眼に熱意をこめて口にしても、セロは生返事とともに曖昧に頷くだけだった。

 とはいえ彼の歩調は足早で、早くも二人より半歩先んじてすらいる。正門をくぐるに際しては首席から三席に至るまではその序列の順に――との慣習さえなければ、さらにいていたことだろう。


「やぁね、またうわの空じゃない、セロ。……まあ、こういう話はゆっくり落ち着いてするべきよね」

「祝杯でも挙げながら? いいね。真っ昼間だけど。そうだな、銀鹿通りのビストロあたりで昼食も兼ねて……ってことなら、マリーセラのお祖父様も許してくれるだろ」

「ごめん」


 そこで、初めてセロが口をひらいた。変声期を迎えてもさほど低くはならなかった声音は、いまもなお宙にただようかのような軽さがある。


「今日はだめなんだ。ようやっと卒業できたんだから――これから、郊外まで出ないと。夜は冷えるし、夕になるまでには向こうを発ちたい」


 申し訳なさそうに連ねられた言い分ではいささか説明不足ですらあるが、少々長めの前髪越しの視線は真摯だ。


「なんで? 郊外なんて、修道院と葡萄畑しかないじゃないの!」


 今年、最も栄えある成績を修めて儀劇院を巣立つのは、卒業生の中でも若い三人だ。彼らのなかでさえ最年少の、十七歳での早すぎる卒業を『ようやっと』とさえ称したセロへ、マリーセラは眉をよせながら少々甲高くさえずった。

 けれどすぐさま、慌てて歩をとめる。気づけばもう正門まで辿りついていた。


「そうだよ、その修道院まで」


 同輩の声に耳を傾けつつも、ヴィオ・カルストンがまずためらいなく門をくぐりぬけた。


「迎えに行かないといけない人がいる」


 次いで、そう言いのこしてからセロ・ファランディールが続き、最後にマリーセラ・イゼラが優雅な仕草で躍り出る。

 そして彼らは三人揃ってくるりと振り返ると、指先で裾を引いて膝を折り、もしくはやわらかにはにかみながら胸に手を添えて会釈をし、あるいはいささか大袈裟に両手を広げてこうべを垂れ、伝統に従いそれぞれに母校へ挨拶を手向けた。

 

 カーテンコールで、そうするように。


 ――そして歴史と名誉ある学舎を、彼らは颯爽とあとにする。

 うしろに控える他の卒業生たちに道を譲るべく、歩みは止めずに大通りを目指した。


「三年間もかかってしまったけど……できるだけ早く連れて帰りたいんだ。だから今日はごめん」

「なによ、誰を迎えに行くっていうの。あそこ、修道女のおばあさまがたか、転地療養の人たちしかいないのに」


 不満そうなマリーセラは歩きながら立ち位置を変え、セロのかたわらに身を移そうとした。それをヴィオがやんわりと止める。年長の彼がなにかを察したように、口を開きかけたその時だった。


「妻を」


 ざんと、木立を撫でて吹き抜けてくる風がセロの黒髪を煽る。


「もうずっと、僕の妻は修道院にいるんだ。だからはやく会いに行きたい」

「やだ、セロ、あなた……入学したの十四よね? わたしたち、結婚式になんて呼ばれてないわよ?」


 セロが入学した当初から、なんだかんだとつきあいが長いマリーセラは、笑えない冗談をたしなめようとした。


「言い訳なんてわたしたちには――それに、もっとそれらしく」

「嘘でも、言い訳でもないよ」


 セロは風で乱れた髪を珍しく耳にかけ、彼の黄金・・の双眸を――特異な色彩の瞳を晒し、前髪のしゃを介さずに、同輩たちをまっすぐにみつめた。


「僕は六歳の時に彼女と結婚した。儀劇院に入学してからは、長期休暇の時しか会えなかった。それだけだよ。だから今日、エメリを迎えに行くんだ。ようやっと、この日が来たから。卒業、したから。約束通りに」


