3-02 毎日僕をイジメていたガキ大将の男の子がTSしました。
いじめっ子のガキ大将だった高谷君が、病気で女の子になっていた。それを知ったのは、彼からのイジメを恐れ、ひたすらに体を鍛えた中学時代を終えた後の事だ。学校とは、性転換が受け入れられる様な、甘い世界ではない。元々男だった高谷の事を女子は受け入れる事が出来ず、自分達を守る為に彼女を遠ざける様になった。それは所為、イジメと呼ばれる行為に近しいもの。イジメられっ子だった僕の目には、高谷が過去の自分と被って見えてしまったのだろう。だから言葉にしてしまったんだ、君を守るなんて言葉を。「君ってさ、高谷……さんのこと、どう思ってるの?」毎朝のジョギングを一緒に走ってくれる細谷さんからこんな質問を受け、僕は本音を語る。好き嫌い関係なく、助けてあげたいと。笑顔で頷いた細谷と共に、僕達は高谷を守ろうとするのだけれど。どうやら彼女は本当の自分を隠していたらしい……ガキ大将がイジメ如きに、屈服するはずがなかったんだ。
朝起きるのが嫌だった。どうせ僕の事を殴るんだろう、分かってるんだ。そこに理由なんて存在しない、ただムカついたから、ただ気に入らなかったから。親に買ってもらったばかりのswitchだって「ちょっと貸せよ」の一言と共に僕の手元からは消えてしまった。ソフトだってまだ全然遊んでないのに。
だけど、逆らえない。逆らったら大変な事になるのが分かってたから。
高谷藍。
彼は小学生にして身長百七十センチ、体重八十キロもある巨体で僕の事を玩具にする。
「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」
こんな有名な言葉があるのは知っている、だけど、それを実行する人なんか知りたくもなかった。あれはアニメの中だけの言葉じゃないのか? 高谷君の拳骨はとても痛くて、突き飛ばされると僕の紙っぺらみたいな身体はあっさりと吹き飛んでしまって。上にのしかかられるともうどうしもうも出来ない、ひたすらに「ごめんなさい」と連呼して、高谷君の機嫌が治まるのを待つだけの、人形になるしかなかった。
悔しかったけど、それ以上に怖かった。
小学生の僕を守ってくれる友達は誰一人としていなくて。
なのに、高谷君の周りにはその暴力とも呼べる圧倒的な力に頼ろうとする輩が沢山いて。
「卒業生、起立――」
小学校の卒業式を迎えるも、僕達の住む街はとても田舎だ。
ほとんど同じ面子のまま中学校へと進学する。
つまり、小学校から中学校に上がったとしても、僕の立ち位置は何一つ変わらない。
いや、より一層悪化する可能性がとても高い。
それまで『見』だけだった周囲の仲間達も力をつけ、僕へのイジメに加担してしまったらどうしよう。地獄だ、そんなのを三年間も、多分僕に耐える事は不可能だと思った。
「……変わろう、きっと今しかない」
春休み、中学校入学までの間に出来ることなんてたかがしれている。腕立て……と言っても深く曲げるのは出来ないから、ちょっとだけ肘を曲げるのを百回。腹筋も腕の振り子にして気合で五十回、スクワットも休みながら五十回。これを毎日お風呂に入る前にこなした。
続いてジョギング。往復二時間かかる道のりをただひたすらに走った。足が痛いし、長く走っていると腰もお尻も痛くなってくる。初日なんか走りながら足がこむら返りをを起こしてしまいそうになって、途中から歩くのも辛かった。
でも、負けない。筋肉は全てを解決してくれる。高谷君よりも僕が強くなれば良いんだ。ヒエラルキーの頂点に立ちたい訳じゃない。僕は普通になりたい。イジメられなくて、普通に笑って過ごせる中学校生活を送りたいだけなんだ。
そして迎えた入学式で、僕は緊張の一瞬を迎えたのだけど。
「高谷藍君ですが、病気の為お休みです」
入学式当日に先生の言葉を聞いて、どこか安堵の息を漏らした。鍛えたとは言っても、そんな見た目が変わった訳じゃない。きっと高谷君を目の前にしたら、今の僕なんかじゃ片手で負けてしまう事だろう。もっとだ、もっと鍛えないと。高谷君の病気は思いのほか悪いらしく、休みが長引くと先生は言っていた。チャンスだ、これは神様がくれたまたとないチャンスなんだ。
そうして身体を鍛え続けた僕は、中学校を卒業するまでの間に「田中お前、なに目指してんの?」と突っ込みが入るくらいに痩せマッチョに仕上がっていた。ちなみに田中とは僕の名前だ。田中仁、小学生の頃は「宇宙人みたいだな、お前今日から田中人な」として馬鹿にされたこの名前だったけど、今や馬鹿にする人は一人もいない。
結局、高谷君は復学する事なく中学校を終えてしまった。
今なら負けない自信もあったのに。残念だ。
春になり、僕は近くの県立高校に入学した。
そして、彼との再会を果たす。
「高谷藍です……えっと、中学の頃はずっと休んでいたので、お初の人がほとんどだと思います。あと、隠し事が嫌いなので言いますが、私は元々男子でした。病気で女の子になってしまいましたが、基本的な所は男子のままなので、気にせず接してもらえると嬉しく思います」
黒くて長い髪を揺らしながら、彼女は言った。自分が高谷藍だと。
教室が水を打ったような静けさに包まれるも、彼女は何も気にすることなくぺこりとお辞儀をして、着席する。
仕草佇まいは完全に女子だ。この子が、僕をイジメていたあの高谷藍だって? どこをどう見ても信用できない。ひそひそ話が耳に入る。本当? 嘘じゃないの? 元々男? え、気持ち悪くない? トイレとかどうするの?
「はい、皆そこまで。高谷さんは特別な事情がありますが、学校としては女子として対応する方針であると決定しています。なので女子一同、高谷さんの事を優しく教えてあげて下さい。男子も決してからかったりしないこと、いいですね」
先生がパンパンと手を叩きながら説明し、次の生徒の自己紹介へと移ったのだけど。
学校の方針で生徒が言う事を聞く様な、そんな生易しい物じゃない事は、僕が一番知っている。
どんなに訴えても、誰も助けてくれなかったのだから。
学校とは閉鎖空間だ、未成年により構築された子供達だけの世界。
そこは、とても自由で、とても残酷で。
食物連鎖の様なカーストが即座に組み上がると、それに逆らう術はなくなってしまう。
「きも」
女子達のイジメは容赦がなかった。
僕が小学生の頃に受けていたイジメなんか、生易しい物だと初めて知った。
トイレから出てくる高谷さんの姿は、頭から水を被っている事が多かったし。そもそも女子トイレを使うなって入り口を締め切られていた事もあったり。体育の授業も女子から「高谷君を外して欲しい」と進言が入ったり、何をするにも壁を作り、決して彼女を受け入れる事はなくて。
高谷さんの表情から笑顔が消えるのに、時間は要らなかった。
「そういや仁って昔、高谷にイジメられてたよな」
友達の岩崎君と給食を食べていると、ふいに僕の昔の事が話題に上がった。それは今の僕からは想像も出来ないなっていう笑い話だったのだけど。高谷さんの耳に届くには十分なボリュームだったのは、きっと意図しての事なのだろう。
人を責めるのは好きじゃない。
確かに僕はまだ、高谷さんからswitchやソフトを返してもらっていないけど、それを聞くのは今じゃなくてもいいはずだ。もっと彼女の周囲が落ち着いてから、時が来たらでいいと、そう思っていたのに。
ふと、視界の隅に彼女を捉えた。
聞こえているのか聞こえていないのか、一人席に座り頬杖を付きながら窓から景色を眺める。
窓から入る夏風に長い髪を遊ばせる彼女は、それだけで絵になる様な儚げな存在だ。
そんな彼女がガタンと音を立てながら席を立ちあがると、突然僕の方へと顔を向けた。
ズンズンと音を立てながら僕の方に近寄り、目の前で立ち止まる。
ガキ大乗だった面影は、どこにもない。黒い瞳に綺麗な鼻梁、ぷっくりとした唇に白磁の様な透き通る白い肌、細くて長い腕に、スカートから覗く光沢のある綺麗なふくらはぎは、高谷さんが女性であると十二分に語っていた。しかも、頭に美人の二文字が付く女性だ。
けれど、そんな彼女に不釣り合いな汚された上履きや、汚水を浴びまだ臭いが取れていない制服、どこか濁った瞳を見て、僕の心の中の何かが揺れ動く。
僕の目の前に立った彼女は、生気のない瞳のまま、ただ一言「ごめんね」と言った。
僕の事を虐めていたガキ大将だった時の彼女からは一切の想像が出来ない、儚さと美しさが合わさったような高谷を見て、僕は今の自分がしていた事に気付く。
このままでは、終わる。
誰にも届かないSOSは、あの時の僕と同じ。
「高谷」
僕は彼女の手を掴む。
昔の拳骨からは想像も出来ない程に細く頼りない腕に戸惑うも、僕は彼女の目を見て言った。
「僕が君を守る」