 その頃には、三人は銀鹿通りに辿りついていた。サンシェルディエが誇るこの大通りは、絶えず人が行き交っている。道なりにゆけば路面電車トラムの駅にも程近い凱旋広場へ繋がるし、あるいは路地を折れれば学寮街に、途中で坂を上ってゆけばアパルトマンが立ち並ぶ雪柳通りに辿りつく。

 混雑のさなかをますます急ごうとするセロの肩に、ヴィオが手をかけ小声で尋ねた。


「なあセロ、それじゃファランディールのご令嬢は、修道誓願を立てられたってことか?」

「まさか! エメリは神様の花嫁じゃなく、僕の奥さんだよ! ……療養なんだ」


 修道女たちはもちろん、俗世に夫を持ちはしない。

セロは首を振って否定すると、あらためてふたりへ「だから今日はさよなら」と告げた。


「三年ぶりなんだ。あの子と一緒に家に帰れるの。祝杯も魅力的だけどさ――ごめん。今日は二人で楽しんで?」


 外套の端から指先を出したセロは、申し訳なさそうに微笑んでひらひらと手を振った。

 納得がいかない様子のマリーセラを横目に、ヴィオが少しばかり緊張した面差しで頷く。


「またな。これっきりじゃないだろ?」

「たぶんね」


 セロは穏やかに首肯すると、そのままくるりと踵を返し、彼の家がある雪柳通りの方へと足早に去って行く。

 郊外とはいえ、修道院は葡萄畑のそのかなた。足を伸ばすならそれなりに支度は必要だ。


「なんなの。いったいどういうことよ、ヴィオ」

「マリーセラは外の出身だもんな……けどまあ、話してもいいってことなんだろ。そのまんまだよ」


 どうにも不満を隠せずに見送ったマリーセラを手招いて、ヴィオは彼女と銀鹿通りを連れ立ち始めた。


「サンシェルディエ生まれの俺たちにとっては根が深い話なんだが。セロがファランディールの息子ってことは知ってるだろ?」

「それは、まあ。夭折した儀劇作家の跡取り息子なんでしょ? セロは。……天賦の才を抱えて逝った、時代の寵児オルテスタ・ファランディール。教授がたが、いつだって惜しんでいらした」

「そ。ファランディールはそれこそ死ぬまで、我が街が誇る儀劇の俊英だった。誰も彼もがその芸術に熱狂した。八年前の祝祭では、誉れ高くも聖劇奉納の任すら賜ったね。けど、彼の血を分けた子供はセロじゃない」


 三人揃って揚々と闊歩するだった雑踏を、二人は肩を寄せて辿る。不穏さを帯びてきた話に、マリーセラもさすがに声を落とした。


「どういうこと?」

「聞いたろ? エメリ・ファランディールだ。セロの嫁さん。確か一歳だけ上じゃなかったかな。娘婿のセロと、実子のエメリ嬢……ファランディールの弟子はふたりいる」

「セロは六歳で、結婚したって」

「けど六歳だぞ? したんじゃない、させられたんだ。……ファランディールは、儀劇に狂ってたんだよ」


 ヴィオは路地のひとつへ道を折れながら、深々とため息をついて続ける。


「八年前の祝祭で、彼は自他ともに認める最高傑作を喝采女神(ルゼ)へ奉じた。聖劇は二夜で一組。師が作った一夜目を何度も上演し続けながら、弟子が二夜目を十年かけて磨くのがしきたり。ファランディールが殺されて、聖劇の一夜目は彼の遺作になった」

「それとセロの話がどう――」


 やがて椋鳥の描かれた馴染みの看板を目に留めると、彼はためらいなく店の扉を押し開ける。


「その死後、彼は聖劇を作り上げるために劇外劇・・・を仕立てていたとわかった。……セロもエメリ嬢も、ファランディールの狂気の傑作の犠牲者だ。マリーセラ、続きは席で」


 マリーセラは眉をひそめつつもヴィオの提案に従って、淑女らしく扉をくぐった。


「随分ともったいぶるのね」

「――もうずっと、誰もが噂話にさえ、したがらずにきた話だから」

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